第百六十三話……『天閣の祝詞、 後日談・22 夢にまで見た異世界転移《八》』
深い森、 私は実際にラーダの里に行った事は一度も無い、 本当に偶に話し合い何かで里長と大人が行ったり、 来たり……
「……大丈夫かいシャルルちゃん? 今半分ぐらいまで来たけど、 休憩するかい?」
首を横に振る、 睡眠も充分取ったし朝ごはんもしっかりと食べてきた、 体は充分疲れが取れている……
「私は大丈夫です、 一刻も早く私が行かなくちゃっ、 ネーヌの未来を願う巫女として、 そして、 里長の代理としての責務を果たさなくてはっ」
男達は顔を見合わせる、 昔から誰にでも優しく、 あどけなさを残す少女が初めて見せる必死なヒリヒリとした表情、 そしてのし掛る重し……
ただ、 どれだけ心配しても、 不思議とその歩みを止めようとは思わなかった、 それは闇雲に突き進むそれとは違って、 覚悟と執念を突き通した、 彼女にとっての前進だったから………
「わかった、 じゃあ行こう、 この先もう少し行けば川沿いに出るから、 そこに出れば多少歩くのも楽になる、 行こう」
シャルルは頷くと足に力を込めた、 未来と為に、 里の為に、 自分を育て、 親の様に愛してくれた祖母、 里長が笑顔で、 過去を悔いて旅立たないように………
(……私が、 ネーヌを守ってみせるっ!)
ザッ!
その足が地面を蹴った、 既に陽の光は葉を抜き、 木漏れ日として薄暗い木々に囲まれた世界を行く
そして、 その道には数刻前に付けられた別の足跡が残っている、 その者達は既に、 一足先に目的地へと着いている……
日暮達は…………
……………………………………
…………………
……
「……………想像してたよりデカイ ……」
日暮はラーダの里にて、 ラーダの里長に連れられ、 潤泉の湧水と呼ばれる所へと来ていた、 目的は、 里長の話した巨大な岩の粉砕の為である
現場に着いた日暮のシンプルな感想がこれである、 デカイ、 高さは四メートル程、 ゴーレムよりも高い、 そして見れば見る程完璧な丸だ、 つまり幅も同じくらいと言う事になる……
「ここまで丸いなら転がりそうなものなのに……」
「動かん、 ゴーレム数体でもビクとも、 根が張った様にな…… 勿論破壊も出来ない、 殴ったゴーレムの方が壊れる始末、 そしてこの異質な黒色、 これはただの岩では無い」
確かに…… 真っ黒い球体の岩…… 地面を抉って深々と突き刺さっている、 見るからに異質である、 魔王軍の残党が撤退した後に残ったと言う話を聞く限りそいつらがやはり原因だろう
「どうだ? 壊せそうか?」
共に着いて来ていたジェードが日暮に声を掛ける、 日暮はとりあえず岩に触れて、 軽く叩いたりしてみる、 材質はやはり岩だろう、 ゴツゴツとして居る
「わからん、 取り敢えず一発ぶん殴って見るから、 皆さん少し離れて下さいっ! 破片が飛び散るかもしれません」
「……はぁ、 ふん、 チリのひとつも飛ぶ物か、 これはそういう物では無い、 天が私に与えた罰なのだ……」
辛気臭い一言を呟いて里長も離れていく、 ちっとも期待はしていない様だ、 ジェードや、 他の大人が距離を取ったのを確認して日暮は拳を握る……
(……この岩がぶっ壊れたら、 もう一度水が湧き出す、 それは少なくとも今の問題の解決にしかならない、 ラーダの里が元に戻る…… いや、 元には戻れないよな)
魔王軍の残党との戦いでラーダは多くの男性が亡くなった、 水不足が解決した所で埋められない傷は残り続ける……
それでも、 現実は、 世界は辛く厳しい物だ、 生きている内はその命を燃やし、 生き続けなくては行けない、 傷は大きいが、 ラーダに暮らす人々はそこを乗り越えて前へと進む必要が有る
今までは過去の遺恨から両里は仲が良くなかったのだろう、 不干渉を貫き接触を最低限にしていた、 しかし今を生きる人や子供達にとっては、 それらはなんの意味も持たない事柄
本当に未来を想うなら二つの里が手を取りあって協力する必要が有る、 例えば、 男手がないラーダをネーヌの民が力を貸して手助けする、 代わりに万年水不足のネーヌが、 ラーダの里から水を貰う……
何かを大きく変える事は出来ないけど、 補い合う事が出来るなら、 これはキッカケになる、 この岩を壊した時、 長年対立してきた心を捨て、 生まれ変わる……
その為に………
グッ!
