第七十話…… 『団欒・3』
ガチャッ
ドアハンドルを捻る音で目を覚ます、 車の電気が付いて、 今自分が車内にいた事を思い出した
『ん………… ここは?』
『着いたぜ、 海』
ああ、 そうだった、 海を目指して来たんだ、 兄に無理やり連れ出されたんだっけ、 お母さん心配しているかな?
……そう言えば不思議な夢を見た、 誰か分からないけど、 その誰かが私を助けてくれるのだ
何者かにぐるぐるに縛り付けられた私をゆっくり少しづつ解いて自由にしてくれる、 そんな誰かが夢に………
『……寒っ』
後ろのバックドアが開かれている、 そこに腰掛け兄が竿の準備をしていた
『こればっかは悪いね、 置き場が無いと不便なもんで、 俺ちょっと様子見てくるけど茜はどうする?』
首だけ後ろを向いて確認すると、 兄は頭に装着するタイプのライトで手元を照らして、 何やら細かい作業をしていた
『……星見える?』
『いや、 今日はあんまり、 見える時はすげぇ綺麗なんだけどね』
海で見る星は凄く綺麗だと、 前に兄が話していた、 私も興味無いフリして以外と周りの話を聞いている様だ
『なら良いや、 夜じゃ海も見えないでしょ? ……日の出は見たいかな』
昔、 海から登る朝日を見た時は感動した、 徐々に白んで行く空に眩い光が指すのだから
兄が釣りにハマったきっかけは父だ、 父も釣りが好きで、 昔母と良く海に来ていたと聞いた事がある
『朝まで車で寝てる、 あれ、 見たくないし……』
『まあ、 きしょいしなフナムシ、 朝でも居るけどな』
それから少し沈黙が流れる、 手元のお茶は温くなっている
『じゃあ、 数回投げたら戻って来るから』
『うん………』
そうして車の中は真っ暗になる、 少し遠くで波の音が聞こえて、 冷たい空気が潮風を運んで………
……………
何時ぶりだろう、 海に来たのは、 瞼を閉じれば最近の事のように思い出す
焼くような砂浜を走って笑った時、 兄が後ろから私を追いかけてくれて、 はしゃいだ
パラソルの下で母が足を組んで優雅に休んでいる、 その隣で父がBBQの用意をしている
まだ幼い私は皆から最大限の愛を受け取り、 それを実感することも無く、 絶えない笑顔で笑っていた
懐かしい、 懐かしいな………………
……………
『お兄ちゃん! 私ね夢が出来たの! 私の夢は大好きな皆を笑顔にする事っ!』
『すっごい事をするんだ! そのためにすっごい勉強してねっ! すっごい大学なんかに行っちゃうのっ』
『そうしたら私は凄いでしょ? そうしたら出来ると思うんだ…… 皆が笑顔になる凄いことが!』
……………
ああ…… そうか、 私の夢はそうか……
皆私の夢を聞いて笑顔になってくれた、 私が夢を語ったから皆私を助けてくれていたんだ
ああ……… 私………………
………………
……
『私は………………』
ざざ~ん
遠くに波の音が聞こえる、 ここは、 そうだ海だ、 海に来て………
『あれ? もう空が白くなってる………』
今何時だ?
すぅ…… すぅ………
隣から寝息が聞こえてそちらを見ると兄が運転席で眠っていた、 車内の時計は五時前
これはまさか………
『っ、 ちょっと、 お兄ちゃん起きて! もうすぐ日の出だよ!』
『へ? ………………え?』
兄がスマホを付けて時間を確認して焦った様な顔になる
『わぁ!? 目覚ましセットし忘れた! あぁ…… 朝マズメ!! 茜っ、 今すぐ準備するぞ!』
寝起きにしてはなかなか元気だ、 何時もの泥のように起きてくる様とは大違いだ
『うんっ、 早く行こう!』
何故だろう? 心が温まるような懐かしい夢を見た気がする、 私の中に眠っていた、 忘れていた何かが引っ張り出されたように……
釣竿を持った兄が車に鍵を掛けて私を急かす、 私も兄から手渡されたキャンプ用の椅子を手に持ち後を追う
『お兄ちゃんっ、 何処まで行くの?』
『着いてこい、 最高のポイントがあるんだ!』
広い漁港内、 家族連れや爺ちゃん婆ちゃん皆一様に竿を海に向けている
オレンジや黄緑に光る電気ウキが幾つも海面に浮かんでいて、 涼しい潮風と緩い波音が心地良い
兄は不思議な形で段々になった壁に向かうと器用にその段を登っていく
『登れるか?』
え?
