第百四十九話…… 『天閣の祝詞、 後日談・8 やりたいことから皆のやりたいことへ』
「……組長、 人神の稜日さんがお越しになりました」
「おう、 今行く」
厳つい男が席を立つ、 部下に連れられ訪れた部屋、 男は多くの場合、 周囲の人間から恐れられる立場であり、 むしろそれが彼の仕事である
でも、 恐れとは少し違うが、 これは妥協に近いかもしれない、 今から会う人間には、 牙を向けない
今は時代も違う、 暴力で幅が効くような時代は終わっちまった、 それでも自分達の掲げる大義を成せる様に、 利用できるものとは仲良くするし、 面倒な相手には牙を向けないのだ………
ガチャッ………
応接室のドアを捻り中に入ると、 一人の女性が居た、 人神こと『人神創成研究訓練所』の、 稜日雛弓だ、 男からしたらまだまだ小娘と言いたくなる様な相手だが
その内容を少なからず知っている男としては、 女は大いに利用できる友人であり、 それとは反対に最も怒らせたく無い存在の一人だった
「待たせて悪かったな、 稜日さん、 急な訪問だったが、 要件は? 今度はどんなお願い事をしに来た?」
女は人の良い笑顔で笑う
「瀨碼さん、 お久しぶりです、 本当に急に来てごめんなさい、 対応してもらってありがとうございます…… それで要件ですが……」
雛弓は一枚の写真を取り出して、 二人で囲む机の上に置いた、 それは一人の男が撮られた写真だった
「矢那蓮斗、 瀨碼さんはこの男性をご存知ですよね?」
確かに、 それは知る人物だった……
「ああ、 組の金使って女と遊んでるクズの矢那か…… 前組長時代に何のきっかけか、 組の金が奴に流れる仕組みを老いぼれに作らせた、 今でもこいつに脛をかじられて居る状況だ……… それで? こいつがどうした?」
「ええ、 彼のことで少し話がありまして、 瀨碼さんは彼に娘さん…… と言っても要は里親としてですが、 倉勿実音璃ちゃん、 ご存知ですか?」
瀨碼は深く息を吐く
「知ってるよ、 不憫な子だ、 幼い内に両親に先立たれて、 流れ着いたのが矢那の所だ、 保護者がクズのせいで、 寒い思いも、 ひもじい思いもしてる……」
「……でも、 じゃあ俺らに何が出来る訳じゃない、 俺らは法に嫌われる存在だが、 彼女は法に苦しめられている、 本当なら彼女みたいな子を助ける法だが、 まあ時にそれが枷になるって事よな」
「俺達みたいのが法に介入する事が出来る訳でもないし、 法を犯してでも助けてやる義理も無い…… あの子に必要なのは正しい形で彼女を守る法と、 温かい居場所だな」
瀨碼は茶を飲むと更に続けた
「……そう言う意味で言えば、 あの大金持ちのじいさんは適してると言えた、 時に人は死に救いを求めるが、 彼女の場合、 まだ生きたいのに死んでしまうのが救いの訳ねぇ」
「腹が減って死ぬ、 凍えて死ぬ、 誰にも愛されなくて死ぬ…… あの歳の子供がそんな死に方をすんのは間違ってるし、 もしそれで死んだなら、 死んでも死にきれねぇ…… あんたらの得意分野で言うならオバケになっちまうかもなっ」
へっはっはっ………
瀨碼は冗談の様に笑う、 だが目は笑っていなかった、 上辺の笑いも直ぐに引き、 そうして現れたのは根底の備わった威圧感……
「……あの爺さんの所に居れば、 きっと一生そんな想いをしないで済んだ、 変わり者だが、 そこで起こるどんな事も、 苦しみながら死ぬよりずっとマシだと思わないか?」
「爺さんだって歳だ、 元気な爺さんだが早ければ十年後には墓の下だ、 十年も経てばあの子も大人だ、 その後は晴れて自由だ、 やりたい様にやりゃいい」
