5 帰還、そして脱出
四人は森の中を進んだ。皆それぞれ物思いのうちに沈み、誰も一言も話さなかった。
橋から西へ三時間ほど進んだとき、アマンダは道に倒れ伏した。彼女はその場で膝を抱え込んだままうつむき声を震わせて泣き出した。
「今夜はここで一旦休もう。近くの森の中に、開けた場所がある……」ゲイルはそう言って、アマンダの手を取り立たせた。そしてしばらく道を下ったあと、森の中には言った。
四人はしばらく森の中を進むと、開けた場所に出た。芝生のように短い草原の真ん中に、白いおおきな岩が鎮座していた。
彼らは岩に登り、荷を下ろして布を引き出した。ゲイルは布を敷き、アマンダ達に寝るよう合図した。
「虫がかなり出るが、我慢してくれ」ゲイルは言った。
布の中央にアマンダとペトラが横になると、ゲイルはすぐとなりに身を横たえた。ペトラが驚き固まっていると、今度はアイルがアマンダの隣に寝そべり、布にくるまると、二人を挟み込んだ。
「すまんが火を起こすわけにはいかないからな」ゲイルが言った。「体を冷やすのが一番だめなんだ。我慢してくれ」
アマンダの目の前には、アイルの細い鎖骨があった。彼の襟首と胸の隙間から、男の汗と垢の匂いが漂ってきた。
アマンダ視線を上げて空を見た。
夜空は晴れ上がっていた。雲ひとつない夜空に、万を超える星々が赤や青い神秘的な色を明滅させて輝いていた。
彼女は初めてパルパットに来たときのこと思い出した。夜、ベッドにぺトラと隣同士に座り、王城の窓から見上げた空の輝きは、今までの人生の中で一番美しい夜空だった。
あのとき、星の輝きに目を奪われた私達に、マーガレットが星座の名前を教えてくれた。彼女は私達の間に座り、顔の横から手を伸ばし、星空を指さして、北極星の見分け方を教えてくれた。彼女は……
ふいに涙が溢れ、目に蓋をした。彼女は顔を背け、涙を地面に流した。
アイルが彼女の顔を覗き込んでいた。アイルは手を伸ばし、その細い指の背で彼女の涙を拭った。
そして彼女の頭を抱き寄せると、胸の中に抱いた。
アマンダは、一瞬心臓を高ぶらせた。けれども、アイルのやさしい手が彼女の頭を撫でると、いつしかその心臓の鼓動も収まり、やがて彼女は深い眠りへと落ちていった。
アマンダが目を覚ましたとき、すでに日は高く登っていた。隣ではペトラが彼女にしがみつき、まだ眠りの中にいた。
彼女がペトラを振りほどいて、立ち上がった。すると足に激痛が走った。昨日、屋根の上にずっと捕まっていたときの緊張が、今さら筋肉痛として襲いかかってきたのだ。
彼女はなんども屈伸して痛みを和らげようとした。
「そろそろ出発するぞ」ゲイルは言った。アマンダはペトラを起こした。
アイルたちが道路に出ると、道にはたくさんの足跡が残っていた。
「城の兵士のものだな」ゲイルは言った。足跡は具足によってつけられたものだろうか、細長い足先が地面をうがっていた。
「進もう」ゲイルが言った。
彼らは道を進んだ。やがて昼になり、夕方になった。
彼らは、出掛けに猪を狩った場所まで帰ってきた。川の中に沈められた猪は、手つかずのまま川に沈んでいた。
やがて彼らは村にたどり着いた。
村の中央広場には村の大人たちとともに、10人ほどの砦の残存兵が火を囲み休息を取っていた。彼らの鎧はへこみ、血がこびりつき、皆ぐったりとうなだれ疲労困憊していた。
「アマンダ様、よくぞご無事で」ジーグラットが進み出て膝を折って敬礼した。
アマンダはこくりと頷いた。彼女はみんなから離れると、ジークラットと小声でなにか話し合っていた。
村人の出迎えを受けるアイルたちの元へ、ネネが歩いてきた。
彼女はヤゴーの娘だった。彼女は母親似で華奢な人間だった。腰まで伸びた美しい茶色い髪を、三編みに編んでいた。
「お父さんは?」彼女は聞いた。
アイルは答えにつまり、目をそらした。
「ヤゴーは死んだ」ゲイルは短く言った。
ネネは泣き出した。
「盾と剣をよこしてくれ」ゲイルが休息していた兵に言った。
ゲイルは長剣を受け取ると、感触を確かめるように空に向かって何度か振り回した。そして盾を背負いながらアイルに言った。
「俺は防衛に参加する。お前は村長に事の次第を伝えろ」
アイルはうなずくと、一番高くそびえる櫓まで行き、梯子を伝って上へ昇った。
村長は櫓の上で、あぐらをかいて東の地平を睨みつけていた。
「ただいま戻りました」アイル言った。
「ご苦労」村長は疲れた様子でうなずいた。「すでに連隊からことのあらましは聞いた。ヤゴーはどうした?」
「ヤゴーは死にました」アイルは短く答えた。
「うむ、そうか……」村長は沈痛な面持ちで床を睨んだ。「ゲイルは?」
「ゲイルは砦の守りに参加しています。ルーはどうしましたか?」
「ルーはアロンゾへ向かったきり帰ってこない。」
「難民たちはどこへ?」
「女と難民の避難はほとんど完了した。ネーヴェから冒険者達が来て、彼らを護衛して東へ向かった。
「なぜネネがここに残っているのですか?