握られた拳に想いを込める、 自分が受けた恩を思い出せ! 里から貰った物を思い出せっ、 この恩を少しでも返せない内は自分の先に未来は無いっ
この岩は、 もう既に、 日暮の前進、 その妨げだ、 ならば壊せっ、 破壊しろっ、 自身の歩みを妨げる障害を真っ向から吹き飛ばす為に……
っ
「ブレイング・ブラストっ!!」
この力は発現したのだからっ!
「っ、 ぶっ壊れろやぁああっ!!」
ッ! 接触っ! 膨大な空気圧をそのまま、 拳が岩へとぶつかるっ!
ガッ! ………………
押し込めっ!
グッ! ………ジャッ………
ボガジャアアアアアアアアアアンッ!!!! ……………
ゴォォォンッ……………………
………
っ
「いっ……… だぇあああっ!?」
まるで鐘を叩いた後の余韻の様な低い音が耳に残った、 それより先に、 燃えるような熱が腕を駆け巡り、 全身へと破裂するような勢いでぶつかった………
腕が、 ぶつけた拳から、 日暮の腕の方が負けた………
びじゃあああっ………
亀裂が入りねじれ飛んだ右腕…… 大丈夫だ、 傷は回復する、 変換のエネルギーも潤沢だ、 壊れた腕くらいならまた生やせる………
岩は……………………
たったっ……
近付く足音が聞こえた………
「はぁぁ……… やはりな、 無駄じゃ、 見えるか? 岩はビクともしていない、 欠片も欠けては居ない、 無駄なんじゃ……」
その声は先程よりもずっと深く沈んで居た、 諦めて居ても、 里長も少しは期待したのかもしれない、 自身の最強のゴーレムを一撃で粉砕する威力を……
しかし、 彼の前にあるのは不動の巨石、 その体表に傷のひとつも付きはして居ない、 きっと彼の心の中にも巨大な壁が有る、 乗り越える事の出来ない、 もう諦めるしかない………
……………………………………………
………ボロッ ………
…… コロンッ……………………………
……?
小石だ、 小石程度だったと思う、 本当に小さな、 笑ってしまう様な、 それ……
コロリと落ちた、 岩の表面から、 ベッタリと日暮の血がへばり付いた表面がほんの小さな一部剥がれて、 岩独自の色を覗かせている……
………………
あれ?
「……欠けた? ほんの少しだけだけど…………」
「……その様だな、 拳が衝突した位置がちょうど欠け落ちている、 岩の表面にも薄らと亀裂が走っているぞ、 今の一撃が確実にこの岩にダメージを刻んだ」
ジェードだ、 彼は傷を治す日暮と、 放心状態の里長の代わりに岩の表面を凝視した、 そして確実にブラフトが岩を削った事を告げる……
…………ははっ
「あははっ、 ははははっ、 あははははっ!!」
なんだよっ…… 思わず笑いが漏れる、 腕の痛ささえ忘れてしまう、 もう一度立ち上がる、 そして岩へと向かって歩き出す……
つまり……
「これ永遠と繰り返せばいつかはぶっ壊れるって事じゃねぇかぁ!! 頭使わなくて良いから超楽ちんだぜえっ!!」
グルングルンっ!
