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白薔薇の君へを読み終わったころにはすっかり夕方になっていた。

細かくなまめかしい描写が、不死族の種族性の残酷さや不死族にすっかり心を奪われた青年の憐れさを引き立たせていた。なるほど、これが不死族の文学ってものなのね。種族性の悲しさや儘ならなさを文芸的に訴えるような作品が多いのかもしれない。

本当にこの本の作者が不死族なのかはわからないけどね。作者名では種族は判別できないのだ。

それにしても不死族と人間が当たり前に同じ社会に生きているんだなぁ。フィクションだからなのかもしれないけど、この作品が書かれた当時はそういう時代だったのだとしたらすごいことだ。

村娘は不死族に否定的で現代の人間たちと同じだけれど、青年は不死族と親しむどころか恋人になっちゃってるもんね。


本をパタンっと閉じる。

あぁ、怖かった。

ばらばらになった遺体をずっと保存って……。不死族の女主人はともかく、村娘の狂気よ。好きな人を殺しちゃあかんて。

嫌な話だったけれど、入り込んで読んでしまった。背後に鬼畜大王がいることもそいつのひざをひじ掛けにしていたこともすっかり忘れてしまっていた。こいつの体には体温がないので物のように感じてしまうんだよね。


後ろを見上げると、ロジェは寝ていた。

あぁそっか、私とくっついていればずっと寝ていられるんだこいつ。充電しながらスマホを使うみたいな感じかなぁ。

夕日のオレンジの光がロジェの無駄に美しい顔を照らしていた。寝顔すら美しい。

せっかく寝ることができたわけだし、起こさずにそのままにしておいてあげよう。



「どっこいしょ」



テーブルにつかまりながら立ち上がると、ずっと床に座っていたせいかケツがハチャメチャに痛かった。



「いてててて……」



前かがみに老婆のようにのそのそ歩いて、ロジェから遠ざかろうとすると、スカートのすそを掴む手が。

なに掴んでんじゃ!

ロジェの野郎は私を離す気がないらしい。本当は起きてるんじゃないの?

スカートを掴む手の指を一本ずつほどく。

小指、薬指、中指、人差し……


ガッ!


何で!?

ほどいた指がまた復活してがっしりとスカートを掴んだ。

かくなる上は、私を追っ払いたくなるくらい寝るのを邪魔してやろう。


私は遠慮なくソファに、ロジェの隣に座りだらーんともたれかかってやった。

さぁ、目を覚ませ!

私を追っ払え!



「……。」



シーン……。

ロジェのやつは起きもしないし、私を跳ね返そうともしなかった。

もしかして私の体重が足りなすぎるのかな?

この貧弱すぎる体じゃこいつの睡眠の邪魔にはならないのか……?

いや!悪いのは無駄にでかいロジェだ。確かに大人と子供ほどに体格に差のある私じゃこいつを起こせるほどの加重はできないが、それはロジェがデカいせいだ。



「ロジェ様?いいんですか~?駄犬がソファに座ってますよ~?背もたれにされちゃってますよ~?」



それでも起きないし、手も離さない。

こうなったら仕方がないね。

私はサンダルを脱いでソファの上に足をあげ、ロジェを背もたれにしてくつろいだ。

ロジェのもう片方の手から本を取る。

スカートは絶対に離さないくせに、本の方はするっと手から抜けた。まじでなんなの?


もう薄暗いのであまり読めないかもしれないけど、とりあえず読んでみよう。

ロジェが読んでいた本だし、ちょっと気になっていたのだ。この期に及んで読み返すということはロジェのお気に入りの本ってことだろうし。


本の文字列を追ってみる。

明るさ的には問題なく読める。まもなく日が沈み読めなくなるだろうけどね。


う~ん……なんだか目の焦点が合わない。

文字の内容も頭に入ってこない。


ロジェのやつにつられて眠たくなってしまったみたいだ。

こんな時間に昼寝したら夜眠れなくなってしまうよ……。

しばらく粘って本を読もうとしたけれど、どんどん集中できなくなってゆく。


仕方がないので、本を閉じる。



「ロジェ様、あなたって本当に不死なんですかね~……?」



どうせ聞こえてない、と思うと口が緩くなってしまう。

ロジェが寝ていなかったらこんなことは口にもしなかっただろう。たぶん、すごく重要で扱いの難しい話題だと思うのだ。



「今気づいちゃったんだけど、この契約って矛盾してんだよな……。不死なのに、私を殺したら死ぬことになるなんておかしいよね……。」



手首を天井にかざして見た。

窓からの西日で手はオレンジ色だ。

本当はこの屋敷に落ち着いて頭が冷えた時、すぐに気づいたんだけどね。

不死なのに、契約違反で死ぬことなんてあるのかな?とね。なのでもしかしたら本当は不死じゃないのかも、と考えたりした。



「王様は死にたがったりしないよね……?自殺するために私を殺したりしないでね……?」



白薔薇の君へを読んで思ったんだけど、不死族って言うのはみんな少なからずその種族性に苦しめられているのかもしれない。それで、ロジェも死にたくなって契約を活用した自殺をしたり……なんてね。

でも契約違反による死と、不死族としての不死という能力を突き合せた時、どっちが勝つのかな?まさに矛盾だ。


今のところこいつは私を殺そうとしたことはないわけだし、そんな心配はいらないのかもしれないけど……。改めて自分のバカさを思い知らされるよね。契約があるから安心なんてことは絶対に無い。

