9
朝のまぶしい光に目を覚ます。
「ん゛~!」
あぁ、良く寝た。
目を開けてみると、見慣れない天井だった。
見慣れないすごく大きなベッド。
キングサイズ?
だって王様のベッドだもんね。
そうよ、昨晩はロジェの奴に変な勘違いを起こさせてしまいうっかり一緒に寝ることになったのだった。
部屋に入った後からの急展開には内心ビビりまくりだった。ロジェのやつ気でも触れたか?とか思ったけれど、確かに私も悪かったよね。夜中に異性(?)の部屋を訪ねるなんて破廉恥だ。二度と部屋の中には入らないと心に誓った。ただ、髪の毛を魔術で乾かしてもらうことだけは諦められない。そこはどうにかうまくやっていきたいものだね。
ロジェはもう私の横にはいなかった。
先に起きてどこかへ行ってしまったようだ。どうせなら私のことも起こしてくれりゃあいいのに気の利かない野郎である。またもやマヌケな寝顔を奴に晒したのかと思うと不愉快で、せっかくの爽やかな朝も台無しだ。
……ん?私、ちゃんと布団をかぶっている。
昨晩布団をかぶった記憶はないのだけど……もしかしてロジェがちゃんと私を寝かせなおしたのかな?
なんだか感動するね。前言撤回、気が利くじゃないか~!思いやりってものがあったんだね。見直したぞロジェ!寝顔を晒したことを悔やむよりも、風邪をひかなかったことを喜ぼう!
あんな冷たい体のやつとくっついて何もかぶらずに寝たら風邪をひくに決まっている。今日もばっちり健康体!これは有難いことだ。
私はベッドから降りた。
さっさとこの部屋からはおさらばしよう。嫌な思い出とともにね。
転生してから嫌な思い出ばっかりじゃないか。森でお漏らしさせられたり、骸骨の処理させられたり、ファーストキスとおさらばしたり……。本当にろくでもねぇな?
もういっそ人生やり直させ……いや、冗談でもそんなこと言っちゃいかん。あの神様なら何をしだすかわからんからな。もうわたしゃ二度と他人の人生のピンチを肩代わりしたりしないよ。
絶対に極楽浄土か天国でごろごろだらだら悠々自適ライフを送るんだからね。
サンダルを履いてあくびをしながら部屋を出た。
廊下では朝の光が床の大理石をピカピカと輝かせていた。誰の気配もない廊下をサンダルを鳴らして歩いた。このサンダル、履きやすさや通気性などはすばらしいんだけどこの音だけは嫌だな。自分の居場所を知らせるようにカランコロン鳴るもんだから困るよ。
さて、さっさと自分の部屋に戻って着替えをしなくては……。
部屋にもいない、廊下にもいないとなるとリビングにいるんだろうかロジェのやつは。
自分の部屋に入る。
昨晩から変わらない部屋の風景……。なんだか虚しい。
「さ、準備するぞ。」
気合を入れなおして、風呂場へ向かった。
洗面所で水を出す。
やっぱり朝は冷たい水に限るよね。
冷たい水で顔を洗い、タオルで拭く。
鏡に決め顔。今日も美少女だねリナリー!
……なんて冗談はさておき、今日はついに人里へ降りる日だ。男装をしようと決めていたので髪の毛を編んでしまおう。
自分で三つ編みなんてできるだろうか?
私のヘアアレンジ能力は絶望的だからね。
まず髪の毛をブラシでといて、すべて右側の肩に持ってくる。首を傾けながら何となく三つに分けて編む。
三つ編みってどうやってやるんだっけ?
すっかり忘れてしまった。
こうか?いや、こっちか?
