第六十八話…… 『団欒・1』
ドクリッ…………
「……深谷離井、 死んだか」
藍木山には朝から雨が降っていた、 仮に組まれた木造の家の中で、 猿帝は小さく呟く
ガチャリッ
ドアが突然開き人影が入ってくる
「猿帝帰ってきたぜ~」
顔を上げた猿帝が入って来た男の顔を見る
「議か、 どうなった? シェルターの戦いは」
躍満堂楽議はズカズカと入っていく
「喜んでくれよ、 邪馬蘭が能力者になった、 力も結構いい感じだったな」
躍満堂楽議は嬉々として喜ぶ、 強い奴が居ると自分の事のように嬉しい、 戦いが好きだからだ
「そうか、 宗と師の空いた穴を埋めてくれる逸材だと良いんだがな」
こちらの世界に来て猿帝血族は五人居る能力者のうち二人、 能乞始点宗と八宝上道師を失った
その損失は大きい
「あと統率の取れてなかった雑兵共は全員死んだ、 人間の篭城戦で尽く、 本当に馬鹿共だったぜ」
「奴らは勝手に山を降り場を荒らすだけでなく、 弱い使えない割には対価を求めてくる、 奴らにやる飯は無いのだ」
まあと言っても、 ひと月前に下山する人間を追いかけて猿帝の支持外まで降りていった奴らはまだ散らばって居るだろうが
人間ですら容易に殺せる雑魚ども、 そのうち勝手に滅びるだろう
「深谷離井が死んだ様だ、 協力関係はどうなった?」
「あ~、 それなんだが、 あいつ全然シェルターから出てこなくてな、 協力も得られなそうだったから勝手に帰ってきたぜ」
ふん
「そうか、 まあ奴は何処まで言っても人間、 我らには理解のできない理由があったんだろうな」
そもそもなぜ深谷離井が死んだ事が分かるのか? と言う質問は止めた、 深谷離井と猿帝の関係は聞いてもまともに答えが帰ってきた試しが無い
「深谷離井が殺したといっていた能力者だが生きていた、 確か名前は威鳴千早季、 多分ほぼ不死身、 この世界の神秘関連だな」
「それともう二人、 なんかくそ強い剣士が居たな、 だがおそらくこの剣士は召喚されたタイプだ、 召喚した奴が一人」
「後、 邪馬蘭と戦った男、 そいつは純粋に戦い慣れてたな…… あとそいつに着いてきたガキが居たが、 そいつは妙な感じだった」
猿帝が続きを促す
「魔国獣・参色烏を従えていた」
猿帝の目が鋭くなる
「魔王か………」
「おそらく、 まだその前の段階だろうがな」
少し沈黙の時間が流れる
「延の奴はどうした?」
猿帝の息子、 帰光延も戦いに参加していた
「御息子は無事ですよ、 朱首と、 蒼腕も…… 多少怪我は負ってたかな、 ってかこいつらはまじで何もしてない」
はぁ……
「朱首と蒼腕め、 奴らが延を甘やかし過ぎるせいでいつまでたっても延は弱いままだ」
ため息を着く猿帝には心底同情する、 この弱肉強食の世界で、 あの二人は延を蝶よ花よと愛でてしまった
あの中で一番まともなのは本人の延だ、 王子として責務を日々意識し日や修練に励んでいるようだが、 幼い頃に味わった寵愛により精神が渇いていないのだ
「まあ、 何にせよご苦労だったな議よ、 人間共の掌握、 そして世界に君臨する準備は進んでいる、 もう暫し、 その時に備え休め」
「っし、 じゃあ堕落を貪るぜぇ」
そう言って早々に立ち去って行く議を見送った猿帝は腰掛をドカりと座る
ドクンッ
「もう少しか、 やはりいい効果が出ているようだな……」
ドクンッ
何かが動く、 何かが動きを始める
「師を殺した村宿冬夜は未だ存在確認が不明、 肉体を焼いて捨ててしまいたい所だが、 それはあまり良くない」