いつこいつの気まぐれで死んでもおかしくはないのだ。



「そうだ、あと、不死族はどうやって生殖をするのかっていうのが気になっているんだけど……。不死なんだからその必要はないのかな?不死族と人間の混血っていうのも聞いたことないしね。」



不死族は不死族としか子を成せないっていう可能性もあるけど、体のつくりは人間とまるで同じだし人間で言うところの性行為は他種族同士でもできる。人間と同じ方法で生殖するのだとしたら、混血が存在していてもおかしくないよね。

気になってはいるんだけど、そんなこと意識のあるご本人様には聞けません。

ぐっすりおやすみ中のロジェは何も言わずに寝てるだけ。


寝てるからって油断してこんなことは口に出すべきじゃなかったのかもしれないけど……。

たぶん私は、死の危険が日常に潜んでいるのにこいつと慣れ合っているこの暮らしがどうにも不満なんだろうね。それでこいつが寝ているとなったら口が緩んで思わず独り言を言ってしまった。


ロジェの顔を見上げてみるけどやっぱりぐっすり寝ている。

手を伸ばして頬をつねってみるけど、起きない。


起きないので、ロジェにもたれかかって座る。

スカートを掴んでいる手を指一本ずつはがそうと試みるけど、やっぱりダメだった。白くツヤツヤな手の甲はなでるとスベッスベだった。細部まで美しいんだね。


ロジェの手を見ていると、大きなあくびがでる。

眠気が移ってしまったみたいだ。

どうせこいつも起きないし、私を解放してはくれないのだから私も一緒に寝てしまおう。

目をつぶるといろいろな音が聞こえた。


外で木々がゆれる音。

虫の声。

しずかな部屋の木の軋み。

ロジェの息遣い、心臓の鼓動。


冷たい死なない生き物だけど、ちゃんと生きてるんだね。

不死族って永遠の命を持っているくせに生きているという感じがしないのが不思議。むしろ死に近い生き物のように思える。そのくらい生命力を感じさせないよね。寝ている姿も鼓動や息遣いが無かったら死んでいるようにしか見えないもんね。

そんなことはありえないって理解しているけれど、放っておいたら死んじゃいそうで不安だ。


ロジェの生きている証拠を聴いていると、だんだんと意識は暗闇に沈んでいった。






××××






ドサッ!


なになに!?


びっくりして目を覚ますと、すっかり夜になって暗いリビングにいた。

視界にしゃらしゃらとカーテンをかける美しい白銀の髪の毛。

暗い中でキラキラ輝く赤い瞳が私を見下ろしている。

うわ~イケメンだ。

目覚めた瞬間に夜中の神秘的なイケメンの顔を拝まなきゃいけないなんて、実に不愉快。


目の前の不愉快なイケメンを眺めているとだんだんと記憶が戻ってきた。今日は読書をして過ごし、夕方に二人で昼寝をしたのだということを思い出す。ロジェを背もたれにしていたんだけど、ずり落ちてロジェの膝に倒れたみたいだった。

つまり膝枕状態。



「え~っと……おはようございます……?」



とりあえずそう言ってみた。

ロジェはため息をついた。



「お前は何をしているんだ?」


「だってロジェさまが起きないから~。仕方なくここにいてあげたんですけど……?」


「頼んだ覚えはない。」


「ロジェ様が私の服を掴んで離さないもんですから。私は悪くない。」



うん、悪いのは居眠りして私に迷惑をかけたあんたです。

そのくせにずいぶん偉そうな態度とってくれちゃってさ。これだからロジェは……。

いや、まぁ、確かにこいつが寝ているのをいいことに調子に乗るから、今、こんな不敬罪に問われそうな状態になっているわけだけどね。ある意味私の自業自得?とにかく話題をそらしてしまえ!



「今起きたんですか?」


「あぁ、なんだか不愉快なものが自分にくっついているような気がしてな。」



はぁ~!?

不愉快なものってそれ私のこと?

けっ、どうとでも言うがいいさ!

私もロジェのことを散々に罵倒してやるわ!心の中でね。小心者ゆえ口には出せないのだ。



「へぇへぇ、どけますよ~だ。よっこらしょ。」



寝起きでだるい体をぐいっと起こす。

しゃらしゃらの髪の毛が顔をなでるけど、気にしない。別にサラストがうらやましいとか思ってないんだからね!李衣菜の時も髪の毛うねうねだったけど、リナリーも結構うねうねなんだよな。まぁリナリーはなんだか気品あふれるうねうねなんだけどもね。前世の私じゃ到達できない別種類のうねうねなのだ。


ソファから降りて腰をぐいっと伸ばす。



「ん゛~!無理な体勢で寝たから腰が痛い……。」



ごきっぼきっと背中が鳴る。



「あかり付けていいですか?」



私が壁にある電気のスイッチを押しに行こうとすると、ロジェは指をパチンと鳴らした。

すると一瞬でリビングの明かりがつく。

ちぇっ、魔術を使える人はそうやって動かずになんでもできるからいいよね。私はわざわざスイッチを押しに行かなきゃ電気一つ付けれないわけよ。

電気っていうか、この照明も魔術の一つらしい。本当に万能ですね。


用事もなくしたので私は定位置に戻った。

ロジェの足元、つまり床。

ロジェの顔を見上げると、なんだか満足そうにしていた。

私がついに学習し床に座るようになったので躾成功、とか思ってるんだろうか。これは無用な言い争いを避けるためなのだ。別にロジェの横暴に屈したわけじゃないんだから勘違いすんなよ?



