入寮式
百年以上の歴史を持つ学習院。その中心には、巨大な講堂があった。大昔、とある宗教の信者たちが使っていたとされる、古めかしくも趣のある立派な建物だ。
人界暦二二〇(にひゃくにじゅう)年。今その場所には、この学び舎で新たに生徒となる若者たちが、それぞれの想いを宿しながら、その歴史に背を預けていた。
スリージ聖王国南部、ネサラの街の中心で、入寮式が始まろうとしている。
「———始めよう」
嫌に、重苦しく届く声があった。
期待に胸を躍らせていた一人が、無意識のうちに唇を縫い付ける。頬杖をついていた一人が、愉快そうに口元を歪めた。無表情でいた一人が、やはり無表情のまま鼻息を鳴らす。黒髪の少年が、眉根を寄せあげる。金髪の少年は、面倒臭そうだと脳内でため息をこぼす。碧色の髪の少女はただ静かに待ち、浅葱色の髪の少女はその表情を崩さない。
「毎年のことながら、実に壮観なり。そのように睨みつけないでくれたまえ、若き地上の星々よ。君達の情熱を一身に受けて耐えられるほど、この老体は健康でないのだから」
静まり返る講堂内。集まった若者の視線が集まる最奥では、白髪の目立つ老年の男性が登壇し、向き合った彼らに言葉を投げかけていた。
彼はごほん、と喉を整えて、それぞれにアイコンタクトを返しながら語りを始める。
「儂は学長のブライ=コールマン。この学習院の、そうだな、目に見える立場で言えば頂点と言ってもいいだろう。そう長ったらしく話すつもりもないから、軽く聞き流してくれ」
そうして、ブライは両手を水平に持ち上げた。
「学長としては、まず若き可能性の諸君が隣国の王立学院ではなく、この学習院を選んでくれたことに礼を言うべきなのだろうな。嬉しいとも。君達の父母にも感謝を。
さて、ここ学習院で君達はこれから勉学や交流など様々なことに努めてもらうことになる。望めば、戦うための力も身につくだろう。卒業して騎士になった者、盗賊になった者、傭兵になった者、色々聞いている。
今年度は有力貴族の血筋を引く者も何名か揃っているから、あるいはコネを作っておくのも良いだろう。上手くやるといい。彼らは皆、すり寄ってくる羽虫が大嫌いなはずだからな」
そうして、学長は低い声で続ける。
これからすべきこと。卒業までの三年間で起こるあれこれ。代表的な卒業生という名目の、彼のお気に入り紹介。などなど。
「色々と覚えることは多いだろうが、頑張ってくれ。私はいつも快適な場所から君達を応援している。
しかし、最近は何かと物騒な事件が続いていてね。教員の間でも、こんな時期に貴族の子を預かるのは危険だと。ではその間、学習院はどうするのだと笑ったものだが、正しい懸念だ」
大陸の情勢はあまり良くない。それは山賊が頻繁に村を襲うとか、豪雨が続いて不作だとか、そういういつも通りとは違った不穏な何かを示している。
ブライの言葉に顔を濁らせるのは、両脇から生徒を囲う形で座っていた学習院の教員や、参列するネサラの領主、各国から赴いた学習院の後援者たち。
「現在、この大陸は揺れている。一番有名なのは東陽の三分裂だろう。凡そ三〇年前のことだ。元々の地名を国名としているからか、馴染むのにそう時間はかからんかったがな。
次が帝国の貴族間対立。穏健派はその殆どが排斥されて、帝国主義が主流になっていると聞く。いずれどこぞと戦争を始めるのかもしれん。
街中の人間が皆殺しにされたのはどこだったか。隣国アテリアでは国王が不審死を遂げ、王位を継いだのは王妃だという。これも極めて不自然だ」
ここには、今名前が出た国々からやってきている者もいる。
三者三様の反応、視線や表情が飛び交う中で、しかしブライの話を嘲笑う者は一人もいなかった。何故なら彼らの殆どがその理不尽の経験者であり、無力な自分を変えるためにここへ飛び込んできたからだ。
改めて、学長である彼は広い講堂を見渡して、眩しそうに目を細めた。
「うむ、結構。よく学び、よく遊び、よく笑え諸君。
儂らの不安、大陸の安定を取り戻すのが君達であると、心より期待しておるよ」