深谷離井にはめられ、 囚われだった冬夜だったが、 あろう事か師を殺した上、 縛り付けていたその肉体を捨て、 今も魂の様な状況で浮遊している
「越の奴がそう言っていたな、 肉体を壊してしまえば唯一残った残穢も見逃し、 完全に村宿冬夜を感じられなくなる」
「そして、 あちらが今の状態で問題が無いのならば、 それは非常に不味い、 どんな事が出来るか不明だが、 何にせよ肉体は少ない足跡なのだと」
全く……
猿帝は腹をさする、 もうすぐに動き始める、 全ての頂点に立つ、 その時が来る
「魔王の存在も気がかりだ、 ならばその前に、 滅ぼしてくれよう、 人間よ」
その声は打ち付ける雨音によってかき消された、 この雨は一体何時まで降り続くのだろうか……………
……………………………
………………
……
あ~ 眠たいぜ……………
「日暮聴いてるの?」
降り続く雨音が広間に響いている、 こんな日はダラダラと惰眠したい所だが……
「日暮! 眠そうな顔するな!」
うるせぇ……
「もう、 何? ねぇよ話す事何か……」
「私達はあるのよ!」
母が大きな声を出す、 はぁ………
戦いの後離井を探したが見つける事は出来なかった、 逃がしたか……
そして帰ってきてみたらこれだ、 俺が来るのをガン待ちで待機してやがった
「よく聞いて日暮、 もうあんな事やめて欲しいの……」
「無理、 話は終わり」
だがそうは行かないとばかりに食いついてくる
「日暮! 死んじゃうかもしれなかったのよ? あんなにボロボロに……」
はぁ………
「だから何だよ、 そりゃそうだろ、 命をかけて戦ってんだから」
さっきから全く話が進んで居ない、 もう俺の事なんか気にしなけりゃ良いのに……
ポタッ ポタッ
何かが落ちる、 えっ? 母が涙を流して居た、 これは流石に面食らう
「……っ、 日暮が死んじゃったら、 ぐすっ、 私も死ぬわ」
は?
「……何で?」
「だって悲しいでしょっ! それぐらいっ、 悲しい事なのよ………」
自分の命…… それさえあれば、 全てを持っていると言っても良い
良いはずだ………
俺は………
……………………
『……家族は大切にだぞ、 気付いたらそこに居ない、 そんな日がいつか来るかもしれない』
……………
街で出会った異世界の住人、 と言うかモンスター、 背中にサザエの殻を被った亀見たいな、 灰甲種って言うらしいけど……
その灰甲種の櫓さんに街に向かう途中出会った、 櫓さんはずっと生き別れの兄弟を探していた
櫓さんの弟、 楼さんは、、 聖樹と一部で呼ばれている植物にその体を寄生され、 乗っ取られ、 巨大化し、 街を破壊して、 最後には全然関係ない男に殺された
大切な家族を奪われた、 そんな櫓さんが別れ際に言っていた言葉だ、 そんな櫓さんの言葉だからこそ胸の内にストンと落ちる
くそっ……
……………
だからって………
「無理何だよ、 覚えてるだろ、 ひと月前までの俺は死んでた、 よく説明出来ないけど、 ずっと惰性で生きて来たんだよ」
「言葉にした事なんか無いけど俺はこの世界を望んでた、 心から笑える世界を、 他の人間とは生物が違うんだよっ」
は~あ、 いっそ見限ってくれないかな、 俺の事……
「日暮、 お前はなんで戦うんだ?」
父だ
「んなもん楽しいからだよ」
それ以外にない
「確かにお前笑ってたよな、 俺は日暮があんな風に笑ってるの凄く久しぶりに見た気がするよ」
「……日暮、 だけどそれだけか? 本当にその一つだけか? 今の戦う理由は?」
?
「楽しいから戦いを始めたのかも知れない、 でも今はどうだ? 他に何かないのか?」
今?
