第百三十二話…… 『最終章、 下編・18』
ただ、 そこにあったのは後悔だった、 どんなに綺麗に着飾っても、 心の底からマグマの様に押し寄せる強い感情は、 やはり後悔だった……
『さようなら』
……あの時から、 何も変わって居ない、 自分は何時だってそうだ、 何の特徴も無く、 心に持つ熱も無く、 ただ無気力で……
こんなに痛いなら、 言わなければ良かった、 こんな事を口にすれば死ぬ程ダサいだろう、 でも今は、 ダサい思いをして助かるくらいなら幾らでもそんな姿は晒せる自信があった
痛い、 骨が痛い、 ズキズキと熱い、 目が開かない、 視界が凄く細い、 息が苦しい、 鼻が固まった血でくっ付いて閉まっている
はぁ…… はぁ……………
…………
止めておけば良かった、 人の前に立って、 かっこつけて、 こんな姿……
みっともない
……………………………
…………
「はぁ…… はぁ…… っ、 ぁぁ……」
ただ苦しいだけの荒い息を繰り返すのは、 土飼笹尾だ、 北側の戦いは、 最早戦いとは言えない、 敵側の余興に過ぎなかった
がははははっ
「いよ~しっ、 良く立ったっ、 さぁ、 こい、 俺をぶっ飛ばすのだろぅ? さぁ、 さぁ、 速く来いっ!!」
っ………
目の前に立つ男、 北側の将、 央田中、 が手をクイクイと動かす、 さぁ来いと、 こいつは言うのだ
無理だ、 心が折れている、 向かえばカウンターでまた殴られる事は分かりきって居る、 痛みが分かっているのに、 自分から向かうだと?
無理だ、 もう限界だ、 こんな事を止めて、 少しはゆっくりとした落ち着いた時間を過ごしたい、 モンスターも、 魔王も、 もう懲り懲りだ………
「……どうした? 何故来ない? それとももう終わりか? ならばお前の代わりに他の者で遊ぶとしよう、 そうだな……」
央田中が、 押さえつけられた仲間達を順に見ていき、 一人の人物に目を止める
「ははっ、 お前だ、 次はお前にしよう、 若い男ならば、 動けるはずだから楽しめるだろう」
北側の調査隊の中でも最も若い青年だ、 確かまだ二十歳だった筈だ、 確かに体力テストでも彼は動ける奴だ
自分よりもずっとずっと良い、 もう良いだろ? 代わって貰おう、 こんなに痛いのはゴメンだ……
土飼は若者を見る………
っ!!!
震えていた、 自分は何を考えて居た? 代わって貰うだと? ふざけるな、 ふざけるのも大概にしろ
(……俺は大人だ、 若者の前に立って、 引っ張ってく、 その責任があんだよっ!)
っ、 ああああっ!!
ギラッ!
土飼が今一度敵を睨みつける、 その煌々とした目に央田中はニヤリと笑う
「んん? ふははっ、 その目、 その目だ土飼っ! お前のその目は凄いぞ? ゾクゾクとする、 弱い筈のお前に殺されるのではないかと錯覚する程のっ」
何だって良い、 後悔何てしてる場合じゃない、 自分で言ったんだろっ!
…………………………
土飼は、 少し前の事を思い出す、 それは菜代望野による狙撃が止まり、 央田中の軍によって調査隊が包囲された
奥野谷弦が、 央田中の能力によって倒れ、 足を失い気絶してから既に二十分程が経つ
逃げ場の無い戦場で、 土飼が出来る事はただひとつ、 時間を稼ぎ、 助けが来るのをただ只管に待ち続ける事だった
今にも央田中の一言であっという間に調査隊が全滅しかけない状態で、 少しでも時間を稼ぐ方法は、 土飼には一つしか思い浮かばなかった……
……………
『……俺とっ! 俺と一騎打ちだ! 今度は俺と一騎打ちをしろっ! 俺が倒れるまで他の皆には手を出すなっ!』
これが後悔の一言である、 央田中は首を捻り怪訝そうな顔で土飼を見下ろす
『……あぁん? お前は知将、 弱いんだろ? やってどうなる? 時間の無駄だ雑魚』
良い、 やはり相手はこういった短絡的な種族だ、 こういったタイプは土飼の得意な言葉でなんとでも動かせる
ここで煽る様に大袈裟に笑ったりしてはいけない、 あくまでも真面目に、 大人が子供に言い聞かせる様に言葉をかける
『……そうか、 俺程度を倒せない程既に疲弊しているという事か? ならば仕方ないな、 周りの雑兵に任せようと言うのも頷ける』
…………………
央田中の顔が赤くなる、 多くを言う必要は無い、 プライドの高い若者は、 勝手に自分の中で言葉を解釈、 反芻し、 必要以上に感情を煽る物だ、 自分で自分を煽る
そして、 それを無意味にも隠そうとする、 ぺらぺらの薄い包みで
『……はんっ、 馬鹿な奴だ、 一発だ、 一発殴るだけで終わると言ってるのだ、 お前等たった一発で倒せるのだ』
このタイミングだ、 感情を隠そうと必死になったこのタイミングで、 少し、 大袈裟では無く、 言葉に出す事もなく、 ほんの一瞬だけ……
口角を上げる
バキッ!