………少し時間はかかったけれど、なんとか完成。
見た目はそれっぽいんじゃないですか?ちょっとぼさぼさだけど、いかにもリナリーって感じで上品にうねる豊かな黒髪の自己主張は抑えられている。リナリーっぽさがなくなれば後はどうでもいい。
風呂場を出てクローゼットを開ける。
寝巻のワンピースを脱いで、胸にサラシを巻く。
今日はいつもよりきつく巻こう。ちゃんとぺったんこになるようにね。
クローゼットから、使用人用の男物の服をとる。一応この部屋に運んでおいて正解だったね。これは下僕用の制服なのかな。センタープレスのズボンにサスペンダー、すこし黄色みがかったワイシャツ。サイズはぴったしだ。
クローゼットの中のこれらの服は、すべて使用人部屋から持ってきたものだ。
メイド服を中心に、自分の体に合いそうなものはすべて持ってきたのだけど、この下僕服もなかなかいいんじゃない?私はスカートよりも断然ズボンが好き。
ちなみに、今日はズボンなので自作のパンツをはいてみた。伸縮性のない普通の布では体に沿った形の、地球における現代的なパンツは作れない。なので、ショートパンツに近く、少し風通しの良いパンツになっている。履き心地はまずまず。
鏡に映る自分を見てみる。
まぁリナリーは何を着ても似合うよね。
ただちょっと男っぽさは足りないけど、いいだろう。この世界ではズボンを履く女なんて古今東西どこを探してもいやしないだろうし、まず女だと疑われることはあるまい。女は平民だろうとなんだろうとスカートというのがこの国の常識で、女性はズボンを履かないしそもそも履きたがらない。足の形がわかってしまうから恥ずかしい、という考えらしい。
クローゼットの下段から引っ張り出した皮のブーツを履く。
ブーツのなにが面倒くさいって、この紐の編み上げだ。
あぁ、めんどくせ~。
なんとか編み上げたが、編み目がガッタガタで左右のバランスが悪く仕上がった。紐を通しなおすのも癪なのでそのままでいいことにする。
「さて、行くか。」
まずはご飯を食べにキッチンへ。
それからリビングに行けばロジェの奴に会えるだろう。
××××
キッチンで今日も代わり映えしないホットケーキもどきを作り、食べて、すぐさまリビングへ向かった。
調理にも喫食にも片付けにも時間をかけない。それが私流の食事である。
でもいい加減栄養が偏りすぎて体を壊しそうだ。そのうち森を散策してビタミンを探そうと思う。そのうち、そのうち、と言いつつずっと先延ばしにする未来は見えているけどね。あぁ、ホントに私ってダメ人間……。
リビングにはロジェがいた。
偉そうにソファに座って本を読んでいる。昨日の本の続きを読んでいるのかな。
「おはようございます~。」
ソファのロジェにそう声をかけると、気怠そうに顔を上げた。
私の顔を確認して、また本に目を戻す。
挨拶も何も無いんかい!感じ悪っ!
でもまぁ言ってもしょうがないので、ロジェの足元に座った。
ロジェの足のそばに侍ることがすでに習慣になりつつあることが悲しかった。
「今日はお前は本を買いに行く予定だ。準備はできているのか?」
「あ、はい一応。」
「よし、ではついて来い。」
ロジェはパタンと本を閉じてテーブルに置くと立ち上がった。
玄関に行くのかな?
私も立ち上がり、ロジェの後についてリビングを出る。
足の長いロジェの後を小走りでついてゆくと、そのまま玄関を出てしまった。
玄関から出ると、視界いっぱいに青い空が広がった。
屋敷の周りは牧草地のような草原。山の中なのに木が開けているから見通しもよく、空を視界いっぱいにして見ることができるのだ。屋敷を建てるのにテキトーに選んだ土地だけど、結構いい土地だよね。
日差しは優しく、山の清涼な空気はパリッとしている。今日はとても過ごしやすい良いお天気だ。
ロジェは私の方を振り返ると、パチンと指を鳴らした。
空中からひらりと黒い布が降ってきて、それをロジェはつかむ。
マント?
魔術ってもっとこう、呪文を唱えて魔法陣が出てきて……みたいなのだとずっと思っていた。でもそんな仰々しい手順はなくて、指パッチン一つで何でもできるらしいから驚きだよね。
最初は魔術という非日常的現象にときめいていたけれど、ロジェときたらあまりにもアッサリと使って見せるから感動も薄れてきてしまった。
ロジェはパッとマントを広げて私の肩にかけた。
あ、私に貸してくれるんだ。あんたがその目立つ姿を隠すのに使うのかと思ったよ。
「ありがとうございます……?」
「死んでも人間になどつかまるなよ。私に迷惑がかかるのだからな。」
なるほど、マントは街に潜入する私に必要なアイテムなのね。ロジェは街には入らないから人目さえ避ければマントは必要ないのかな、たぶん。
もし私がリナリーだとバレたら間違いなく捕まえられて、尋問されるだろう。
悪魔の王はいったいどこにいるんだ!?ってね。私の根性じゃ尋問になんて耐えられないだろうから、ロジェに脅されて怖いから仕方なく従ってたんですぅとか言ってすぐさまロジェを売るね。根性無すぎてごめん。
「頑張ります。」
マントに腕を通してしっかりとフードをかぶった。
ばっちりだ。
ここまで見た目をカバーすれば簡単にリナリーフェリペ嬢であるとは誰にも分らないはず。
「金だ。」
手渡された小袋を開けて中身を見てみると、キンキラキンだった。じゃらっじゃらに詰められた金貨。
こいつ金持ちなのか……。なんか悔しい。
イケメンで長身で金持ちで、めっちゃ強いし魔術も使えるなんて……。それに比べて私ときたら自分一人じゃ生きられない一文無し。世の中不平等だよね。
まぁ、こんな豪邸を持ってるわけだし、これくらいの金は持っていてもおかしくないとは理解できる。
しかし、いったいどうやってこんなに稼いだんだろう。こいつが真っ当に商売をして金を増やそうとなんてするわけがない。魔術があるので強盗、空き巣、なんでもできると思うけど……って、まさかこれ汚い金じゃないよね?
「いくら使っていいんですか?」
「好きなだけ使え。金には困ってないからな。」
さいですか。
さすがロジェ様。
お金には困っていらっしゃらない、と。そう言うことなら多少私的に使わせていただいてもかまわないだろうか?
