第一章 消えた恋愛作家 1
「――申し訳ありませんがミスター・ゴードン」
新進気鋭の諮問魔術師エレン・ディグビーは、蒸し暑い事務所の応接スペースに迎え入れた依頼人のモサモサした麦わら色の頭のつむじを眺めながら切り出した。
「若い女性の行方不明事件の調査は魔術師の仕事ではありません。ミスター・ニーダムがお勧めする通り、その事件は今すぐ警視庁に訴えるべきだと思います」
「そうだよビル・ゴードン」と、若い警部補のクリストファー・ニーダムがソファに座って項垂れる大柄なゴードンの背中を友人らしい親しみと労りの籠った手つきで軽く叩きながら言い添える。「ミス・ディグビーの言う通りだ。そういう事件だったら、まずは警視庁に訴えてくれよ」
「そうできない事情があるんだよクリス・ニーダム!」と、ゴードンが顔をあげる。
ごつごつと骨ばった面長の顔が見るからに憔悴している。
今の外見だと、ビル・ゴードンは二十三歳だというニーダムより一回りは年上に見えるが――法学院時代の同級生だという話だから、実際には二十六のエレンとそう変わらない年頃なのかもしれない。
ひどく老けて見えるのは心労のせいか窶れ切っているためだ。
ボサボサの麦わら色の髪には見るからに櫛が入っていないし、目の下には濃い隈がはかれている。口のまわりには白っぽい黴みたいな無精ひげが生えて、シャツはクシャクシャで汗ばんでいる。
そんな窶れ切った外見のゴードンは、はーッと深いため息をつくと、大きな掌で顔を覆ってうめいてから、床にじかに置いた古ぼけた小型の黒いトランクを開いて、これも年季の入った黒い革製の書類挟みを取り出した。
「ミス・ディグビー。これを読んでみてください。先週から失踪してしまったミス・エイヴリーの部屋に、『モリソン&ゴードン出版社』あての封筒に入って残されていた原稿です」
言いながらゴードンが紙の束を差し出してくる。
枚数にして六枚ほど。右肩を細い赤いリボンで綴じてある。
一枚目の冒頭にはこんな表題が書かれていた。
『貴婦人諮問魔術師レディ・ジェインの冒険』
「……これは、小説のタイトルですの?」
エレンが眉をよせて訊ねると、
「勿論その通りです」
と、ゴードンがいっそ不本意そうに答えた。
「先ほどお話した通り、ミス・クラリス・エイヴリーは、わがモリソン&ゴードン出版社が刊行する週刊絵入り新聞、『イラストレイテッド・タメシス・ニュース』に恋愛小説を連載していた閨秀作家なのですから」
「あ、それは勿論覚えておりますわ」と、エレンは慌てて弁明した。「このタイトルはあんまり恋愛小説とは思えないので」
「なあビル、その原稿はミス・エイヴリーの部屋に残されていたっていったね?」と、今回の依頼の仲介者であるクリス・ニーダムが口を挟んでくる。「もしよければ、そのあたりの来歴をもう少し丁寧に説明してくれないかな?」
「……お前がいるところだと、正直気が進まないんだが」
「警視庁の警部補には話したくないってわけかい?」と、ニーダムが困り顔で笑い、一転して心配そうな表情で続ける。「なら旧友のクリスとして聞くよ。ビル、分かっているのかい? 君はまるでこの一週間一睡もしていないって顔だ。何が起こっているにせよ、一人でくよくよ悩まずに友達に相談するべきだよ!」
そう言い募るニーダムの口調は心底心配そうだった。
ビル・ゴードンがハッと息を吐いて笑い、ニーダムのふわふわした栗毛の頭を親しみの籠った手つきでくしゃくしゃにしてから、諦めたように頷いた。
「分かった分かった、相談するよ! ならまずミス・エイヴリーとどうやって知り合ったのかからだな――」
ゴードンが顎に手を当てて妙にうっとりとした表情で語り始める。
「あれは三か月前、四月の初めの春のことだった。彼女は明るいラヴェンダー色に白いレースをあしらった可愛いドレス姿で事務所にやってきたんだ。怯えた白い兎みたいにびくびくしながら、腕に書類挟みを抱いてさ! そして俺を一目見ていったのさ。『ミスター・モリソンかミスター・ゴードンはいらっしゃいます?』。私がゴードンですよと答えると、彼女は、あら愕いた、経営者のお一人がこんなに若くてハンサムな方だとは思わなかったと言って頬を赤らめたんだ。彼女はとっても色白でね、髪はくるくると縮れた胡桃色で――」
説明がミス・エイヴリーの春のヒヤシンスのような瞳の色に及ぶと、話は一切進展しなくなった。
水を向けてしまったニーダムが口だけを動かして詫びてくる。
すみませんミス・ディグビー。
いいえお気になさらず、とエレンも口だけで応じると、今しがたゴードンから受け取った原稿にざっと目を走らせ始めた。そして仰天した。
「……――ミスター・ゴードン、この原稿、先週お受け取りになったんですよね?」