「明日、お前に仕事をやろう。」


「え、どんな?」



私にできないことや危ない事はやりませんよ?



「新しい本を買ってこい。私が牢にいた間にたくさんの本が出ているはずだからな。とにかく私の読んだことのないものを買ってこい。」


「え~?人里に降りるんですか?」



だってここはドラゴンの山なわけでしょ?

来た道も知らないのに自分ひとりで下山できるかな?それにこの山は聖域として封鎖されているはずだし、ここを降りて人里に出るとなればその警戒を潜り抜けなきゃいけない。

一応私は政府に追われている身だし、指名手配みたいにされているかもしれない。街を安全に歩くために変装するにしたって限界というものがある。



「私には魔力があるので、どうしても人里には降りられない。ちゃんと送り届けるから安心しろ。」


「……はい。」



魔力があると街の警戒網に引っかかってしまうんだよね。

人間が圧倒的な力を持つ不死族からどうやって身を守っているのかというと、不死族などの他種族専門の騎士団が国を警備しているのだ。いわゆる聖騎士団ってやつだ。

あまり関わりもないので詳しくは知らないのだけれど、彼らは魔道具というものを持っている。それで、人間じゃない魔力をもった種族を見つけ出したり、捕まえたりするのだ。

かつてこのバケモノじみたロジェ様を捕まえることができたのも、魔道具のおかげ。

この魔道具というのは世界最弱種族の称号を持つ人間を憐れんで神様が授けてくれたものだ。詳しいことはよくわからないけれど、神話とか国の成り立ちとかの勉強で学んだというリナリーの記憶がある。



「お金は?」


「私のものを使え」


「変装は?」


「魔術をかけることはできないだろう。バレるからな。」


「ですよね~。」



てことは自力で変装するしかないか。


私の特徴はと言えば、美貌……まぁこれは置いておいて、真っ黒で長く豊かな髪の毛。黒い髪の毛っていうのはなかなか珍しいものらしい。これは死んだリナリーの母エレーヌゆずりのものだった。隣国の姫だったエレーヌは隣国の女性の特徴をよく表した黒髪黒目の人物だったらしい。


貴族には珍しい黒髪だったけれど、平民には隣国との混血も多いらしいのでなんとかまぎれることはできるだろう。私自身、移民かなにかって設定にしよう。

どうせならこの豊かな髪の毛を切ってしまおうか。それで男装するのだ。

街ではロジェを頼ることなどできないわけだし、疑われる要素は一つでも排除しておきたい。



「ロジェ様は髪を切れますか?私の髪を切ってほしいんですけど。」


「なぜ私がそんなことをしなくてはならない。」



ですよね。従者ごときの髪の毛を切ってやるなんてできないよね?

三つ編みにでもすりゃあ男っぽくなれるかな?

そういえば、首に噛みつかれた傷跡があるから髪の毛があった方が隠しやすいんだよね。首を見られないようにすることにも気をつけなきゃ。



「不本意ですけれど、まぁ、なんとか頑張ってみます。」



たしか使用人部屋には男物の制服もあったはずだ。



「不本意とはなんだ?文句を言わずに命令をこなすのが、お前の仕事だ。」


「文句は言ってもいいと思いますけどねぇ……。」


「生意気なガキだな。」



ロジェは私の頬っぺたをつまんで引っ張った。

痛い~!!

私は頬をつまむ手から逃れようと、ロジェの手を掴み引っ張る。



「いはいいはい~!(痛い痛い~!)」


「相変わらず不細工な顔だ。」



むきー!

誰のせいで頬っぺたびよ~んなってると思う!?あんたのせい!

頬っぺたさえ正常ならなかなかの美少女なんだぞ!?

まぁリナリーの美少女具合は最近私のせいで陰りを見せているけどね。なんたって頭も適当にまとめているだけだし、色味のない地味なメイド服だし、はだしにサンダルだもんね。

ごめんリナリー……。


ロジェは頬っぺたを掴んだまま私を眺めていた。

何だ?その目は?



「はらしてくらはい!(はなしてください)」



考え込むような顔で私をじっと見つめるロジェ。

本当にどうした?