『……ちっ、 てめぇ何笑ってやがる? ぶっ飛ばすぞっこの野郎っ! ははっ、 はははっ、 いいぞっ、 わかった分かったっ…… やってやるよ一騎打っ!』
かかった
本当に一発で終わっては意味が無い、 どうにか能力の使用を止めて貰う必要が有る
スッ……
土飼は引き抜いた警棒と、 護身用のナイフ、 支給されたテーザー銃を全て抜くと……
ガチャッ…………
その全てを放り投げた、 簡単に手の届かない位置に、 その行動に央田中は首を傾げる
至って真面目な顔だ、 ここで笑ったりしてはいけない、 無表情で言え
『……君はまだ二十代だろ? 私はもう三十路と言う年齢でね、 年の功と言うやつかな…… 武器は使わない、 これが俺の、 年下の君に対して自分に課すハンデだ』
………………?
なっ……
『……んだとっ? ハンデだとぉおおおっ!! この雑魚おっさんがぁあああ!! 勝てる筈が無いだろっ! 例え武器を使ったとしてもっ、 この俺にっ!!』
央田中が最大限にブチ切れる、 震えた央田中は拳を強く握る
『……武器を取れっ! そうでなくては対等では無いだろうッ! そんな貴様をぶちのめしても何の意味も無いっ!』
意味?
『……妙だな、 さっき奥野さんには、 圧倒的に有利な能力を使用して勝っていた様だが? 構わないぞ、 あの巨大ミミズを使ってくれても』
グッ………
『………ふはっ、 はははっ、 ……良いだろう、 能力は使わん、 互いに対等に拳のみで殴り合いと行こうではないかっ!』
よし、 おそらくこちらが殴り掛かっても無意味だろう、 だから体力を温存し、 サンドバッグの様に耐え続ければ良いだけ………
『……怒らせた事を後悔しろっ、 オラァッ!!!』
いきなり殴り掛かって来たっ!
っ
ドガァアアッ!!
………………
体が飛ぶ、 物凄い力だ、 たった一発、 嘘では無い、 たった一発で意識が飛びそうになる……
ギリッ!
強く歯を噛み合わせて地面を転がる、 一発で体が悲鳴を上げる、 それでも……
もう一度立ち上がる、 これを繰り返し、 繰り返し、 何度も何度も立ち上がる
それがこの地獄の始まりだった………
…………………………
………
『……土飼、 力を抜け、 ぶつかる衝撃に対して、 それを耐えようと、 体制を維持しようとすれば、 筋肉が硬直し、 衝撃が全身に叩き付ける』
以前、 トレーニングルームで雷槌我観に言われた言葉を思い出す
『……衝撃に対して従順になれ、 ぶつかる衝撃の方向を見て、 体の力を抜き力を逃がせ』
攻撃の受け方にも上手い受け方が有ると言う、 戦いの才能が無かった土飼に対して、 雷槌が言った言葉だ……
………………
はぁ…… っ
苦しい、 やはりさっきの言葉を後悔してしまう、 煽った分、 敵は怒り、 本気で殴って来る
雷槌さんは簡単そうに言ったが、 結局上手くは出来ない、 だが、 インパクトの瞬間、 脱力し、 敵の衝撃の方向に従い僅かに飛ぶ
出来たのはその程度、 だが、 三十発以上の強打を受け、 ギリギリまだ立ち上がれるのは、 確実にその効果が出ていた
ギラギラ
自分ではそうは思わない、 それでも、 敵の言葉に、 自分の中に、 まだ光る物が有るのだと理解する
自分の目が、 まだ生きているのだと実感する、 これが自分にとっての意地なのだと、 倒れない、 絶対に倒れてなるものかと心を強く打つ
土飼笹尾の意地なのだ、 だから、 まだ、 まだまだっ!