腕をぶん回す、 壊れた肩関節はもう既に治っている、 いつでも二発目は打てるっ……
「まっ、 待てっ! おい待てっ!」
里長が立ち上がり上擦った声を漏らしながら駆け寄る……
「これを繰り返すだって!? 正気かっ!? 欠けたのはこんな小さな小石だぞっ!? 巨石に比べたら虫の様なサイズの小石だぞっ!」
里長は欠けた石を指さして叫ぶ
「お前は傷が治るのはよく分かった、 だが腕が吹き飛ぶ痛みは感じて居るのだろ? 腕一本を犠牲にしてこの小石…… それを何回繰り返す積もりだ? 何度続ければそんな……」
その答えはもう既に出てる、 簡単だ……
「ぶっ壊れるまで、 正確に言うならもう一度水が湧き出るまで叩き壊すっ! 痛み程度で俺の歩みが止められるかよっ!」
グッ!
里長の声を置き去りにして、 日暮は一歩踏み込む、 この拳は握られて居る……
グッ!
「ブレイング・ブラストっ!! おらぁああっ!!」
ッ!
ボガァアアアアンッ!!!
ぐじゃあああっ!!
っ………
………また腕が吹き飛ぶ、 痛みが脳を刺す様に通り抜ける、 本当は悲鳴をあげる内側の弱さが…… それでも………
……ボロッ ……………
ボロボロボロッ…………… ボロンッ………
ひび割れた表面が連鎖する様に崩れて行く、 目の前で、 目に見えて壊れていく障害、 それを一撃毎に砕いていくこの高揚感っ
それに比べたらこの程度の痛み、 なんて事は無いっ!
「ふはっ! あはははっ! くっそ痛てぇっ!! でもっ! めちゃくちゃ崩れたぞっ!!」
笑う
その様を里長は呆然と見た、 不可能だと思った、 不壊の岩が例えその表面を崩したとしても、 その後ろに控える巨石を見れば、 崩れた物等本の小さな物
血を撒き散らし、 痛みに呻きながら、 それでも、 もう一歩踏み出す、 笑って頬を上気させる…… 無理だ、 自分には出来ない、 イカれて居る、 狂気だ……
それでも………
………壊せるかもしれない ……………
目の前の狂った若者ならば、 本当にいつか、 この巨石を穿ち壊すかもしれない…… 何故なら彼の目に映る景色は何時だって、 己の前に塞がる障害を打ち砕いた更にその先を見ているのだから……
「………イカれている」
のに、 気づけば何処か期待している事に気が付いた、 そんな自分もどうかしている……
「……ラーダの里長よ、 彼はネーヌの里の者では無い、 だが、 彼はネーヌに力を貸してくれている…… どうだろう? この巨石を彼が砕く、 これが最初の、 我々からのラーダに送る手助けと、 これから両里が手を取り合う証明にならないか?」
リーダーの男が里長へと声を掛ける、 顔を上げた里長は気が付けば頷いていた
「ああ、 そうだな……」
そうだ…… そうだろう? 両親の顔、 先だった妻の顔、 先に逝った者の顔、 自分が導いて来た里の過去や、 今、 未来を生きる者達の顔に問う……
「だが、 ただ見ているだけなんてごめんだ、 我々に出来る事をしたい…… まずはここに拠点を作ろう、 彼も休みが必要だろう……」
ッ、 ボガァアアンッ!!
再度拳が衝突して小石程の欠片が落ちる、 こちらに歩いて来たジェードが口を開いた
「日暮の回復はエネルギーを消費する物らしい、 あのナタが肉体等からエネルギーを喰い、 それを変換している…… 俺たち狩人は野生動物等を少しでも飼って日暮のエネルギーが底を尽きないよう備蓄しておこう」
それぞれが頷く、 揺れる巨石を見て……
「まずはワシは里の者たちを総動員してここに拠点を作る、 これは大仕事になるぞっ!」
里長が、 久しぶりに生き生きとしたら顔をする、 妙な力に操られ絶望し嘆いていた姿は見る影もない……
「……元々ラーダの里長はああいう性格と人なんだ、 罪は消えないが、 それは足を止める理由にはならない…… 行こう、 俺たちネーヌから来た者も手を貸す、 狩りの方はジェード、 お前が数人連れて行け」
ジェードはリーダーの言葉に頷く……
ッ、 ドガァアアアアンッ!!
