第百六十話…… 『天閣の祝詞、 後日談・19 夢にまで見た異世界転移《五》』
はぁ……
「……日暮、 やっぱり帰っちゃうんだなぁ、 私達の出会いは、 もしかしたら、 『物語』のシナリオに描かれた物だと思ったのに……」
出会いはこの里の巫女しか入る事の出来ない泉、 彼とは、 いつもと変わらない朝に出会ったのだ、 ちょっと出会いは奇抜な物だったが
それでも彼は特別だと思った、 勇者様の来た世界と同じ所から来たと言うし、 『物語』の神、 理夕様がこの里に描いた未来のシナリオ、 その使者だと思った
だから、 彼が困っていたら助けたし、 苦しんで居たら癒そうと思った、彼の全てを信じて、 無意識に、 この里の未来、 私の未来を託そうとしていた
でも、 彼は今日、 急に冷たくなって、 正直寂しくて、 悲しくて…… それでも彼は私の事を思ってそうしてくれたのだ、 彼はこの里に残らない、 それが心に決まっていたので、 余計な期待をしない様に釘を刺してくれた
それはきっと特別な事では無いけど、 里長の家に生まれ、 幼くして巫女となった彼女には、 誰かが同じ目線で心を共有してくれる事は新鮮だった
確かにシャルルは彼の事をちっとも知らなかった、 特別では無い『友達』になる為に、 向き合ってくれたのだ……
この出会いの別れは早い、 直ぐに彼は居なくなってしまう、 仲良くなる事は逆に辛くなるかも知れない、 でも、 再会を期待する様な仲……
シャルルの中に、 特別では無い、 それでも有り触れた『特別』、 二人だけの心の繋がり、 それを感じる……
だからこそ、 今は、 全く別の、 それでも同じ気持ちを抱く……
「寂しいな…… 不思議だな、 出会ってまだ少ししか経って居ないのに…… ずっと一緒に居られたら良いのに……」
それは叶わないと分かっている、 これは全うな、 別れを惜しむ気持ち、 健全な寂しさ、 決して、 誰にも邪魔されない秋風の様な心の気配………
シャルルは一人、 家に向かう丘を登っていた、 もう何度も登った道だ、 勝手を知り尽くした、 家に帰れば里長、 祖母が待っている
もうすぐ日が完全に落ちる、 暗くなったら日暮は帰って来れるだろうか? 家にある物で夕飯を作ろう、 さて何を作ろうか? それでも彼は夕飯を帰ってきて食べるだろうか?
ふふっ……
誰かの為に何かをしてあげるのが好きなのは、 何も演技じゃない、 彼女の心の底からの優しさ、 母親譲りの人に尽くす心、 それに対する喜び……
「……今夜はきっと、 綺麗な月が登るだろうな……」
そうして彼女は、 更に上り、 家が見え始めた、 さあ、 何を作ろう、 折角なら彼の知らない料理が良い、 好き嫌いは有るだろうか、 あぁ……
「もっと知りたよ…… 日暮、 貴方の事がもっと知りたい…… 居なくなって欲しく無いな………」
誰にも邪魔される事の無い寂しさ………
…………………
「………だったら、 その気持ちを素直に伝えた方が良い、 話せば、 きっとその彼も理解してくれる」
…………?
