6
「駄犬、出てこい。」
私はロジェとドラゴンさんのお話が終わってお声がかかるまで洞窟の近くで座って待っていた。
家を建てるのに都合が良さそうな場所はいくつか見つけておいたのでちゃんと任務もこなした。ロジェとドラゴンさんのお話を邪魔しないように待機するなんて私ってば気が利く従者だね。本当はどうせ理解もできないだろう面倒な話は耳に入れたくなかっただけだけど。
知っているってことには責任が生じると思うんだよね。医学の知識があるお医者さんは休暇中だとしても目の前で突然ぶっ倒れた人を診なきゃいけないでしょ?だからさ、高等生物たちの話なんか聞かな方がいいの。知らない方がいいのだ。
ロジェがでてきたので、やっと私は立ち上がった。
「駄犬っていうのやめてもらえません?」
「似合いの呼び名と思ったんだがな。」
「私は駄目でも犬でもないんです。割と有能なしもべ……?です。」
自分で言っていて悲しくなった。
なんかしもべってやだなぁ。でも従者っていうのはしもべみたいなもんでしょ?
私の役職って何なんだろ?使用人、従者、しもべ……これらの違いとは?かといって王様の家来ではないしなぁ。家来っていうよりは下等な役職だと思うのだ。
「なんでもいい。家を作りに行くぞ。」
「あ、はい。」
家を作りに行くぞって言葉は聞いたことがないな。
私は見つけておいた場所へ案内した。
ドラゴンさんの洞窟の近くで、木がひらけた日当たりのいい土地を見つけたのだ。日当たりがいいというのは第一条件だ。あったかい家じゃないと気持ちよく昼寝できないからね。
「ここはどうですか?」
「駄目だな。オーヴェが急に暴れたらどうするんだ。」
急に暴れるて……そんなことあるんですか?
「もっと遠くが良いんですか?」
「そうだな。ほどよく遠くがいい。」
オーヴェというのはドラゴンさんのことか。
確かにあのバカでかいドラゴンさんがうっかり暴れでもしたら大事故になるだろう。そんなことで死にたくはない。そもそも暴れるんじゃねぇよって話だけども、あのお方は山の主なので、多少の勝手は許されるのだろう。
もう少し遠い所にもいい場所を見つけたので、そこに案内する。
「そういえばロジェ様?昨晩はあなたが私を運んでくれたのですか?」
「あぁ、お前が失神したせいでとんだ目にあったな。うっかり泉に沈めて死なせようもんなら私が死にかねんからな。」
「そりゃあすみませんでしたね……。」
あんたのせいだよ。
私が失神したのはあんたのせいなんだよ。
つまりあんたが私を運ぶことになったのも自業自得。つーか運ぶのはあんたの義務だ。文句言ってんじゃねぇよ、と思うけど口だけ謝っといた。もちろんすまないだなんて思っちゃいないさ。
口だけでも大人しく殊勝な態度をとるのが利口なやり方ってものよ。心の中では悪態付き放題だもんね。
しばらく歩いてゆくと目的の場所にたどり着いた。
「ここはどうですか。」
「まずまずだな。多少手狭だが仕方ないか。おい、さがれ。」
ロジェは私の肩を掴んで、後ろに下がらせた。
両手を地面に向けて一呼吸。
次の瞬間、地面にとんでもなくでかい魔法陣のようなものが浮かび上がって光を放った。
こんな大規模な魔術があるのか!こんなでかい魔法陣は見たこともない!
魔術で家を建てるつもりなのね。だんだんこいつの魔術にも慣れてきたな。
リナリーが見たことのある人間の魔術ってのはちょっと火をだしたり水をだしたり傷を治したり、というものばかりだった。ここまで大規模な魔術を使う人間なんていやしないのだ。
でも、もしかするとロジェは不死族の中でも並みの魔術師じゃないのかもしれない。めちゃ強い魔術師なのではなかろうか。なんたって王様だし、魔術に優れているのは当然だろうけど、スケールが違いすぎるもんね。
人間って本当に弱いんだな。人間の中でも弱い部類に入る私って、どんだけ弱いんだろう?もちろん、改善する予定はないけどね。強くなるための努力なんて無駄なことは死んでもやらないさ。
次の瞬間、魔法陣の上にひゅんっと建物が現れた。
ボロボロのお屋敷だった。
どうせ住むならきれいな新築が良いんですけど……?まさかどこかから廃墟を運んできたの?