なんでもいいけどとにかく手を離せよ。私はロジェの顔に手を伸ばした。やり返そうと思ったんだけど……やっぱりリーチの差で届かない。

自分の小ささが悔しいね。

種族という越えられない壁はあるけども、体格の差っていうのは本当に悔しいんだ。いつもいつも私を上から見下ろしちゃってさ。



「……ろーしはんれふか?へんひにあっはあはひゃんひあいあはおひて。(どうしたんですか?便秘になった赤ちゃんみたいな顔して。)」


「何を言ってる?」



ロジェはぱっと手を離した。

頬っぺたがひりひりするよ。



「どうしたんですか?具合でも悪いんですか?って言ったんです。」


「もっと長かっただろうが。本当は何を言った?」


「本当ですよ!どうしたんですか?具合悪そうな顔をして……って言いました。それで?どうしたんですか?」



無駄に勘が鋭いんだよなぁ。

本当のことは死んでも言わないさ。怖いからね。



「別に何でもない。」


「そうですか?じゃあ私はもう行きますね。」



立ち上がって、扉の方へ歩いた。

ロジェに引き留められることもなかったので私はそのままリビングを出た。


廊下は真っ暗だった。

全く何も見えないってわけじゃないので、そのまま歩いてキッチンみ向かった。

ささっと晩御飯を食べて、風呂に行ってさっさと寝よう。


明日はついに人里に降りることになる。

いつかは食料の買い足しやらもろもろの用事で行くことになるだろうと思っていたけれど、まさか脱獄から一週間ほどで行くことになるなんてね。

やっぱりちょっと不安だ。

あのめちゃつよボディガードがいるわけでもないし、変装にも魔術を使えない。

自分の力だけで任務を終えなくてはならないのだ。


でもせっかくのチャンスだもんね。

私ひとりじゃこの山を下りることはできない。私の用事ではロジェは山の下まで連れて行ってはくれないだろう。

それなら必要なものすべて明日買いそろえてしまうのがいいだろう。

まずはお使いの本。

あとは洗剤を調達したい。この世界ではいったいどんな洗剤が使われているんだろうね。洗濯場には洗濯用の粉石鹼があるのだけど、あれを食器にも使うのかっていうのが問題だ。親切な誰かに教えてもらおう。

情報もだな。本屋で不死族について勉強できる本を探そう。一緒に住むにあたって奴の生態を知るのは必須だよね。

あとできればバターか牛乳。乳製品がほしい。ホットケーキを成長させるには必須だ。

本当はニワトリもほしい。卵をわざわざ買いに出るのは面倒くさい。卵を産んでくれるニワトリを家族にすれば卵問題は解決じゃない?


すべてとは言わないからある程度は揃えたいね。


キッチンで朝作ったホットケーキの残りを食べた。

あれ、冷めた方がおいしいかも。

暖かい状態のホットケーキは蒸気からまったく香りがないのがつらいんだよね。逆に冷めてしまえばこのホットケーキの深みのなさが目立たなくなっている。

すべて食べ終わると、コップ一杯の水を飲んだ。

コップをゆすいで乾くようにラックにひっくり返して置いた。



さてと!風呂に行きますか!



この屋敷の素晴らしいところは、お風呂があることだ。

ちゃんと湯船とシャワーがある。足りないのは石鹸かな。そうだ、明日体を洗う石鹸も買わなくては。

魔術のおかげでちゃんと温水がでるからありがたいよね。


キッチンを出て部屋に戻る。

夕方に昼寝をしたおかげか、すっかり体の調子も良かった。

掃除のおかげで蓄積した疲労もいつの間にかなくなっていたみたい。大した仕事をしているわけじゃないのでカロリーは消費しないのだけれど、心が疲れるのだ。そういう疲れには睡眠が一番効く。

私はたくさん寝なきゃダメな人間なんだよね。ロングロングスリーパーだ。日本にいた頃も睡眠時間を削ったことは一度もなかった。毎日しっかり9時間睡眠。おめーは成長期の子供かって話だが……。

そんな私と一緒にいるから睡眠欲求ばかり取り込んでしまうのかな?ロジェ様は。




そんなわけで、部屋に戻ってきた。

真っ暗な部屋に電気をつける。



「あぁ~、今日も疲れた~!」



髪の毛をほどいて頭を振る。

ずっと髪の毛を縛っているのって疲れるよね。髪の毛が豊かなおかげで重みがハンパないのよ。

エプロンを外し、メイド服の黒い半そでワンピースも脱ぐ。仕事の邪魔にならないよう胸をつぶしていたサラシもほどく。

リナリーは無駄におっぱいがデカいもんで、結構つらい。おっぱいがこんなに重くて肩がこるものだとは思っていなかった。日本にいた頃はぺったんこだったのでこのリナリーの体に慣れなくて、サラシでつぶすことにしたのだ。すこし苦しいのだけどブラジャーもないこの環境でそのままにさせておくよりはずっと楽。

脱いだものはベッドの足の方に置いた。

そうすれば全裸になる。


寝巻にしている白のワンピースを持って、風呂場に向かった。

風呂はちゃんと各部屋についている。そういうところは親切設計ですよね。すごくありがたいことだ。

風呂の電気をつけ、湯船にお湯をはる。

棚に荷物を置いてシャワーを浴びた。


たまに気になるんだけど、ロジェが人間に囚われる前、つまり何百年も昔、この屋敷にはロジェ以外の不死族が住んでいたのかな。

一人暮らしのために家じゃないもんね。

こうしてロジェの部屋と私の部屋、他にも何部屋か空きがある。

いったい誰とどんな生活をしていたんだろう。いつかそんな話を聞いてみたいね。


ざっと体を流すと湯船にたまったお湯につかった。

あぁ~極楽!



『おいリーナ。』


「うわっ!」



思わずお湯の中にうずくまった。

風呂場の入り口の方に神様がいた。



「なんですか、こんな時間に?つーか風呂に入ってるときに来るなよな。ほんっとに変態なんだから。」


『あ゛ぁ!?お前の裸になんて興味ねーよ!』



どうだかね。

なんたってリナリーは美少女だもん。

神様がリナリーにばかり入れ込んでいるところをみるに、ただの少女という認識ではないはずだ。多少なりともほの暗い欲望を抱いていたって不思議はない。



『ほの暗い欲望ってなんだよ!?』


「冗談ですよ冗談。で、何をしに来たんですか?」



呼んでもいないのに出てくるってそれだけの用事があってのことでしょう?

