学習院の日常
人界暦、二二一年。ネサラの街。
ベランダに集まった鳥の大合唱が朝焼けの空を飛び回っていた。
彼らは決まった時間に決まった場所にやってきては、寝ている生徒達のことなど考えずにどんちゃん騒ぎをして、手すりのところに糞を落として帰っていくのだ。
迷惑極まりない害鳥ではあるものの、それを目覚まし代わりにしている者もいるというのだから、要は使い方次第だということだろうか。いや、そんなことはない。
ちなみにこの鳥の大合唱、名付けてバードバンドは男子寮にしかやってこないらしい。なんだそれは、これが男性差別かと色々調べた結果、集まっている鳥の殆どが雌だということが発覚。それが理由で、一時期はより多くの鳥が集まっている部屋に住んでいる奴が学習院一番のイケメンだという風潮もあった。
だが現在、入学から一年半も経過した今日においては、やはりただの害鳥である。糞とかやばい。
結論。学習院の朝は早い。
「……ねむっ」
寝ぼけ眼をこすりながら、宮城登笈はベッドから降りた。パジャマを脱ぎながら壁掛け時計で時刻を見て、いつも通りだと確認を終えたなら水で顔を軽く洗う。そのまま歯も磨いて、がらがらぺーと口内を濯ぐ。
昨晩買っておいた朝食代わりのサンドイッチをかじり、もさもさしたパンの食感を味わいつつ、指定の制服に着替えて、後は寝癖をちょこちょこ直せば準備は完了である。
「いってきまーす」
挨拶しながら部屋のドアを開けると、大体誰かがいってらっしゃいと返してくる。これもおそらく男子寮だけの仕組み。こちらはお母さん制度と呼ばれている。
さて学習院の教育は、基本的に生徒の意欲、自主性に任されたものだ。
簡潔に言うと、完全単位制。生徒は自分達で受けたい講義を選択し、それを修めることで単位を取得する。それを繰り返し、入学から三年間で規定の単位数を得ることが卒業の条件となる。
なので、先ほどの話とは異なるが、全員が全員、同じ時間に部屋を出るとは限らない。
「あ、おはよー登笈」
第一校舎の玄関口で、見知った顔が姿を現した。
緑がかった黒髪に、同色の大きな瞳。卵型の輪郭に、白い肌。見る者全てに爽やかな印象を与え、風のように柔らかな物腰の女の子。ルーン=スタリエは、登笈の顔を発見するやすぐに駆け寄り、胸元で手をひらひらと振って挨拶をする。
初めて出会った時は行き倒れ状態だったので、どうしてもドジとか抜けているとかいったイメージがあったが、藍色を基調とした学習院の制服を纏った今の彼女の姿を見ると、いいところのお嬢様といった雰囲気が漂っていた。
「おはよう。ルーンは今日も元気そうでいいね」
「よく眠れるからねー。ベッドがふかふかだと気持ちがいいよ。もう床で寝る生活には戻れないかも」
だが、時折とても貧乏な発言をする。
人はそれぞれ違う人生を送っている。なので、言えない過去や秘密がどうしてもあったり、あまり幸せではない現実があったりする。登笈にとっては枇杷の国でのことがそうで、ライアにとっては生まれに関するあれこれがそうだ。敢えて聞きはしないが、彼女も何かしら抱えているのだろう。想像は容易いが、もしかしてお家没落しちゃった? なんて聞けたものではない。
「今日の歴史研究学、三階の教室だったっけ?」
「そーだよー。あそこ声よく響くし、スクレード先生の声って渋いから眠たくなるんだよねー」
想像しただけで眠くなってきたふぁー。なんて欠伸をする友人を軽くスルーした。
二人が一限に入れているのは、歴史研究学。その名の通り大陸や各国の歴史を学ぶことが出来る授業で、あまりこの辺りの事情に詳しくない登笈にとってはもってこいのものだった。ルーンはノリで入れたらしい。あと、寝ていても怒られないからだそう。
そして一ヶ月前から、この講義ではアテリア王国についての授業が始まっている。
「えぇ、まずじゃあ先週の続き。建国まではやったか。では、今日は四大公だな」
多くの生徒が詰め込まれた中、教壇に上るのは、大陸の歴史について研究を続けているという若い男性教師、ロア=スクレードだった。
落ち着いた声色と、丁寧な授業内容は、女生徒からかなりウケが良いとのこと。異性ではないが、登笈にとっても彼の説明は分かり易く、聞き取りやすい。適度に眠たくもなるので、ルーンがああ言うのも頷けはするのだ。
「かつて妖精の住まう大地と呼ばれたこのアストライア大陸。
そん中で、最初に生まれたのがここのお隣。皆さんご存知アテリア王国だ。ここ出身の奴、多いだろう」
尋ねるようにロアが視線を生徒達に向けると、彼らは隣を見たり、こくりと小さく頷いたり、軽く手を挙げたりなどして反応を示す。
「貴族の中でも、この四大公だけは特別だと言われている。それは何故か……ってのは、資料の二枚目オモテな」
ロアの言葉の後、紙をめくる音が連続する。
既に眠たそうにしているルーンを横目に、登笈も事前配布された紙束から指定の面を開いた。教師の話を聞きながら、頭の中で文章と口頭説明とを反芻しつつ、メモをとる。
四大公とは、アテリア王国の中枢を担う四つの有力貴族のことである。
北部一帯に領地を持つヴェステン公爵家。東部に広大な領地を持ち、国外にも繋がりを持つステンネル公爵家。南部の平原地帯を領地とし、国内の食料自給率に大きく貢献しているレアンド公爵家。そして、南西部の荒れた土地の開拓を続けるエイトリー公爵家。
それぞれの家の当主はヴェステン公、ステンネル公などと呼称されており、それらを合わせて四大公と呼ぶのだ。
彼らの祖先は建国当時に活躍した英雄達であり、南部に生まれた帝国からの侵略に対抗したり、識字率の向上や各地の開拓に努めるなど、とにかく国に対する貢献度が高く、歴史もあり、国民からの信頼も王族に次いで高いため、他の貴族とはそもそも扱いが異なるのだとか。
「……あれだよね。四大公って、ライアのお家の」
こしょり、と隣に座っていたルーンが耳打ちしてくる。顔が一気に赤くなるのをなるべく抑えて登笈は、そうだよ、と首肯を返した。
ライア=レアンドの名が示す通り、次男という立場ではあるものの、彼は紛れもなく四大公の血筋を引く者である。本人は結構卑屈にしているが、それはそれ。
「これはただの噂だが、この四家はそれぞれが国家レベルの戦力を有しているなんて話も聞く」
騒つく教室に、ロアは肩を竦めてみせる。
「根や葉はある噂と、私は思っているがね」