ボロボロッ……
更にもう一撃、 舞う血しぶきと狂った笑い声、 確かに刻まれるダメージに大きく崩れた岩片、 その音を聴きながら各々が行動を始めた……………………
……………………………………
…………………
……
………ゴォオオオンッ! ……………………
ラーダの里が近くなってきた、 緊張が胸を締め付ける、 ネーヌの代表として、 巫女として、 里長代理として、 果たして自分は役目をまっとうできるだろうか……
先に赴いた男達は無事に話し合いをしているだろうか? まさか血を流しているなんて事は無いだろうか?
不安だ…………………
……………ボォオオオンッ! …………………
……………………
さっきから何だろう? 森の中まで響いてくる音、 数秒の間隔で聞こえてくる……
「……見えたぞ、 ラーダの里だ、 シャルルちゃん、 覚悟は出来てるかい?」
先導の男性が言って、 私の胸は更にキリキリと音を鳴らす、 彼の言う方を見ると、 木組みの壁に囲まれた、 生まれて初めて見るラーダの里……
そこには妙な静けさが漂っていた……
「門が空いている…… 取り敢えず覗いて見よう……」
そうして門の傍まで行き、 中を覗く、 人が居ないと思う程に中は鎮まりかえっていた………
「……なんだ? 門も開け放って居るし、 里の者は何処に行ったんだ? 先に来たもの達は何処に……」
妙な静けさが不安を更に増幅させる、 シャルルは早速もう嗚咽しそうな程に苦しかった……
だが、 そんな時……… 声がした
「あれ? おじさん達だれ?」
?
後ろから声がして振り向くと、 小さな子供だった、 たった一人だった……
「……君、 ラーダの子供かい? 大人達は何処に居るのかな? 私たちはネーヌの里から来たのだが、 仲間達が先に来ている筈なんだが……」
それを聞いて子供は笑顔を作る
「じゃあっ! 日暮の仲間だね!」
………日暮? その名前を聞いてシャルルの胸がドキリと跳ねた、 はっきりと残る昨晩の記憶が蘇って首を横に振る、 彼は会ったらどんな顔をするだろうか……
いや、 今はそれよりも……
「……日暮は何処にいるの?」
子供は指を指す……
「あっち、 待ってて、 拠点を作る道具を取ってきてくれって頼まれてて、 それを持ったら案内してあげる」
子供は静かな里の中へと入り家に駆け込むと何やら道具を手に持ってそそくさと出て来た
「付いてきて!」
小走りで急かす子供の後をシャルル達はついて行く、 その先に何があるのか、 緊張と不安、 そして不思議な事に、 彼の名前を聞いた途端に湧いた……
期待………
子供の背の後ろを負い暫く歩く……
……ッ、 ボガァアアアアンッ!!
あの音がどんどんと近づいてくる、 木々の間を抜けた先、 開けた広間が見えてくる、 子供が言うにはここはラーダの里の人達から潤泉の湧水と呼ばれる場所らしい
……見て驚いた、 拠点が築かれているからだ、 今もせっせとキャンプが作られて居る、 そこでは老人や女性、 子供達がせっせと働いている……
「……これは、 何をしているんだろう?」
シャルルの問いかけに答えず子供は一目散に走ると、 視界を無意識に奪う巨大な黒い岩の方へと向かって行く、 そこでは……
っ…………
子供達が何やら小石や砂利の様な物をホウキではいて片付けていた、 その傍で肩をグルグルと回して首を捻っている男の姿があった
差し出されたタオルは真っ赤に染まりながら、 傍に横たわる野生動物の死骸にに向けてナタを向ける、 何やら骨の様な物が伸びて、 彼はその後また拳を握った……
(……あれ、 日暮だ…… 何やってんだろう………)
グッ!
「ブレイング・ブラストォっ!!」
日暮が握った拳を、 叫ぶと共に岩へと殴り付けたっ
ッ、 ボガァアアアアアンッ!!
……この音、 森に響いてた…………
グジジャッ!! ベジャッ!! ……
「いっだぇあっ! あはははっ!」
っ!?
腕が吹き飛んだ…… 何をやっているんだ…… 意味が分からない、 言葉を失う、 血を撒き散らしながら、 何故……
(……笑ってるの?)