「更に、 爺さんは妻に先立たれ、 一人娘とは決別してる、 ああいう年寄りは最後に傍に居てくれる大切な人間に自分の全てを捧げる物だ、 もしかしたらジジイの財産もあの子の物だったかもしれない」
「そうなりゃ良いぜ? 何も困らねぇ、 ジジイは本物の金持ちだ、 法は変えられなくても、 金さえあればすり抜ける事は出来る、 上手く手を回して他の誰にも財産が行かねぇ様にやるさ」
瀨碼が一旦話を区切り、 どっかりとソファーに沈み込む……
「羨ましい様な生活さ、 俺みたいにふんぞり返って良い気になるのとは大違い、 本物のお貴族様だ………」
でも……
「そうなんなかったな、 ジジイの乗った車が崖から転落して、 自分の別荘に真正面から突っ込んだらしい、 いや~ 事故は怖いねぇ~」
あ~ 怖い …………
「本当に事故なら、 だがな…… まあ、 アンタがここに来て、 この話を始めた時点で大体の状況は予想が着く…… また、 アンタの所の能力者の影響か?」
「ふふっ、 違うわ、 ただの協力者よ、 私の事を手伝ってくれる代わりに、 私も彼を手伝ってるだけ、 ここに来たのもお手伝いの一環よ」
へ~
「……そんで? 長々無駄な話しちまったけど、 そんな未来の金持ちの女の子の夢潰して、 あんたらは何がしたいんだ? ジジイの金が欲しいのか?」
雛弓はお茶を一口飲み喉を潤すと、 首を大きく横に振る、 そして息を吸うと言葉を返す
「子供に最も必要な姿は、 笑顔の姿よ、 辛くても生きていけるのなら御の字…… ええ、 確かにそうだわ、 でも、 少なくとも彼女はまだその段階じゃなかった」
「子供が笑顔になれる場所、 あの子が笑顔になれる場所、 それは、 偽物でも、 演技でもない、 本当の愛を宿す場所、 本当の愛をくれる人…… 彼女に漸く現れたのよ」
…………ほう
「……それがその協力者か? 何者だ? 何故協力する? 本当にそいつなら、 あの爺さんよりもあの子を幸せに出来るのか?」
雛弓は今度は縦に首を振る
「愛は簡単には消えない…… その彼と彼女の関係の始まりは切ない嘘から始まったけど、 そこに愛が芽生えたのなら、 私はそれを否定できない、 だって私も同じだから……」
「彼と協力するのは勿論メリットが有るから、 彼はね、 子供達が繋がれる、 愛が溢れ、 笑顔の花が咲く…… そんな場所を作ろうとしてるの」
「それでね、 私は彼に提案した、 そのコンセプトに沿うのは賛成だけど、 受け入れる対象は選別した方が良い…… 需要が有りそうな所で言うと、 例えば、 甘樹街の惨劇で親を失った子供達とか……」
甘樹街にモンスターが現れ、 我が物顔で跋扈し、 人々を殺した惨劇、 その唐突な終わりからもう直ぐ二ヶ月になろうとしている
多くの人が亡くなった、 その中には子供達を残し、 無念にも亡くなった親達、 そして残された子供達が大勢居る
「最も大きいメリットは、 最近何かと有名な、 大望吉照議員との繋がりよ、 これは保証出来る、 何故なら、 彼が進めている事こそ甘樹街の惨劇、 その復興事業なのだから」
「そういった活動は必ず大望議員は協力してくれる、 スポンサーとして最大級よ、 この活動は絶対に成功させてみせる」
ここで生きたのは『調査隊』との繋がりだ、 『調査隊』は、 大望議員の最高戦力と言える、 『調査隊』との繋がりこそ、 大望議員との大きなパイプになるのだ
へぇ~
瀨碼が関心した様に小さく声を出す、 大物の声が出たので少しは彼を揺すれた様だ
「なるほどね、 スポンサーに、 アンタらだけじゃなく、 大望議員も着くとなれば活動を大きく展開出来る、 そして、 その活動の中であの子を救える…… 成程ね」