「……ついでに人助けになれば一石二鳥で良いって思ってるよ、 そっちの方が気分が良いし」
土飼のおっさんに言われた言葉、 人間社会はまだ滅んで居ない、 社会に生かされてきた俺が、 社会を見捨てるのは、 余りにも無責任だって
妙に納得してしまった、 どれだけ嫌でも俺は生きる事を望んだ、 生きる為の衣食住は社会が用意したものだった
俺は生まれたその時から社会の一部、 切って離すことは出来ない、 本当に上手く出来た仕組みだ
「誰かの為に戦うって言うなら、 俺はいいと思う、 その力が人の役に立つならそれは素晴らしい事だと思う」
「ちょっと、 簡単に肯定しないでよっ」
ぎゃあぎゃあ……
「……目の前でいきなり夫婦喧嘩始めるなよ、 はぁ……」
母がこっちを見る
「私は到底認められないからねっ」
そう言い放って怒って出ていってしまった……
「まあ、 お母さんの言ってる事も分かるだろ? 日暮、 人生人に迷惑さえかけなければ何やっても良いと思う」
「だが、 その人生を止めてしまう事は絶対にダメだ」
俺は……
「俺は別に死にたがりな訳でも、 人殺しがしたい訳でもない、 ただ戦うのが好きなだけだ」
「……皆、 不安なんだ、 まだ訪れていない最悪な結果ばかりを想像してしまう、 本当はお母さんだってもっと喜びたいんだと思う」
「日暮が帰ってきてくれた事を、 皆みたいにさ……」
周囲を見渡す、 涙を流す物、 その多くは嬉し涙を流している、 まるで亡くなった命が息を吹き返したかのように……
いや、 まさにその通りなのだから……
「誰一人死ななくてよかった、 皆怪我ですんで良かったよ本当に、 だってあの子の力で怪我が治ったんだから」
雪ちゃん……
彼女の能力は不明だ、 全く異なる性質の事がいくつも出来てしまう、 それは失われた命すら、 引っ張って戻って来させるのだから
危険だ、 多くの人が心に疑問を抱いただろう、 日暮が離井を追いかけ出ていった後、 彼女は能力を使い、 死者蘇生をした
それを目撃した土飼さんと、 大望さんが何とか傷を癒したとか何とか言ってくれたらしいが、 分からない
雪ちゃん、 彼女が今後どうなるのか、 何かが変わってしまうのか、 何も変わらないのか、 それは分からないが……
………
『どうか娘を助けてあげてください……』
………
雪ちゃんの両親は既に亡くなっている、 俺が出会ったのは残影と呼ばれる亡霊の様なものだった
だが確かに託されてしまった、 雪ちゃんは現在一部記憶を無くしている様な状況、 何だか彼女の事を思うと凄く不安になる
って言うか
「雪ちゃんどこ行ったか知ってる?」
俺の質問、 だが父は何だか凄くニヤニヤとした顔でこちらを見てくる、 何だ?
「あはは、 そう睨むなよ、 分からないけど和沙ちゃんって日暮の友達の子と一緒に居たよ」
菊野と一緒か、 そう言えばミサンガの事も、 探して例を言わなきゃな
「日暮、 お前が雪ちゃんの事を思う気持ちと、 お母さんが日暮を思う気持ちは同じじゃないのかな?」
っ……
「…………分かんね、 取り敢えず探して来るから俺」
そう言って日暮はその場を立ち去った……
…………………………
……………
……
はぁ………
「はぁ……………」
ため息ばかり出る、 本当はもっと笑顔で、 おかえりって迎えてあげたいのに……
でも……
全身が吹き飛んで、 血にまみれ、 骨と肉が混じったそんな格好で、 息子はそれでも笑っていた
その姿が忘れられない、 息子に対して母である私が感じてしまったおぞましさ、 そこにとても不安を感じて仕方ない
「どうすればやめて貰えるのっ…… あんな事、 あんな姿になるような事、 どうして……」