『登っていいの?』
兄が頷く
『登って見れば分かる! まあまあ人居るぜ』
段の高さは一メートルある、 それが三段、 その上は三メートル程の高さの壁の上面で、 その壁はそのまま漁港の先、 外海の方へと続いている
『学生を舐めないで!』
乗り越える
『もういっちょ!』
乗り越えるっ
最後少し高い……
『あと少しだっ!』
兄が上から手を伸ばす
バシッ
兄の手を取る
『ファイトー!』
『いっぱ~つっ』
兄に引っ張りあげられる、 確かに壁の上には多く人が居るようだ
『行くぜ!』
更に駆け出す兄、 私もその後を追う……
あれ? 何か楽しい?
『ふふっ』
空がどんどん明るくなる、 きっと目の前の、 足場の壁のその先から日は登るのだ
確かに、 最高のポイントである
『おっ、 あそこ空いてる!』
私も頷いて、 滑り込む様に指定の場所を占拠する、 兄は急いでタックルを組み始めながら、 少し離れた位置に居る人に何やら話し掛けに行っていた
私は椅子を取り出し開く、 この椅子は兄のキャンプ用の椅子だと思う、 座ってみたら体を包み込むように心地が良い
兄が帰ってくる
『今釣れだしたってさ、 最高か?』
フュンッ
そう言って軽い音と共に擬似餌を海に投げ込んだ
……静かだ、 消波ブロックに打付ける波の音が漁港内にこだまする、 冷たい空気が頭を清める
フュンッ
その静かな風きり音が近くで聞こえる、 遠くからは朝早くから元気な子供がその子の親と楽しそうに盛り上がっている
世界の明度がどんどん増していく、 天照輝きがこの世のどんな闇も光で満たしていく
私の心の中まで照らすその光、 その光を放つ朝の太陽がゆっくりと、 それでいて力強く顔を出した
『わぁ………』
綺麗だった、 最近見たどんな事、 どんな物より綺麗だった
この美しい世界、 これを誰かと共有したい、 今すぐこの感動を誰かと分かち合いたい
はぁ……
白い息が虚空へと消えていく……
『綺麗だね』
ボソッと呟く、 その呟きが聞こえるのは今は一人しかいない
『そうだな、 本当にいつ見ても感動する、 暗い夜…… そこで育つ何かが消えて行く、 明るい世界で新たな芽が生える』
『あははっ、 何それ、 お兄ちゃん詩人みたい』
笑って誤魔化す、 今私が感じている事と全く同じ事を思っているなんてバレたくなかったから
『……ねぇ、 お兄ちゃん、 夜はごめんね、 何か嫌な感じの事いっぱい言ったよね…………』
シュッ!
『おっ! 食った!』
グイッ!
兄が竿先を勢い良くあげ針を食わせる
『あははっ、 来い来い!!』
ばしゃっ!
水面を蹴って魚が姿を現す、 鯵だ、 太陽光に照らされ美しい銀色の体が光を反射した
『おっ、 なかなかいいサイズじゃん、 今夜はアジフライかなっ……… ん? てか、 何か言った?』
はぁ………………
『……知らない』
少し困った顔で困惑する兄の顔を見ると少しおかしくなって笑ってしまう
少しづつ登っていた日もとうとうその体の全てを世界に晒す、 大きな曖昧な輪郭の球が眩い程の光を放ち、 この世界に始まりをもたらす
暫くそうしていた、 隣で、 おっ! とか、 あっ!? とか声を聞きながら息を吐く
はぁ……
白い息が出て、 肺を満たす新鮮な空気が巡るように取り入れられる
何だかな………
『お兄ちゃん、 スマホ貸してよ』
兄が首を傾げる
『お母さんと話がしたいの』
そう言うと兄が一瞬考える素振りを見せたが、 その後通話画面を開いて渡してくれる
プルルルっ プルルルっ
ぴろり~♪
『もしもし? 日暮?』
こんな朝早くだと言うのに起きているということは、 もしかしたら昨晩は眠れなかったのかもしれないな……
『もしもしお母さん、 私、 茜、 おはよう』
『あら…… 茜なのね、 おはよう』
不思議だ、 てってきり開口一番に怒られるとばかり思っていた、 電話をかけようと思ったのは何故だろうか?