「うぉおおおおっ!! あああっ!!」
叫び、 地を蹴る、 不格好に握った拳を敵に向けた、 自分が今まで他人任せにして来た分を、 他人に背負わせてしまった
能力を持ち、 戦いを好むと言う特性を持つ事を言い訳に、 一人のまだ若い青年に全てを背負わせてしまった
本当は誰と変わらず、 悩み、 苦しみ、 迷うのに、 笑って否定する彼のその心を、 まるで知らないふりをし、 戦いを押し付けてしまった
ほんの少しでも、 例え自分が弱くても、 ほんの一端でも、 代わりに背負ってやれた筈だ、 自分だけじゃない、 皆が少しずつそれを背負ってあげれたら、 ただ一人が苦しむ必要は無かった筈だ
クソッ、 クソッ、 クソッ!!
「このクソッタレがぁあああっ!!!」
自分が縛った社会の脆さに、 人間と言う精神の弱さに、 そして土飼自身の心の脆弱さに、 腹が立っていた、 だから意地にもなる
(……日暮っ、 この戦いは俺達に任せろっ、 必ず俺が、 俺達が、 お前野力を必要としない、 個人の力を必要としない)
皆で手を取り合って、 皆で輪になって、 一人一人の力が小さくても、 重なって大きな力となっていく
(……人間としての強さで、 勝利を掴んでやるっ!)
あああっ!!
「愚かしいぞっ、 土飼っ!!」
ッ
ドガァアッ!!
っ……
敵の拳がまたしてもその身を穿つ、 あぁ、 そうしてまた……
後悔
(……言わなければ良かった)
………………………………………
…………………
……
ねぇ…… ねぇ………
「日暮、 ねぇ、 起きてってば」
……………?
「あはははっ、 無理無理、 一度眠ったら中々起きないぞ、 車中泊でもこれだから日暮は凄いぞ~」
父と母だ、 薄目を開けると、 果の無い草原が横向きで遠くまで伸びていた
眠っていた……
うぅ………
体を起こす、 緩やかな風が頬をくすぐる、 草の匂いが鼻を抜けて、 木陰に敷いたレジャーシートのカラフルで、 何処かくすんで落ち着いた色が目に入る
木漏れ日がチラチラと揺れるのをぼーっと目で追いかけて居るとまたしても声が聞こえた
「日暮、 おはよう」
………
後ろから聞こえた声に振り返る、 優しく微笑む母の姿が見えた、 その隣に父も居る
「いい所ね~ 風が気持ちいい、 心地が良い…… でも眠っちゃダメよ」
母の髪が風に揺れる、 こんな母の顔を見たのはいつぶりだろう、 母は強いからいつも笑顔を絶やさないけど、 その実ずっと人より傷つきやすい
そんな母が入れた和紅茶を隣の父が一口飲む
「美味いねぇ~ 酒とは違う美味さが有る」
「何と比べてるのよっ、 ふふっ、 あははっ」
普段は見せない顔だ、 父と母と言うよりも、 夫婦としての面、 家族の見せる凄く貴重な一面だと思った……
………あれ?
「茜は?」
妹の茜が見当たらない、 何だかあんまり記憶が無いが、 家族皆で歩いて来たような気がする
母が微笑む
「ここには居ないわ」
あれぇ……
日暮は頭に手を当てる、 何時だったか、 茜に言われたんだ
『……もう、 勝手に居なくなったりしないでね』
日暮は頭に手を当てる
「またなんにも言わずに来ちまったな、 茜怒るかな……」
母が首を横に振る
「怒らないわ、 だって、 立ち止まって居るのは、 日暮、 貴方の方だもの……」
?
