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「ラルフ兄さん!お帰りなさい!!」
「カティアー!ただいま!少しは大きくなったか?」
春のあたたかな日差しを浴びながら、使用人や出入りの業者が使う裏門のそばで待っていたカティアは、お目当ての人物の姿を見つけて駆けよった。
門の外で馬を降り、手綱を引きながら門をくぐってきたラルフは、カティアを見るとやわらかく微笑んだ。
カティアはちゃんと領主の館で働いていた。
下働きとしては他の子が入ってしまったので、領主の館の本館ではなく、使用人たちが住む別棟の雑用係として採用してもらえたのだ。
お給料は本館で働く者より若干安くなってしまったけれど、毎月の孤児院への送金もできている。
そもそも領主様のお屋敷の敷地内に住み込みで働かせてもらえる者のお給料は、ふもとの町…領都で女の子が働いて得られる給料の平均より高かった。
三年前。
飲まず食わずの上にずぶ濡れになり、三日寝ずに歩いて体力の限界まで使い果たしていたカティアは、侍女やメイドといった裏方たちのトップである家政長サラの前で気を失い、高熱を出してそのまま数日意識が戻らなかったのだそうだ。
そしてサラは蛇の獣人であるために表情が変わらないが、決して冷たい人ではないことは、今では知っている。
領主様にかけあって、この仕事を与えてくれたのもサラだ。
本来雇う予定のなかったものを雇い入れてもらったのだ、サラと領主様には感謝しかない。
そして、今、駆け寄ったカティアを抱き上げて、小さい子供にするようにくるくる回っている、このガタイのいいラルフは、あのまま死んでしまってもおかしくなかったカティアを熱心に看病して、その後もずっと面倒をみてくれている、犬の獣人の一家の次男だった。
ラルフの父マイクは庭師で、母モナは本館でメイドをしている。
兄のカイトは料理人をしていて、先日、別館の独身者用食堂から本館の厨房に引き抜かれたところだ。
そしてこのラルフは去年、領主様の私設騎士団の入団試験に合格して、今はふもとの領都の町に住んでいる。
今日はラルフの休みの日なので、実家に帰ってきたのだ。
使用人用の別棟は、独身者用と、家族用とに分かれている。
独身者用は、一人に一部屋あるが、水回りなどは共用だ。
それに対して家族用は、一家に複数の部屋があり、キッチンや風呂トイレもある。
集合住宅、というのだそうで、土地の値段の高い領都にもそのような集合住宅がある、とのことだった。
孤児院育ちのカティアにとっては、この集合住宅でさえ、当初は豪華なお屋敷のように感じた。
さすが領主様に仕えるというのは違う、と感心したものだ。
ラルフの一家は死にかけているカティアを自分たちの家に連れて帰り、看病してくれた。
というのも、あのとき暖かくて甘いお茶をくれた門番はテリーといい、ラルフにとっての叔父、マイクの弟だったのだ。
テリーは自分が独身であるため自分では面倒が見られないが、カティアが可哀想すぎる、とサラに許しを得て、私を抱きかかえてマイクの家に連れて行ったのだそうだ。
カティアが意識を取り戻したとき、知らない顔が自分を覗き込んでいて、本当にびっくりしたのを覚えている。
当時まだ耳としっぽが出ていたラルフは「よかったぁ!」と叫ぶと抱き着いてきたのでまごついたけど、そのあたたかい体温と匂いが、意識がもうろうとする中で感じていたものと同じだとすぐに気づいて、安心したことも忘れられない。
***
三年前のその日。
マイクは弟のテリーが連れ込んだ、薄汚れた死にかけた娘を見て、すぐに妻のモナを呼びに走った。
冬の間の庭師の主な仕事は雪かきで、それも済んでいたマイクは、ラルフとともに家にいたのだ。
まだ幼体であり、騎士を目指していたラルフは、屋敷での仕事はしていなかった。
家政長サラからの指示で今日はもう仕事はいいから帰宅するように、と言われて、何事か、と別棟に向かっていたモナは、途中でマイクと行き会い、事情をききながら帰宅した。