すぐ隣の、 林の中から声がした、 シャルルはそちらを振り返ると一瞬だけ人影が揺れた様に見え……
ザッ……
消えた、 そう思った途端、 今度は背後から、 そして誰かの手が肩に置かれた感覚を知覚する……
「哀れな『物語』の巫女さん、 私は友人の仇を探して居てね、 きっと君の言う彼だと思うから…… 君には彼を今夜、 家の外に出さないで欲しい、 簡単な事さ」
っ………
何かが、 触れられた肩から何かが体へと入る様な感覚がする、 例えるなら糖度の高い蜜酒、 頬が上気し、 頭がクラクラとする
彼の事が、 頭に浮かんで、 浮かんで消えてくれない、 彼への想いが爆発しそうな程に膨れ上がる……
「……さぁ、 もう行って良いよ、 愛しの彼と、 良い夜を………」
……………………
頭がぼーっとする、 クラクラする、 何だっけ、 私は何をするんだっけ…… そうだ、 夕飯、 彼は喜んでくれるかな……
彼…………………
あぁ、 あああっ………………
「行って欲しくない……… やだっ、 行って欲しくないっ…… なんとしてでも、 引き止めなきゃ………」
………………
坂を上り遠ざかって行く背中を見て男が笑う……
「ははっ、 さて、 『悪計』の大詰めかな、 まあこれで彼が作戦を邪魔しないとは言いきれ無いけど、 『愛落』の力が彼女に力を与えた、 死んでも引き止めるでしょ」
男は手の中に石の様な物を握っている、 怪しく光るそれを懐に仕舞う……
「獄路挽の仇討ちはまたの機会に、 取り敢えず今夜は、 この里を壊滅させる…… その邪魔はして欲しく無いんだよね、 余所者君……」
ふっ……
日が落ちると共に男は紛れる様に消えた、 誰も知らない、 里の周りを、 いるはずの無い岩人形の姿、 その数数十が囲って居る事を………………
……………………………………………
……………………
……
結果から言おう、 商人の旦那から街までの情報は聞き出せた、 やはり二月は掛かるだろうと言う、 方法は村や町を馬車で乗り継いだり、 歩いたりする必要があるらしい
ある程度の予算が必要になるとも言われた、 彼自身はこの森を抜けた宿場町まで良く行くという、 宿場町は目的の大きな街までで言えば百分の一程の位置で、 しかし多くの地点からの交流の要所として栄えている為良くそこで商売をすると言う
その宿場町までなら送って行ってくれるそうだ、 予定では五日後に宿場町へ向かう予定が有るらしい、 そこに同乗させて貰える、 五日後が旅の始まりだ
予算についてだが、 上手いやり方を考えて今度教えてくれると言う…… 凄くいい人達だ、 直ぐに酒場の人達とは友達になった、 酒好きで、 酒を飲む奴は皆友達と言っていた理由が良くわかる………
しかし、 日暮にとって、 それこそが最もの困難であった、 日暮は成人しているが酒を飲まない、 酒を飲むと直ぐに赤くなってクラクラするし、 本当に飲めない日はコップの半分で吐きそうになった
酒を飲む前、 話し掛けても日暮を見る目は冷たかった、 余所者を睨む男達の目、 そのまま帰ろうかとすら思った、 だが誰のでもない、 自分の未来の為だ
日暮は銀貨でカウンターを叩くと、 小声で一番アルコールの弱い酒を頼んだ、 注がれた琥珀色の噎せる様な匂いの酒を高々と掲げると、 日暮は大きく喉を鳴らして飲み干した
この時点で日暮はもう赤かったが、 まだ今日は調子がいいらしい、 吐き気は薄かった、 酒を一気飲みすると、 おかわりを注文し、 もう一度話を聞いたのだ……
すると男達は笑い、 日暮の肩を叩いて受け入れた、 椅子を開け叩く、 座ると気さくな男達に絡まれ、 先程漸く商人の旦那から話を聞けたのだ………
…………
「ったく、 どんな奴かと思っていたらっ、 何だよおもしれぇ若者じゃねぇかっ! 聞いたぜ? ジェードを一発殴ったんだろ? あの若造は生意気の癖にこの里で一番速ぇ、 それをぶん殴ったなら大したもんだ!」
話はすっかり、 昨日のジェードとの喧嘩の話になっていた、 ジェードも偶に飲みに来るらしいが今日は居ない、 居たら多分険悪を通り越してまた喧嘩してるだろう……
「.…何で喧嘩になったんだァ? もしかして…… シャルルちゃんの取り合いかぁ? はははっ、 ジェードはうかうかしてたら長の道を失うぜ~」
「ははっ、 でもジェードに里長は無理だろぉ? ……でも、 余所者もダメだな~ 仕方ねぇ、 里一番の頭脳を持つ俺の息子、 テサを婿に向かわせるかっ~」
一人の男が冗談めかして言うと、 周囲の男達は待ってましたと言わんばかりに大笑いを上げ、 手を叩いて割り込んだ……
「ぶはははっ! テサ君まだ生まれだばかりでちゅよね~ 何年待たせるつもりだバーカッ!」
あぁんっ!