もしくはただの暇人?

そんなに暇だって言うなら話し相手になってあげてもいいですけど。



『お前が全然俺を呼ばないから心配になって出てきたんだよ。何か悩んでることでもあるのかと思ってな。』


「そんな心配いりませんよ。困ってることがあったらちゃんと神様を呼び出しますから。」



ずいぶん親切なのね?

音沙汰ないと思ったら勝手に出てきてくれるなんて。

私はあんたに遠慮したりしないよ?遠慮なく呼びつけるし、遠慮なくなんでも要求するとも。だってあんたは私の人生を狂わせた張本人なんですものね。一切の容赦は必要なしと判断しております。



『あの不死族の王のせいで参ってるのかと思ったら元気じゃないか。』


「そりゃあそうですよ。あの方そんなに悪い奴じゃないし、奴の目がなければ好きなだけゴロゴロできるんですよぉ。今のところ命も狙われてないですしね。」


『逞しい女……。』



なんだか褒める顔してないよね?

神様は私のたくましさに呆れているらしい。



「リナリーと同じ道をたどってますか?私」


『いや、だいぶ道はそれている。過去のことだから言うが、リナリーはこんな状況は受け入れられなかった。』



箱入りのお嬢様には受け入れがたいことかもね。

仮に牢から脱出することに成功したとしても、あんな鬼畜ロジェの従者になるだなんて耐えられないだろう。多分されるがままにエサにされ、無理やり脅されて使われる……とかもしくはもう死んでたかもね。



「神様、リナリーはロジェに殺されたんですか?」


『それは教えられない。』


「不親切〜……。」



ロジェに殺されるならロジェだけを警戒すればいいけど、他の要因があるのだったら心配しなきゃいけないことも増える。



「じゃあ、ロジェは味方ですかね?」


『わからないな。自分で考えろ。』



考えてわかることじゃないよ。

やつは今のところ命を狙ったりしないけど、矛盾した契約を結んだ疑惑がある。私には魔術ができないから結局のところ、私を命の危険に晒したら死ぬ、っていう契約がどういう理論で結ばれたのかわからない。そもそも本当に契約が結べているのかもわかりゃしないんだ。

今や契約ですら信用ならん……。



『そうやって信用してない割にお前、あいつに馴れ馴れしいよな。』


「だって敬う必要性感じないもん。馴れ馴れしくしてくるのはあいつの方だしね。」


『ほんと、無駄に肝の座った女……。まぁいいんじゃないのか?信用しないってのは賢い選択だと思う。何事にも疑ってかかるべきだよな。』


「うん、誰が私を死に至らしめるのかわからない以上誰のことも信じないことにする。」



神様が言うなら間違いないんだろう。

ロジェのことも、誰のことも信用すべきじゃない。

おっけー、心得た!



「神様、不死族は増えたりするんですか?」



つまり、生殖的な意味で。



『はぁ……?そんなの自分で調べろよ。』


「ええ?大きな問題じゃないですか。不死族のような強い種族が繁殖して数を増やしたら世界情勢は変わるでしょ?」


『……そりゃあ、増えない生物はない。簡単に増えることができるか、というのは別問題だがな。』



へぇ〜ふえるんだ。

簡単に増えないっていうのはどういうことだろ?人間とは同じような体の作りなんだし、同じ方法で繁殖するんじゃないの?



『人間と不死族じゃ生物としてのベクトルが違うだろ?』



だから方法もベクトル違いなの?

それはいったいどんな方法なんだろうか……。ほとんどの動物に共通している、男女のアレソレはあるんだろうか……。まったく想像がつかない。

なんか怖いな。



「じゃあ、不死族が死ぬことはあるんですか?」


『自分で調べろよ。』


「なんで教えてくれないんですか?ケチ!」



別に減るもんじゃないし、教えてくれよ。

それくらいしか役に立たん神様なんだからさ。



『ケチだとぉ!?なんでも他人(ひと)を頼るんじゃない!』


「他人っていうか、神ですけど……。」


『揚げ足を……!とにかく、不死族について教えてやれることは少ない。なぜなら、人類が解明していない分野だからだ。人類はまだ不死族についてすべてを知っているわけじゃない。あとは自分で調べるか、奴に訊け。』


「そんなこと聞けると思います?」



あなたも死ぬことはあるんですか?って変に探りを入れたら、まるで暗殺を画策しているみたいじゃないか?怪しまれたらやだし、本人の口から思わぬ事実を知ることになるのも怖い。

そばにいることの多いロジェだけど、心の片隅には奴を恐れる……畏れる……?気持ちは残っている。寝ている狼をつんつん突いているみたいな状態っていうか……今のところ狼は片目を開けて私をチラッと見るだけだけど、いつ手をかじられるかもわからない。