「親父が帰って来るの待ってたんだ。どのみち難民や兵士の手当で人手もいるしな。ライラもいるぞ」
「そうですか。いつここを発つのですか」
「明日の朝出る。残存兵が、まだ東に残っているようだ……お前粥食ったか。腹一杯にして今日はもう休め」
アイルは地面に降りた。彼は焚き火のそばへ行き、大鍋一杯に作られた粥を丼いっぱいによそうと、ぼんやりと村の入口を眺めながら飯をかき込んだ。
アイルの隣へアマンダがやってきて座った。彼女はお椀に粥をよそうと、アイルの隣で食べた
「おいしいね」アマンダは言った。
「そうか?あんまり具が入ってないけどな」
「そんなことないよ。塩気がしておいしい」
「お前喉乾いてないか?茶持ってくるよ」アイルはそういい立ち上がった。彼は村長の家に入り、やかんと湯呑を持ってくると、やかんを焚火の火にかけた。
そのうちにお湯が煮立ち、彼は湯呑にお茶を注いでアマンダに渡した。
「お前、それで足りるか?」アイルはアマンダに聞いた。彼女は椀に半分ほどの粥しか食べてなかった。「腹いっぱいまで飯食っとけば、動ける時間が全然違うからな」
アマンダはうなずき、まだ食べ終わってない粥に限界まで粥を盛った。
アイルは粥を食べ終わると、その場の地面に寝そべっていた。そのうちに眠気と疲労で頭がぼんやりしてきたので、自分の小屋に入り、藁敷に身を横たえると、すぐに眠りに落ちていった。
しかし、すぐにアイルは屋外の騒がしさに目覚めた。家から出て星を見ると、眠りに落ちてからまだ一時間も経っていないようだった。
村の門は閉ざされていた。村の人間は、塀の上に登り物々しい様子で外を覗いていた。ゲイルがアイルを見つけ、塀の渡り廊下の上から手招きした。アイルも皆と並んで塀に登り、顔を出し外を覗いた。
夜の暗闇に無数の松明の炎が浮かんでいた。
村はすでに、完全にオークたちに包囲されていたのだ。
アイルは村長のそばまで走り、言った。「すでにお耳に入れているとは思いますが、奴らはパルパットの城壁を破った大砲を持っています」
「ふむ……。ここももう長くはもたんかもしれんな……」村長は答えた。
そのとき、闇の向こうから数十もの火矢が放たれた。赤く光る尾が高い放物線を描いて、矢は藁葺の屋根へと突き刺さった。村長はしわがれた声で呪文を唱えると、手の中に水球を生み出した。彼はそれを打ち放って、炎を片端から消し飛ばした。
「やつら姑息な手口を使いおってからに……わずかづつでもわしの魔力を削っていく気じゃろう。ここはそう長くはもたん。裏口もいずれ見つかってしまうかもしれん。そうなる前に若いのをつれてここを脱出するんじゃ」
「長はどうなさるおつもりですか」
「わしは最後まで残る。当然じゃろうて」
「長が死んだ場合、誰が村のものを導くのですか」
「わしが死んだらゴードンが長を継ぐ。そういう決まりじゃろうて」村長は言った「さあもう時間がない。はよ準備せい」
アイルは自分の家に戻ると、短剣を腰に刺した。そして干し肉や乾パンを荷袋に放り込んだ。
彼が井戸で空の水筒を補充していると、ルイが広場にやってきた。彼は肩から長剣を斜めに下げているほかは軽装だった。彼は鍛冶師であるため通り一辺は剣が振れた。
「そのナイフ、どうだったよ」ルイが訊いた。
「切れた。役に立った」
「へへへ。まあ俺が研いだんだから当然よ」そういうと、ルイは長剣を背中から抜き素振りを始めた。
やがて、ネネとライラがやってきた。ライラは彼女の妹だった。ネネはもう泣き止んでいた。彼女は厚手のブーツに足元を履き替え、腰に剣を下げていた。
ライラは肩に長弓を掛けていた。その金髪は、借りに行くときのように2つにまとめられていた。彼女は普段は活発な女の子だったが、いまは気が沈んでいた
次にペトラがやってきた。彼女は家から子供用のローブを引っ張って、着せられていた。腰には短い短剣を指していた。