分からないけど今、 話がしたかったのだ……
『今ね、 日の出を……、 新しい朝の始まりを見てるんだ、 凄く綺麗でね、 ……何か話したくなったのお母さんと』
『そう…… 私もね、 色々考えちゃってあんまり眠れなかったけど…… その話は後で良いの、 帰ってきてからお茶でも飲みつつ話しましょう』
ひゅ~
優しい風が私を包む、 私の髪がそれになびかれて、 空に映し出された朝焼けの色を反射する
やはり母の声音は穏やかだ、 叱ったり、 押し付けたり、 縛ったり…… いや私が勝手にそう思ってるだけか……
とにかくそういった嫌な感じはない、 私も清い心で話が出来る
『……昔、 家族で海来たよね、 こことは違う浜辺だったけど、 私がまだ幼い頃、 何かさ、 楽しかったな……』
母の唾を飲み込む音が電波の向こうから聞こえた
『私ね、 思い出したの、 私には夢があった、 大昔に考えた馬鹿馬鹿しい夢…… でも今でも良いなって思う』
『……覚えているわ、 誇らしく思った、 ……でも、 だからこそ、 私はあなたを……』
母がそこまで言って黙る
『ありがとうお母さん、 私の人生を応援してくれて、 でもね、 お母さんの見据えてるその先に私の夢は無いよ……』
『ごめんね、 私が弱かったから、 お母さんは私を心配してくれたんだよね、 お兄ちゃんは強かったから、 心配要らなかったけど……』
『私の事は導いてくれようとしてたんだよね、 過剰になっちゃうくらいさ……』
お兄ちゃんは強かった、 曲がらない意思、 砕けない心、 支えすら必要としない強靭な意思
母はそこに何を感じだろう?
でも私は違った、 泣いて、 泣いて、 泣いてばかりだった、 何が悲しいのか、 何が怖いのか……
私が怖かったのは、 [分からない] と言う事だった、 自分の事すら分からない脆さがあった
いつも傍で笑いかける母こそが私を写す鏡なのだと思っていた……
でも、 それももう終わりだ、 私は、 私として一歩踏み出す!
『私、 強くなるよ…… 真正面から立ち向かってみる、 私の人生に、 私の力で挑んでみる、 だから……』
私は不意に兄を見る、 強く、 自分の足で立ち、 世界を見据える姿……
私もそうありたい……
『……見守っててよ、 私の踏み出す一歩を、 ……それで、 もし負けそうだったら……』
その時は……
『一緒に考えてよっ、 どうやったら前に進めるか、 どうやったら楽しく笑える未来にたどり着けるのかをさっ!』
椅子から立ち上がる、 全身でこの世界の息吹を感じる、 世界の光を真正面から受ける
前進の一歩
…………
『……ええ、 うん、 そうしましょう、 幾らでも力は貸すからね、 そうね、 先ずは挑んでみましょう、 胸を張って未来へ』
少し鼻をすする音の後に母の明るい声が聴こえた、 何だが世界が明るく、 何処までも、 澄んで見える
明けない夜はない、 今明けたんだ、 陽光が指したんだ!