「誰が馬鹿だぁああっ!? おい言ったやつ表出ろやぁあっ!!」
ギャギャー ワーワーッ!! ……………………
………キーン ガンガン……………
「……あれ? 兄ちゃん何か顔色悪くね? すげー真っ赤だと思ったら、 今度は真っ青だけど…… もしかして気分悪い?」
心配された、 実際に日暮はこの時既に体調を崩していた、 吐き気が込み上げてきて背筋が冷える
(……あのババア、 何が一番度数の低い酒だよっ、 一口飲んだだけで強いっ分かるぞクソっ……)
ぁぁ…………
「さっ、 寒い…………」
「おいおい、 酒飲んで寒いのは結構まずいぜ、 少ししか話せてねぇが仕方ねぇ、 もう帰りな、 シャルルちゃんにヤームでも作ってもらうんだな~」
ぁぁ…… あれか、 シチューみたいな奴か……
日暮は見送られ立ち去ろうとすると、 奥から酒場の奥さん、 ルーズさんが出てきて日暮を引き止める、 その手には数枚の銅貨が握られていた
「待った待った、 お釣りだよ、 あんな安酒たったの二杯飲んだ位じゃ、 銀貨一枚なんてとても行かないから、 情けない男だけど、 また飲みに来なよっ」
日暮は口に手を当てながら振り向きざまに頭を下げると、 釣りを受け取って酒場を後にした…………
………………………
辺りはすっかり暗くなっている、 登り始めた月は丸く、 知らない世界の知らない月は、 それでも凄く綺麗だった
夜風に当たると少しは良くなる、 燃えるように熱く汗をかいた背が更に冷え、 気分が良いとは言えない、 今にも吐きそうだ……
でも、 以前経験が有る、 会社の飲み会の時だ、 あの時も一時吐きそうになってトイレに籠ったが、 結局吐かないままうずくまって耐えていたら、 十分もすると大分良くなったのだ
どんな吐き気にも黙って耐えろ、 男なら…… もう二度と、 ゲロ吐きの介抱だけは受けてはならないっ!
はぁ…… はぁ…… ガラッ………
長い長い、 永遠にも感じる様な丘を登り、 見えてきた里長の家、 まるで実家のような感覚で戸を開けると、 樽に貯められた水を掬い飲む……
ゴクリ……… はぁ………………
適応力、 もう慣れた他人の家をズガズカと進む、 リビングには誰も居なく暗かった、 もうシャルルも里長も寝てしまったのだろうか?
早ぇ………
(……寝よう、 俺も、 寝れるか?)
なんにせよ部屋の戸を引き中へ入ると、 すぐに倒れ込む様に床敷きの厚めの布の上に転がる、 胃が転がる………
ぅぉぇっ…………
慌てて口に手を当て、 もぞもぞと起きると蹲り、 気持ち悪さに精一杯反する様に無を意識する、 深呼吸を繰り返し、 意識を深く鎮める、 気が付いたら眠ってて、 目が覚めたら朝で、 体調に違和感が無い、 健全に飯を食う想像をする……
……ダメだ、 この感覚は、 つい最近泉の水を飲んで同じ嘔吐きを経験しているからこそ分かる、 これは、 まずい………
(……眠れっ、 眠って回復するんだっ!)