父が遠く、 無意識に日暮が見つめる方、 進む道も無い、 ただ永遠と続く草原のさらに先を指差して言う
「先に進んでいるよ、 日暮、 そろそろ進んだ方が良い、 時間は限られてるからな」
……時間?
びゅぉぉ………
風が少し強くなって来た、 雲も出てきた様な気がする、 雨が降りそうだ……
日暮は立ち上がる
「何言ってんだよ、 二人も行こぜ、 一緒にさ」
日暮は二人に手を差し出す、 でも二人は笑って、 その手を取らなかった
「ごめんね日暮、 私達はもう、 前には進めないの、 天気が荒れる前にもう行きなさい」
っ……
母の諭す様な目が強く刺す、 何か、 何かを忘れている、 何かがチラチラと頭の中に見え隠れする
何だ、 これは何だ………
「日暮、 ありがとう、 少しでも一緒に居てくれて、 私達の事を気にしてくれて、 立ち止まってくれて、 ありがとう」
何言ってんだよ……
「日暮、 それでももう行かないと、 どれだけ歩みを止めても、 どれだけ考える事を止めても、 時間は止まってくれない、 貴方以外の人も一緒に止まってはくらない」
たらぁ……
話す母の首を鮮血の雫が伝って行くのが見えた、 母はそれを隠す様に首に手を当てた
ドクンッ
それでも、 それだけで、 脳に強く焼き付いた感覚が、 日暮の内側から焦がす様に、 訴える、 目の前の母を見て日暮は最後に見た母の姿を思い出す
…………………
っ……
地に落ちる母の体、 首元から絶えず吹き出す血液、 日暮をか細く呼ぶ声、 温い返り血
ぁっ、 あぁ…… ああっ
そうだ、 そうだ、 何故だ、 何故分からなかった、 どうして直ぐに理解出来なかった、 母は、 目の前の父と母は、 もう……
もう既に死んだんだ…………
父は手首を切断され、 その後全身を内側から切り刻まれて死んだ、 目の前の父はそこら中から血を吹き出していた
母は、 魔力弾に吹き飛ばされて死んだ、 でもその後もう一度、 死者蘇生により蘇った所を盾にされ、 勢いを殺せなかった日暮のナタで首を切り飛ばされ死んだ
そうだ、 そうだった………
うっ…… ドサリッ……
日暮は気が付けば膝を着いて、 二人の顔も見れない程に頭を地面へと押し当てて居た
漏れ出す言葉は………
…………
「……ごめんなさいっ、 ごめんなさいっ、 俺のっ、 俺のせいでっ、 俺のせいで二人はっ…… ごめんなさいっ」
懺悔だった、 もう二人は居ないんだ、 こんな謝罪だって、 もう二人には届かない、 どれだけ許しを乞うてももう遅いんだ、 この声は二人には届かないのだから……
それでも、 日暮は謝罪の言葉を口にせずには居られなかった、 許される筈が無いと分かって居ても……
…………
「……日暮、 前に進みなさい、 今はただ、 前に進みなさい、 貴方にも分かって居るはずよ、 このままじゃダメだって」
あぁ、 わかってるよ、 でも、 立て無いんだよ、 ずっと、 もうずっと立てないんだ、 立ち上がれ無いんだ……
「……違うだろう? 日暮、 お前は昔から強いから、 ぐんぐん前に進める筈だぞ、 父さんは知ってる」
うるせぇよ、 勝手な事言うなよ、 無理だって言ったら無理なんだよ、 身体が重い………
尚も頭を垂れる日暮を見て、 二人は顔を見合わせて、 困った様に微笑んだ
「ふふ…… 日暮がこんなに私達の事を考えて居てくれたなんて、 正直全然知らなかったかも、 家族を大切にしていてくれて、 嬉しいわ」
「うん、 そうだね…… でも、 日暮、 勘違いしたらダメだ」
勘違い?
「俺の想いも、 母さんの想いも…… 人の想いは、 人の心にある物だ、 日暮に託した思いは、 日暮の心に宿る物だ」
父が伸ばした手が日暮の頭に置かれる
「……でかくなったな、 な、 日暮、 心は常にお前と共に有る、 だから想いも常にお前の中に有る、 日暮がずっとずっと先、 ここから見えない程遠くに歩んで行ったとしても、 無くなったりはしないさ」
「俺も、 母さんも、 お前が捨てない限り、 お前の中に何時でも居る、 だから、 何時までも過去に縋り付いて立ち止まるな、 ……ここに俺達は居ない」
びゅぉおおおっ!!!