ケチなロジェだけれども、そんなに怒ることはないだろう。金なんてこいつにとっちゃあ大して重要なものでもないだろう。人間社会の金なんて無くても生きていけるだろうし、必要になればいくらでも用立てられるもんね。
「来い。」
ロジェはしゃがんで腕を広げた。
まさか抱っこ……?
来いと言われて行かないわけにはいかないので、とりあえずそばに寄る。
するとロジェは私の足をすくい取って縦抱きにした。足をとられたのにびっくりしてバランスを崩し、思わずロジェの首に抱き着いてしまった。
乱暴な奴め!丁重に扱え!
「ちょっと恥ずかしいんですけど……。」
「なぜだ?」
「子供みたいじゃないですか。」
ロジェはバカにするように鼻で笑った。
「子供だろ?」
抱っこされるのが恥ずかしいんだよ。
わかれよ。
「そりゃあロジェ様から見たら誰だって子供のようでしょうよ。でも一応成人してるんですよ?私」
何百年も生きているはずのこいつから見たらどんな生き物だって子供のように幼稚に思えるのでしょうね。
だとしても悔しいのは、こいつと並ぶと見た目でもお子様に見えてしまうことだ……。くそ!
「成人?子供にしか見えないが。」
「その子供と寝ようとしてたのは誰だよ……」
思わずつぶやく。
ロジェはキッと目を細めた。ぞわわと悪寒が走る!
「嘘です冗談っていうか口が滑った!」
「……今からでも犯してやるぞ?」
「け、結構です!」
ド直球に言うな!
本当に嫌ですわ、わたくし仮にも貴族令嬢(元)ですのでお下品な話はいたしません。そのように野蛮な物言いをされたら怖くて涙がでるわ!やめてくださいな!
あ~やだやだ、これだから高等生物は……!
それに反省して、もう二度と夜中にロジェの部屋に立ち入ったりしないと誓ったんだし許してくれ。
「ささ、参りましょ?日が暮れてしまいますよ~?」
さっさと話題を切り上げたくて、愛想笑いでそういったけれどロジェは不機嫌な視線を私に向けたままだ。
顔が近くにあるもんだから、視線の威力も半端じゃない。
ロジェさんよ、こっち見ててもしょうがないでしょ?その無駄にきれいな顔をこっちに向けてないで進行方向に向けてよ。そんでもって早く行こうや。
ロジェの頬を両手で包んで、そのまま顔をぐりっと進行方向に向けた。
その瞬間、ロジェの手が襲い掛かってくる。
「むぐっ……!」
ロジェの手は私の頬をつまみ上げた。
痛い痛い~!引っ張らないで!ほっぺたもげる!
「ふざけるのも大概にしろ。首を飛ばすぞ?」
「ごへんしゃしゃひ~!(ごめんなさい)」
それ、あんたも死ぬよね?
疑問の残る契約だけれども、一応今のところ死なばもろともってことになってんだからね?
それに人の首を簡単に飛ばしちゃいけません!ちょっと顔を触っただけじゃん!ちょっと顔をぐりっと向こうに向けただけじゃん!こんなことで怒るなよ~!短気は損気!
ロジェは私の頬を解放した。
「痛い~……」
「自業自得だな。」
けっ、偉そうに……!
わかってるさ、もうふざけたことはしましぇ~ん。その代わりせめてもの抵抗に念でも送ってやろう。
見た目は若作りだけどすんごいジジイだもんねロジェじいさんよ。あんたの毛根が死滅することを祈って!ハゲろ~……ハゲろ~……。
私の念を察知されたのか、ロジェはキッと鋭い目をくれた。
さっと顔を背ける。
ハゲろとか思ってません。ずっとふさふさサラサラのままでいてね。
「やれやれ、ガキのしかも駄犬の相手は疲れるな。任務だけはちゃんとこなせよ?」
「わかってますよ。本を買ってくりゃあいいんですよね?」
誰がガキじゃ!誰が駄犬じゃ!
そうは思っても言わないよ。きりがないからね。
ほらね、結局は私が折れてあげてるんだから、私の方が大人な対応をしていると思うなぁ。
お子ちゃまなのはロジェのほうだ。うん、間違いない。
「舌を噛むなよ。」
いったい何の注意だよ?
とりあえず、口をしっかり閉じて頷く。
あ、まさかまたあのジェットコースター?
皇宮を脱出した後に、街から逃げた時のアレをやるつもりなの?