……………
その後ちょっとした事を話して電話を切る事にした……
『……体冷えてるでしょう? 私いい温泉知ってるのよ、 昔皆で行った、 折角だから入って来なさい、 お金はお兄ちゃんが居れば何とかなるわ』
『そうだね、 温泉良いね、 後ね美味しいお寿司は食べたいな、 回らない何処のをおなかいっぱいね』
母が笑う
『あははっ、 お兄ちゃんに無理やり連れ出されたんだもの、 今なら多分何言っても聞いてくれるわよっ』
『あったりまえじゃん! 温泉にお寿司、 水族館に、 後は…… まあ、 楽しんでくるね!』
そう言って、 またねって、 電話を切った
『って事で、 いいお店探しておくねっ、 お兄ちゃんっ♪』
『…………このやろう、 いい顔しやがって、 まだいい気分になろうってか』
そう言う兄の口角は上がっている、 さっきから結構釣り上げて居るようで気分が良いのだろう
兄が今しがた釣り上げた鯵の口にラジペンを突っ込んで針を上手いこと外していた
(……針外しで使うんだ、 忘れ物して無かったら私今頃……)
目を覚まして準備をし、 朝一で塾に乗り込んで居ただろう、 何も変わらないまま……
それを思って身震いした
今は暫くこの心地いい感覚に身を委ねていたい、 感じるもの全てが心地良い、 この時間を……
………………
……
『はぁ………………… 最高だった』
『ここの温泉は昔から温度がちょうど良いんだよね~』
時刻は既に十五時を回っている、 丁度今、 母の言っていた温泉を堪能して出てきたところだった
朝マズメと言われる時合の終わりに差し掛かった頃兄は片付けを始めた
釣果はまちまちで、 今日はアジフライパーティだと盛りあがっていたが、 一体その数のアジフライを誰が揚げると思っているんだか……
ふふっ
少し楽しみな自分が居た、 数が多いならタルタルソース等の味変する調味料を作っても良いかもしれない……
そんな事を考えて車に戻ると、 先ず最初に後回しになっていた朝ごはんを食べた
不思議だ、 朝が早い上に、 時間の流れを感じない海に居ると、 かなり時間を費やした様で、 時刻は八時過ぎ程だった
朝ごはんはコンビニで済ませた、 兄は昼の寿司を懸念して、 沢山食べろよ? と行ってきたがその手には乗らない
私の朝ごはんはサラダチキンのみである、 兄は普通に腹が減ったと色々食べていた
その後、 砂浜に寄ってもらって、 人の居ない砂浜を歩いたが、 寒かったので直ぐに撤収
近くの水族館の開館まで駐車場で眠り、 開館と同時に乗り込んで隅々まで回った
凄く久しぶりだった、 聞けば兄も高校の修学旅行で行った沖縄ぶりだと行っていた、 本当に楽しかった……
更に近くの道の駅に併設した魚市場を見て周り、 おばちゃんに渡された蟹の足に誘惑され、 一本食べた、 これが中々に美味い
兄は店毎、 全店貰い歩き一匹分程は食べていた、 そういった図々しさもこの空間の醍醐味だ
そうしてお昼の頃に私は、 念には念を込めて朝方予め予約の電話を入れて置いた評判の寿司屋に入店し
念願の回らない寿司を食べる事がかなった、 何を食べても美味しい、 この充実感は何だろう、 満たされている、 凄く……
そんな私の顔を兄が見て優しい顔で笑っていた事だけが気に食わない、 これじゃあ私は我儘な子みたいじゃないか……
しかし箸は止まらず色々と食べお腹が苦しくなった時、 私は幸せだった、 うん、 この後温泉でサウナに入ろう
サウナに入ってカロリーを水に、 いや汗ごと流してしまおう、 うん……
支払いを終えた兄が私に見せる間もなくレシートをクシャクシャに丸めて、 ゴミ箱に捨ててしまったのは驚いたし
気にするなと無言で伝えようとしたのだと後になって気がついて、 また気に食わなかったが……
私の事など興味無いと思っていた兄にこんなに気を使われると、 兄に抱いていた気持ちとのギャップに苦しむ………
そしてそんな気持も、 温泉で全て洗い流してしまった、 冷えた体が温まって想像以上に気持ちが良い
疲れが、 お湯に溶けて………………