「そして、 その唯一の邪魔が、 矢那蓮斗、 あの子の父親代わりって訳だ…… ならどうして欲しい? まさか消せ何て言うんじゃねぇよな?」
キツイ口調だったが彼なりの冗談だろう、 声が少し弾んで聞こえる、 これで居て優しい心の持ち主だ、 慈善活動には積極的な面も有る
「……消すよりもっと確実な方法です、 無くすより与えましょう、 彼を『人神創成研究訓練所』で雇います、 彼は楽をして稼ぐ事を望んで居ますからうちにくればそれが可能ですので」
「………まさかモルモットにするつもりじゃねぇよな」
雛弓は笑う
「すみません、 うちの詳しい仕事内容は守秘義務によりお話出来ませんので…… ですが、 うちに訪れる条件として、 先代との間に結ばれた約束を帳消しにしましょう、 瀨碼さんもこれ以上無意味な出費は抑えたいでしょう?」
成程そう来たか、 正直雛弓の仕事は異常、 だから喧嘩はしたくない、 そして上手くすればこうして利を運んでくる、 あの男がどんな目に遭うのかは知った事では無いが、 金額を提示すれば絶対に首を縦に降るだろう
「いい話だ、 後、 慈善活動の方は是非うちも出資したい、 大望議員との繋がりも欲しいし、 この国の特異点、 甘樹街を行く『調査隊』との接点も欲しい」
「助かります、 これでより心に傷を負った人達を真に救える活動が本格的に始められそうですね…… でも、 瀨碼さんは何故こう言った活動に真摯なの?」
瀨碼は一瞬口を尖らせ、 苦い過去を思い出すように空を仰いだ……
「……俺も、 小さい頃、 笑顔で暮らせる場所が欲しかった、 そんだけだ、 だからアンタの話には完敗だよ…… 絶対成功すると良いなっ」
ええ
「試しに来週末、 大規模なイベントを開催するつもり何ですよ、 甘樹街の惨劇を経験した人達や地域の人達を集めお祭りみたいにするの」
「勿論、 子供はご飯をタダで食べれるし、 一般向けも格安に設定してる…… そして一番がやっぱり、 自立した生活の為に、 実音璃ちゃんみたいな子がお店を手伝うの」
手を差し伸べる子達はこれからきっと増えていくだろう、 だが、 現実は残酷だ、 提供出来るのは最低限、 自立するには人の何倍も努力しなくては行けない
人より早く、 人より多く、 価値を示して、 その対価として、 衣食住や、 勉強する場を提供する、 子供たちが安心して前へとあゆみ、 大人に成長する為の手助けの場
最終的に固まった方向性はこの様だった、 これが、 彼、 森郷雨録の、 『やりたいこと』だった
「そりゃいい、 俺ももっとラフな格好で様子を見に行こうかな…… っと、 矢那との接触の場はこちらで作ろう、 ジジイの方も何とか出来るかもしれない、 これから前に進もうって子供の足を引っ張る様な大人は邪魔でしかねぇからな……」
…………………
雛弓は頷くと、 その後話を終え瀨碼の元を立ち去った、 全く忙しい、 ココ最近で急にやる事がグッと増えた、 でも不思議と充実感ばかりが心を満たしている
「……さて、 今度は何をしようかしら」
雛弓はそう呟くと、 乗り込んだ車のドアを閉めた、 エンジンを掛け流れ出したラジオは正に今、 決着を付けてきた内容だ
ザザッ…………
『……昨日、 午後十六時頃、 〇〇の別荘地帯付近で、 一台の車が崖から転落する事故が有りました、 車は崖から転落した後、 その下に有る別荘へと正面から突っ込み停止……』
『……車に乗っていたのは別荘の持ち主の宮藤熙さんと、 車を運転していた運転手の男性です。 互いに足の骨を折る等の重症ですが、 幸いにも命に別状は無いとの事です』
『……調べに寄ると、 宮藤さんは、 「巨大トンボに襲われた……」等と話しているとの事で、 事故により大きな錯乱状態に陥って居るようです、 警察は崖際でのハンドル操作のミスが原因として操作を続けて居ます……』