背筋に鳥肌が立った、 昨晩の事もあってか彼に対して自分は心に壁を作っている気がする、 そして今この姿は更にそれを決定的にするようで……
彼の知らなかった一面…… いや、 見ようとしなかった一面を見た、 生きている世界が根本的に違うと、 少しの寂しさ……
そして、 耳に届く……
ボロッ…… ボロボロボロッ……
ガララッ!! ………
崩れる瓦礫の音と、 子供達や、 周りの大人達の…… 歓声……
「おおおっ! すげぇっ! めちゃくちゃ崩れたっ! もうこんなに崩れたよっ!」
弾ける血しぶきの血なまぐささよりも、 崩れる岩破片の方が誰の目にも強く映っている様だ、 彼が殴り穿った巨石には、 大人一人が丸くなった程の大きさの穴が空いていた……
「掃除班! 足元の岩を片付けろっ!」
子供達がまたせっせと掃除を始める、 またタオルを受け取り顔を拭いた日暮が、 不意にこちらを見る、 シャルルはそんな日暮と目が合う………
ぁっ…………
シャルルは緊張していて言葉に詰まる、 どうしても昨晩の事が頭から消えてくれない、 昨晩の事ははっきりと記憶に残っている、 自分は彼に………
そんなシャルルに対して、 日暮は何も変わらない様な顔でこちらに手を振った
「お~い! シャルル~! こんな所で何やってんだよ~!」
っ……
その場に居る誰もがシャルル達を見た、 ようやく気が付いた様に、 シャルルは勇気を出すと一歩日暮へと踏み出した
「……日暮こそ、 こんな所で…… 血塗れで…… 一体何をやってるの?」
日暮は背後の巨石をバシバシ叩くと笑った
「この岩をぶっ壊すんだよ」
それは簡単な言葉だったけど、 理解不能だった、 何故? 疑問は深まるばかり、 それでも彼はまた拳を握る……
ああ…… 彼は、 やっぱりそうなんだ…… どんどん前に進めるんだ、 もう前に進み出してるんだ、 同じ所で躓いても、 私よりも先に進んでる、 立ち止まってはくれない、 共に歩んではくれない……
……でも、 だからこそ、 進む道が決定的に違うからこそ、 日暮には日暮の、 シャルルにはシャルルの進むべき道が有るのだと理解する
決して自分も、 立ち止まって居る訳じゃない、 何故なら自分は、 里の未来を背負って、 里を代表してここに来たじゃないか、 ならば、 責務を全うしろ
並べ、 肩を並べられないなら、 高さで、 距離で、 質で、 命で、 心で…… 並んでみせるっ
ザッ!
迷いや緊張は、 彼がまた巨石に振り返った時に消えた、 と同時に、 彼に背を向けた時、 明確な覚悟がシャルルへと宿った……
(……私には、 私の戦いが有るっ)
シャルルは周囲を見渡し一人の男を見つける、 周囲に指示を出す姿、 恐らくあれが……
「……ラーダの里長と話をします、 先ずは事情を聞いて、 その後、 私達も手伝いましょう」
……その後シャルルは里長と話をし、 ラーダの現状や、 事の顛末、 そして潤泉の湧水を再度甦らせる為に、 巨石を破壊すると言う日暮を手伝っている事を聞く
ネーヌの里を代表したシャルルの結論もまた両里の協力だった、 細かい事は抜きにしてまずは力を貸す事を約束する
シャルルにできる事と言えば専ら家事だった、 初めは女性達に加わり仕事をしようとして、 ネーヌの巫女であると知った里人から止められたが、 シャルルは自分に出来る事がそれくらいしかないと理解していたので強引に手伝った
シャルルは昔から家事をしていたし、 手先も器用だったので、 直ぐに馴染む、 力仕事をする者達の為に料理を作ったり、 洗濯をしたり、 出来ることは何でもした
定期的に岩を穿つあの音と、 奇妙な笑い声に耳が慣れてくる頃には、 その日はあっという間に日が暮れてしまった……
…………………………………
…………
男達が取ってきた獣を捌いて夕飯を作る、 食事や寝泊まりはさすがにラーダの里まで戻り行なう事としたが、 夕飯が完成する直前まで、 あの岩を打つ音は森に響いていた………
「……まあ、 夜はやらないにしても少しでも壊しておきたいし…… 今日のペースなら、 明日の夕方にはどうにかできるんじゃないかな~」
