第四章 ミッドサマーの密会 3
「--ところでアメリア」と、玄関広間に入ったところで、レディ・ヘンリエッタが小首を傾げて訊ねる。「その娘はあの有名な魔術師のお嬢さんでしょう? あなたのところで雇うことになったの?」
「あら、ミス・ディグビーのこと?」と、レディ・アメリアが得意そうに応じる。「今日だけ特別よ。クリスティーンが会いたがっていると聞いたから連れてきたの。わたくしからの婚約祝いよ」
「あらまあありがとう。あの子も喜ぶわ」
「あの子はおめかし中?」
「ええ。呼びましょうか?」
「おしゃれの真っ最中の女の子を呼び出したら可哀そうよ。ミス・ディグビーだけ先にやって頂戴。わたくしはあなたと久々におしゃべりしたいわ。従兄どのともね!」
レディ・アメリアが羽扇をひらひらさせながら言う。
ウェステンフォーク侯が眩しそうに眼を細めて笑った。
「アメリア、なんだか明るくなったねえ。まるで十七の頃のあなたに戻ったみたいだ」
「本当に」と、ヘンリエッタも相槌を打つ。「それじゃブリジット、彼女をクリスティーンの部屋に案内してやりなさい」
「承りましたレディ」
背後にずっと影のように控えていたメイドの一人が恭しく応じ、視線だけでエレンについてくるようにと促した。
本日の主役の一人であるレディ・クリスティーンが滞在しているのは、玄関広間の左手の階段を上がった二階の突き当りの〈薔薇色の間〉だった。
名の通り、調度品すべてを明るいローズピンクで揃えた女性好みの室内に一歩踏み入るなり、甘く濃い薔薇の芳香が全身を包み込んだ。部屋のそこここに色とりどりの薔薇の生花がこれでもかとばかりに飾られているのだった。
その花だらけの室内の真ん中に、大輪の黄色い薔薇みたいな若い貴婦人の姿があった。
大きな鏡を前にして、背中のぐっと開いた鮮やかなカナリアイエローのドレスをまとって、目の覚めるような赤毛をフサフサと肩に垂らして、左右に跪くメイド二人の手で細い鏝を巻き付けては細かな巻き毛を拵えさせている。
「失礼いたしますレディ・クリスティーン」と、控えの間からメイドが呼びかける。「コーダー伯爵夫人の御申しつけでミス・ディグビーをお連れいたしました」
「え? ミス・ディグビー?」
赤毛の若い貴婦人は頓狂な声をあげて振り返るなり、肉厚の白薔薇みたいな顔にぱっと歓びの表情を浮かべた。
「あら、本当にあなたなのね! よく来てくださったわ! どう? このわたくしのドレス?」
「大変お似合いですわレディ・クリスティーン。装身具はやはり真珠に?」
「ええ。――ハロルドにお灸をすえるためにも、あの偽物の地琥珀の首飾りを使ってやろうかとも思ったんだけど――……可哀そうだからやめておくわ。クラレンス伯父さまはがっかりなさるでしょうけれど」
「レディ、実はそのクラレンス伯父さまに――王室付き魔術師たるスチュアード卿に内密にご挨拶したいのですけれど」
周囲のメイドたちの耳目を憚ってできるだけさりげなさそうな口調で頼む。
すると、見た目よりはるかに聡明なクリスティーンが、まだ化粧を施さない薄めの眉をわずかに寄せて繰り返した。「……内密に?」
「ええ」
エレンは目元に力をこめながら頷いた。
クリスティーンはすっかり心得たという風に頷くと、不意に何かを思いついたとでもいう風に両手を打ち合わせた。
「いいわ。仲介してあげる。代わりといっては何だけど、ひとつお仕事を頼んでいいかしら?」
「何でしょうレディ?」
「薔薇園にいってもう一籠白薔薇を摘んできてもらいたいの。――ブリジット、コーダー伯爵夫人がおいでってことはスタンレー卿もいるのでしょう?」
「はいマイ・レディ」
「じゃ、彼に伝えておいて。スチュアード卿がいらしたら、ちょっと薔薇園のほうに顔を出してくださいって」
「承りました」
メイドが恭しく応じる。
予想以上に見事な手際である。
エレンは感嘆した。
クリスティーンが得意そうに目配せをしてくる。
クリスティーンから託された白い大きな籠を手にして玄関広間へ戻ると、すでに多くの客人たちが、飲み物を手にして三々五々、談笑に興じていた。
皆一様にちらっとエレンを見るものの、服装からして家庭教師か付添女性だと判断したのか、特に誰も話しかけてはこない。
エドガーは大きな暖炉の傍でノーズリー子爵ハロルド・サックヴィルと一緒にいた。
傍に三、四名の若い貴婦人が群がって、エドガーが何か言うたびに明るい笑い声を立てている。
エレンはその声に苛立ちと微かな悲しみを感じた。
――ここはわたくしの属する世界じゃないわ。スタンレー卿とわたくしとでは、初めから住んでいる世界が違う。
エドガーは確かにエレンを気に入っているようだが、あれは美しい馬や犬を人間が気に入るのと同じ感情だ――と、エレンは思っている。
爵位貴族というのはそういうものだ。
そう思うと急に涙が出そうになった。
――ダメダメ。何を気弱になっているの! しっかりしなさいエレン・ディグビー。ここには仕事で来ているのだから。