日暮の母、 明山彩乃は薄暗い通路にある今は止まってしまっている自動販売機の前にあるベンチに腰掛けていた
さっきまではこの通路に出る事すら叶わなかったらしい、 恐ろしい植物が道を塞いでいたみたいだが
やってきた一人の幼い女の子、 確か名前は雪ちゃん、 その子が全てを解決したらしい
怪我を負った方達もその子が傷を塞いで、 皆目を覚ました、 まだ幼い少女に大人が懇願し助けを求める姿は、 それもまたこの先に待っている暗い不安に思えて仕方無い
日暮の事といい……
「私の頭が固いのかしら、 はぁ……」
さっきからため息ばかりだ、 行方不明になっていた息子が帰って来たんだ、 もっと喜んで、 いっぱい話だってしたいのに……
彩乃の気分は余り良くなかった
そこに足音が近ずいてきて、 彩乃は顔を上げる
「顔色悪いみたい、 大丈夫?」
すごく優しい声音が耳の中で転がって、 幼くて穢れのないその声は、 まさにさっきの少女ではないか
可愛らしいのに、 どこか底知れなさを感じる、 そう言えばこの子は息子とも何か関係があると言っていたが……
「……えぇ、 大丈夫よ、 雪ちゃんだったかしら? ありがとうね心配してくれて」
「ふふっ、 良かった」
眩しい笑顔だ
「そう言えば雪ちゃん、 うちの息子…… 日暮とはいつ会ったの?」
少女はう~んと思案している、 その姿はどこにでもいる少女だ
「最近だよ、 でもでも、 もう仲良し♪」
「あらそうなの? 雪ちゃんみたいな可愛い子に気に入られるなんて、 息子もなかなかやるじゃない」
不思議と笑顔になる、 つられて笑ってしまうのが不思議だ
「所で雪ちゃん、 ご両親は何処にいるの?」
「う~ん、 わかんないの、 お兄さんは知ってそう? だったけど、 覚えてないんだ、 記憶喪失? ってやつかも……」
それについてもしっかりと日暮から聞かなくては……
「ずっと一人で居たの?」
「ううん、 白蛇さんが居たから、 ほら、 今も……」
よく見ると白い少女の髪に隠れる様に、 これまた白い蛇が少女の首に巻き付いている
「暗い洞窟の中…… いや暗く無いのかな? 洞窟の中で蛇さんとぼーっと暮らしていたの、 そうしたら、 お兄さんが会いに来てくれて」
「私お兄さんといっぱいいっぱいお話したくなってね、 でも突然帰っちゃうって言い出しの!」
「私悲しくって、 そうしたらお兄さんが、 一緒に来ないかって、 『俺の大事な人達に合って欲しい』って私を連れ出してくれたの~」
まるで恋する少女の様なキラキラとした目で、 手を組んで話す少女、 そう、 うちの息子が……
「そう言えば、 昔から日暮は実は優しい所があったのよね、 何か忘れてた……」
何時からか笑わなくなった、 何時からか怒りっぽくなった、 高校を卒業して就職をしてから、 息子はだんだんとモノクロになった
小さい頃は思った事を直ぐに口に出したりしてしまう所があったのに、 何も言わなくなって、 会話すら上手く繋がらなくなった
今日ひと月ぶりに息子に再開して、 何年ぶりかに笑っている顔を見た
いつの間にか幼い少女の手を引き、 日の本へ引きずり出したと言うんだからなかなかの物だ
あ~
何だか今、 とても日暮と話がしたい、 戦いがどうのこうのじゃなくて、 なんてことの無い話を
今の、 輝きに満ちた日暮とだからこそ話がしたい……
「雪ちゃん~ あっ、 居た、 もう目を離した隙にどっかいっちゃわないでよ」
この子は……
「和沙ちゃんじゃない、 そうよね? 日暮の友達の」
「あっ、 日暮くんのお母さん」
この子は昔から日暮と仲良くしてくれていたな、 あら?
