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第四章 ミッドサマーの密会 1

 三日後――


 エレンは手持ちの夏服のなかでは最も上等のミントグリーンのドレスに装ってタウンコーチ型の瀟洒な馬車でタメシス西郊のウェステンアビー・ホールへと向かっていた。


 滑らかな黒い革張りの座席の隣に座っているのは、蜘蛛の巣みたいに繊細なシルバーグレーのレースを重ねた妖精じみたドレス姿の五十歳前後に見える小柄な貴婦人(レディ)だ。小ぶりな顔に相変わらずかなり濃い化粧を施している。


 御者席を背にした座席に坐ってエレンたちと向かい合うのは、明るい紺色のドレス姿の慇懃そうな顔つきの長身の女性――身なりと顔つきからして、仮に彼女を知らなくても一目で貴婦人付添女性(レディス・コンパニオン)だと分かる――と、光沢のある黒いジャケットと灰銀色のウェストコート、貴婦人のドレスと御揃いのシルバーグレーのレースを襟元にたっぷりあしらって濃い青いサファイアのブローチで留めた華やかな装いの若い――少なくとも貴婦人より二十歳は若い――貴公子(プリンス)。黒い巻き毛をいつも以上に完璧な形に調えて、真っ白いタフタのリボンで結んでいる。

 少女が夢見る魅惑の王子様――というには、少しばかり齢を重ねすぎているものの、いつみても見た目は完璧な貴公子だとエレンは内心でうっとりしている。


 その見た目は完璧な貴公子(プリンス)は、印象的な明るい琥珀色の眸を細めて、猫好きが猫を見るみたいな目つきでニコニコと盛装のエレンを眺めているのだった。

「いやあミス・ディグビー、君が私を頼ってくれて本当に嬉しいよ! もっと早くに報せてくれたら、そのドレスに似合う宝石を用意させたのに」

「とんでもないことでございますわスタンレー卿」と、エレンは慌てて手を顔の前で振り回した。「こうして突然同行させていただけるだけでもありがたいかぎりですのに」


「あらまあ他人行儀ねえ」と、貴婦人(レディ)がブルーグレーに染めた駝鳥の羽の扇をふわふわ動かしながら笑う。「ミス・ディグビー、わたくし、あなたには本当に感謝しているのよ? 今日も何か急なお仕事でクリスティーンに会いたいのでしょう? そういうときはいつでも頼りなさいな。それにしても、あなた本当にうちに来る気はないの? お給金はいくらだって払うわよ?」

「レディ・アメリア、そのお話はまたいずれ」

 エレンは笑ってごまかした。


 目の前の貴婦人の名はレディ・アメリア・キャルスメイン。

 アルビオン&カレドニア連合王国内でも指折りに富裕なコーダー伯爵家の夫人である。

 向かい側に座る女性はレディ・アメリアの付添女性のベアトリス。

 隣に座る見た目パーフェクトな貴公子は伯爵家の嫡男のスタンレー卿エドガー・キャルスメイン・ジュニアだ。

 ちなみに今乗っているタウンコーチの外扉にはコーダー伯爵家の黄金製の紋章がピカピカと輝いているはずだ。


 エレンは三か月ばかり前、このコーダー伯爵夫人から内密の依頼を受け、息子のエドガーと一緒に解決したことがある。

 以来、コーダー伯爵家から――というより、アメリアとエドガーの母子からは絶大な信頼を受けているのだった。



「それにしてもあなた、クリスティーンとはもともと知り合いだったの?」

 気の散りやすい猫みたいに集中力のないアメリアが沈黙に飽きたのか話題を変える。

 エレンは有難く飛びついた。

「ええレディ。今月の初めにちょっとした事件の調査をお受けしましたの」

「僕が仲介したのさ」と、エドガーがちょっと得意そうにママに報告する。

「あらそうだったの。じゃ、今日はそのお仕事の報告?」

「ええまあ、そんなところですわ」

 エレンは曖昧にごまかした。

「ところでミス・ディグビー、ひとつ気になっていることがあるんだが」と、エドガーが不意に口を挟んでくる。

「なんでしょう卿?」

「君、オータムフェアの教会のガーゴイルが壊された事件を知っているかな?」

 エドガーが珍しく深刻そうな声で訊ねてくる。


 エレンはぎくりとした。

「え、ええ。タメシス・ガゼット新聞で読みましたわ。たしか六月十六日の日曜日でしたわよね?」

「よく覚えているな! さすがに魔術師の記憶だ」

「ありがとうございます。――その事件が何か?」

「いや、私のタウンハウスはオータムフェア地区にあるんだがね、あの事件以来、近隣の警備がむやみやたらと厳しいのさ。昼の日中から辻にはいつも巡査が立っているし、馬車で戻ろうとすると必ず停められて車内を検められるんだ」

「え、それは卿のお車だけ?」

「イヤイヤまさか。あの近隣住民の車すべてそういう扱いだ。なあミス・ディグビー、あの警視庁の厳重警備、ありゃ一体なんなんだ? あれじゃおちおち変装して居酒屋にエールを飲みにもいけない」

 わりと気の短いエドガーが巻き毛頭をくしゃくしゃとかきむしると、小柄な母君が細く描いた黒い眉をきっと吊り上げた。

「エドガー、あなたいい齢してまだそんなことをしているの? いい加減分別というものを身に着けなさいな。警視庁が警戒しているって、そんなの当たり前でしょう? オータムフェア地区には摂政宮殿(リージェンシー・パレス)があるのよ? 王太子ご夫妻とお子様がたがお住まいなんだから、変な事件なんかあったら警戒するに決まっているじゃない」

「しかしですね母上、壊されたガーゴイルがあったのはごく古い小さな教会で、像そのものにも大した価値があるなんて話は聞いたこともなかったんですよ。それなのに何であれほど警戒しているのか――ミス・ディグビー、君なら何か知っているんじゃないのかい?」

 エドガーが期待に満ちた子供みたいなキラキラした目を向けてくる。


 エレンは微苦笑しながら首を横に振った。

「残念ながら卿、その件に関しては、わたくしは何も存じませんわ」

 この言葉は完全な嘘ではない。

 しかし、エレンは心のなかにもやもやとした違和感が浮き上がってくるのを感じていた。



 ――なんだかいろいろなことが見えないところで繋がっているような気がしてきたわ……


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[良い点] シリーズを通して読み進め、最新話にたどり着きました。 とても好きな雰囲気の作品です!
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