強い風が身を打ち付ける、 さっきまでの穏やかな天気は崩れ、 ぽつぽつと、 強い風に乗った細かい雨粒が肌を濡らす
草原をバサバサと揺らす大風が、 日暮の内側に渦巻く灰色の風なのだと理解した、 そうだ、 これは心だ、 日暮の心……
あぁ、 そうか、 漸く分かった、 俺が立ち上がれない理由、 踏み出せない理由、 俺はただ
二人の傍を離れたく無かっただけ何だ……
………………
さっ
日暮の頭の父の手の上に、 更に母の手が乗る
「ありがとう日暮、 でももう行かなきゃ、 ほら、 前を見て、 ほら」
顔を上げて、 二人の見る所を、 進むべき所を見る、 揺らぎ、 ちぎれ舞う草が風に乗って飛んでいく
「見て、 今日暮がしなくちゃ行けないのは何? 分かっている筈よ」
遠くに、 小さな火が見えた、 小さく揺れ、 雨風に攫われ今にも消えてしまいそうな火が、 未だ少し燻っている
「今にも消えてしまいそうなあの火が、 貴方には誰か分かるでしょう? 日暮は今からあの火を必死に守るのよ」
他でも誰でもない
「貴方が、 強く、 そう思っている、 だから、 さぁ、 立って」
ぅああっ、 あああっ!!
体を起こすのに、 押さえつける様な力何て無かった、 思ったよりも簡単に、 立つことが出来た
すっ
背中に手を当てられる
「日暮、 『あの子』を、 助けてあげるのよ」
「さぁ、 踏み出せ、 一歩一歩、 確実に、 前に進め」
とん
背を押される、 まだよく分からなかった、 あの火が、 何なのか、 でも確かめる為に
目的が、 明確な目的が芽生えた、 だからやっと、 ようやっと……
だっ!
踏み出せた、 立ち止まって、 蹲っていた分を、 一気に詰める様に、 駆け出した、 そう思えば、 この荒れ狂う風も、 この背を押す、 追い風だ
後ろからもう声は聞こえない、 初めからそこに二人は居ない、 過去の声に縋るのはもうやめだ
今の声が耳には届く、 色んな人の声が聞こえる、 色んな人の想いが届く、 確かに、 どれだけ走っても、 人から託された想いは消えない
過去に置いていく様な事は無い、 自分は人だ、 命を生かすのは心臓だが、 人を生かすのは心だ
日暮が人である限り、 心はここにある、 心がここにある限り、 過去に託された想いが消える事は無い
そう思えば……
ダッ!
幾らでも前に進める、 打ち付ける雨すら心地良い、 ああそうだった、 これが、 生きるって言う事なんだっ
俺は、 俺はっ……
………………………………………
………………
カタンッ
……………………
っ
軒先で、 ししおどしが音を鳴らす、 増水した様な水が、 砂利の庭をてらてらと溺れる様に濡らしてみせる
古い家の裏庭、 季節柄の花が綺麗に咲いた見事な庭園に、 今はバケツをひっくり返した様な勢いの雨が打ち付けていた
水溜まりが絶えず湖面を揺らし、 風がガタガタと戸を揺らす様を、 縁側に腰掛け日暮は見ていた
ここは………
コト……
「……はい日本茶、 お茶請けのお菓子もここに置くね」
着物を来た女性が、 膝を着いて、 お茶とお菓子を置く、 隣に置かれた座布団に彼女自身も座り、 彼女がこちらを見る
「雨だね…… 暗い顔してるよ、 まだ迷っているの? ね、 日暮」
そうだ、 ここは前にも来た、 深谷離井に負けた時や、 猿帝血族の能力者、 真鋼濵等瀧にボコされ意識を失った時
日暮はここに来た、 ここは日暮の心の中、 景色も心象風景である、 そして隣の、 着物の女性の名前は……
「和蔵……」
ん?