「和沙ちゃんのそのミサンガ、 日暮とお揃いかしら………」
「えっ…… いやっ、 あの、 これは……」
うふふっ
本当に色々話をしたくなってきたわね、 ゆっくり色んな話をしましょう
いつの間にかため息は出なくなっていた………
…………………………………
………………
……
「雨やんでる…… 外を散歩しよ」
日暮はシェルターを出て外を歩き出した、 雲に遮られた日光はそれでもこの地を照らす
雲間から少しだけ覗いた青が心を清めるように凄く美しく感じる
ぱしゃっ ぱしゃっ
水溜まりの上を行く、 防水シューズは良い、 高いだけあって完全防水でありながら、 丈夫で軽く動きやすい
夏に向かっていく季節、 梅雨明けが迫る頃だが突然どっと雨が降り、 じめつく空気がまとわりつく
「これから暑くなってくのか、 戦いは大変だな、 暑っついと……」
あぁ……
見た目、 この景色も、 山も、 空も、 空気も何も変わらない、 昔からこの世界は何も変わって居ないんだ
ひゅ~
心地いい風に包まれる、 うん、 かなり気分が良い、 ジメジメを吹き飛ばす、 清い風だ………
ぱしゃっ
後ろから水溜まりを踏み抜く音が聞こえる
「うわっ、 靴濡れちゃうよ~」
知らない声だ、 振り向いて確認するとそこには一人の女性が居た
「久しぶり明山日暮くん♪ 中学生の時以来だよね、 懐かしいね~」
あまり高くない背を厚底のローファーで底上げしている、 ふわっとした服を着ていて、 ハーフツインの髪が綺麗に波打っている
っても誰だ?
「あっ、 そっかそっか、 分かんないよね、 私、 天成鈴歌、 同級生っ」
あ~ 同級か、 大人になっちまうとよく分かんねぇな、 多分話した事ないし……
「成程、 同級生ね、 久しぶり」
「え~ 本当に分かってる? 小学生の時同じクラスになった事もあるんだよ」
へー そりゃ覚えてねぇや………
でも突然何だ? 対して接点も無かったはずだけど、 わざわざ挨拶に来てくる何て…… いや、 そもそも通りかかっただけ……
不意に視線を感じる、 少し低い位置から真っ直ぐ見つめる様に、 鈴歌はこっちを見ていた
?
「ふふっ、 日暮くんはあの頃からあんまり変わらないね」
「そう? 結構変わったと思うけど」
鈴歌が首を横に振る
「ううん、 変わらないよ、 横顔とかもそのままだし、 オーラ? 見たいなのが変わらないのかな」
へー
「……日暮くん、 さっきは助けてくれてありがとうね、 私もうダメかと思ってたんだ」
さっき?
「ほらっ、 離井くんと戦ってたでしょ? 私日暮くんが一回やられた後に、 襲われたんだ、 怖かった~」
その時の事を思い出してか鳥肌が立ったかのように彼女は小さく震えた
「でも日暮くんもう一度立ち上がって、 そのおかげで助かったの、 だからありがとう」
「……どういたしまして、 なら良かったよ」
うふふっ
不意に目が合う、 彼女が笑う
「ねぇ、 もうちょと近くで顔みたいな、 私の靴じゃ濡れちゃうから、 日暮くんこっち来てよ」
ぱしゃっ ぱしゃっ
近づく
「遠いって、 もっと」
ぱしゃっ ぱしゃっ
「もっと」
ぱしゃっ
すぐ近くまで………
「ふふっ、 さっきあんまり変わらないって言ったけど、 やっぱり結構変わったのかもね」
「そりゃそうでしょ……」
ふふっ
「いや、 やっぱりわかんない、 って言うか覚えてない、 もう昔の事だし」
?
「本当に今回の事が無ければ全部忘れてた記憶だったのに、 今あんまりいい気分じゃ無いの……」
「? 何が………」
ぱしゃっ
言い切る前に彼女の方からグイッと更に近ずいてきた
触れるほどの距離、 彼女が踏んではねた水溜まりの水飛沫がスボンにかかる
ペシィンッ!
冷たい感覚を覚える足と、 熱く熱を持った頬
は? ぶっ叩かれたんだけど?
何?