二人が帰宅してみると、テリーは毛布に包んだ女の子を暖炉のそばに寝かせて、火を大きくしてくれていた。
ラルフが心配そうにしっぽをたらして女の子の顔をのぞきこんでいた。
モナは男どもを隣の部屋に追い出すと、濡れた服を脱がせて、暖炉の火で沸いていたお湯をたらいに入れて、カティアの体を丁寧にぬぐった。
意識があれば暖かいお湯に体を浸して温めたかったのだけど仕方がない。
そして乾いた暖かい寝衣を着せた。
女の子用ではなくラルフのものだったけど、それでもぶかぶかだ。
それからマイクに頼んで子供部屋のラルフのベッドに運んでもらい、女の子を寝かせた。
まるで火のように発熱していて、ガタガタと震えているのを見かねたラルフが、そっと隣に寄り添い、自分の尻尾も巻き付けているのを見て、モナはあら、と思いつつ、そのままにさせた。
ラルフの子供ならではの高い体温でぴったりと寄り添って添い寝すれば、女の子はようやく体の震えが治まり、規則正しい寝息をたてはじめた。
ラルフに何かあれば呼ぶように言いつけて、薬湯を煮出すためにキッチンへと向かうと、夫のマイクとテリーが既に四苦八苦しながらなんとか煮出してくれていたので、ひと匙味見をして、まあ及第点ね、と言ってやると、そっくりな兄弟たちは嬉しそうに笑った。
夕飯はカイトに任せることにして、子供部屋に戻ったモナは、カップ一杯の薬湯を何時間もかけて、根気強く女の子に飲ませた。
薄く小さな匙の先ですくっては、そっと女の子に口に入れる。
意識のない状態では飲み物は飲み込めない。
ほんの数滴、そんな量を口に入れてやると、ときどき無意識にのどが動いて飲み込んでいく。
それを確認してはまた口に含ませる。
こんこんと眠り続ける女の子の姿は、20年ほど前に流行り病で亡くなったモナの妹を思い出させた。
あの時のように、命が滑り落ちて行ってしまわないように…モナは熱心に看病をした。
ときどきマイクと交代して仮眠をとりながら、看病を続けた。
テリーから聞いた話だと、三日、飲まず食わずで歩き通してきた、というのだから…。
テリーがはちみつ入りのお茶を二杯飲ませた、と言っていたけれども、体の水分が足りていないのは明白だった。
高熱を出しているのに、汗も出ない。
ラルフは自分の食事やトイレなどのとき以外は、ずっとベッドで女の子の痩せた体を抱いて温めていた。
やがて意識が戻った女の子は、ものすごく戸惑っていたけれど、その綺麗な銀灰色の目が見られて、モナたちは家族四人で喜んだ。
女の子は綺麗なオレンジ色の髪をしているので、瞳の色は何色だろうね、とその目が開かれるのをみんなで待っていたのだ。
そして、「はっきりと聞こえなかったんだよ」とテリーが言い訳していた女の子の名前は、カティア、だった。
それに、10歳くらいかと思ったら13歳だった。
まあ確かに10歳では奉公にでるには早すぎる。
意識が戻ってからは、食事もとることができるので、みるみる回復していった。
カティアがベッドから起きて歩けるようになったので、サラ様に元気になりつつあると報告したら、良く看病してくれた、とねぎらっていただいた。
さらにはご褒美をくださるという。
何がいいか、と聞かれて。
とっさにカティアをうちの子にしたい、と口に出してしまっていた。
家族に相談もしていなかったけど、誰も反対はしないだろうという自信があった。
普段は表情の変わらないサラ様だけれども、わずかに目を見開いたのがわかって、少しだけ恥ずかしいような気持ちになった。
それでも、あの気立ての良い娘が我が家にいるこの数日が、とても楽しく幸せだったのだ。
サラ様は、「あの子は孤児だ。養子縁組といった法的なことまではしなくても、共に暮らすことで家族となるだろう」そういってお許しくださった。
サラ様も私も、あの子が持っているペンダントの意味は知っているのだ。
書類上は厳密には家族ではないものの、カティアはうちで引き取った子として使用人仲間に紹介され、別棟で働くことになった。
世界観が分かっていただけたかと思うので、明日から一日一話投稿です。
予約を間違えなければ、毎朝7時に投稿されます。