そうでもしないと聖域として警備網が敷かれているこの山を下山することはできないのかもしれんけど、よりによってアレ?正直言って嫌なんだけど。
思わずあの時のジェットコースターの気分を思い出してしまう。思い出すだけでゲロ吐きそうだよ……。
怖いのでロジェの首にしっかり抱き着く。
ロジェは少し身をかがめて膝を曲げ地面をしっかりと踏みしめると、全速力で走り始めたロジェ。
そのスピードの負荷が私にも襲い掛かる。
バヒューン!と映像を早送りするみたいに流れていく景色。
地面を走っているのか木の上を走っているのかも分からない。
そのうち目が回り始めて、私はロジェの肩口に顔をうずめた。
やっぱりジェットコースターは無理。これに慣れることは一生無いでしょうね。
今日のロジェの肩はステキな香りだった。
イケメンは匂いからして違うらしい。
………
…………
そうしていったい何十分ジェットコースターに乗っていたのかわからないが、ロジェは足を止めた。
何十分だったのか何分だったのか、もしかすると本当は何秒かの間のことだったのかもしれない。とにかく、やっとロジェが止まってくれた時には私はぐったり。吐き気はもよおさなかったものの、気持ち悪くて動けない。
「どうした?」
ロジェがこちらを向いてそう言うので、耳元に息がかかってくすぐったい。
「スピード出しすぎなんですよ……」
力が入らなくて顔すら上げられない。
このまま地面におろされたら地面でおねんねすることになりかねないね。落ち着くまでしばらくここにいましょう。
ホント、移動の度にひどい目に遭わせてくれるよね。
私の内臓が落ち着くまで、私を抱くのはあんたの義務ですからね。……出発する前、抱っこに恥ずかしさを抱いていた自分が懐かしい。もう恥ずかしいとかそんなことを言ってられる状態じゃないのだ。
「貧弱なガキだな。」
ため息をついて、ロジェは私の背中をさすってくれた。
あら、親切なのね……?
え……ロジェが親切!?
嘘でしょ?嘘だよね?嘘だと言ってよエドマンド!
それでも背中に大きな冷たい手を感じる。
嘘でも幻でもない。
はぇ~、こいつにも思いやりなんてあったんだなぁ。弱者をいたわるということを知っていたんだねぇ。
感激するわ。
びっくりしすぎて一気に上がった心拍数も、背中をさすってもらっているとだんだんと落ち着いて行った。同時に一瞬忘れかけていた気持ち悪さもしっかり戻ってきた。最悪……。
しっかし私を抱いて背中をさするなんて、傍から見たら完全に親子の構図じゃん。ロジェにはお父さんの素質があるのかもしれないな。こんな父親、私なら願い下げだが。
どうせ気まぐれだろうけれども一応感謝はしておくよ。
まぁそもそも、もっとスピードを加減してくれればこんなことにはならないのよね。そもそもがこいつのせいなんだから、私をいたわるのも当然と言えば当然?
それに私のことを貧弱って言ったけれど、あんたが図太すぎるんだ。
「もう街ですか?」
「あぁ、我が家と街の門の中間地点だ。」
なるほど。
ここで止まったのは、ここで私をおろすためなのね。聖騎士団が警戒をしてる以上、こいつは街に近づいたりもできないのだ。私たちの脱獄で警戒はかなり強化されているはずだもんね。
「ここから歩いて行け。」
やっぱりね。
それにしても歩きか~。だるっ!
しかも一人だなんて、話し相手もいないし寂しいよ。
「帰りもここに戻ってくれば良いんですか?」
「そうだ。3時の鐘のころ、ここにいろ。」
ロジェは私をおろそうと、しゃがむ。
動かないで~!
しゃがんだ衝撃が私の内臓を揺らした。おえっ、気持ち悪っ……。
「もっかいさすって……」
全然回復しない。
誰かさんがすばらしいスピードで私を運んでくれたおかげなんだけれども、だからってその誰かさんに文句を言ったりはしないよ。私は心が広いからね。
もしゲロを吐きそうになったらその誰かさんの服の中に吐いてやろうとは考えているけど。
「はぁ、手間のかかる駄犬め。」
そういいつつロジェは私の背中をさすった。
断らないんだ……。
それで私は確信した。なるほど、こいつ病人に弱いんだ。
私が具合悪そうにしているからいつもと違って優しいわけね。気まぐれが二回続くとも思えないもんな。
ロジェにもマトモっぽいところがあるとわかってよかったよ。病人をいたわれないやつは最低だもんな。つまりロジェは「最低」よりもちょっとマシなランクに位置する鬼畜変態ケチ人外王ってことだ。その調子でどんどん最低のラインから遠ざかってくれることを祈るよ。
大きな手が背中をなでるたびに少しずつ気持ち悪さは無くなっていくような気がした。
私もよくばあちゃんの足をさすってあげていたなぁ、とふと思い出した。ばあちゃんは人の手には不思議な力があるんだと言っていたなぁ。確かに辛い時はさすってもらうに限る。
ロジェは人間じゃないけど、ちゃんと手には不思議な力が宿っているらしい。
ロジェに体を預けることしばらく、だんだんと息も深く吸えるようになった。
そうして私はやっとロジェの肩から顔を離した。
胃のあたりを触ってみるけど、気持ち悪さは無くなっていた。
「ロジェ様、ありがとう。」
そう笑顔で言うと、ロジェもほほ笑んだ。
思わず笑顔で見つめ合ってしまった。神々しいまでの美しさに、言葉を失う。
格の差を見せつけられた気分。
いつもの邪悪さにまみれた愉悦の笑みとは違うんだ。
柄にもなく邪気のない笑顔を見せつけるだなんて、どういうつもりなんだ。別に私には含むところなんて無いんだけど見透かされているような気分で嫌になる。
ロジェの腕から降りて、自分で立つ。
うん、フラフラすることもないし大丈夫だ。
ロジェの腕につかまったまま、あたりを見回した。
ここは大きな樹の下。細い道の真ん中で、あたりに人気のない場所だった。ロジェの背後にはそびえたつドラゴンの山があり、私の後ろを振り返れば街があった。王都じゃないか。意外も意外。わざわざ皇帝がいる一番警備の厳しいこの街に来るなんて、どういうつもりだろう。
私、本当に無事に帰ってこられるだろうか。
「行かなきゃダメですかね……?」
「当然だ。ここまで来ておいて行かないという選択肢はないだろうが。」
おっしゃる通りでござんす。
ジェットコースターに苦しんだ分損になってしまうもんな。せめて、この苦労に見合った成果を手に入れて帰りたい。
変装してるんだから大丈夫だろ、とは思うけれど王都はこないだ脱出してきたばかりの場所だからなぁ。
どうも、トラウマというわけじゃないけど抵抗感があるのだ。せっかく逃げてきた場所にまた自分から飛び込むなんて、ね?