…………………………………………
…………………
……
「あれ~? お父さんだけ? お母さんとお兄ちゃんは?」
「お母さんはどこだろ、 日暮は外に出てったみたいだったけど」
えー
「色々話するって感じだったのに、 もう、 皆協調性無さすぎ」
「色々話してたらこうなったんだよ」
全く……
「私お兄ちゃん探して来るよ」
明山日暮の妹、 明山茜はついさっきの事を思い出す、 帰って来た兄を前にした時急激に恥ずかしくなってしまったのだ
今朝までだって、 まさか偽物だったとは思っても居なかったが、 今まで言ってきた言葉や……
『甘えん坊になった』 『子供の頃に戻ったみたい』
等、 家族に言われていた言葉が今になって頭に浮かんで顔が熱くなる
ガチャリッ
ドアノブを捻って外に出る
「あ~あ、 私ったら何であんなに……」
……………
『お兄ちゃん♪』
………
うっ
「ああああっ、 もう! 恥ずかしい……」
と言ってもそれはお兄ちゃんに化けていた別の人だったのだが、 ……それもそれで問題があるけど
偽物だったからこそ私はひと月前だったら有り得ない様な状態だったのかも、 本物の兄を前にした時、 妙に納得し、 それと同時に自身の痴態を思い出したのだ
「そもそも、 お兄ちゃんはあんなに優しく無いし、 今思えば優しすぎだったよね、 ……悪くなかったけどさ」
兄弟の距離感じゃ無いけどね
雨が上がっている、 少しじめついた空気、 朝夜はまだ涼しいけれど、 日中は大分暖かくなってきた、 きっと今年の夏も暑くなるだろう
「嫌だな…… 暑っついだろうな」
電気さえもっと使える様になったらシェルターに完備したエアコンだって使えるだろうけど
「学校も行きたいな、 どうなっちゃうんだろう、 私の高校生活は、 折角頑張って受かった学校だもん、 行きたいな」
現在16歳、 今年17の年だ、 既に社会に出ている日暮とは5歳差になる
「友達に会いたい、 どうしてるんだろ、 部活もこれからって感じだったのにな~」
そんな事を考えていると何だか急に寂しくなってくる、 胸の中が空っぽに寒々として、 何だか目頭が熱くなる
はっ
このままではお兄ちゃんに泣き顔を見られる事になる、 それはまずい
首をぶんぶんと振って気分を落ち着ける
「はぁ…… と言うかお兄ちゃんは一体何処に…… あっ、 居た……… あれ?」
建物の角を曲がった先に兄の姿があった、 しかしそこに居たのは兄だけでは無い、 女性も一緒だ
「お兄ちゃんが女子と話を、 と言うかあの人、 天成さんじゃん、 同級生らしいけど、 そう言えばさっき……」
深谷離井が天成鈴歌を殺そうとしていた時の会話はおそらくあの空間に居た人全員が聞こえていた筈だ、 勿論茜にも聞こえていた
(……もしかして、 天成さん…… いやっ、 まさか)
天成鈴歌の事を茜が知っているのは先程の離井とのやり取りがあったからだけでは無い、 元々知っては居た
シェルターの中でも彼女は目立っていた、 華やかでお淑やかで、 こんな生活でも彼女のそんな部分は崩れなかった
それに茜はかなり勉強を頑張って、 県内じゃトップクラスの進学校に入学したのだ、 ギリギリだったが……
そして天成鈴歌も数年前同じ高校に首席として入学、 トップの座を恣に、 運動以外の面で数々の逸話を残したらしい
運動音痴なのはかなり男子受けが良かったとか、 クラスの子が自分の事のように話していたな……
(……そんな天成さんがお兄ちゃん何かにどうして)
そう思った時だった、 日暮がどんどん天成鈴歌に近ずいて行く、 本当に近くに
(……え? 何っ、 何してんの?)
困惑してつい物陰に隠れて状況を伺ってしまう、 全く、 一体何をして……
すると……
グイッ!
今度は鈴歌の方が日暮にグッと近づいたのだ、 本当にもう触れる距離……
茜の脳内で勝手に変な想像をしてしまう、 これはまさか、 まさかのまさかなのでは………
しかし………
ペシィンッ!!
聞こえたのはそんな乾いた音だった
(……え?)
困惑する茜の耳に天成の声が妙にはっきり聞こえる……
「うふふっ、 ハグでもすると思ったの? 冗談じゃない、 あっ、 さっきまでの私の言葉は全部冗談だよ」
「助けられたなんてちょっとも思ってないから、 ……と言うかその逆っ」
日暮が叩かれた頬を手で抑えている、 その表情は影がかかったように見えない
鈴歌が更に構える
「っち! 明山日暮っ! てめぇ程度の分際で! モブの分際で! 良くもこの超絶キュートな小悪魔きゅるるん天使のエンジェル的可愛さMAXの鈴歌ちゃんにあんな怖い思いさせたなっ!」
パシッ!
