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コロナと殺し屋

作者: SOUND JOURNEY

コロナ禍の昨今、殺し屋にならざるを得なかった男と、彼を拠り所として生きるベトナム娘の顛末を描いた3000字程の短編小説です。

10分ほどで読めますので、お時間ありましたらよろしくお願いします。

読んで頂ける方の心に残るものがひとつでも作れればと思い、執筆しました。

 どうあがいてもその道にしか進めない人というものが、この世には存在する。

 彼ら彼女らは、その限られた選択肢の中で天才と呼ばれ讃えられる場合もあれば、異常者と疎まれ圧し潰されてしまうこともある。

 彼も、その類の人間だった。幼い頃から続けてきた格闘技に関わるコミュニティでも、高校卒業後入隊した自衛隊でも、渡米して入社したPMCでも、彼は既存のルールや人間関係に馴染めず、追い出されるようにしてその場を後にした。ストイックに己を打ち続け身に付けた技術は、他者の追随を許さないほどに見事なものであったのに。

 そして辿り着いたのが殺し屋――という道だった。

 現代日本において如何様に、そのような現実離れした職が成り立っているのかは、書き出したところで長くなるだけなので読者の想像や知見にお任せするが、それは確かに存在する。

「さてと……」

 山中の森深く、潜むようにしてそびえ立つ豪邸に忍び込んだ彼は、慣れた動きでボディーガードを制圧して、地下室に潜んだマスクをつけた小太りの男を追い詰める。

「ど、どこのモンだ?」

「僕は、ただの殺し屋です」

「金か? それなら倍額払う。だから――」

「――仕事とは、信頼関係があって初めて成り立つものです。裏切ることはできません。では、失礼いたします」

 彼は、別に殺しに対して喜びを得るような性質の人間ではなかったので、いつものように明確な損得勘定の上でのみ必要な、合理的な殺人を行った。


「オカエリナサイ」

 ただたどしくも甲高くかわいらしい、その声の響き。

 依頼されただけの殺しを成し遂げて、閑静な住宅街にひっそりと佇む住処に帰宅した彼を、美しいベトナム人の娘が迎え入れた。

 周囲を背の高い家々とマンションに囲まれた平屋木造建ての彼らの家は、じめじめとした日陰の中に常にあったのだけれど、その娘が笑顔で語り掛けてくれるその瞬間だけは、まるで陽が差したように感じられた。

「ごはん作りますネ?」

 彼女は、とある富豪に養子と言う名目で日本に連れてこられた人で、依頼されるがまま殺した富豪の傍らに、酷い姿で寝転がされていた。契約上、目撃者の口は封じなければならないのだけれど、彼はその時、殺し屋家業を初めてから唯一の契約違反を犯してしまった。

 理由は単純、富豪の手によって徹底的に汚された上でなお輝きを失わないその美しさに、彼は惚れてしまったのだ。それはまごうことなき彼の初恋だった。依頼者には彼女の存在を告げずに、そのまま家に連れて帰った。

「今日は、肉ジャガ作りましタ」

 その甘味のきつい独特な味付けの肉ジャガは、今では彼の一番の好物となっている。

「今日も誰に補足されることもなく、速やかに刺殺することができました。対象は、断末魔をあげる間もなく確実に、正確に。なかなか良い仕事ができました」

 彼女は、今日あったことをぽつぽつと報告する彼の言葉を、幸せそうな笑みを浮かべて受け止める。彼女にとって彼の仕事のそれは、自らを地獄から救い出してくれた一筋の蜘蛛の糸のようなものだったから、感謝こそすれ否定する気など起きなかった。

 夜も更けて。童貞の彼は、いつもそうするように、彼女の手をふわりと握りながら眠りに落ちた。

 このまま仕事を重ねて大金と共に新しい戸籍を手に入れて、彼女の故郷で第二の人生を始める。クイニョンというネットを介してしか知らぬ港町の光景が、閉じた眼の暗がりに広がった。彼女と暮らすようになって初めて抱いた未来への希望を夢想する度に、彼はいつも泣き出したいような喜びに包まれた。