……との事、 一日中岩を殴り続けて血まみれになった男とは思えない程けろりとしている、 疲れはある様だがとても同じ人間とは思えない……
里の皆で鍋を囲んで夕飯を食べ、 宴のようには行かないけれど楽しい食事をした、 ラーダの里はすっかり自分達を歓迎してくれている、 これもまた日暮のおかげなのだろうか……
…………
すっかり月が登って、 子供も大人も眠りに着いた夜更け、 シャルルは瞳を開ける、 宛てがわれた小屋だった、 小屋と言っても眠るのに不便は無い
しかし、 やはり慣れない地だからか、 慣れない床だからか、 なかなか眠りに付けなかった、 小屋には自分一人
ネーヌの男達はキャンプ用にテントを持ってきているのでそこで眠っているが、 シャルルも同じと言う訳には行かない、 幸いラーダの里長は気前よく小屋を貸してくれた
また明日も朝食を食べたら仕事だ、 湧水の拠点に行き家事仕事にてんやわんや、 早く寝なくてはならないのに……
「……だめだ、 全然寝れない………」
はぁ……
シャルルはため息をついて立ち上がる、 外の空気を吸おう、 月を眺めて、 夜風に当たれば気分が落ち着いて眠れるかもしれない……
そう思って小屋を後にする、 見知らぬ地の見知らぬ夜、 このラーダの里は周囲の木を切り、 整地した上に有る、 里を覆う壁もその木材を使用した頑丈な作りだ
それ故によく空が見えるし、 大きな月がしっかりと里を照らしている…… 数歩歩いて目を瞑る、 森の運んでくる匂いを深呼吸、 この匂いは変わらない……
もう一度目を開けた時、 ふと、 影が動いたように見えて、 男達のテントが乱立する傍に人影が見えた、 どうやらその人影も眠れないのか夜風に当たるらしい……
あれは……………
「……日暮?」
月明かりに照らされた輪郭が確かに知る人物だと思って、 一瞬だけ迷って、 彼の背を追いかけた……
暫くすると彼に追いついた、 彼は月を見上げて立っていた、 夜空を見上げて、 止まったように立っていた………
彼に向かって歩く、 緊張した足どりが立てる足音に彼は気が付いて、 夜空の月から、 シャルルへと視線を切り替えた
彼の目には少しの驚き……
「……こんな夜中にどうした? 眠れねぇのか? わかる、 寝床が硬ぇんだよな、 この世界のキャンプってエアマットすら最低限の装備として無いの? ……まあ良いけど……」
彼の言っている事はよく分からないが、 彼があからさまにこちらを警戒したり、 嫌な態度を取らない事を見て少し安心した、 昨晩のせいで彼に嫌われたと思ったからだ……
「ふふっ、 そう…… 私も眠れないの、 なんか色々考えちゃって…… 夜風に当たれば、 悩みも不安も、 ぜーんぶ…… 吹き飛ばしてくれるかもって、 思ったの……」
「……ああ、 そゆ時あるよね」
………………
彼の答えは短かった、 決して彼は自分を否定したり拒絶しないし、 定として肯定の形をとるが、 どうも彼の本心は判然としないし、 彼からは自分の悩みなどどうでも良さそうに思えた……
その証明の様に、 最初にこちらを振り返った以来、 依然として彼はまた空を見上げた、 なんか少し、 モヤモヤする……
「……そんなに見上げて、 珍しい物でも無いでしょ? 夜空なんて毎晩見れるのに……」
でもその質問は彼にとって無意味な物だと思った、 何故なら彼が見上げるこの夜空は、 月も、 星々も、 空の色も、 夜風も、 彼の知る物ではないのだから……
「なんかさ、 夜空を見上げてると、 吸い込まれそうにならない? ふわふわ浮いて感じて…… この得体の知れないデカさ、 純粋な美しさ、 静けさ…… 魅力的だよな夜って」
「……そうだね、 夜って不思議だよね、 暗くて怖いし、 静かすぎて不気味だし…… 昨晩みたいなことだって…… あるしね?」
ダメだ、 やっぱり我慢出来なかった、 きっと彼は触れないようにしてくれていたのに、 私がそれに耐えられなかった、 結局口を付いて出てきてしまった……
……彼は嫌な顔をするだろうか?