温泉から上がって帰路に着いた、 眠そうな兄の運転はやっぱり悪くない乗り心地で
私の意識はすぐに微睡んでいた……
……………
……
家に帰るといつも道理に迎えられた、 父は兄の釣果を見て笑っていたし、 母も喜んでいた
『茜はどうだった? 夜は眠れなかったでしょ?』
『眠れたよ、 結構ぐっすりと』
母が口に手を当てる
『あらっ、 そこはお父さん似ね、 日暮もそうだけど、 私はどうしても眠れないのよ、 車中泊はね』
そうなんだ……
『日暮の運転は怖かったろ? こいつはボーっとして来るとスピードが出て、 信号機で気が付いたようにブレーキを踏むから、 いっつも恐ろしいんだよ』
『えっ!? 嘘っ…… 凄い丁寧だったけど…………』
兄が唖然とした顔をする
『おいおいとぉ様や、 いちいち言うなって…………』
『日暮っ! あなた、 今でもそんな危険な運転しているの!? 前にも言っけど…………』
どうたらかんたら、 ぐちぐち……
母が驚いた顔で少し文句を言ってから……
『……ふふっ、 でも妹を乗せる時は気を使うのね』
と笑っていた
兄は耳を塞いだ後無言で立ち上がって、 キッチンに立ち、 突然釣ってきた味の下処理をしだした
開く所までは釣ってきた人がやる、 それがこの家の最低限のルールだ
『あららっ、 照れてるのかしら、 可愛げもあるじゃない』
『……意外とね、 私も勘違いしてた』
父は兄の隣で、 どれがでかいだの、 引きはどうだった、 何に食いついた、 等と話をしている
私はソファーに座ると、 どっと疲れが込み上げて来た、 不思議と心地のいい疲れだ
母が向かいに座り、 紅茶を入れてくれた、 私はその飲み慣れた紅茶に口をつける
『……あのね、 茜、 その…………』
私は母を見る
『お母さん、 謝罪とかはもう要らないからね、 本当に、 そう言うのは要らないの、 私も分かったから』
そう言うと母が笑う
『そうね、 私もそんな話がしたいんじゃ無いんだったわ…… 楽しかった?』
私は頷く
『楽しかった、 凄く満たされたよ私、 最初は楽しめる訳ないと思ってたのにね、 気がついたら笑ってた』
『そうなのよねぇ…… そうなのよ、 私も昔そう思ったのよ』
私は首を傾げる
『日暮の事よ、 あの子は皆とは違う所を見ていて、 皆の目を背けている事に気が付く…… 事も偶にある、 そして偶に助けてくれる』
『痒い所に偶に手を伸ばしてくれる子なのよ……』
変な例え……
『茜の事を応援したいって初めに言い出したのは日暮なのよ』
え?
『中学生の頃かしら? 今の茜と同じ受験を意識し出す頃にね、 茜は凄い夢を持った子だから、 俺の事より茜を応援して欲しいって』
初めて聞いた……
『当時は勉強をしたくないだけだと思った、 けど、 違ったのかもね、 ……いや、 それは否定出来ないか』
そう言って笑う母、 私は兄の方を見る
『あっ』
こっちを見ていた兄と目が合った、 この話多分兄に聞こえてるな、 兄は目を泳がせて忙しなく手を動かし始めた
……辛かった、 何故こんなにも私ばかり苦しい想いをするのだろう? そう思っていた
遊んでばかりの兄が妬ましかった、 ずっと、 ずっと……………
でも………
『……そうなんだ、 お兄ちゃんが、 お兄ちゃん、
私が昔話した夢の話、 覚えてたんだな』
『あの子、 偶にものすごく記憶力いい時有るから、 本人も忘れている様な事も覚えている事があるくらいだし』
確かに、 そうだった、 今思い出した……
…………
その日から、 私は、 別に目に見えて変わったわけじゃないけど、 心情に変化があった
母も厳しい事は言わなくなった、 これまで道理塾は通ったし、 自主勉もした、 部活動も何か楽しくなって頑張った
それでも……
『今週末友達とカラオケ行くことにしたから~』
『そうなの、 楽しんで来なさい』
…………
そんな会話が度々起こるほどに私の人生は明るくなったように思う
だからこそ、 今まで以上にどんな事も頑張れた
