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「え?領都に?行きたい、行きたい!」
食卓を囲んでいるときに、休みを合わせて一緒に領都に行こう、とモナに誘われて、カティアは飛び上がって喜んだ。
実は、ここに奉公に上がるときに朦朧としながら通り過ぎた時と、買い出しの手伝いとして目的地にまっすぐ向かい、すぐに帰ってくる…そんな程度でしか、領都には行ったことがなかったのだ。
「私も気が付かなくてごめんなさいね。ここにいると必要なものは何でも申請すれば支給されてしまうでしょう?でも私達女子には、綺麗なものや可愛いものを見て歩いて、おいしいものを食べて帰ってくる、そんな時間が必要なのよ!」
「え?女子は一人じゃないか?女子とおばさん、だろ…」
「マイク?何か言った?」
「え?あー?いや…うん。楽しんでおいで」
「父さん汗拭きなよ」
モナににらまれて冷や汗をだらだらと流すマイクに、ハンカチを渡すカイト。
今日も我が家はいつも通りだ。
領主様のお屋敷で働く者は、一週間につき、一日と半分の休暇が与えられている。
でも大抵の者はこの半日の休みはとらず、貯めておく。
半日を二回貯めると一日の休みとなるので、体調不良になったときや、急な用事の時のためにとっておくのだ。
ある程度まとめて長期休暇にして、実家に顔を出しに戻るものも多い。
そして、実家に帰ることもないので休暇がたまりがちで、お休みを調整する同僚もいないカティアは、すぐに次のモナの休みに合わせた休みの申請が通り、今日、モナと一緒に馬車に揺られていた。
毎朝、領都から領主の館に働きに出る者のための、たくさんの馬車が出ている。
全ての使用人が敷地内に住み込んでいるわけではないからだ。
そして、その戻りの馬車には、領主の館から領都に出かけたい者たちが乗り込む。
早朝の戻りの馬車はすいているそうだけど、みんな考えることは同じ。
領都に着いたころにお目当ての店が開く、そんな丁度いい時間の馬車はかなり混んでいた。
馬車の業者もそのあたりはわかっていて、その時間帯にたくさんの馬車がふもとの領都に戻るようになっているにもかかわらず、だ。
たくさんの人が乗り込んだ馬車に乗ると、3年前のあの日を思い出してしまう。
思い出したくもないのに…。
と、隣に座っていたモナが、きゅっと肩に手を回して体を引き寄せてきた。
「大丈夫、大丈夫よ。母さんがいるわ。もうあなたに辛い思いなんか絶対にさせないわ」
何も口に出していなかったというのに、あの日のことを思い出して辛くなっていたことが分かってしまったらしい。
思わず目を丸くすると、モナはいたずらっぽく笑った。
「なんで分かったのか、って顔してるわね?そんなの当たり前よ!だって私はあなたの母親だもの」
――もう駄目だった。
カティアはモナの甘い匂いのする胸に顔を押し付けた。
他の乗客たちに、泣き顔を見られたくなかったのだ。
モナにやさしく背中を撫でられながら、馬車は進んでいった。
領都に着くと、モナはカティアを連れて、まず仕立て屋に向かった。
領主様の使用人の中には、もちろん優秀なお針子達がいるので、領主一家の身に着ける物は大抵そこで作られる。
そして、使用人のお仕着せや普段着なども作られていて、申請すれば支給されたり、格安で買うことができた。
その他の生活用品も、わざわざ麓の領都まで降りなくても入手できるよう、使用人のための売店もあるので、本当に町に出なくても、何の不便もないのだ。
手を引かれてキョロキョロしながら町の中を歩き、モナに続いて仕立て屋に入って、カティアはぽかんとした。
そこには見たこともない世界が広がっていたのだ。
お仕着せは黒、白、灰色、紺や濃緑にえんじ色…役職によって色分けされているけれども、そういった落ち着いた色だ。
使用人の普段着も、それらに似た色か、せいぜい茶やベージュが加わる程度。
でもここは。
赤にピンク、オレンジ色に水色、緑色や黄色にうす紫。
そんな華やかな色の生地と、同じように明るい色のリボンや目を奪われるレース、そしてきらきらと光を反射する、ビーズたち…。
そんなもので埋め尽くされていた。
口と目を大きく開けたまま固まるカティアに、女店主がにこやかにいらっしゃいませ、と声をかけてきた。
「この子に合う既製服があれば、と思うのだけど…」
カティアははっとして、自分の服を見た。
支給してもらった普段着で、灰色のワンピースだ。
孤児院では灰色以外誰も着ていなかったので、他の色を着るのは躊躇してしまい、自分で選ぶとどうしてもこれになってしまっていた。
そして、今日のモナの装いは、鮮やかな明るい青のワンピースだ。
敷地内にいても浮かない青系で、それでもここにいても地味にならない。
絶妙な加減だった。
モナはセンスがいいのだな、と思って、そういえば可愛らしく髪を結うのも得意じゃないか、と気が付いて…カティアは今までの自分のお洒落に関する無関心さを、少し恥ずかしく思った。
そうこうしているうちに、目に鮮やかな華やかな、こんなのは嫁入りのときに着るものではないのか、と思うような服を5着も並べられ、カティアは挙動不審に陥った。
どれも可愛すぎて、カティアにふさわしいとは思えない。
モナは目をすがめつつ、私に一枚一枚、胸の前に当ててみたりしながら吟味し、そのうちの一枚を手に取ると、試着したい、と言った。
カティアは夢の中にいるような気分で試着室に入って、モナにそのワンピースを着つけられた。
試着室を出たところには、全身が映る鏡があった。
大鏡は非常に高価で、領主様の本館にはいくつかあるそうだけど、別棟には一か所しかない。
それも上半身を映す程度の大きさだ。
こんなに大きな鏡は一体どれくらい高価なのだろう、そんな明後日のことを考えていないと動揺がおさまらない。