……………………
カラン カラン……
月明かりが差す、 細く空いた窓から入った夜風が、 石や貝殻を紐で繋げた簾の様な物を揺らす、 音が静かに揺れて……
どれくらいか、 中々気持ち悪さが解消されず、 蹲ること暫く、 深呼吸を一定に整え、 自分の深い息の音が耳の中に木霊していた………
……不意に、 空気が動いて、 静かな足跡を耳が補足する、 耳元で…… すぐ側まで近ずいて初めて気が付いた……
コトリ……
木製の桶、 数日前も見た、 蹲った低い視線から桶が目の前に置かれたのが分かった、 視覚外から手が伸びて、 力の抜けた日暮の頭を支え、 顔下に桶が差し込まれる
不思議だったのは、 本当に力が抜けてしまった事だ、 気持ちの悪さ故に力が入らなかったのとは別に、 触れられたと思った瞬間、 筋肉が緩み脱力する、 その瞬間喉が開いて本当に吐く所だった……
しかし、 今度はその手が背に伸びる、 肩甲骨の間から背骨をコトコトと順番に撫で下ろしていく、 それは介抱の手としてとても上手だった、 一気に吐き気が込み上げてくる……
(………っ、 吐きたくねぇっ!!)
腹に力を込める、 目元が痙攣する程に、 全身の筋肉に意識をして力を込める、 知ってる、 これは数日前にも同じ行為を受けたし、 この家に居るのは……
日暮が横目で手の伸びる方を睨み見上げる、 やはり、 月明かりを受けた彼女の髪がきらきらと反射する、 シャルル……
彼女が笑う、 その声は温かかった……
「……大丈夫だよ、 大丈夫…… 日暮、 大丈夫だから、 力を抜いて、 吐いて楽になろう?」
優しさ…… だろうか? 人に弱った所を見せるのは怖い、 それも自分が腹の内をひっくり返す様を傍で見られるのは、 この間、 彼女自身にそれをやられ、 言い様のない忌避感が記憶にこべりついている、 何がなんでも人前で吐きたくない……
「……っ、 いぃ…… から…… やっ、 やめろ…… 背中っ、 触んなっ……」
ふふっ……
「大丈夫だから…… ね? 警戒しないで? お酒を飲みすぎちゃったんだよね? 分かるな~ お母さんも昔よく、 お父さんにこうやってたって、 里長から聞いたな~」
さす…… さす……
っ………
「しっ、 知らねぇよっ! んな話……」
パチンッ! ……………
日暮は何とか伸ばした手でシャルルの手を弾き、 込み上げる吐き気を何とか飲み込みながら床を転がる様に一回転、 距離を取る
悪いとは思うけど、 なんか気に入らない、 笑顔も声も、 受け入れ、 与えるだけの彼女は今日、 突き放して、 彼女も少しは変わったとそう思った、 のに……
睨み上げたシャルルは、 弾かれた手を摩りながら、 それでもその笑顔を崩さなかった……
「いたた…… 酷いよ日暮、 警戒してるの? 大丈夫だって言ってるでしょ? 日暮は大丈夫だから、 全部私に任せて…… ね?」
ね? じゃねぇっ!
「……たま、 頭イカれてんのかっ、 はぁ…… 俺は人前で吐くのも嫌なんだよっ、 分かるだろっ! ぅっ…… はぁ…… 昼間はそう言うのを否定したんだよっ、 分かったら部屋に帰ってくれ」
まあ、 酷いとは思った、 こんなに強く当たる必要は無いと心が痛む、 それでも、 日の落ちる下で、 彼女が見せた顔は、 自分の力で初めて踏み出す、 前進を感じた………
なのに…… そう、 これは憤りだ
「……っ、 何で捨てたっ、 何で踏み出した一歩を後に戻ったっ、 何で俺はお前に、 俺の事を教えたのにっ、 お前は忘れた様にっ! 何でっ…… ぅぇ」
人を理解出来ないから必要以上に距離を取る日暮と、 人を理解出来ないのに怖いくらいに踏み込むシャルル、 二人は真逆の様で、 どこか似ていた
それでも今日話しをして、 隠し、 自分の事を人に話したがらない日暮がシャルルに自分の話をして歩み寄り、 踏み込み過ぎたシャルルは一退いた、 丁度いい距離に、 友達の距離感に……
その全てを否定された様な気分だ、 あの笑いに、 あの声に、 ふざけんなよっ!!