…………
「……きっと瀨碼さんの力で、 このままおじいちゃんの見た幻覚と事故で片付いてくれると良いわね」
それでも……
「相手はお金でどうにか改変できてしまう存在、 目を光らせておいて、 何か動きがあったら…… あの子に頼んで記憶の改変をしてもらいましょう」
雛弓は車を走らせる、 ルームミラーにチラリと映る目に光る色は、 甘樹街での惨劇を経験した人達と同じ
周囲の環境に、 とっくの昔に常識が壊れ、 壊れた常識にもうすっかり慣れてしまった者の見せる、 暗く、 怪しい光を内包する……
それでも、 根底に根強く残る性分と言う奴が、 綱渡りの様な彼女の進む道を大きく逸れぬ様、 今はただ、 来週末に控えたイベントの為に奔走する………
…………………………
そして、 あっという間に時が過ぎて、 着々と進む人々の歩、 風化を防ぎ、 復興の為に浸進む、 人々の軌跡、 その最初の、 大きな一歩に刻まれた足跡
『甘樹祭』が開催する…………
………………………………………
……………………
……
その日は、 祝福する様な快晴だった、 ドタバタとした日々だが、 準備は万全、 途中で発生した問題の連続も、 汗水垂らし、 奔走し続け、 この日を迎えた
透き通った空を見上げた時、 ふと、 物凄く曖昧な感覚だが、 こういう日は全てが上手く行く様な、 そんな感覚になる
だがそれはきっと気のせいでは無いだろう、 睡眠もバッチリとったし、 そのお陰で頭もスッキリとこの空の様に晴れ渡っている……
イベントの開始に伴って、 多くの人が協力してくれた、 多くの企業と繋がり、 地域の人と繋がり、 それが今日、 もっと大きな繋がりへと広がる
イベントの進行は、 地元の高校生や、 役人の方が率先してくれたし、 料理等の飲食は、 地元の食材を使い、 普段は学校給食等を作っている方や、 融資で募集した方達が手伝ってくれる
その他、 出店や屋台も出るし、 盛り上がりの為に設けたイベントステージには学生達の発表、 地元アーティストの演奏
そして密かに注目される、 甘樹街の惨劇、 その被災者達の体験談を語るコーナー、 避難生活や、 誰かに共有したい悲しみや苦しみ、 絶対に忘れては行けない経験もまた誰かに繋がっていく
自分でも思っていた以上に、 このイベントは大規模で、 意義の有る物へと変わっていく、 そんなイベントが、 まさか、 名目上自分が主催者と言う事になるという状況に、 自然とその重さが肩に乗る………
……………………
「……だが、 どういう訳か悪い気はしない、 寧ろ高揚としてくる様だ、 ワクワクする、 と言う気持ちだろうか……」
関係者用の天幕から出ると、 指すような強い日差しが照りつけた、 夏の様な暑さは無いがそれでも、 残暑と言う物か、 汗ばむ様だ
「いや、 それにしてもいい天気だ…… それに、 凄い盛り上がりだな」
森郷雨録は快晴の空から視線を下ろすと、 眼前に広がる喧騒の渦を眺めた、 人、 人、 人…… 人で会場が埋め尽くされている
既に太陽は高く上り、 このイベント会場には想定を遥かに超える大勢の客で満たされていた、 嬉しい事だ、 ここで発生したお金は、 甘樹街での災害復興に当てられる……
「さて、 しっかりと機能しているか、 確認して回ろうか…… まずはバザーの会場だな」
雨録は関係者の腕章を着けて歩き出す、 遠くから見ただけでも大勢の人の波、 そして多くの出店が並んでいるのが分かる
このお祭りは本当に多くの事を寄せ集めた何でもありな空間だ、 それは皆それぞれやりたい事が違うからだ、 やりたい事はその人を最も前へ進める原動力
