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何年か前に書いたものを推敲しての投稿です。
よろしくお願いします。
「あと少し。頑張れ私」
あえて口に出して自分を鼓舞しなければ、もう一歩も進めなさそうだ。
ちょっとだけ立ち止まり、小さな旅行鞄を持つ手を反対の手に変える。
それだけでも、体が少しふらついた。
うつむいていた顔を上げて、目深に被ったフードを少しだけ持ち上げて先を見た。
ちらちらと降る雪のむこうに、やっと視界に入った、大きな門を見てホッとする。
麓からは見えていたのが、坂を上りはじめてからは見えなくなっていたのだ。
一本道だし間違いようもないのだけど、永遠に着かないのかと思えるほど遠く、辛い道のりだった。
カティアは実はもう三日、何も食べず、飲み物もほとんど飲んでいない。
降っている雪を時折すくって口に入れて、渇きを癒していた。
それでも芯から冷え切った体で雪を口にするとますます冷える。
そんな冷えた体で雪の降る道端で眠るわけにもいかず、同じく三日、一睡もしていない。
今回のために施設の人が買ってくれた靴はもう濡れてぐしょぐしょで、きっと脱いで傾けたら水が流れ出すだろう。
一歩ごとに、靴の中で水音が鳴っているのだから。
そして、フード付きの外套の上からさらに羽織ったショールも湿って重くなっている。
寝ないで三日歩き通して、ようやくここまでたどり着いた。
寒さで震える体力すらなくなっていて、あと少し、あと少し、その気持ちだけで感覚のない足を踏み出してきた。
同じく感覚がなくなり、鞄を取り落としそうになる手に必死に力を込めて、ここまで来たのだ。
目の前に近づいた門を見て、カティアは外套の上から、胸元を押さえた。
そこにはペンダントがあるのだ。
ペンダントがあることを確かめ、ほう、と一息つくと、門番がいる方へと足を向けた。
カティアは孤児だ。
孤児院の前に、わずかな品々と共にバスケットに入れられて置かれていたそうだ。
カティアという名であることが書かれたカードと、若干のお金、そしてこのペンダント。
実の親からの贈り物である名前に、カティアは愛着を感じている。
孤児院は、神殿に併設されていることがほとんどで、その神殿にはこの世界を見守っているという主神が祀られている。
カティアが捨てられた…預けられた孤児院は、その主神だけではなく、主神の妻をも祀っているという少々珍しい神殿に併設されたものだった。
主神の妻である女神は、長寿、子孫繁栄、安産、女性の美しさ、夫婦円満、などなどを司っていて、複数の名前を持っているが、カティア、と呼ばれることが多かった。
親がせめて、という気持ちを込めて、女神にあやかって付けてくれたのだろう。
それに、神殿や礼拝堂にある、主神の妻の絵姿は、カティアと同じ髪の色をしていた。
生まれた子が主神の妻である女神と同じ髪色をしていたなら、その名をつけるだろうな、と自分でも思う。
そしてもう一つの贈り物であるこのペンダントは、魔力を封じた小瓶をペンダントに仕立てたもので、捨てられた子が稀に持たされているものだ。
それは、そのペンダントの魔力をたどって、いつか必ず迎えに行く、今は一緒にいられないやむを得ない事情があるだけで、本当に捨てたわけではない…そういう親の気持ちが込められているのだ。
そもそも小瓶の素材のガラスが非常に高価なものだ。
それだけでも訳ありの子であると察せられた。
だから、物心つく前から、その大ぶりなペンダントは常にカティアの首からぶら下がっており、何かの拍子にちぎれたりしないように、革ひもなどではなく、太めの鎖がつけられていた。
幼いころは重くて外したがったこともあったが、親との唯一の絆と分かってからは、職員の人たちの指導の通りに、どんなことがあっても外したことはない。
そして、いつか親が迎えに来るというその証は、他の孤児からの羨望を受けることもあったが、代わりに里親のもとに引き取られることもなかった。
まあ、オレンジ色の髪に灰色の目、という変わった色をもつ、どう取り繕っても実子ではないとわかるような子供を望む人はもともといないだろう、とカティアも感じていたので、仲の良い子に里親が決まって施設を去っていくことがあっても、あきらめが先に立って羨ましくはなかった。
それに、孤児院での生活は快適とまでは言えなくても、それほど辛いものではなかった。
いつも資金はギリギリで、人手も最低限だったけれど、院長も職員もみな親切な人たちで、虐待を受けることなどなかったからだ。
人手不足ゆえに愛情不足でありながらも、いつか親が迎えに来てくれるかもしれない、というその希望は、カティアの心の支えであり、そのお陰か、孤児だからとひねくれることもなく育っていった。
カティアは幼いころからとても賢く、教えられずとも推測で文字を読むようになり、そのことに気付いた職員が幼児用の本を入手してくれて、わずかな期間で文字を覚えた。
さらに、文字の書き方を職員が教えてくれたおかげで、カティアは読み書きができるようになった。
成長し、ほかの年かさの子たちと同じように孤児院での雑用をこなすようになっていったカティアは、孤児院の院長から、領主の館で下働きの募集があるが、行ってみないか、と声をかけられた。
カティアは13歳になっていた。
他にも条件の当てはまる子たちはいたが、院長の目から見て、気立て良く、しっかりと働くカティアなら領主の館にだしてもいいだろう、と思えたのだ。
カティアは喜んでその話を受けた。
このままここで働いても良いと思っていたけれど、他にも外に働きに出て、わずかばかりでも送金をしてくれている施設出身者たちを知っていた。
カティアも、その人たちと同じように立派に働いてお給金をもらい、その一部を恩返しに送金したい、と思ったのだ。
次話も今日中に投稿します。