しゃがんだままのロジェはわたしを見上げていた。
真っ赤な瞳に吸い込まれそうになる。
ロジェは上から見てもイケメンなのね。本当にどこから見てもイケメンなのね。ムカつくなぁ。
私には大人しく街に行き任務を遂行するしか選択肢は残されていない。
がんばれ私!
名残惜しいけれど、ロジェの腕を離した。
「じゃあ、行ってきますね……。」
「死ぬなよ。」
死ぬなよってなんだよ。
気を付けてね、とかにしろよ。
「死にませんよ。」
心の広い私は笑ってそう返してあげた。
私が死んでもどうとも思わないくせにさ。人間につかまってロジェの情報を吐いたりしたら面倒だな、と思ってるだけで、自分に被害さえ出ないなら私がどこでどう死のうとかまわないわけでしょ?
一方で私はロジェがいなきゃ暮らしていけない。
例えば、もし目の前でロジェが死にかけたら全力で助けるだろう。それが憎きロジェとグッバイできるチャンスであったとしても見殺しにしたりしないで助けるね(そもそも簡単に死ぬ奴じゃないんけど)。
人間の社会にはもう私が住み着く余地などない。ロジェが唯一の私の生きる道なのだ。
これが世に言う片思いってやつなのかなぁ。
私はこんなにロジェを大切に思っているのに、思いは一方通行……なんてね。
いやいや、ふざけてるバヤイじゃない。
さっさと任務を終わらせて、3時の鐘のころにもどってくるんだ。がんばるぞ!
ロジェに手を振る。
「じゃあまたあとで。」
さすがに手を振り返してはくれなかった。
私はロジェに背を向け、向こうに見えている城壁をめざして歩き出した。
城壁というのは街を取り囲む外壁。
この国はどの街でも外側を高い壁で囲んでいる。それは昔、他種族と争っていたころの名残で、今でも壁の上には治安を守る憲兵をおいており街の入り口は数か所の大門のみとなっている。
門には検問があって、誰でも彼でも入れてくれるわけじゃない。
ちゃんと人間なのかを魔道具を使って聖騎士団に調べられて、許可が下りるとやっと街へ入ることができるというシステムだったはずだ。
私はちゃんと人間だし、今の恰好では指名手配犯リナリーフェリペにはみえないはずなので、おそらくうまいこと街に入れるはず。そうだと信じよう。
私が歩いている細い道はそのうち大きな街道にぶつかる。その街道が街に向かう本筋の道路で、人も馬車もたくさん通っている。
ロジェは人目につかない場所に私をおろしてくれたみたいだ。
まぁそりゃあそうだよね。
私は細い道から道路に出た。
馬が荷車を引く音、人々の話し声。
街まではまだあるのに、道路だけでも結構にぎやかなもんだ。
フードをしっかり深くまでさげて、私も通行人のなかに入り込む。
気配を消せ。今こそ空気系女子としての本領を発揮するのだ。
周りの人は私を特に気に留めることもなく歩いていた。
よかった。
空気系女子の名は伊達じゃないね。
そういや、ロジェは3時にあの木の下にいろって言ったけれど、それまでの間あいつはどこにいるつもりなのかな?山に帰るのかな?屋敷でお昼寝?