彼女はぺこりと頭を下げるだけで、何も言葉を発しなかった。
最後にアマンダがやって来た。腰まである長いローブに、ズボンと革のブーツに着替えていた。腰には拳銃嚢に入ったあのオークの短銃を下げていた。音が出るため、もし銃を使うとしても、それは最後の手段となるだろう。
「足はもう大丈夫か?」アイルが聞いた。
「うん」アマンダは髪をかき上げながら言った。
「一つあらかじめ聞いておきたいんだけど、お前泳げるか?」
「ごめんなさい。泳げない」アマンダは首を振った。
「そうか。これから船で川を下る。もし船から落ちた場合、敵に見つかるかとか心配せずに、すぐに大声で助けを呼べ。わかった?」
「わかった」アマンダはうなずいた。
彼らの元へ、ヘイワードがやってきた。彼はマスケット銃をアマンダに手渡した。
「まさか、こんな形で訓練が役に立つことになるとは思いもしませんでしたな」ヘイワードは言った。「伯爵の娘が銃を習うなど何事かと思いましたが、まさかこうなるとは」
「あなたに教わったこと、一つも忘れたものはありませんわ」アマンダは言った。
「それはよかった。銃口は油布で閉じていますが、必要なときは布ごと撃ってください」彼は敬礼し、言った。「お気をつけて」
「ありがとう」アマンダは言った。
ヘイワードが去ると、アイルは皆に言った。「よし。出発するぞ」
六人は村長の家へ向かった。そこには地下の隠し通路に続く道があったのだ。
アイルは家の中に入る前に、振り返ってゲイルの姿を探した。塀の渡りの上から外を見張っているゲイルの背中が見えた。
彼は心のなかでゲイルの身を案じた。
家の中に入ると、五人はアイルが来るのを待っていた。アイルは座敷をどかし、洞窟の入り口を開いた。
洞窟の中身ははコウモリの瞳より黒かった。
彼らは地下の洞窟へ降りていった。
彼らは真っ暗闇の道を壁に手を伝いながら進んだ。先頭を行くアイルは、やがて出口を塞ぐ冷たい岩の表面に触れた。
アイルは岩に指をかけ、出口を慎重に開けた。彼はわずかな隙間から外を覗いた。外には月明かりに照らされた小さな谷があった。彼は耳を澄ましたが、ちょろちょろと流れる水の音のほかは何も聞こえなかった。
彼らは外に出て、谷沿いに沼地へ向かって歩き出した。
谷の毛短い渓流は今は枯れていた。谷の両脇には生い茂った広葉樹が広がり、月の光は梢に遮られ彼らの足元に殆ど届かな方かった。
アマンダが石に蹴躓き転んだ。
「ごめんなさい、暗くて……」彼女は言った。
「手を出して」アイルは言った。アイルは彼女の手を取り、暗い渓流の道を導いた。
六人は、この渓流を跨ぐ小さな桟橋の下にたどり着いた。するとちょうどその時、森の奥から何か物音がした。アイル達は森の脇の張り出しの中に隠れた。そして枝の隙間から橋上を観察した。
一人のオークが後ろ向きに橋を渡っていった。彼は手招きしながら何かを先導していた。
続いてゴトゴトとなにかが転がる音がした。橋がきしみ、ほこりがパラパラと橋から落ちた。アイルは橋の上に目を凝らした。
緑色の錆びに覆われた大筒が、荷台に載せられて橋を渡って行った。
それは、パルパットを破った新型の大砲だった。やがて荷は橋を渡り終え、森はまたすぐに静かになった。
アイルは今から村へ戻り、危機を知らせようか逡巡した。しかし考え直し、与えられた任務をそのまま遂行することに決めた。
六人はさらに渓流を下っていった。
やがて渓流の細い流れが沼に注ぎ込む場所へ来た。夜の沼には、白い霧が立ち込めていた。
村長いわく、船は既に岸に上げて葦の中に隠してあるらしかった。アイルたちは釣り小屋へ向かった。彼らは葦の草むらにへこみを見つけ、船を探し当てた。
六人は船に乗り、アイルが舳先に立ちルイがオールをつかんだ。そして船を出した。
船はゆっくりと葦を掻き分け進水した。静寂の湖面に小さな舟が波紋を引いた。
こうして彼らは、暗い川の中に船を漕ぎ出した。




