二人なら迷わないっ
第三校舎。それが入り口から真っ直ぐ正面の突き当たりにあるこの建物の名称らしい。案内板を覗き込んで、登笈は納得した様子でふんふん頷いていた。
どうやら、正門近くには学習院関係者だけでなく一般にも開放された施設が集められているようだった。それにはこの第三校舎や、大食堂、図書館などが該当する。
この学習院は、ここいら一帯を治める領主が徴収している税金や卒業生からの寄付を主として運営しているため、ある程度は還元しなければならないとのことだった。
だが、第三校舎より先は基本的に関係者以外立ち入り禁止となり、第一校舎や水遊場、格技場など、生徒が授業で使う施設がずらりと並ぶ区画が広がっている。防犯上の観点からか、そこから更に奥へ進んだところに目的の学生寮は置かれていた。
「……わっかり辛ぇ」
登笈が一人理解する傍らで、ライアはむむむ、と唸り声をあげて案内板と睨めっこを続けていた。
「まぁ、とりあえずは行ってみないと分からないけど、大体こう、三つに分けられてるんじゃないかな」
とん、と案内板に指を置いて、正門辺りでぐるりと円を描く。次に中間の区画、そして最奥部。
「この校舎も含めて一般開放されているエリアがここ、それで真ん中が学校生活で使うエリア。校庭とかもここだしね。で、一番奥が僕らの生活圏……っていう感じ」
一通り説明を終えると、ライアは感心したように軽い拍手をしてくれていた。
これで正しいのかは分からないが、とりあえずそういう認識でいてもいいのではないか。仮に間違っていたとしても、過ごしているうちに一つ一つ覚えていけることだろう。
「いや実際よくわかんねぇままだけど、奥行きゃ寮があるってことだけは理解した」
「それで良いと思う。僕も多分一時間くらい経ったら全部忘れてるだろうし」
適当に会話を続けながら、第三校舎を後にする。
一先ずここを出た後は正門と逆の方向に進んでいけば、遅かれ早かれ男子寮へ辿り着ける。それだけ覚えていればいい。正しくライアの言っている通りだ。
「そういや今更だけどよ、お前のいた枇杷の国って言えば、もろ戦争中の国じゃなかったっけ?」
ふと、彼はそんなことを尋ねてきた。
が、その質問には反射で答えることが出来ず、少しばかり顎に手を当てて返答に悩む。
正直なところ、登笈は枇杷の国の詳しい事情など知らないし、聞かされたことも殆どないのだ。
住んでいたのは一〇歳までの間だけで、憶えているのは、幼馴染だった火鷺や姫愛とよく遊んでいたこと、母トフィアがよく作ってくれた郷土料理、そして父がある日を境に仕事で出て行ったということだけ。
まだステンネル公爵家の領地のことの方が詳しいくらいだった。
だが、大体はライアの認識で間違いないはずだ。
義母のラティーナ=ステンネルからも、一度だけ同じようなことを聞かされたことがある。登笈の故郷は、内乱に巻き込まれて焼けたのだと。
「うーん……まぁそうなんじゃないかな」
なので、曖昧な返事しか出来ない。
「あんまり覚えてないんだよね。気付いたら親戚の家にいたからさ。本当に、あんまり」
「……そうか、すまん。何か悪いこと聞いたな」
「え、いやいや全然!! それより、ライアはどこに住んでるのか教えてよ!」
あまりに重々しい空気だったためか、ライアが申し訳なさそうに視線を落とす。登笈の側にそんなつもりはなかったのだが、やはり少しヘビーな内容だったようだ。
覚えていないのだから、悲壮感も何もありはしない。あるとすれば、やはり母親の行方だろうか。だが、それも出会って一日で語るような話ではないため、登笈は気分を切り替えて話題転換に急いだ。
「あぁ、ウインタニアっていう南部の農業地区だよ。そこの貴族の生まれでね。つっても次男だしアレだけど」
「そうなんだ!? ウインタニアなら、ここに来る途中で通ったよ。空気が澄んでていいとこだよね」
風と稲の街なんて呼ばれる穏やかな場所。それがかのレアンド公爵家が領地として治めるウインタニアの街とその周辺一帯である。
ほのぼのとした田舎で、喧騒も殆ど聞こえてこない良いところだが、舞う花粉の量は凄まじい。
鼻がずるずるで、という話をライアにすると、彼は察したように笑っていた。同じ経験があったのかもしれない。
「でも王立学院には行かなかったんだ? なんか貴族って殆どそっち選ぶイメージあるけど」
「何か堅苦しそうだしな。それに、なるべく家から遠いとこが良かったってわけ。実家嫌いなんだよ」
「そっか。まぁ確かに堅苦しい感じはするかもね。王立とかもう名前からしてガッチガチな気が」
その時だった。
噴水の音と、爽やかな野風を浴びて、いざ男子寮へと歩き始めた直後。ぐぎゅるるるるるるるるる、という怪音が二人の耳に届いたのは。
「……ん?」
「……あん?」
一度、二人は立ち止まり、顔を見合わせる。が、お互いに自分ではないと目で主張した。
近くに人はいない。いるとしても、精々ベンチに座って読書に勤しむ青年くらいで、腹の音など聞こえてくるような距離ではない。
こんな真っ昼間からホラー、なわけもない。
聞き間違いだろう。
そう納得して、改めて一歩を踏み出した時、足元の芝生から、がさり、と何かが動く音。
視線を真下に下ろすと、そこには空腹で悶える一人の少女の姿があった。
「おなか、お腹が空きました……きゅう」
「……っふ」
「……えぇ?」
彼女を目視した後、もう一度彼らは視線を合わせて、片方は馬鹿らしいと笑い、片方は呆れて首を傾げる。
そんな中、空腹少女———ルーン=スタリエは、げっそりした顔で恥ずかしげもなく腹の虫を鳴らすのであった。
「…………仕方ねぇな。何か買いに行ってくるか」