怒りが血液を沸騰させる程に熱くなり、 血中アルコールが煮沸されて飛んでいく…… そんな事は無いが、 いつだって怒りは心を、 思考を透明に、 真っ直ぐに直していく
すると、 見えていなかった物が徐々に見え、 それが見えた時思考の回転が変転する、 気づきの起こりは何時だって小さく、 それでも、 それに気づいた時、 頭の中で何かが弾ける………
パチッ! ……………
………?
(………あれ? 何だ、 月明かりが、 当たった時だけ、 ぼんやりと何か…… 紫の…… 光?)
夜風が簾を揺らす時、 細い窓の隙間から差す月明かりが彼女に当たる、 この位置だからこそ気が付いた、 ぼんやりと、 淡い紫の光の膜の様な物が彼女を覆っている……………
(……何だ、 まじで、 この、 冷たい嫌な感覚は………)
…………
「……どうしたの? 凄くジロジロと私の顔を見て…… はぁ…… それに凄く勝手な事を言うよね日暮も…… 人の気も知らないで、 昼間あんなに焦らして…… 一方的に突き放して…… あんなの、 結局押し付けだよ……」
……あ?
「日暮は里を出て、 街を目指して、 冒険者になって…… でも私は行って欲しくない、 一緒に傍で未来を見ていて欲しい……」
「二人の意思が相反して、 結局押しの強い日暮が自分の意思を押し付けただけ…… 勝手に満足して、 私の未来は何も変わらないままっ……… 嫌だよ」
だから…………
ザッ……
尚も蹲る日暮、 やっぱりそうだ、 大分時間が経って、 アルコールによる気分の悪さは薄らいで来た筈なのに、 落ち着いて物を考えられる様になったからこそ気が付く……
(……さっき背を触れられた時の感覚…… そこから目が回った様に酩酊する、 乗り物酔いみたいだっ)
三半規管の狂いに似ている、 ここまで来たら理解出来る、 何かをされた、 触れられた途端、 自分は何かをされた……
この恐ろしい程に力が抜けていく感じはやはりそう、 そして、 そんな日暮に向けてシャルルは立ち上がる、 夜風が強くなり、 カラカラと簾が巻き上がる
潤沢に差し込んだ月明かりが彼女を照らす、 怪しい紫光が温い吐息の様な温度の風と共に肌を撫でる
すらっ………
衣が擦れる、 スルスルと落ちていく、 シャルルの病的な白さの肌に月光が照り返す、 熱を持って凹凸が赤みを携える、 衣は床に落ち、 彼女は簡単に、 一糸纏わぬ姿へと、 素肌を晒す……
「……ふふっ、 ふはっ…… 少し恥ずかしいな…… ねぇ、 知ってる? この里の、 巫女の掟…… 巫女はね、 人に素裸を見られては行けないの、 特に異性には……」
「巫女が素裸を見られていい異性は生涯に一人だけ、 それは自分の夫となる者だけ…… これがどういう意味か分かる? 初めてじゃないよ、 日暮は覚えてる? 私達の出会い……」
何気ない朝の、 涼しい風、 冷たい泉の温度、 巫女以外立ち入れない禁域、 葉を揺らす足音、 そして、 二人の出会い……
「見てるよね? あの時、 私の素裸を…… それはつまり、 日暮が最初で最後の、 そして、 私の夫になる男だと言うことだよ、 だって……」
これは……
「『運命』だから…… 『物語』に描かれたシナリオ、 日暮は神様が、 この里に描いた未来、 そのシナリオに記された使者、 『運命』の導きで、 私の元に現れた、 共に未来を紡いでいく…… その男なんだから……」
たっ…… たっ……
素足が熱を持った足音を刻む、 一歩、 一歩日暮へと近づく、 夕日の下で初めて退いた一歩、 それが彼女の前進だったのなら、 その前進を否定する足取りが容易に、 距離を詰めてくる
ふわっ……
甘い香りがすぐ側でして、 日暮のすぐ側に彼女が膝を着いて座ったのだと分かった、 彼女の両手が伸びる、 それはまるで口だった、 大きく口を開けた鰐の鰓……
大穴、 暗い、 ただ暗い、 底の見えない大穴だ、 夕方にも言った様に、 人を何も知らないまま、 それでも全てを受け入れるそれは、 万物を飲み込む大口、 しかしそれでいて中身は無く、 有るのは闇と広い虚空ばかり
そこに一度落ちれば、 全ては決め付け、 彼女の尺度で、 解釈で、 形作られて行く、 受け入れ、 迷い込んだ中で、 人は知らない内に形を輪変していく……
伸ばされた手は……………
それでも……
………ぴたっ ………………止まる…………
「……何のまねかな? ねぇ、 日暮…… 近ずいて初めて気が付いた…… ずっと目を閉じてるんだね、 私が脱いだ時かな? ……おかしいな ……『愛落』の力が、 重力の様に、 日暮の体を縛り付けて離さない筈なのに………」
………『愛落』の力?