私がドギマギしながら街に潜入している間に、ホントいい御身分です事。
そうして歩いているうちに、街に入る門は目の前に迫っていた。
「二列に並んでください!通行証をお持ちの方はこちらで~す!」
そんな係員の声が聞こえてくる。
門の前には大人がわらわらしているから門がどんな状態なのか見ることもできない。背伸びをして向こうの様子を見ようとするけれど、うん、無理だね。
ロジェほどの身長があればなぁ。
だんだん人がさばかれていき、やっと様子がわかってきた。
どうやら列に並び順番に検問を受けるらしい。
まわりにいる大人たちの話を盗み聞ぎしていると、どうやらここ最近で検問が厳しくなったとのこと。それってもしかしなくても私たちのせいですよね。
けれど、皆さんは不死の王が脱獄、逃亡中だということは知らないらしい。
そんな情報が流れてしまったら人間たちは何百年前のあの時代に逆戻り!?なんて言って大パニックだもんね。ロジェを逃がしてしまったことの責任を問われて偉い人たちも地位を追われかねないし、情報統制がされたんだろう。
人がさばかれていき、私の順番が近づく。
ドキドキするなぁ。
声もちょっと低めにしてみようかな?李衣菜とは違って声もかわいいんだ、リナリーは。
かわいい高い声してる男ってのもアレだもんな。
「お次の方、こちらです。」
聖騎士団の装備をまとった屈強な係員に呼ばれ、私は前に進んだ。
「住民証は?」
「ないです。」
「本日はどのような用向きで?」
「買い物です。」
係員さんはなんだか困ったような顔をした。
え、何ですか?
「それ、取れますか?」
あぁフードを脱げって?
確かに見た目で言えば怪しさ満点だよね。
本当は嫌だけど、しょうがないのでフードを脱いだ。この顔や髪形じゃ私がリナリーだとはわからないだろうしね。
「黒髪……?」
「あ、はい。混血です。」
黒髪黒目っていうのは隣国の人々の特徴で、この国ではそこそこ珍しいものだ。平民には移民や混血で黒髪の子もいるけれどね。
「実は今、黒髪黒目の特徴をもった指名手配犯がいましてね。でも君は男でしょ?」
「はい、男です。」
うわぁ、指名手配犯だって。
そうなるだろうとは思ったけれどさ。
ちゃんと男に見えているみたいで良かった。怪しまれないで済んだ。
「では検査しますね。ここに手を置いてください。」
これが魔道具なのかな?
占い師が持ってるあの水晶玉みたいなやつが台にのっている。
指示通りにそこに手を置くと、ピピっと音が鳴っただけで特に何事も起こらなかった。
「ご協力ありがとうございます。お進みください。」
やったぜ、セーフ!
上手く切り抜けられたよ。
男装をして良かった。もし男装をしていなかったらいまごろお縄だったな。
門をくぐって進むと、すぐそこは街の大通りだった。
石造りの大通りに人があふれ、あちこちから笑い声がする。
道沿いには店が立ち並び……屋台から食べ物の匂いが漂ってくる。リナリーは下町を訪れたことはなかったのでこの屋台が立ち並ぶ大通りは正真正銘初めて見た光景と言える。こんな場所だったんだね。
人が入り乱れているし、スリにあいそうだな。
気をつけよう。
ロジェにもらった金貨が入っている小袋をズボンのポケットの中に入れ、ポケットに手を突っ込む。ずっと触れていれば無くなっても気づくよね?ポケットに手を入れて歩くなんてだらしないけれど、マントで見えないはずだし問題ないだろう。
さぁ、まずは私の用事を済ませてしまおうかな。
本は重いから最後にしたい。たぶん一冊じゃ満足しないだろう。
持って帰れるだけ買って帰ろうと思うので、本は後回しだ。
まずは体用石鹸と食器用洗剤だ。
雑貨屋に行ってみよう。
大通りをまっすぐ進み、中央の一番活気のある場所に大きな雑貨屋があった。
この世界の文字は問題なく読めるので看板を見て一目でわかった。
結構大きく立派な店構えで、街の風景にマッチしているなかなかにオサレな外観だ。
早速この雑貨屋に入ってみることに。
カラーン
ドアについていたベルが音を立てると、カウンターのお姉さんがこちらを向いた。
「いらっしゃいませ~。」
お店の中はとってもかわいい内装だった。
コンセプトはオーガニックでボタニカルで自然派って感じ?科学のないこの世界ではどんなものだってオーガニックだけども、現代日本の言葉で言うとそんな感じの雰囲気だ。健康オタクのリッチ女子が好みそうな感じだ。
天井からつるした下に伸びる植物が店の雰囲気を作っている。西洋風ガーデニングを好むおばさんが玄関に吊るしがちなあのオサレ植物だ。この世界にも存在していたらしい。
商品の陳列にも工夫がなされており、いかにも乙女の購買意欲を刺激しそうだ。
かなりこだわってますね。
早速商品をみてまわった。
髪の毛のオイル……ボディクリーム……化粧水……そんなものまであるのね?私は化粧水なし生活ですよ。でも今のところ優先順位低めかな。顔面にこだわるより生活を改善したいもの。
「何かお探しですか?」
「ええと、体を洗う石鹸がほしいのですが……。」
「まぁ!プレゼントかなにかですか?当店は女性向けブランドとして帝都では人気を博しております。お相手の女性もきっとお喜びになりますよ!」
押しの強いお姉さんだな。
正直、こういう店で接客を受けるのすごく苦手なんだが。
もしかして私を不審者か何かのように思って声をかけたのかな。そりゃあ不審者だろうけども。
今の私は男装中なんだったね。自分用に購入したいとは言えないか。
「えぇ、プレゼントです。村の幼馴染たちに配ろうと思って……。石鹸を見せてください。」
「こちらです。」
お姉さんがすぐ近くの棚に案内してくれた。
むわっと花のような甘ったるいにおいが漂う。
くっせぇな!?