再度ビンタ、 だがそれは日暮が軽くガードをして阻止する
「痛っ、 最低! お前が来たから変な戦いになって、 その余波で私が超絶怖い思いしたんだろ! お前が悪いんだから謝れよ!」
その怒りは広間でのやり取りを知っている茜からすれば見当違いもいい所だった、 昔自分のした行いが巡り巡って災難として降りかかったのだ
文句を言いたくなるのは分かるが、 他人にぶつけるのは違う
それをぶつけられているのが自身の兄であると思うと妙に胸が締め付けられる、 でも止めに入る勇気は無かった
「見ろ! 可愛いだろ! こんな可愛い顔が泣き顔になったんだぞ! お前のせいで! 死刑だ死刑! ちっ!」
バシャンッ!
鈴歌が靴で水溜まりを蹴り上げて汚い泥水が日暮にかかる
日暮は拳を強く握って居るが、 何か反撃しようとか、 何か言おうと言う気は無いようだ
「おらっ! 土下座しろ土下座! この泥水の上でだ!」
震える、 まさかあの天成鈴歌の内側の性格が本当に悪いなんて想像もしていなかった
本当に震える、 でも恐怖でじゃない、 本当に兄が今にも土下座を初めてしまいそうな所がだ
っ!
「お兄ちゃん!」
気づけば声が出ていた、 はっとしたように2人が私を見る、 あぁ、 勇気を出したは良いけど、 急に不安になってきた……
天成鈴歌と目が合う、 そこにまるで優しさは無い、 鋭い、 隠されていた刃物、 上等な刃物だ
それを喉元に当てられたように怯む
「あらら、 見られちゃったじゃない、 さっさと謝らねぇから、 しかもお前の妹ちゃんと来たよ」
「どうすっかね…… そうだ、 妹ちゃんにも観てもらえよお前のクソ汚ぇ土下座、 そうじゃなきゃ代わりに妹ちゃんにして貰うか、 土☆下☆座♪」
ケタケタと笑う鈴歌、 ああ何と恐ろしい、 切れ味の鋭い刃を隠し、 不意にそれを振りかざす
なんと恐ろしいことか……
「さあ、 選びなよ、 明山日暮ぇ、 あははっ…………… あ?」
恐ろしいのだ、 どうなってしまうのか、 ただ鋭いだけの刃、 ろくすっぽ振るったこともない刃
その程度の代物を向ける相手を完全に間違えてしまった事が何とも恐ろしい
前進の一歩、 その先へ踏み出す力、 躍進、 推進、 躍動、 その力強い一歩を踏み出す明山日暮………
ギロリッ
「うっ!?」
天成鈴歌は理解した、 自分は今ちっぽけな果物ナイフ片手に、 激昂した獣に挑んでしまった
勇敢? いいや、 愚か
「お前さ、 そもそもお前誰だよ、 さっきからベラベラベラベラ、 独り言なら一人で話してくんねぇかな?」
「……それとも、 俺に何か用か? 汚ぇ言葉並べてでけぇ声出した、 一体俺に何の用だよ、 あ?」
バキッ
日暮が拳を握ると関節が音を立てる、 まるで暴力性を誇示する様に固まった拳は否応にも相手の身を強ばらせる
「っ、 はぁ? 何強がってんのよ、 負け犬が…………」
言い切る前に目が合う、 首が吹き飛ぶ様なチリチリと痺れるような感覚
そして…………
「おいっ、 もっかいぶっ叩いてみろ」
意味不明
「は?」
日暮が頬を指さす
「もっかいぶっ叩いみてみろよ、 さあ、 早く!」
っ
「なっ、 なんなのよ!」
ペシンッ!
手が震えて軽い音が響く、 本当に意味が分からない……
まるで不動の岩にでも触れた様な感覚だった、 やめとけば良かった?