「……重い愛は毒と同じ、 セセラーヌの花の様に、 蔦の様に貴方を縛って、 私が貴方を生かしてあげる…… ふふっ、 そうして、 だんだん私無しでは生きられなくなる…… 貴方が私を支えてくれたら、 私が綺麗に開花する…… 助け合いの輪廻、 素敵でしょ?」
……意識を集中してみれば、 やはり痺れた様に体が動かない、 体が急激に重くなる感じは、 言われて見ればセセラーヌの毒の様だ、 蝕まれて行く……
「……良いよ、 必死に抵抗しても、 夜はまだまだ長いもの…… 少しずつ、 少しずつ…… 落ちていく…… 愛の沼に落ちていく……」
絡め取られ、 藻掻けば藻掻く程、 ズブズブと、 抵抗しても逃げられない、 すると人は、 いつしか疲れて諦める…… 肉体の緊張が解け、 心が解け緩み…… 染み込む様に染まっていく……
「……私の色に、 段々貴方は染まっていく…… 目を閉じて必死に見ない様にしても同じ…… 匂いも、 音も、 手触りも、 味も…… 全部味合わせてあげるから……」
「……ふふっ、 いっその事目を潰してあげようか? きっと貴方は後悔する、 もう二度と私を見れない事を…… もっと私を感じたいと懇願する…… そんな貴方を私は受け入れる…… 私達は、 運命共同体.… 貴方と私は……」
ふふふっ……
「……ふぅ、 想像して? 貴方と私が混ざりあって、 絡み合って、 ひとつに成る…… 吐息が、 二人の熱が、 一つに成って行く…… 段々と、 気持ち良く成って行く……」
ああ、 それは…… 甘美で、 腹の底から手を伸ばし、 触れたいと願う欲求が、 心を焦がし、 手に入れたいと、 歓声をあげる心深が………
それに気が付いて、 理解する…………
……………………これは ……………………
…………………
(…………………攻撃だ)
それは、 確かに日暮の内から湧いて来た、 確かにくっきりと、 それが自分の抱いた心なのだと言われれば否定する材料は持っていないのかも知れない……
だが、 明確だからこそ、 確かに感じているからこそ、 しっかりと思う事があった、 容易に否定する……
思わない…… そんな事は思わない、 そんな事を思う自分が居るならば、 それを否定して殺す、 それは、 弱来の精神が齎す思考……
要らない感情だ………………
……………
「……さぁ、 日暮、 大丈夫だから、 ね? 私は受け入れるから、 私を受け入れて? さぁ……」
伸ばされた手を…………
……バシッ!