思わず顔をしかめてしまった。
高校で嗅いでいた女どもの香水の匂いを思い出す……。あいつら、無駄に香水つけたがるけど正直言って臭かった。もしかしたら体臭に悩みを抱えていたのかもしれないけれど、だからって周りの迷惑も考えずに匂いをつけすぎるのは駄目だろ。柔軟剤とシャンプーとヘアオイルと香水で匂いの超新星爆発だったもんね。
自覚も無しに、公害の概念もなくやっているから本当に救いようがない。
「まず、これが一番人気の香油を練りこんだ石鹸ですね。洗浄力もありますが保湿効果と香りを売りにしております。こちらは3種類で展開しております。」
棚にはピンクと薄黄色と白の石鹸が並んでいた。
それぞれフローラル、レモン、バターミルクと書かれている。一番マシなのはバターミルク?
「あ、いい香り。」
陳列棚から少し離れて単体でかぐといい香りだった。
赤ちゃんみたいな香りだ。
「ですよね~!きっと女性陣喜ばれると思いますよ!こちらもおすすめです。石鹸の中にドライフラワーが入っていて見た目もかわいらしいと思います!」
ピンクで透明な石鹸の中に花が入っている。
まぁ確かに見た目は良いのだろうけど、使ってるうちに中の花が出て来ちゃうんじゃない?見るも無残、ふやけて小汚くなった花を見たくはないよ。
それにほしいのは見た目の可愛さじゃない。洗浄力とコスパ第一。
「少し高いなぁ。安いものだと……」
棚の下の方にはちゃんと普通の石鹸が置いてあった。
一番安価で飾り気のない白い固形石鹸。これこそが私の求めたものだ!
でも今この場面で普通の石鹸だけ買ったらアレだよな。女性にプレゼントする品じゃないもの。この現場をうまく切り抜けるにはやはり人気の商品も買わなくては。
まぁ数があっても困らないし、普通のとバターミルクとレモンのやつを買って行こう。それだけ買えばしばらく買い足さなくていいし、むしろ好都合というものだ。
「あと、食器用洗剤も探しているのですけど……。」
「それでしたらこちらですね。」
すぐ隣の陳列棚に洗剤はあったようだ。
粉タイプから液体のものまである。これにもハーブ入り、というものがあった。また匂い付きか。まぁ食器洗剤なのでどうせきれいに洗い流すから匂いがあってもなにも困らないけどね。
とりあえず強力な方がいいと思うので、粉のものにしよう。
「ではこれをいただきますね。石鹸の方はこれとこれとこれ、三つずつで。」
この程度の商品なら金貨一枚にも満たないので余裕のよっちゃんだ。
まだ金はがっぽり残ってるぜ。
「お買い上げありがとうございます。カウンターへどうぞ。」
お姉さんが商品をすべてもってカウンターに行った。
私のお姉さんについてカウンターへ向かう。ここでお勘定ってわけね。日本でもよくあるシステムのお店で良かったよ。お姉さんは紙袋に商品を包んでくれた。
「お代はこちらになります。」
紙に書いて提示された額はたいしたもんじゃなかった。
まぁ日用品しか買ってないもんね。
金貨しか持っていないので、金貨を一枚出す。
「これしかありません。」
「……かまいませんよ。少々お待ちください。」
レジのような小金庫のような箱をごそごそといじるお姉さん。
ジュース一本を買うのにコンビニで一万円札を出した、みたいな気分だった。迷惑ですよね。ごめんなさいね。
お姉さんはお釣りを用意してくれて、金貨と引き換えにしてくれた。
「お代分いただきました。こちら、商品です。ありがとうございました!」
「どうも。」
商品を受け取って笑顔で答え、私は店を出た。
外は相変わらずの喧騒だ。
人が多いせいか少し気温が高く感じる。人ごみの喧騒にも熱気にもうんざり。
やっぱり私は都会との親和性が低いらしい。日本で生きていられたとしても一生田舎者だっただろうな。
さて、第一の用事、体用の石鹸と食器用の洗剤をゲットすることは無事完了。
やはり衣類の洗濯と食器洗いと体を洗うので、洗剤や石鹸は使い分けているんだね。実にリッチだ。現代日本並みの充実だ。この世界は文明的に遅れているように見えてそうでもないのかもしれないね。
科学がすごくて機械がピコーンって感じはないけど、それでも私が住むのに困らないくらいに発展しているようだし文句ないよ。
次はどこに行こう。
バターや牛乳、ニワトリがほしいと思っていたけれどそんなものどこで手に入るのだろう。今更だけれどそれって持ち帰れるものだろうか。バターは溶けるし、牛乳は常温じゃ腐る。ニワトリを持ってあの集合場所に行ったら、ロジェは何て言うかな。
今回はあきらめるしかないか。
初めての買い物だしね、欲張っちゃいかん。
せめて買い食いしよう。
この先もあのホットケイクもどきの生活に耐えられるように、英気を養うのだ。
さっきから大通りにはおいしそうないい匂いが漂っている。匂いでお腹が空いてしまったんだよね。
おいしそうなにおいをたどって大通りを歩くと、噴水のある広場に出た。
噴水を中心にして、円に広がる広場にはぐるっと食べ物の屋台が並んでいた。
あの小麦粉臭いホットケイクもどきを思い出すと、ここは楽園だ。ちゃんと食べ物の匂いがする!