『お前ならできるだろ。』


「なんですかその信用は……。」


『じゃあ、俺は戻る。』


「あ、はい。また明日。」



神様は姿を消してしまった。


湯船に体をくつろげる。

やっとゆっくり風呂に入れるぜ。

ロジェもロジェだけど、神様も神様で自分勝手だよね。乙女が風呂に入っている時に乱入してきて、自分の都合でさっさと行ってしまった。

遠い入り口にいたから体は見えなかっただろうけどもさ。

いくら神様に性別がないからって恥じらいまでなくしてしまったらヤバイ気がする。私の女の部分が崩壊するって言うかなんというか。女性はおばさんになり、おばさんはそのうちおじさんになるっていうし、おばさんを飛び級しておじさん系女子になってしまう気がするのだ。


風呂から上がってシャワーで汗を流す。

シャワーを止めて、棚からタオルをとるとわしゃわしゃと髪を拭いた。

この長い髪の毛の何がつらいって乾きにくいことだ。体もざっと拭くと、タオルを頭に巻いて寝巻をかぶるようにして着た。

すっかりからだもぽかぽか。汗もすっきりだ。



風呂場の電気を切って、寝室に戻る。

ベッドの上には今日着た服が投げてあった。投げてあったメイド服とエプロンを部屋の隅の籠にいれた。この籠にすでに着た服を入れているのだけれど、結構溜まってきた。そろそろ洗濯時かもしれないな。

頭に巻いたタオルをとってハンガーにかけ、風呂場の扉の上の方にひっかけた。こうすると気品漂うこの部屋もとたんに所帯臭くなるんだよね。でもある程度所帯臭いほうが私は落ち着く。この無駄に格式高い部屋の内装はどうも合わないのだ。


洗濯ものを入れている籠を持つ。

せっかくだし一階の洗濯場に持って行ってしまおう。そのついでにリビングのロジェに髪を乾かしてもらうのだ。それ、すんごく良い考えじゃない?

どうして今まで思いつかなかったんだろう。腰にまで至るこの長く豊かな髪の毛をドライヤーなしに乾かすことのつらさと言ったらもう表現のしようもないくらいだ。髪の毛が濡れたまま寝るなんて気分が悪いので絶対にしたくないし。




部屋の電気を消して、部屋を出て扉を閉める。

涼しい廊下の空気が風呂上がりの肌を冷やす。

すっかり真夜中で暗い廊下だけれど、ずらっと並んだ窓から星空が見えている。

つっかけサンダルをカラコロ鳴らして廊下を抜け、階段を下りた。


あれ、リビングに明かりが無くなっている。

ロジェのやつももう部屋に戻ってしまったのかな。

あいつはリビングのソファがお気に入りのようで、いつもそこにいる。夜でも昼でもね。もしかしたらソファで毎晩寝ているのかも、なんて思ったこともあったくらいなので今日はめずらしい。

逆にあまり私室にはとどまらないようなのだ。

まだ奴の私室には入ったことがないのだけれど、今日訪ねてみようかな。奴が在室の時くらいしか部屋をのぞく機会なんてなさそうだしな。一度髪の毛を簡単に乾かす方法を思いついてしまったからには、試さずにはいられないし。


階段を降り、洗濯場に向かう。

洗濯場は裏庭に面しているタイル張りの水場だ。サンルームのように少し外に飛び出ていて、ガラス戸の向こうは裏庭(庭なんてないけど)になっている、ほとんど屋外みたいな場所。桶やらタライやら物干し竿なんかもすべてここにある。


私は洗濯場の入ってすぐのところに籠をおろした。

こうして置いておけば明日すぐに洗濯できる。

面倒くさがりな私でも、準備さえ整っていればやる気を出せるはずだからね。もう面倒だからと家事をやらないで済む環境ではない。面倒だろうと自分ですべてやらなくてはいけないので、少しでもやる気が出るように工夫するしかないのだ。こういう状況になって母のありがたみを身に染みて感じたね。




洗濯場を出て、階段を上る。

ロジェの奴おきているかな。

でも今日のあの話が本当なら、すでに夕方に寝てしまったのでもう寝れないんじゃないかな。案だけ寝たらさすがに人間エネルギーとやらの摂取量が足りないだろう。


とりあえず私は奴の部屋に向かうことにした。

奴の部屋は私の部屋とは反対方向にある。

カラコロと廊下を進んでいく。

ロジェの部屋を見てみると、電気はついていないようだった。まぁゆうて奴は人外なので電気がなくてもなんでも見えるんだろう。たぶんね。



コンコン!



ノックをすると、床がきしむ音がした。

やっぱり奴は部屋にいたのか。



「なんの用だ?」



ガチャッと扉が開いてロジェが出てきた。

うわっ、裸かよ!



「あ、忙しかったです?それならいいんですけど……」



全裸のロジェに上から見下ろされ、私は怖気づいた。

やっぱりこんなことで部屋を訪ねるんじゃなかったな。

こいつは風呂にでも入っていたんだろうね。髪の毛が濡れている。おそろっちだね!うれしくはないけど。


手が伸びてくる。

反射的にぎゅっと目をつぶるけれど、ロジェは私の顔を掴むつもりはなかったみたいだ。

するっと首の後ろに手をまわされて部屋の中に引き入れられた。

おじゃましま~す。



「お風呂に入ってたんですか?邪魔をしちゃいましたね。」


「もう出たところだ。」



ガチャ……。



扉が閉められた音が嫌に響いて聞こえた。

まぁ、気にしない。

入り口にとどまっているのも何なので、部屋の中に進む。


え!うわぁ!なんと立派なお部屋!