掴むっ、 止める様に、 乱雑に手首を掴んで止める、 力が籠る、 グググと、 骨から音が鳴る……
「………痛いよ、 凄く…… でも良いっ、 日暮の方からこの手を取ってくれるなんて嬉しい…… この痛みも、 私は受け入れる………」
……しかし、 違うと直ぐに分かった、 逸らす馬鹿りじゃ逃げてるだけだ、 掟だろうが『運命』だろうが、 『物語』のシナリオだろうが、 そんなものは、 日暮には関係がない
そう気がついて、 目を開ける………
ッ、 ギラッ!
「っ……… あれ…… 何か、 凄く怖い目だよ…… 睨まないでよ…… って言うかおかしいな…… 『愛落』の重力が効いて無いの? ……いたっ、 手が痛いって……」
はぁ……………………
日暮からでたのは深い、 深い溜息だった、 一糸纏わぬ素裸だろうが、 それが巫女の掟だろうが、 そんな事は、 日暮の前進を止める理由にかすりもしない
……腹が立って仕方無い、 分かるんだよ…
っ
「……てめぇ誰だよっ、 シャルルの体で、 シャルル口で、 声でっ、 汚ねえ音を出すんじゃねぇっ!」
彼女は少し驚いた顔をして、 一歩だけ退く、 その鋭い目が見るのは、 もっと深い内側、 見透かされて居ると思ってしまった……
「……ははっ、 何が? ねぇ、 日暮…… 痛いってば、 ねぇっ、 本当に骨折れちゃっ……」
ミシッ!
っ……………
「黙れって言ってんだよっ、 馬鹿にするのも大概にしろっ! 俺の友人をっ! あいつはっ、 シャルルはっ!」
許せない……
「弱くねぇんだよっ! 今までだってずっとっ、 孤独でも弱音吐かねぇで耐えてきたっ! 演技でも何でもないっ、 纏わり着く様な汚ねえ温さじゃないっ! アイツの優しさは本当のっ、 人間の想いっ、 心だっ!」
馬鹿にされている、 彼女は弱い部分も有る、 でも強い部分も有る、 誰だって同じ、 これこそが人だ、 人間の心だ
知り合って間もないけど、 なんにも知らないけど、 それでも分かる、 逃げずに、 ひたむきに現実と向き合って来たシャルルの心の強さは本物だ、 日暮には相容れなかったけど、 尊敬出来るような、 日暮には持ちえない角度の強さだ
怖くても、 未来にだって覚悟を決めてた、 不安で孤独で、 日暮に傍に居て欲しいと言ったのも本心何だろうけど、 それは里を想う、 覚悟があったからだ……
辛い現実に真っ向から立ち向かったからこそ身につき強くなる覚悟…… 今、 こいつはそれを否定した、 弱い部分を、 『弱み』として晒し、 弱者の真似事をさせたのだ……
許せねぇっ!!
「シャルルの前進を邪魔すんなっ! そいつに心動かされた俺はっ、 俺は全部持って前に進むっ! 全てが力っ! そいつの前進は、 俺の前進でもあんだよっ!」
諦めるなっ、 屈するなっ、 自分が弱者だと悲観するなっ、 今までの人生を振り返って、 出会いを、 岐路を、 選択を、 別れを、 その全ての最前に立つ今を
「もっと誇れっ! お前はお前自身をもっと誇れっ、 威張れっ! 皆お前を認めてるっ、 皆がお前を押し上げてくれるっ! 一人じゃないっ!」
そうして、 乗り越えた先、 背を押され、 登りきった頂上で、 自身や、 背を押した人々想いの行先を、 未来の行先を案じ、 次に進む道を選択した時……
「お前はっ! 自分の事を信じてくれた他人の事を、 もっと信じて良いっ! 一人じゃないっ! 居るだろっ! 頭に浮かぶ人達がっ!」
………………っ …………………
必死だった、 必死に叫んでいた、 これはある種の否定だ、 人を否定する事は怖い、 人から距離を取る日暮には苦手な、 心に土足で踏み込む様な行為
それでも、 叫んで踏み込んだ、 それには相当の『勇気』が必要だった、 『勇気』を持って叫んだ声、 日暮の中には確かにその力があった……
日暮の腰のナタが薄暗闇の中で淡く光を放つ、 小さいその光は、 しかし鮮烈な輝きを持った様に、 絡みつき、 纏わり付く紫光をズタズタと切り刻んで行く……
……そらさなかった彼女の目、 光を飲み込む虚ろだったそこに、 光が戻って、 涙が伝い落ちてくる……
「…………ぁっ、 わっ、 私……… あっ、 あああっ! 違うっ! 私は弱いっ、 私は貴方に愛されなきゃ生きていけなぁああっ………」
紫光が最後の足掻きの様に、 シャルルへとへばりついて、 自意識を取り戻そうとする彼女の邪魔をする、 負けじと叫ぶ……
だからこそ、 その紫光と、 シャルルの接する部分を触れる掴む手から強く認識する、 接点を見極める……
(……フーリカ、 お前の力、 また借りるぜっ!)