「なぁに?」
日暮は彼女の目を見つめる
「藍木山攻略戦の時、 和蔵は俺に言ったよな、 俺が求める戦いの道と、 俺が約束で繋がる人の道、 ふたつは全然違う道程で、 どっちかを選べって」
日暮が切り出した話に、 海苔の巻かれたお煎餅を頬ばろうと小さな口を広げた隣の彼女は、 驚いた様にそれを下げた
「……うん、 言ったね、 そうしたら日暮は曖昧なまま進むって答えた、 どうしたの? もしかして答えが出たの?」
日暮は首を横に振る
「出てねぇよ、 でも思った、 人生どうなるか分からないのに、 どっちかに決めちまうのは無理なんじゃないかって、 当たり前だけどさ」
日暮は注がれた茶の湖面に立つ茶柱を見ながら、 自嘲気味に笑う
「初めから俺如きに選択肢何か無いんだよ…… そう、 道何か無いんだ、 道も、 道標も無い、 果の無い草原の様な所が俺の立ってる場所何だ」
何にでもなれるし、 何処にでも行ける
「俺の進む道程は、 誰かが敷いたレールの上じゃない、 俺自身が拓いて、 掻き分けて、 踏み潰して来た物が、 俺の軌跡なんだ」
うん
和蔵が、 何か言葉を挟む訳では無く、 ただ優しく頷く
「和蔵はさ、 きっと俺の心を尊重して問いかけてくれたんだろ? 俺がどちらか片方を切り捨てなければ前に進めないと勘違いしてたから」
でも違う、 違った
「ここに居る俺は、 俺の中の全てが俺の力だとしたら、 戦いの意思も、 託された想いも、 どちらかじゃない、 全部が俺を前進させる原動力なんだ」
「俺は獣じゃない、 人間だ、 でも、 それ以前に、 俺は、 俺なんだよ、 何かになる必要は無い、 辿り着く地は確かに有る、 目的の場所が俺には確かに有る」
でもやっぱり思う
「亜炎天、 戦士が最後に辿り着く、 真の最強を決めるその地、 きっと今までその地に辿り着いた者達が確かに居るのなら……」
それはきっと
「人生を最大限楽しんだ奴だ、 生涯をかけて強くなって、 戦う事が楽しくて、 笑って、 きっと楽しんだ奴が、 死んでもその意思が消えなかった」
それぐらい楽しんだ奴が辿り着く地何だ
「俺は、 人との繋がり何てめんどくさいって思いは今も変わらない、 でも、 目の前で助けを求めてる奴とか、 少し手を伸ばせば助けられる奴は、 やっぱり助けるよ」
それは、 日暮が人間として、 社会の中で生きていく事を選択したからじゃない
「その手を見ないふりして進む事が、 俺にとっては、 全然楽しく無いからだ、 その手を無視して、 やりたい事やってても全然笑えない」
「俺は、 戦いの中で死んで最強を目指したい、 でもそれは獣としてじゃなくて、 俺と言う一人の人間としてだ」
相反するかの様に見えた二つの道は、 違った、 獣も、 人も、 日暮と言う意思の中に確かにあった軌跡、 歩んで来た道程に元ずいた可能性に過ぎない
「捨てる何てもったいない、 全部が俺の力だ、 全部が俺の牙だ、 その全てを持って進む覚悟が俺には漸く出来たんだ」
だから……
「やっぱり、 このまま進むよ」
ふふっ
和蔵が笑う
「うん、 分かったよ、 日暮の『生きる』意思が、 確かに伝わったよ、 進むべき…… いや、 進みたい方向が確かに分かった」
だから……
「力を貸すよ」
そう言って手を差し出す彼女の手を、 日暮は見つめる
「……あぁ、 いや、 その前にさ」
?
首を傾げる彼女に、 日暮は問い掛ける
「今更何だけど…… 和蔵って何者なの?」
彼女が目を見開いて、 その後笑った
「ぷっ、 あははっ、 確かに、 今まで話した事なかったよねっ、 日暮も気になるのが遅すぎない?」
「これもさ、 覚悟が無かったのかもしれない、 でも、 俺の中にある全てが俺の力なら、 和蔵、 お前も俺の力だ、 知りたいよ和蔵の事」
よく思えば、 彼女を初めて感じたのは、 始まりの戦い、 ココメリコで、 初めて日暮がブレイング・バーストを発現した時だ
彼女は何時も日暮の戦いにおいて力を貸してくれる、 彼女なくては死んでいた事だった何度もあった
曖昧じゃなくて、 漸く彼女の事を知ろうと、 今なら思うのだ
彼女が頷く
「……日暮、 能力って、 なんだと思う?」
能力? 能力が何か関係有るのか?