私の部屋の倍ほどの広さの部屋だ。さすが屋敷の主人ですね。

大きなベッドに大きな窓。

窓いっぱいに星空が広がっている。



「ロジェ様のお部屋ってこんな感じだったんですね~。とっても素敵じゃないですか~。」


「何が?」


「星空が。」



私にも美しいものをめでる心はあるんだよ。

そりゃあ現代を代表するインドア娘だったけどね。

日本にいたころ、停電の時に見た夜空はちゃんと星が光って見えて美しかったな。日本の街中じゃ停電でもしないと星も見えないもんね。


ぎし、っとベッドが沈む音がした。

振り返るとロジェ様がベッドに腰かけていた。

夜の薄明りの中見るロジェはやっぱりイケメンだな。思わず目を奪われてしまう。

本当に不愉快なイケメンである。

中身は鬼畜野郎なのにね。残念男なのにね。



「来い。」



私はカラコロとロジェのそばへ寄った。

来いと言われちゃいかないわけにはいかない。できるだけ下半身を見ないで済むように、ロジェの憎たらしいイケメンフェイスを見ることにした。

赤い瞳が私を見つめる。

赤いお目目が飴玉のように見えてきた。おいしそうだなぁ……なんて思ってしまった。


ロジェは手を伸ばすと、私の半濡れの髪を片肩に流した。

なんですか?

待って?どういう流れ?

ロジェから色気がにおい立つ。なんかエロい。


ロジェの手は私の頬を撫でて、やがてイケメンフェイスが近づいてきて、


チュ……



「え、ちょ、え……?」



なんとロジェは私の頬にキスをした。

脳みそが大沸騰!

沸騰する湯の中をぐるぐると渦を巻く思考!


待て待て、冷静になれ。

自分の腕をぎゅっとつねった。痛い……。

どうしてこうなったのかはわからないが、たぶん何かの間違いだ。

取り乱しちゃいけない。

心を落ち着け、平静を装え!



「どうした?駄犬」



ロジェの奴はなんでもないふうにそう訊いた。

こいつ何を考えているんだ!?

どうしたはこっちのセリフ!



「だってキスするから……。」


「何かおかしいか?ほら、逃げるな。」



無意識にこいつから遠ざかろうとしていたらしい私の体を、むりやり引き寄せるロジェ。

引き寄せられた反動でロジェの胸にぶつかる。

こいつ、座っててもでかいな……?なんてすでに脳は現実逃避を始めた。



「お前、昼間は胸をつぶしているのか?」



はぁ!?

セクハラ!

セクハラですよ!

職場での上司からのセクハラ!


そりゃあ胸はつぶしているけども……って、あ、はい。ロジェの胸に体の前面を押し付けているこの状況だと、この無駄にでかいおっぱいが気になってしまうのね……。

待って!この構図!私が痴女みたいになっているじゃないの!



「離してくださいよ。どういうつもりですか?」



私はいつもの調子でそういった。

ナイスな演技力と言えよう。



「お前こそ。」



すると、首に牙の感触が!

ぶちっと体の中で音がして、ロジェは首に吸い付いた。



「ちょっと~!血をあげるなんて言ってないのに!」



じゅるる、と血をすするロジェ。

なんとか引きはがそうと、ロジェの胸を押す。

押せども押せどもびくともしない……。わかってたことだけどさ。


頭がだんだんくらくらしてくる。

足腰に力が入らなくなってしまう。

それを見計らったかのように、ロジェは私の腰を抱いた。

やめろ!腰にさわるな!

ロジェの手が腰に触れると、ぞくっと電流が走ったようだった。



「やめてください、ロジェ様~!死んじゃうから!」


「……死にはしない。こっちを見ろ。」



やっと首から牙を抜いてくれたので、首をかばうようにうつむいていた。

こっちを見ろと言われても無理です!



「顔を上げろ。」



ロジェは無理やり顔をすくいあげた。

真っ赤な瞳と視線がかち合う。

その瞬間体がかたまって動けなくなってしまった。

迫りくるイケメンフェイス!


唇に冷たい何かが当たる……。



「待って!」



ロジェは顔を離してくれた。

私は深呼吸を一つした。すぅ~、はぁ~。

相変わらず頭の中はぐるぐるでごちゃごちゃだけれども、一周まわって冷静さが戻った。



「何か勘違いがあるんじゃないかな……?」



だって何の脈絡もないもの。

急に抱き寄せたり(それはいつものこと?)、キスをしたり。



「勘違いとは?」


「私は……あの、その……、髪の毛を乾かしてほしくてここに来たのよ。ロジェ様なら魔術でさっと髪の毛乾かせるんじゃないかな?と思ってね……?」



すると、ロジェは深くため息をついた。

なんかごめんなさいね。

さっさと言わなかった私が悪いんだよね?すまんかった。



「てっきり体を差し出しに来たのかと思ったぞ。」



はぁ~!?

体を差し出しに!?

不穏なこと言うのはやめて!!そんなつもりは毛頭ない!!

完全にあんたの早とちりですよ!!


パチンッ


ロジェが指を鳴らすと私の髪の毛はふわっと浮き上がってさらっとなびいた。

おわ!一瞬で乾いてしまった!