もう遅い
「世界はさ、 やっぱり皆平等だったら良いよなぁ? やっぱり人の数だけ全員平等の采配になるべきだよなぁ! 平等は良いよなぁ!」
……急に何?
「俺だけならまだしも、 妹にまで汚ぇ言葉をかけやがったよなぁ? でも俺の妹は優しいからきっとてめぇに何も返さねぇ」
「だから、 妹の分は俺が殴る、 俺の分と妹の分で二発、 てめぇが殴った数も二発、 これで平等だよなぁ!!」
まずい、 ブレーキを感じない、 本当に殴られる、 この…… こいつっ
日暮を見る、 なんだが形が歪んで見える、 本当に人なの? もはや人の形に収まってない……
「っ! 女の子を殴るの? 男が女を?」
急にしおらしい声で訴えてくる、 大丈夫っ!
「安心しろよ、 これ男女平等拳だから」
はっ?
「歯食いしばれっ!」
……………
「いやっ、 あっ!」
後ろ向きに距離を取ろうとしてなんて事ない段差に躓く、 そのまま体はおしりから地面へと吸い込まれていく
(……あぁ、 何か、 やめとけば良かったな、 こんな憂さ晴らし)
ついさっき深谷離井に殺されそうになった所までしか記憶が無いが、 後から聞いた話によると私は白目を向いて泡を拭きながら気絶していたらしい
はしたなく大股開いておっさんみたいにぶっ倒れてたって、 デリカシーのない奴に教えられて気分が最悪だった
よくよく考えたら、 あの騒動始まったの明山日暮が来てからじゃね?
そう思った私はイライラを抱えて単騎特攻を仕掛けていた、 所詮あの頃のまま、 男なんてガキばっか、 私に逆らえないそう思ってた
深谷離井に脅され、 一時期明山日暮の事が気になっていた事を暴露した訳だが、 流石に今となっては本当にどうでも良い
どうでも良かったんだ、 今だってどうでも良い、 どうでも良いならそのままどうでも良くしておけば良かった………
(…… やだな…… 服汚れちゃう)
天成鈴歌は今回ばかりは流石に諦めて目を瞑った………
……………………
グッ!
手を引かれる、 何時まで経ってもお尻が痛くならない、 服も濡れてこない
「ん?」
「おらよォ!」
グイッ!
「うわあっ!?」
体が強引に起こされる、 良かったお気に入りの服は汚れてないし、 怪我もない、 何で……
「何で助けたのよ……」
「別に、 俺新雪の上を人が歩いて泥みたいに汚れるの嫌いなタイプだから」
何それ?
「私が白くて綺麗って? 口説いんてんの?」
「服がな、 気が変わって二発ぶん殴る前にどっか行けよ」
手でヒラヒラと追い払う動作、 腹立つ……
でも……
(……ここで捨て台詞吐いて去ったらそれこそ私の負けじゃん、 ……厄介な奴)
「ふんっ」
何を言わずに去ることにする、 水でも飲んで落ち着こう、 鏡眺めて自己肯定感上げあげにして自分を慰めよう
そう思いながら天成鈴歌は去っていった
……………………………
…………
「本当に殴っちゃうかと思った、 怖い顔してたよお兄ちゃん……」
「まあ、 どうしようかと悩んだんだけど、 やめた、 さっきの今でまた母さんに泣かれても困る」
え?
「泣かせたの? お母さんの事? 道理で…… でも良かったよ、 やり返さなくて正解だよ」
「そうかぁ?」
茜はしっかりと頷く
「そうだよ、 だってお兄ちゃんは気にする必要無いんだもん、 それに私は見たくなかった、 人に動かされちゃうお兄ちゃん何て」
「……………ははっ、 面白い事言うじゃん」
………………
「でも私の為に怒ってくれたのは、 嬉しかったかも?」
「は? 違ぇし、 全然そんなじゃないし」
あははっ
「やっぱり…… どんなに時がお兄ちゃんを変えても、 お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ、 あの時と同じ……」
ずっとずっと強い、 あの時もお兄ちゃんは凄く強かった……………………