兄は殆ど元に戻った、 平日は泥の様だ、 会話もそこまで増えた訳じゃないけど、 印象は変わった
本格的な受験のシーズンでまた少し空気もヒリヒリとしたが、 志望校の合格を確認した時、 私は泣いた
今までのどんな瞬間、 どんな困難にも無駄なんて無かった、 全てが力になっている
手に、 足に、 頭に、 心臓に、 血液の様に巡って、 私を躍動させている
私は思う、 あの日の、 あの夜に連れ出してくれた兄が居たからこそ、 私はそう思うのだ、 踏み出せたのだ
前進の一歩を、 それはとても勇気のある行動だった、 だからこそ思う
兄は強い、 どんな場面、 どんな状況でも、 容易にその一歩を踏み出す、 きっと心に恐怖は無い……
いや、 恐怖すら楽しんで居るのだろう、 私はひたすらに前へ進み続ける兄の姿が好きだ
振り返らない様が好きだ、 だからこそ、 私が私であり、 私も自分を全力で生きれる
だからこそ………………
……………………………………
………………………
……
「泥水の上で土下座するお兄ちゃん何か見たくなかったし、 他人の言葉に動かされるお兄ちゃんも見たくなかった」
ぱしゃっ
水溜まりを蹴って、 私は兄にそう告げる、 兄は笑うでも無く、 なんとも言えない顔をする
「いや、 良かったよまじで、 助かった……」
歯切れが悪くあまり兄らしくない…… だなんて、 別人に騙されて居た私が言える事では無いが……
聞くべきでは無いのかもしれない、 でも……
「お兄ちゃんは、 私が声をかけなかったら、 どうするつもりだったの?」
兄は首を横に振った
「……分からん」
…………………
「ねぇ、 お兄ちゃん今、 何か悩んでる?」
「………別に」
そう答える兄はかつての私の様だった、 『分からない』それは私の口癖だったから
「お兄ちゃんの悩みはあの子…… 雪ちゃんの事? あの子は何なの? 教えてよ」
兄は無言でシェルターに戻る方へ足を向ける
「話すよ、 皆に」
そう言って歩き出す兄の背中を追って私も歩き出した、 少しだけ頼りなく見える背中が今私の一番の不安感の種だった
………………………
…………
「あっ、 日暮っ!」
母だ、 泣きながら飛び出して行った母が戻ってきている、 その近くには父と、 それに、 菊野と雪ちゃんもいる
「やっと戻ってきたのね、 待ちくたびれたわっ」
何だが上機嫌で、 声の弾んだ母、 何だ?
「じゃあ、 私はこれでおいとましますね、 家族水入らずで話をして下さい」
菊野が少し逃げ出す様に立ち上がる
「あらあら、 なら尚更ここに居てくれていいののよ?」
成程、 母がめんどくさい絡みをしている様だ
「おばさんくさ」
「はぁ?」
俺の言葉で一気に母のヘイトが俺に移る、 その隙に菊野は小走りで駆け出す
「また後でな」
そう手を振ると、 彼女は笑って手を振り返した
にやつく母の顔が視界に入る
「笑ったり怒ったり忙しいな」
「それはそうですよ日暮くんっ? うふふっ」
腹立つ……
そんな事を思っていると不意に横からタックルする様に抱きつかれる
「もうっ、 お兄さん今までどこ行ってたの? 私を置き去りにして」
「え? ああ、 いや、 今まさに探しに行ってたんだけどね」
そのやり取りは家族に見られるにはいささか気恥ずかしかった
俺は何とか雪ちゃんを窘める、 そう言えば……
「爺ちゃん婆ちゃんはどうしてんの?」
「ああ、 二人ならもうそろそろ……」
そう母が言った時、 ちょうどこちらに向かってくる二人の影があった
杖をついた婆ちゃんと、 結構しっかりした足取りで歩く爺ちゃんだ、 しかし爺ちゃんは最近耳が遠い
「おーい!」
二人に手を振ると、 二人は顔を見合わせたあと、 おおよそ年寄りとは思えない素早い動きでやってきた
「日暮かい?」
お婆ちゃんが驚いて居る
「え? いかにも……」
すると婆ちゃんは静かに涙を流し始めた
「っ! 大丈夫?」
心配になってそう話しかけると婆ちゃんは大きく何度も頷いた
「良かった、 ようやく帰ってきんだね日暮」
ようやく?