絞ってしまえば、 前に進める人、 進めない人が出てくる、 出された案は極力実現したかった……
そして、 バザーはやはり主婦や子供連れ、 女性陣を中心に人気があった、 着なくなった服や、 要らなくなった物を出す人、 甘樹街で暮らしを失い、 しかし生きる為、 次の生活の為に使えそうな家具や、 服に雑貨を売る人も居た
その中で一際人気だったのは、 避難者がシェルター内で暇を潰す為に作られた沢山の手芸品だった、 編み物が中心で、 避難生活の不安の中、 それでもその時間を楽しんだ人達の温かさが編み込まれている……
「人はさっきよりも減ったか、 もう直ぐお昼だから皆飲食のエリアに向かった様だ…… ん?」
不意に、 はしゃぐ女性の声が耳に聞こえ、 そちらを振り向くと女子大生くらいの見た目の女性三人組、 恐らく友人同士だろうか、 向こう側からバザーの通りを歩いていた
「あっ、 うわ~ ねぇ、 みーちゃんっ、 にっち~ これ可愛くないっ?」
元気な女性が手編みのバックを手に取り店主のおばさんと話を始めた、 後から続く二人が合流する頃には、 元気な女性は既にバックを購入していた
「いや~ こういう暖かみの有るデザインの物が欲しかったんだよね、 寒くなって来たら毎日使うよ~」
「まあいいんじゃない? でも意外かな、 ゆうって前までブランド物ばっかり好んでたし、 何か心境の変化でもあったの?」
元気な女性は顎に手を当てる
「………う~ん、 何が足りなかったんだろうって、 私に足りなかった物はなんだろう? って考えて、 やっぱり温かさかなって」
………………?
「……え? 何の話?」
「だーかーらーっ! 前にも言ったでしょ? 好きな人に振られたのっ! でも何で振られたかちっとも分からないから探してるんでしょっ! 理由をっ!」
あ~
落ち着いた雰囲気の女性が呆れた様な顔で相槌をする
「まだやってたんだ、 二ヶ月も前でしょ? 振られたの…… 珍しいね、 ゆうはいつもすぐ別の男作るじゃん」
「うー、 そうだけど……… 今回は違うの、 多分今までよりずっと本気だったんだと思う、 ただ楽しいだけじゃなくて、 遊びの延長じゃなくて……」
女性達の青い会話がどうしても耳を擽る、 立ち止まって話す彼女達の近くの露店を適当に冷やかしながら雨録は耳を傾けた
「……美里~ 優香~ 私の方も買い終わったからそろそろお昼に……… ん? どうしたの?」
二人の元へ三人組のもう一人が合流した、 何処かお淑やかな印象の女性だ、 その彼女が二人の会話の内容に首を傾げる
「あ~ 聞いてよ新那、 ゆうってばまだ以前の彼の事が忘れられないらしいのよ~ ……名前も姿も思い出せな様な男の事がっ」
集合した三人、 会話から、 元気な女性が優香、 落ち着いた女性が美里、 お淑やかな女性が新那と言うらしい……
「確かに言ってたね、 確かに珍しいね、 優香って新しい好きを探すのが得意だから…… それだけ好きだったんでしょ?」
そう言われ頷く優香だったが、 その後下を向く、 先程の美里の言葉、 チラリとだったが奇妙な事を言っていた……
「……でも、 全然思い出せないの、 何かぼんやりと、 輪郭が頭に浮かぶんだけど…… 怖がる私の手を引いてくれた姿が…… でも、 夢みたいな感じで……」
不思議な会話だった、 未だに忘れられない、 好きだった男の事を、 好きだった気持ちをそのままに忘れてしまうなんて……
ドクリッ………
奇妙な物だ、 似た様な感覚を抱く時がある、 好き嫌いでは無い気がするが、 何か特別な人の事を忘れている、 月光を背に受ける、 少女の姿…………
ジジッ………
……………