三度目の共有にて、 会得した、 完全では無く、 極限に集中した上で、 確実な接点を見つけた時のみ発動出来る、 最終決戦にて、 雪ちゃんと、 『魔王』を隔てた、 フーリカ・サヌカの力……
「……バウンダー・コネクトっ」
ッ、 ジャアアアンッ!!! ………
シャルルの内側に必死でへばりつくその紫光を引き剥がすっ、 力が接点へと流れ、 吹き飛ばしたっ
「ギャアアアアアアッ!?」
ビョンッ!
シャルルから何かが飛び出す、 汚ねえ紫の光を放つ、 ぶよぶよとした黒いモヤの様な…… 魔力の塊………
カチャンッ!
日暮が素早く腰に手を回しナタに手を置く、 日暮は自身の内に『勇者』の力がある事を脳で理解していない、 だからこの時日暮を動かしたのは力の方だったっ
「消し飛べクソがっ!」
キンッ!
ビシャアアアンッ!!!
「ギョゲェエエエエッ!? ………」
ふわんっ………
『勇者』の力はミクロノイズの塊、 『魔王』は魔力の塊、 『勇者』は魔力という物質に特化した力、 光るナタの刃に触れ、 最後にあの嫌な吐息の様な風を残して、 魔力の塊は四散した………
(……反射的に切っちまったけど、 なんだったんだ今の、 シャルルに取り付いてやがったのか?)
……そうだ、 シャルルはっ ……………
日暮が彼女を心配し目を向ける、 それより早く、 遠くから、 耳に届いた…………………
……………
きゃああああああっ!!
………悲鳴 ………
っ!?
外だ、 日暮は反射的に窓に目を向けるが何も見えない、 何だ、 結構な悲鳴だった、 今のシャルルに取り付いていた奴も含めて……
(……この里で何か起こってるのか?)
………
ドンドンッ ドンドンッ!
正面の扉を叩く音、 そして………
「里長っ! シャルルちゃん! 誰かっ! 居るかいっ!? 敵襲だっ!」
……敵襲?
里長は音は聞こえて居るだろうけど簡単には出て行けないだろう、 シャルルはこんな状態だ、 日暮が行くしかない、 本当に何か敵がこの里に牙を向けて居るならば………
助ける、 味方として戦う、 シェルターの調査隊として培われた感覚を無駄にはしない、 己の思った様に戦う………
だが……
一糸纏わず、 力無く、 息を切らした様に苦しく肩を上下させる彼女をこのままには…………
「………シャルル、 大丈夫か………」
「……はぁ、 はぁ、 行って……」
っ……
彼女は泣いていた、 悲しさとも、 全く違う感情とも言えたが、 とにかく分かったのは、 一人にして欲しいと言う事だった……
「……良い、 からっ、 私の事は良いからっ、 行って………」
分かった………
ザッ
日暮は軽くなった体で立ち上がると、 一瞥する事も無く進み、 部屋から出る為に扉へ手を掛け………
「……俺の事も信じて良い、 今は俺に任せろ」
返事は無かったが、 待つことも無くそれだけ一方的に言うと日暮は部屋を後にした………