「あれだろ、 異世界の力、 ミクロノイズが人に干渉して、 能力が発現する」
うん
「あのね、 異世界には魔力って言う力があるんだよ、 魔力は世界に昔からある力で、 どんな物にも宿ってる」
へー
「一般的には、 ミクロノイズは、 天閣の主が、 魔力を元に新たに作り出したエネルギーとされている」
それは一番最初の魔王がかの世に現れ、 勇者が力を求めた時、 天閣の主が人の為に新たに作り出した力
「天閣はね、 魔王の絶大な力に衰退していく人類を案じた、 何故なら『魔王』の根源である獄路挽は、 嘗て天閣が追放した、 獄路挽も昔は天閣だったんだよ」
獄路挽と言う存在は、 勇者であるナハトから聞いたし、 魔王と戦った一昨日の夜、 実際に魔王の肉体を乗っ取ってこちらに顕現した事も知っている
「獄路挽は天閣に恨みを抱いて居る、 だから力として、 『魔王』を作り出した、 天閣に対する対抗策としてね」
つまり
「勇者と魔王の戦いは、 天閣に対する獄路挽の指摘怨恨、 神様同士のいざこざ、 そんなくだらない物なんだよ」
和蔵は少し遠い目で、 寂しい顔をする
「だから天閣は、 自分達の過ちで失われていく命の為に必死に祈った、 自分達の過ちを、 それでも乗り越えて、 強く生きようともがく人間の強さに祝勝した」
能力とは
「天閣が人の強さに、 人の持つ力に敬意を評して、 人の為の神の祈り ……天閣の祝詞なんだよ」
天閣の祝詞………
でも、 どうして………
「和蔵がそんな事を? お前の正体に何か関係有るのか?」
うん
「大ありだね、 天閣はね、 別に一人じゃ無いんだよ、 この国の神様みたいに色んな奴が居るの」
奴?
「……簡単な話だよ、 私、 和蔵も、 そのうちの一人、 天閣の一柱なんだ」
えっ……
なっ………
「何でそんな奴…… そんなお方? が俺の中に? えっ? マジ話?」
「まじだよ、 大マジ…… でもね、 私はもうずっと日暮が産まれた頃、 ううん、 それよりも前、 日暮の魂の方に宿った存在だから」
魂……
「前世だよ、 まあ、 前世よりもずっと前だけど、 大昔の、 全く異なる世界のね、 魂は浄化後、 使い回しだから」
まさか……
「異世界転生って事ぉ?」
「似た様な物かな、 私はこの魂の軌跡、 それを見てきた者だ、 数は少ないけど、 実はそう言う、 魂に天閣の意思を宿す存在は他にも意外と居る、 日暮が単純にその内の一人ってだけだ」
そっか………
「まあ、 あれだな、 壮大な話だけど、 壮大過ぎて、 そこまで完全な納得を求めてない、 それにやっぱり和蔵、 お前は俺の力だ」
さてと……
「今は俺に力を貸してくれるんだろ?」
「うん、 君がそう望むなら、 私は惜しみなく力を貸すよ、 さて、 そろそろ目を覚ます準備は出来たかな?」
うん
日暮はお茶を一気に飲み干す、 そして立ち上がる、 気が付けば、 雨は止んで居た、 細い光が空を分けて、 綺麗な紫陽花の花に反射する
「俺、 行くよ、 魔王を倒して、 雪ちゃんと、 そしてフーリカを助ける」
「そうだね、 あの燻って居る火は、 彼女達だね」
分かっていた、 時間が無い、 立ち止まって居ては行けない、 もう止まるのはやめた、 また進み出したんだ
だから、 こっからは……
「止まってた分、 一気に巻き上げるぞっ、 この闘争心も、 人の想いも、 そして」
日暮は彼女の手を、 ここで漸く取る
「行くぞ、 和蔵っ!」
「うん、 行こうっ!」
日暮は目を瞑る、 自分が進み先は明瞭だった、 だからこそ、 そこに続く道程は、 進む道は、 例え寄り道しても構わない、 この心に従って………
…………
さぁ、 目を開けて………………………