「……まぁ、 なんか憑き物のせいだろ? あんま気にすんなよ」
………おい、 それで終わらせるつもりだろうか? ダメだ、 許せない、 許すなら甘やかして欲しい、 軽蔑するなら徹底的に冷たく突き放して欲しい
中途半端が一番モヤモヤと傷つく、 曖昧なままにして欲しくない……… シャルルは震える唇を噛んだ……
「……でも、 あれはきっと私の本心かもよ? 日暮は私の弱さを否定して私を鼓舞してくれたけど、 弱い私が欲しかったのは、 甘やかしだったのかもしれない……」
逃がさない、 強引に昨晩の話をする、 しつこくすれば彼の化けの皮が剥がれて本性を見せる、 彼の本心は何だ?
………あれ? 何でそんな事知りたいんだ?
彼の顔に動揺は少しも見えなかった、 澄んだ顔で夜空を見つめる、 曇りは無い、 今晩の夜空の様に、 その顔を見れば分かる
彼は、 本当に気にしてない…… 昨晩の出来事は、 少しも彼の心を揺さぶっていないのだ、 シャルルからしたら………
っ
「ねぇっ…… 日暮さ…… 昨晩、 見たでしょ? その…… 私の……」
ダメだっ、 顔が真っ赤で熱い、 勢いで聞いてやろうと思ったのに、 途中からやっぱり恥ずかしくて中途半端になってしまった………
暗闇だから顔は見えてない筈だ、 でも言ってみる物だ、 その話に触れた時、 ようやく反応した彼はこちらを見た、 その目も、 顔も、 月明かりの逆光でよく見えない………
何を言いたいのか伝わった筈だ、 ならば彼はどんな反応をする? 彼はどう思った? 彼の本心は何だ?
彼は…………………
……………
「ぷっ、 ふはっ、 あははははっ!」
……………?
一瞬よく分からなかった、 彼はお腹を抱えて笑った、 何だ? 何の話しか分からなかったか? それにしたってお腹を抱えて笑うような内容等無い筈……
「ちょっ、 何笑ってるの? 私真剣なのっ! 巫女の掟で、 裸を見られたらその人と結婚しなきゃいけないのっ! 真面目に答えてよっ! 見たでしょっ!」
もう沸騰した様な顔だろう、 湯気がしゅーしゅーと頭から吹き出している、 恥ずかしさで死にそうだ、 でも、 それでも大切な事何だ、 小さい頃から毎日かかしてきた祈りだって、 この巫女の仕事は自分にとっての大切な…………
それを彼は………
「はははっ、 ひひっ、 ああっ、 ああ見た見た、 見たよ」
これである、 そして、 極め付きは………
「なんか貧相な体つきだったな、 凹凸のねぇまな板で、 骨も浮き出てたし、 肌も病弱そうに真っ青だし、 骨と皮しかねぇ痩せ細ったコウモリみたいだったな確か」
………………
なっ…… なっ……… なっ………………………
何を…… 言われた? え?…………
だっ………
「っ、 誰の体が貧相だって!? ちょっと言い過ぎ…… と言うかっ! 全然そんなんじゃ無いでしょっ! えっ、 いきなりなんなのっ!?」
あんまりだと思った、 言い過ぎだろう、 焦るシャルルの言葉に、 日暮は更に吹き出す様に笑う、 有り得ない、 めちゃくちゃ恥ずかしい、 いやそれを超えて怒りすら湧いてくる
だいたい…………
「私のっ! 私の体そんなに貧相じゃ無いでしょっ! 服の上からだって分かる筈だしっ! 肌は確かに青白いかもだけど、 病弱じゃないしっ、 それにっ…… 胸だってありますけど………」
弁明が恥ずかし過ぎて最後の方は萎んで行くみたいに小さな声になってしまった、 本当に何故彼はこんな事を言うんだ……
しかし、 シャルルも引くに引けなくなった、 必死の弁明もまた、 彼の吹き出す様な笑いが耳に届いた時、 完全に頭に血が登った
「ぅぅっ! もうっ! 私が寝てる小屋まで来てっ! 日暮の勘違いだって証明するっ! もう一回見てもらうからっ! 違ったら謝ってもらうしっ!」
ぁぁもうっ、 何を言ってるんだ…… でも、 止められない………
「さあ早くっ! もう一回見てっ! 全然違うからっ! ああっ、 何でそんな勘違いするかなぁっ、 それ絶対別の人だからっ!」
はぁ…… はぁ……
一息の内に捲し立てて、 何だか疲れてしまった、 それと同時に自分が何を言ったのか理解して更に顔が熱くなる
シャルルの言葉に日暮は…………
ふっ………
また笑った、 でもそれは、 さっきまでとは違って、 酷く乾いていた、 彼の視線はまた天上の星々に向いている……
「……そうかもな」
………………? 何が?
