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第四章 ミッドサマーの密会 4

 薔薇園(ローズガーデン)を囲む瀟洒な鉄柵の入り口は開いていた。

 赤煉瓦敷の歩道が夏至の午後の陽を浴びて温められている。

 路の左右にはあらゆる種類の薔薇が咲いていた。白薔薇が目に着くたびに籠の底から鋏を取り出して切り、様々な種類を三輪ずつ摘み取ってゆく。


 そうして花を集めながら歩道を進むうちに、じきに紅薔薇のアーチを抜けて、薔薇園の真ん中にある白亜の四阿まで出た。


 エレンは階段を上がると、籠を足元に下ろし、ボンネットを外して汗ばんだ額を拭ってからベンチに腰掛けた。


 物憂いほど暑い午後だった。

 どこかから蜜蜂の羽音がした。


 しばらくするとようやくに汗が引いてくれた。

 ボンネットを被り直して、顎の下で滑らかなサテンのリボンを蝶結びにしていたとき、階段を上ってくる二人分の足音が聞こえた。



 ――え、二人?



 エレンはぎょっとした。

 今待っているのは〈魔術卿〉たるスチュアード卿のはずだが……――よもや、パーティーに参加する若い男女の誰かが薔薇園での密会にでもやってきてしまったのだろうか?



 慌てて顔をあげると、まさに四阿へと昇ってくる一組の男女の姿がみえた。


 

 その姿は男女ではあったものの全く若くはなかった。


 向かって右手の一歩前を歩いているのは画に描いたような〈老魔女〉だ。


 夏だと言うのに長い黒いローヴに黒い三角帽子をかぶって、胸に牙やガラス玉を連ねた首飾りを幾重にもかけ、帽子の縁からもしゃもしゃした白髪をはみ出させて、極めつけには右手にごつごつした木製の杖を握っている。

 先々代からウェステンフォーク侯爵家に仕える〈サックヴィルの老魔女〉、顧問魔術師のカミーユ・ロジェである。


 何やら朗らかに笑いながら先導する老魔女に続くのは、これもまた画に描いたような〈老魔法使い〉だった。


 裾にも袖にも襟刳りにも幅広の金の縁取りのある明るい水色のローヴをまとった長身痩躯。

 長く白い髪と皴深い象牙色の膚。

 細く高い鷲鼻と鋭い灰色の眸。


 見まがいようもない。


 当代の王室付き魔術師たる〈魔術卿(ロード・マギステル)〉、スチュアード卿クラレンス・トマスだ。


「おや、これはセルカークの魔女どの!」と、カミーユが親しげに――些かならず芝居がかった調子で――声をかけてくる。


「おやカミーユ、彼女とは知り合いなのかね?」

「ああクラレンス。今月初めにウチのハロルド坊ちゃんが色々世話になったんだ。―-おおそうだ、私はレディ・ヘンリエッタに頼まれて赤いバラを集めているのだった! ミス・ディグビー、もしよければその籠を貸して貰えないかな?」

「ええマダム・ロジェ。喜んで」

 半ばほど白薔薇を充たした籠を差し出すと、老魔女は笑って受け取り、見た目よりはるかに軽やかな足取りで階段を降りていった。


 どうやらすべて計画通りらしい。


 その背がすっかり遠ざかりきったところで、エレンは片足を後ろに引き、片足を折り曲げる最もへりくだった御辞儀(カーテシー)をした。


猊下(モンシニョール)、御久しゅうございます」

「そう硬くなるな、若き諮問魔術師どの」と、スチュアード卿は軽い口調で応じ、目だけで座るようにと促した。

「緑のドレスがよくお似合いだ。こうして薔薇園にいると美しい樹木精霊(ドリアッド)のようだ」

「ありがとうございます。それならば、今日の猊下の姪御さまは薔薇の精霊のようでしたわ」

「あの小さなクリスティーンが? 時が経つのは早いものだ! ところでミス・ディグビー、時間があまりないから早速本題に入りたいのだが――」

 スチュアード卿が明るい灰色の眸をまっすぐにエレンに向けながら言う。


「私に何の用だね?」


「端的に申し上げます。三月に警視庁を経由して、猊下の管轄なさる月室庁裁判所(ムーンチェンバー)に訴えたパーシー準男爵家の元・顧問魔術師を覚えておいでですか?」


 そう訊ねた瞬間、魔術卿の老いた端正な貌に一瞬の緊張が走った。


「――アルジャナン・ロドニーかね? むろん覚えているよ。グリムズロック村の気の毒な医師を殺害して入れ替わり、クルーニー家の敷地で〈怠惰な恋の花〉を違法に栽培して、あの家の嫡男に魅了魔法をかけていた男だろう?」


「まさにその男です。警視庁を経由してわたくしが聞いたところでは、ロドニーは極めて迅速に裁かれ、極刑を科されてオールドゲート監獄へ送られたのだとか。その点に間違いはございません?」

「ああ。間違いない」

 平静そうな声で答えながらも、魔術卿の象牙色の貌は今やありありと蒼褪めていた。

 エレンは背筋に寒気が走るのを感じた。



 --間違いない。卿は何かをご存じだ。



「……――スチュアード卿」

「なんだねミス・ディグビー」

「四月半ばのタメシス・ガゼットで、わたくしはあの男の処刑記事を読みました」

 エレンは覚悟を決めて訊ねた。


猊下(モンシニョール)、あの男は本当に死んでいるのですか?」


 低く鋭く訊ねるなり沈黙が落ちた。


 どこかから蜜蜂の羽音がした。


 あまりの沈黙の重苦しさにエレンが詰問を重ねようとしたとき、スチュアード卿がまたまっすぐに視線を向けてきた。


「……――死刑囚がオールドゲートに送られて以降のことは、月室庁は関与していない。もしもあなたが私からの忠告を求めるなら、告げたいことはひとつだ」

「……なんでしょう?」

 エレンは緊張と恐怖を堪えて魔術卿の冷たい灰色の眸を正面から見返した。


 すると老人は微かに笑い、小さな姪か孫娘でも諭すような口調で続けた。


「忘れなさい。すべて」

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