つかこんな大きな家、二人暮らしのサイズじゃないでしょ。誰が掃除するん?
「なんか……ボロボロですね。」
「あぁ、私の家だ。だいぶ古くなっているらしいな。」
へぇ、あんたの家ですか。
それってもしかして人間にとらわれるまでの間、つまり何百年も昔に暮らしていた家ってことですか?そりゃあこれだけボロくなるよな。よく形が残っているなぁ、と感心するレベルだね。
もしかしてこれを修理するんですかね。
まさか手作業の修理じゃないよね?
ロジェはまた手をかざした。
たぶん魔術を使ったのだろう。
私たちの背後から突風が吹いた。
あまりの風に思わず目をつぶる。
急に魔術使うのやめてほしいんですけど!前もって言ってよ!
風が収まったので目を開けると……屋敷が新築同然きれいになっていた。
本当に何でもアリだな。
「行くぞ。」
ロジェに首の後ろの襟をつかまれてずるずる連行された。
他につかむところあるだろ!?
なんで猫か何かみたいに掴まれなきゃいけないんだよ!?
後ろ向きに歩くことになるので転びそうだ。転んだらお前の責任だぞ!?わかってるんだろうな!?
「自分で歩けるんですけど……。」
「そうか?つい癖でな。」
癖で人の首元つかむってどういうことだよ?
変人っていうか人外っていうか……つまり変態人外だよね。
本当にあんたって変態だし人外だよね。こんなのと同居とか本当に嫌になるね~。
ま、快適な屋内の生活にはなんら異存ありませんけども。もちろん、お屋敷でご厄介になるつもりだけれども。
ロジェは私の首を離すことはなかった。せめてもの抵抗に歩くのをやめたら、服の襟ではなく首を掴まれた。そのままずるずる引きずられる。
何が何でも私を手放す気はないらしい。
「お?どうやら主不在の間に誰かが棲み処にしていたらしいな。」
扉を開けて玄関から入ったロジェはそう言った。
私は後ろ向きなので何も見えない。
後ろ向きでもわかることはある。大きくて重々しい立派な扉。大理石の床。ステキな壁紙。派手ではなけど高級感あふれる良い感じの内装だ。
ロジェは私の首を手放して、ロジェの背後ばかり見ていた私を引っ立てて隣に来させた。
「うぇっ!?」
そこにあったのは骸骨だった……。
ボロボロに劣化した服をまとった全身の白骨死体。
骨とかやめてほしい。まじで勘弁。
私はとっさに顔をそらしたけれど、ばっちり見ちゃったんだよね。嫌だ嫌だと思うほど、嫌に鮮明にその姿を思い出してしまう。
「……どうしてそんなものがここに?魔術できれいにしたんじゃなかったんですか?」
「さっきの魔術は屋敷を在りし日の姿に戻すというものだ。屋敷のホコリや汚れは排除できたのに、なぜだか骨はその範疇にはなかったらしいな。興味深い……。」
ロジェはしゃがんで骸骨をしげしげと眺めていた。
在りし日の姿に戻すって時間遡行的な?なんかすげぇ。
一瞬で屋敷が新築のようにきれいになったから修理とか掃除の魔術なのかと思ったけど、そうではなかったらしいね。時間をさかのぼるってよくわからないけどすごい事なんじゃね。
それにホコリや汚れなどの異物は取り除けたのに、死体は無理だったと……。そりゃあ仮にも生き物の残骸をホコリ扱いできないでしょうよ。かといってずっとそこに鎮座されてても困るんだけども。
魔術には解明されていない謎もあるのだろうか。ロジェにはなぜ白骨死体が取り残されているのかわからないみたいだ。ロジェにもわからないことがあるなんて……なんかうれしい。
こいつ、無駄に全知全能みたいな雰囲気があるのだ。そりゃあ長生きの老人の知恵袋はでかくて当然だろうけどな。
まぁ、どうでもいいけど、私は白骨死体の謎になんて興味はない。骸骨なんて嫌だし今すぐ屋敷の外に逃げ出したい気分だ。
しかし、腕を掴まれているので私一人ここから逃げることはできない。さっきから腕を振りほどこうとしているのだけど、びくともしないのだ。
これ以上骸骨のそばにいたくない……!
こんな骸骨屋敷に住むの?骸骨と同居なんて嫌なんですけど?