 その日も彼は、いつものように殺すべき人を殺し、多くの人々と同じように労働の対価を得て家に帰った。

 徹夜明けの仕事のけだるさも、彼女の笑顔を見ればすぐに吹き飛ぶだろうと勢いよく家の中へと駆け込んでいったが、彼女はどこにもいない。どこかでへまをやって殺しを悟られ、報復のために彼女が連れ去られてしまったのでは……とまず思い、家中に仕掛けた監視カメラの映像を確認すると、鼻歌など歌いながら自ら家を出ていく彼女の姿が、モニターに映し出された。

 どのような困難な殺しの前でも感じることのなかった不安を胸に、彼は病疫の蔓延した街を駆けて回った。強い日差しの中を、マスクを付けた人々が行き交っている。街のどこにも彼女はいない。

 散々歩き回った果て、彼女が好きで時折訪れていた代々木公園に辿り着くと、そこはなお一層の人で溢れかえっていた。マスクを付けた人、人、人。駆け回る子供達の楽し気な声、恋人たちの語らい、各々で持ち込んだ楽しみを目いっぱい享受する若者たち。

 しばらくして。

 輝く噴水の飛沫した煌めきの前で、今風の若い男と楽しそうに語らう彼女を、彼はふいに見つけてしまった。ベンチに腰かけ親し気に語り合う美男美女、なかなかに絵になる様相で、それは陰気な青びょうたんの彼では決して作り得ない「調和」だった。

 ぼろぼろと涙を流しながら彼はそのまま家へと帰り、何事も見なかったかのように、彼女との日々を改めて続けた。


 そして彼女は、コロナにかかった。

 あの日あの時、人に塗れた公園を訪れたことに因があるのかは分からなかった。病疫は今や、いたるところに満ちているのだ。

 収まらぬコロナ禍でただでさえ病床が減っている上、殺した富豪との関係を断つために身の保証を捨てた彼女がかかれる病院は限られていて、入院できる病院を男が探し回っている間に、彼女は苦しみながら死んでしまった。

「ご迷惑おかけシマシタ」

 そんな彼女の最期の言葉を繰り返し思い出し、彼は嘆き行き場のない怒りにその身を沈めていった。今まで何の気なしに行っていた労働としての殺人も、まるで手がつかなくなってしまった。

 何故、なにも罪のない彼女が。

 彼女のスマートフォンには、彼女を心配する男からのLINEが届いてたが、そのようなものに八つ当たりする心持ちにはならなかった。彼女を殺したのは、病であってその男ではないのだ。マッチングアプリを使い、裏で積極的に浮気相手を探そうとしていた彼女のことも、恨むことはできなかった。彼女は状況的に止む無く、おこぼれとして自分と一緒にいてくれただけなのだ。殺すことしか能がない自分には、それほどの価値しかないのだ。誰かをこの世から消し去って欲しいと強く願う者だけが、つかの間の評価を彼に与え、見合う報酬を渡していたに過ぎない。通り過ぎれば不気味な殺人者だ。そんな彼を、毎晩優しく彼女は抱きしめてくれたのだ。

 だから彼は、持てる彼の技術の全てを費やして、コロナを殺すことにした。

 彼には、世界中で勇敢に戦う医療従事者のように、人を生かしてコロナを殺す技はない。故に、手当たり次第に人を殺して「密」な社会を疎らにして、コロナを殺そうと彼は思った。それは全てを失った彼が抱いた絶対的な信念で、誰に何を言われようが(例え彼女が生き返ってそのような行為は無駄だと説いても)、変わるものではないように思えた。


 その日彼は、脈絡もなく通り魔的に3人の市民を刺殺した。薄く白んだ真昼の路上には、血だまりに倒れるマスク姿のおよそ善良な人々がいた。


 彼女との夢を果たすために蓄えた貯金をはたいて、いくつもの爆弾を用意した。毒薬も用意した。PMC時代に学んだ対テロ戦術から逆算して、効率的に市民を殲滅できる計画も用意した。

 彼は彼女を殺し、彼の心を深く傷つけたコロナを決して許さない。彼の命尽きるまで、あるいはコロナを殺しきるまで、成すべきことを成し続ける。

「頑張ってネ」

 と心の中の彼女が、彼に語りかけた。コロナによって命を奪われ、彼女は彼の魂の中で不変の存在として生まれ変わる。そう。彼は己の永遠の果てに、コロナの殺し屋となったのだ。


<終わり>

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