ちょっと感動して髪の毛を一房持ち上げてみる。

リナリーの髪の毛はつやっつやでゆるやかにうねうねしていた。この豊かすぎる髪の毛が一瞬で乾くだなんて、本当に便利。期待していた以上の仕事に大変満足。



「ありがとう……。え~っと、ご迷惑おかけしました。では、退散しますね。」



苦笑いでそう言うと、ロジェは不機嫌そうに顔をしかめた。



「このままで済むと思うのか?」


「ご、ごめんなさいでした……。お邪魔でしょうし部屋に戻ります。」



ロジェから離れようとするけれど、なぜだか離れられない。

なぜってそれはロジェが私を離さないからですが……。



「離してくださいよ~。明日お詫びはしますから。ね?」



若干の身の危険を感じて私は内心焦っていた。

不機嫌そうなロジェ。

いっそう拘束する力が強まる。

ぎりり、と握り締められた手首は結構痛い。

するっと腰に手が回されて、抱き寄せられた。


首筋に冷たい感触。

こぼれた血を舐めているの?

私を帰してくれないの?頼むよ!自分の部屋に帰りたいよ!


耳元でじゅるっと水っぽい音がする。

ぞわわ、と背筋に寒気がした。



「詫びは今しろ。」


「そんなことを言われても……」



つまり何?

体を差し出せって?

無理無理無理!そんな簡単に言うな!乙女にとっちゃ一大事だよ!?流れではいどうぞ~と差し出せるものじゃないんだよ!



「命令をきけないのか?」



私は言葉に詰まった。

それを言われると私にはどうしようもないのよ。

どうしたらいいんだよ……。


これはもう一か八かの賭けにでるしかないか。

思わずため息をついてしまう。

こわばっていた体から一気に力が抜ける。



「わかりました。一晩、寝て差し上げます。」



私はロジェの白い首に腕をまわした。

間近にせまるイケメンフェイス。

私がおとなしくなったのに、まだ不機嫌そうな顔をしていた。

押しが足りないか?


仕方がないので頬にキスをしてあげた。

大丈夫大丈夫、こいつは人間じゃないの。例えば犬とか猫とかと一緒よ。人間じゃない奴とチューしたってなんにも困ることはないじゃない?犬に顔をべろべろされたとでも思えばいいのよ。

それに、思い出したくもないけれど、こいつにはもっと恥ずかしいことをされた経験があるしね。いまさら純情ぶったってしょうがない。キスの一つや二つ安いもんよ。


キスをしながらロジェの膝をまたいで、ベッドに膝立ちになる。

そのまま体をどんどん密着させ体重をかけてゆく。


ギシッ……


ついにロジェを押し倒してしまった。

枕の方に斜めにね。

内心恐怖に震え上がるけれど、ここまできたら最後までやり通すしかない。


ロジェの体をまたいで馬乗りになって、唇を軽く吸った。

ゆっくり顔を離すと、ロジェはなんだか嬉しそうだった。

やっと機嫌が戻ったみたいだ。これでもう安心だね。



「じゃ、寝ましょう。」



私はロジェの上から降りて横に寝転んだ。

ロジェの腕を腕枕にして、もう片方の手は私の胸元でぎゅっと握った。これで両手は封印してやったぞ。

では、寝てあげましょう。

一緒にいれば朝までぐっすりだね。


怖いけど、ロジェの顔を見上げてみた。

あれ?意外と怒ってないっぽい?



「不満ですか?」


「いや……合格だ。」



とほほ、いったい何に合格してしまったのやら。

ロジェもベッドに足を上げて、私の方を向いた。

目の前に広がる美白の胸……。


私が両手で握って拘束していた手は簡単に振りほどかれて、私の背中に回された。

ロジェの冷たい胸にぎゅっと抱かれる。

あぁよかった。

同衾するくらいならなんてことないもんね。いつもロジェの足元に這いつくばってるのよりマシだし。

しっかし、私もなかなか肝が据わってきたな。

裸体のイケメン相手に迫るなんて、よくできたわ。


今になって心臓がだくだくとうるさくなってきた。

がんばったね、私……。

どんなに自分に言い訳しても、殿方とキスをしたという事実は変わらない。犬と同じ、おしっこよりマシ、なんて思いつつ結局心の中では割り切れていないらしい。さよならファーストキス。でも、どうせ使い道も無かったもんね。まともな結婚も恋愛も(したいと思ってたわけではないけど)できなくなってしまった身だ。


ロジェの胸に抱かれていると、だんだんと心臓の鼓動も落ち着いてきたし息も深く吸えるようになった。ある種興奮状態だった頭が冷えたのはロジェに抱かれているおかげだ。

こいつの体温の低さときたら……。



「ねぇ、不死族は体温がないものなの?」


「そうだ。体温はない。」



そうみたいですね。

体温を感じないです。それどころかどんどん私の体温を奪っていきますよね。

もう二度とないって信じてるけど、もし次に同衾するようなことがあるならぜひ風呂で体を温めてからにしてもらいたい。そして服を着てほしい。

耳をすませばロジェの肺の音や心臓の鼓動が聞こえてくる。これだけ密着しているのだから当然といえば当然か。



「心臓はちゃんと動いてますね。」


「当然だろう。」



頭上でロジェがかすかに笑った気がした。

気のせいかもしれないけど。


冷たい血が流れる心臓の鼓動を聴いていると、すぐに眠気がやってきた。

火照った頬を冷たい胸にぴったり寄せて……そして意識を失った。

おやすみなさい。





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