食い気より眠気な私だけど、一週間程度あの食生活を続けたことで知らないうちにこういうちゃんとした食べ物を恋しく思っていたんだね。
足がふらふらっとすぐ近くの屋台に向かう。
すっごくいい匂いがしてるその屋台は、味付きの細切れ肉を千切りキャベツやトマトやチーズと一緒にパンにはさんだものを提供しているようだった。ハンバーガーもどき?みたいな。
「おじさん、一つ!」
いかつい店主のおじさんを見上げ、そう声をかけた。
メニュー表に書いてある金額をチャリっと出す。
「おまちどお!熱いから気をつけろよ!」
「ありがとうございます!」
おじさんは素早くパンにアツアツの具材を挟んで包み紙でつつみ、手渡してくれた。
手際の良さにびっくり。
受け取って、私は広場の中心の噴水のへりのほうまで行った。座らないと落ち着いて食べれないもんね。
噴水のへりに座り、包み紙を開ける。
ふわっとお肉にたっぷりかかったソースが香る。
スパイシーでこんがり、あまくてしょっぱい香り。
「いただきま~す」
一人そう呟いてがぶっと一口!
はぁぁ~!うまい!
思わず顔がゆるむ。
美味しい!これがまともな人間の食事か~!
久しぶりのまともな食事を楽しんでいると、広場に集まった人々がざわめきだした。もともとしゃべり声でうるさかったのだけれど、少し空気が変わったようだった。
いったい何事だ?
口をもぐもぐ動かしながら人々の様子を観察する。
みんな広場の一角に目を向けていた。だんだんと人だかりができて行く。ケンカだろうか?
ガッシャーン!
「泥棒!捕まえて!」
そんな女性の声が上がって、人ごみから一人の子供が駆けてくる。
ボロボロの布をマントにして顔を隠しているけれど、小ささからして子供だろう。いや、他人のことは言えないよね。小ささで言えば私と同じくらい。腕にはバッグを抱えている。
え~っと……これは……?
まさか、あの子供が泥棒なのか?
ちょっと待って!こっちに来る!
私は咄嗟に足を出した。
足に衝撃。
痛~ッ!
子供は私の足に引っかかりズサーっと勢いよく転んだ。
子供をひっかけた足が痛くて涙目になりながらさする。
泥棒は無事だろうか、とチラッと目を向ける。
転んだ衝撃で子供のマントのフードが脱げてしまったらしく、子供の姿が露わになっていた。
ふさふさの髪から耳がぴょこっと出ていて、マントの下からしっぽが飛び出ている。
う~ん、待って?こんな特徴を持つ人間はいないよね?まじで……?嘘だと言ってよエドマンド。
この子、獣人じゃねぇか…………!
一気に冷や汗が噴き出る。
この街に奴隷じゃない獣人なんていない。奴隷には自由外出なんて認められないものだろうから、この子は奉公先から脱走してしかも盗みを働いたということか。
悪いことをしてしまった。
この子が泥棒として捕まってしまったらどんな目に遭うだろう……。これがもし人間の子供だったなら注意とか謝罪とかで許してもらえたのかもしれないけど、獣人が簡単に許してもらえるはずがない。バカだな私。こんな面倒でヤバめの案件に手を出すんじゃなかったよ。
脱走奴隷の窃盗犯、しかも子供。
それを人々はぐるっと囲んだ。
逃げ場もないから、すぐにこの大人たち捕まってしまうだろう。そうなればこの子はただではすまない。
この子のことを考えれば見て見ぬふりをして逃がしてやるのが正解だった。だというのに、こんな年端もゆかぬ子供をこんな状況に晒したのはいったい誰?とんでもないクソ野郎だな?
そうです、私がクソ野郎です。
この子の逃走を阻んでこんな状況においやったのは、他でもない私なんです。
もし私が手を出さなければ、うまいこと逃げおおせていたかもしれないのに……。
さて、この状況どうしたらいいんだ?
自業自得とはいえ、最悪なことになっちまったよ……。