急に冷めた様な彼の反応に二の足を踏む感覚、 意味不明な程の落差に首を傾げると、 夜風が通り抜け、 数拍後に彼は夜空を見ながら口を開いた……
「そうだったかもしれない…… シャルルじゃない、 全然別の誰かだったかもしれないな…… 俺の記憶にあるコウモリ人間がシャルルじゃ無いなら、 俺は知らないよ、 多分見てないと思う」
………………え?
「出会いの泉もほとんど意識無かったし、 昨晩も酒に酔って気持ち悪かったから殆ど目を瞑ってたしな…… 見えてないから、 掟にも引っかからねぇよ…… だからあんま気にすんな」
ザッ
そう言うと彼は身を翻した
「眠くなったから寝る」
彼はこちらが何かを言う前にふらふらとキャンプの方へと歩いて行ってしまった、 呆気ない程の別れ、 ああ、 きっと彼が里を出ていく時もこんな感じなんだろうな………
……ああ、 そうか、 自分は少し寂しいんだ、 きっと彼があの岩を破壊すれば、 ネーヌとラーダの関係は解消され、 先祖達の遺恨を消し去る
二つの里が協力したらきっと、 互いに今よりずっと豊かで良い暮らしになっていくだろうと分かる、 でも、 その時、 彼はもう居ないのだ……
シャルルも足を小屋へと向ける、 何だか疲れた、 興奮し暑くなった体を夜風が冷まし気持ちが良い、 きっとよく眠れるだろうと思う………
床に付いて、 すんなりと落ちる瞼を重たくあげて、 知らない天上に満ちる闇を見つめて思う……
「……はぁ、 きっと日暮は私達の間には何の柵も無いって言いたいんだと思う…… けど、 それって、 掟による結婚の話を無しにしても、 凄く寂しいよ」
きっと彼からしたら、 この里にて出逢った数日の日々や、 その中にある出来事は偶然の産物で、 彼の旅の、 歩みの中にある景色や匂い、 色に過ぎない、 過ぎてしまえば忘れてしまうような……
でもシャルルからすれば違うのだ、 日暮との出会いはドタバタで、 とんでも無かったけど、 彼との出会いや日々はこれまでのどんなそれとも違った
ドキドキしたのだ………
「……日暮からしたら違うんだろうけど…… ぁぁもうっ、 思い出したらムカついてきたっ! 誰がまな板だよもうっ! はぁ…………」
ほらやっぱり、 彼に言われた言葉や一緒に見た景色が目を瞑れば浮かんで来る様になってしまった、 もしかしたら、 巫女の掟無しに、 自分は日暮の事を……
それでも彼は里には残らない……
「………私、 必死に彼を引き留めようとしてたのかも…… そんな事しても虚しいだけなのに……… もう寝よう」
彼は止まらない、 いや、 彼が前進を諦め止まる様を、 シャルル自身見たくない、 今では心の底でそんな風に思う自分が居るのだ………
はぁ……
もう一度溜息を付いて固く目を瞑ると、 押し留めていた眠気が一気に襲いかかって来て、 シャルルはあっという間にその意識が夢の中へと落ちていった……