「………何か、 頭に電流みたいなのが走るの~ それで、 思い出そうとしても忘れちゃうの~ ねぇ~ 二人とも助けて~」
「何言ってんだか…… ゆうの言ってる事はちっとも分からないんだから……」
又しても呆れる美里、 しかし新那が放った次の言葉にドキリとする……
「……あれ? でも前に、 美里も似た様な事言ってなかった? ずっと狙ってた好きな人が急に居なくなったって、 今じゃ顔も思い出せないって落ち込んでたよね?」
っ………
「にっ、 新那っ、 その話はゆうには秘密って……………」
「えっ! えっーーー!!! 何それ何それっ! 聞いてないっ!! みーちゃんはずっと好きな人居ないって言ってたじゃんっ! ねぇ! どんな人…… ん? 思い出せない……… 私と同じじゃんっ!!」
美里は両手で耳を塞ぎ目を閉じる、 その肩をガシガシと掴み優香は美里を問い詰める、 新那はその二人を見てクスクス笑っているのできっとわざとだ
「はぁ…… 私とゆうのは違うもん……」
「おーなーじーだーよーっ!!……でも、 安心した、 みーちゃんも恋心あったんだ! ねぇ! にっちは? 無いの恋の話?」
あーだこーだ………
……………
そうして三人は楽しそうに話しながら道を飲食スペースの方に進んでいく、 それを横目で追いかけ、 やがて止めた、 視線を正面に戻す……
「……兄さん、 買うの? 買わないの?」
っ………
少しばかり店前でぼーっとし過ぎた様だ、 雨録は人の良い笑顔を貼り付けて店主に笑いかける
「いや、 すまない、 どれもいい物だから見入ってしまったよ…… そうだな、 折角だ何か買おう、 えっと………」
そう言えばここは何の出店だったか……
「あんた…… 若いのに珍しいね、 こう言うのはよく聴くのかい?」
………?
そこに並ぶのは随分と色の掠れたパッケージに入った、 演歌や、 民族歌謡等の、 カセットテープやCDが並んでいる、 買うと言ったからには買うが……
雨録は思わず頭に手を当てた……
(……何が何やら全くわからないな)
その後、 雨録は、 昔祖母が良く聴いていた曲を見つけ、 購入すると、 その場を去り、 一通りバザーの区画を見終わると次の区画を目指した……
……………………………………
……………
ガヤガヤ…… ガヤガヤ……
やはりこの時間最も賑わうのは飲食のエリアだ、 あれだけ大量に設置した机や椅子も殆どが埋まり取り合い、 その他にも階段等の段差に腰掛ける人も多く居た
「想定はしていたが…… まさかこれ程とは、 お店も忙しそうだ、 繁盛して何よりかな……」
ん?
……子供特有の高い声が不意に耳に届く、 正面から、 視界がこちらへ走る少女を一瞬だけ捉える、 綺麗な白雪色の髪が揺れる………
…………………………
『……名前も姿も思い出せない様な………』
………っ
少女は雨録のすぐ隣を通り過ぎて行く、 そんな中頭の中に過ぎったのは、 先程、 バザーで聞いた不思議な会話の内容だった………
………
「ちょっ! 雪ちゃんっ! 待って! 走らないでって! はぐれちゃうよっ!」
後を追いかける、 女子高生程の、 少女の姉だろうか、 呼んだ名前が頭を叩く、 最近、 こういった感覚が頭に巣食っている………
姉の声に、 少女が振り返りこちらを向く、 視線が通過する一瞬だけ、 揺れる彼女と目が合った
……雪ちゃん ………………
夜、 思い出せる、 ブラック・スモーカーの仲間達とシェルターを襲撃したあの夜、 月が綺麗な夜だった
月明かりを背に、 笑顔でこちらを見下ろす、 少し生意気な少女、 闇に溶けるほどの黒髪、 朧気なその姿が、 振り返った彼女の姿と、 何処か被る………
………
ジジジッ!!