「そうだ、 ようやく正気に戻ったって事だ」
爺ちゃんがそう言う、 まさか……
「爺ちゃん婆ちゃんは偽物に気が付いてたいたってことぉ?」
2人は笑う
「だって全然違ったし、 でも見た目は同じだから、 正気を失ってるのかと……」
「偽物…… 別人だったって事か?」
父が驚いたような顔をする
「親父とお袋は気が付いてたのかよ? っなんで言ってくれないんだ?」
「言ったら信じたんか? それは混乱を招くだけだ、 あの時点じゃ誰が正しかったか分からんかったしな」
成程ね
ぐいぐい
俺の服を雪ちゃんが引っ張る
「お兄さん? 2人は?」
「俺の爺ちゃん婆ちゃん、 これで俺の家族皆揃ったよ」
まあ、 母方の祖父祖母や親戚も居るには居るが、 世帯的に言えばここに居る全員、 皆ここに生きて居る
「あら? 日暮ぇ、 その子は?」
「あ~ 雪ちゃんだよ、 色々あって今一緒に居るんだ」
婆ちゃんの疑問に曖昧に返答すると、 母が睨みを効かせてくる
「その色々の部分をちゃんと聴かせて貰いましょうか? 話してくれるのよね?」
俺は雪ちゃんを見る、 彼女は特に嫌がっては居ないみたいだな、 仕方ない……
「じゃあ、 話すから、 ちゃんと聞いて、 俺が今まで何してたかも含めて……」
…………………………
……
掻い摘んだ説明を家族はしっかりと聞いてくれた、 一人で戦ってた、 その後土飼のおっさんと親友の冬夜に会い、 この作戦室に来た
そこから駅前の街の方に赴いて、 色々と調査をしていたら、 雪ちゃんに出会ったこと
そこから俺が彼女をどう思っていて、 どうしてあげたいのか、 これは自分でも分からないけど、 分からないという事を話した
とんでも話の割にはちゃんと聞いてくれた事に内心驚いた
………………
……
「……そっか、 日暮の気持ちは分かったわ、 ただ、 無理だけはしないで」
「……無理じゃねぇけど?」
母が真剣な眼差しでこちらを見る
「雪ちゃんを守りたいんでしょ? 貴方が死んだらそれは出来ない、 彼女はまた一人になってしまう、 それが無理した結果なら、 余りにも無責任だわ」
はぁ…… 嫌いな言葉、 無責任ね……
「大きな目的を持って戦いなさい、 中途半端では無く、 自分は何故戦うのか、 しっかり決定してから、 戦いなさい」
んなもん………
「……分かってるよ、 俺の大切にしているものを第一に考えるよ、 俺も無駄死にしたい訳じゃない」
「ならいい」
別に許し何か要らねぇけど、 まあ、 良い、 大切なものの為に戦う
そこまで話をして何だかどっと疲れた…… と言うか………
「腹減ったな」
「そうね」
気がつけば日が傾いている、 朝飯は街のシェルターで食って飛び出してきたけど、 色々疲れた……
「もうすぐご飯の配給の時間よ、 日暮、 一緒に食べましょうね」
「はぁ…… 良いよ、 久しぶりにね」
母が笑って、 皆笑顔になった、 空気につられて雪ちゃんも笑顔になった、 ならいい……
でも……
「俺その前にちょい話したい人居るから、 作戦室の方行ってくるね」
「和沙ちゃんかしら?」
っ
「違ぇよ」
そうだけど
そう言って俺は立ち上がる、 雪ちゃんはすっかり母や妹と色々話をしていて仲良くなったらしい
俺はそのまま作戦室へと向かった……