っ…………
「茜お姉ちゃんっ! 早く早くっ!」
直ぐに走り去る少女と、 少女を追い掛ける姉が雨録を通り過ぎて行く、 本の一瞬の奇妙な感覚………
だが、 奇妙だ、 不思議に思ったりはしない、 何処か心の中に、 そういうものだと達観する
あの夜の、 月明かりの………
(……うん、 ありがとう、 君のお陰で私は………)
…………
ふわっ
視界の端に、 見覚えの有る姿が過ぎる、 後ろで縛った髪に、 頭には三角巾とエプロン姿、 少女が一人、 あっちこっちの机を忙しく行き交って居た、 不意に彼女と目が合う……
「……あっ、 雨録お兄さん~!」
彼女が笑顔でこちらに手を振る、 雨録は彼女の元へ近づくと笑いかけた
「やあ、 実音璃ちゃん、 よく働いているね、 エプロン姿が可愛いし似合っているよ」
「へへ~ ありがとっ、 お兄さんもお仕事で見回ってるの? 私も汚れた台を拭いたり、 掃除したりして回ってるよ」
倉勿実音璃、 まだ若干十三歳だが、 雨録の元で働く第二の従業員だ、 あの日、 彼女の伸ばした手を引いたあの日からそれ程まだ時間は経っていないが
彼女は、 普通の日常と言う物に漸く慣れ始め、 以前よりもこうして、 よく笑顔を向けるようになった、 今まで誰にも甘えられなかった分、 中学生にしては少し心が幼い気がする
だが、 大人として、 そして彼女の保護者として、 それを正しく導いて行くのが雨録の責任だ、 その覚悟はとうに出来ている……
「偉いね ……そうだ、 美穂ちゃんは結局厨房をやる事になったんだね、 やる前は全力で拒否してたのに、 料理上手が仇となったか」
「うんっ、 お姉さん、 『後で絶対文句言ってやるっ!!』って言ってたよ~ でも凄く人気みたい」
雨録はこのイベントとの主催者と言う立場上手伝えなかったが、 まだ始まったばかりの、 雨録のやりたい事、 子ども食堂『白雲の揺蕩い』も、 地元食材等を使い、 主に甘樹街の惨劇を体験した人達や、 その子供達に安くご飯を提供している
実音璃の言う通り、 うちの名前が書かれたテントは人が大勢並んでおり、 その中で綺関良美穂が他の従業員と共にワタワタと忙しく動き回っているのが目に見えた………
激動の日々、 それはきっと、 ずっと先までそうだ、 このイベントが例え終わったとしても普通の日々を送るのは想像よりずっと難しいのだから
でも………
「ねぇ、 お兄さん…… 私ね、 今、 凄く幸せだよ、 大変だけど、 でもね、 もうずっと暖かいから…… きっと冬が来ても、 私は寒くない」
だから……
「お兄さん、 ありがとうっ ……ふふっ、 じゃあ私もう行くねっ!」
遠ざかっていく彼女の背を見て、 雨録は拳を強く握る、 例え厳しい冬が来ても彼女が凍え無い様に、 温かさに溢れる道を彼女が進める様に……
もっと、 もっと、 誰もが普通の生活を取り戻し、 やがて普通は、 かけがえのない特別になって、 この世界を満たしていく、 誰もが幸せである様に
自分はもっと頑張ろう、 この歳になって漸く分かった、 『やりたいこと』何だから……
多くの人を救おう、 多くの子供の笑顔を取り戻そう、 そうして、 もしも、 もしも許されるのなら………
(……いつか、 私の罪も白日の元へ晒す日が来るだろう、 その日まで私は、 絶対に歩みを止めない)
自分の歩くこの道の、 最終地点が地獄でも、 それでも止まる理由にならない、 それは人を想う心がそうさせると気が付いた
雨録はその足を更に、 一歩前へと進める、 信じたこの道を、 自分を信じて送り出してくれた多くの人の心に届く様に……
「……さて、 次の区画を見に行こう、 この素敵なイベントによって生まれる幸せをこの目で見る為にね」
雨録は方向転換をし、 次の区画へと足を向けた…… 空を見れば、 やはり、 その日の空は、 祝福する様な快晴だった。