「なぜ顔を背けている?」
「……だって骸骨ですよ?そんなもん見たい人っています?」
「そういえば、あの牢屋でも死体に触れることを嫌がっていたな?」
そう言うロジェの声はなぜだかいきいきとしている。
なにか悪いことを企んでいるのか?それとも私の弱点を見つけて喜んじゃったのか?
私の弱みっていうか、正常な人間ならみんな怖がったり嫌がったりするだろうし、弱点というほどのことじゃないけどね。
「こんなゴミだらけの家じゃ暮らせない。片付けろ。」
「はぁ!?」
「なんだ?その受け答えは?」
「だ、だって!ロジェ様なら魔術でどうにかできるんじゃないですか?わざわざ手際の悪いわたくしめにやらせなくも、ねぇ?」
絶対やりたくない!断固拒否!
片付けろって言うけど、この骸骨を片付けろってことでしょ?
見たくもないものをどうやって片付けろって!?
なんか楽しそうにしてると思ったらそういうことかよ。私をいじめる材料を見つけて喜んでただけなわけだ。この鬼畜外道!そんな嫌がらせがありますか!?
「さっきの魔術でもう魔力を使い果たしてしまったんだ。それにゴミの始末は私の仕事じゃない。」
「えぇ……?」
それホント?嘘じゃないよね?
確かにすごい魔術を使っていたから魔力切れになったって言われたら納得しそうになるさ。でも、本当にこれを片付けるほどの魔力も残ってないって言うの?信じられない、疑わしい!
魔術が使えない私にはどんな魔術でどれほど魔力を消耗するのかわからないってのが悲しいね。私にも魔術が使えたらよかったのに。
「その人、私なんかにさわられたくないって言ってます。祟られたらやだからなぁ……。」
「死人に意思があるはずないだろ。バカなのか?」
だれがバカよ?
いや、バカでいい。バカでもいいからそんなことやらせないでください……。
私は王様の方を向いて、その赤い目を見つめた。
お願い!お願いだからそんなことをやらせないでくれ!白骨死体なんて無理だから!
「やりたくないです……!」
ロジェは手首の赤い線を見せつけた。
また!そうやって!
拒否権はないぞってか!?
「だって触りたくないんです!怖いんです!……せめて、手伝ってください!一人は嫌だ!」
「さすが駄犬、主人にここまで世話を焼かせるとはな。」
「駄犬でいいので一緒にいてください~!」
この骸骨と二人きりとか無理!絶対やだ!
鬼畜ロジェでもいいから血の通ってるやつがいてくれないと無理!
「断る。」
ロジェは私の腕を払うと、屋敷のなかに入って行ってしまった。
遠ざかるロジェの背中を見つめ……る前に目の前に鎮座する骸骨に目を奪われた。
おえぇ、無理!
「ロジェ様ぁ……」
無慈悲で冷酷、鬼畜外道のロジェは私を置いて消えた。
玄関には私と骸骨だけになってしまった。
反射的に、私は骸骨から距離をとり玄関の扉を開け放った。退路を確保。
待って、無理!まじで!
追い詰められた私は玄関をうろうろ、ぐるぐるする。思考ももだもだぐるぐる、あっちに行ったりこっちに行ったり……。
こういうの本当に無理なんだ。
私は昔からお葬式で遺骨を拾うのが怖くてできなかった。通夜で遺体を見るのもつらいくらいだった。どうして大人は平気で死人の顔を見たり遺骨を拾ったりできるのか今でも理解ができない。数年後に成人を迎え、私も大人になるはずなんだけどね?しかも葬式で、親たちは子供にも骨拾わせたり、仏さんのお顔を見せたがるじゃない?「おばあちゃん、こんな顔だったのねぇ」って感傷に浸れるのはあーたたちだけよ。こっちゃあいくら愛する親族だとしても仏さんのお顔なんて見たくないのだ。怖くて棺桶に近づけさえしないのに、強要しないでほしい!ほんとに!
昨日私は死んだ兵士の服を剥いだけれど、あれは死にたての死体だったからなんとかなったのだ。見た目や触った感じ、ただ寝ているだけに見えないこともなかったから自分を騙せた。
でも死んでしばらく経って、全面に『死』が現れているような死体は無理!色も雰囲気も全然違うんだもん!
けど、骨ってもっと無理だ。
どうして生き物って骨の姿になるとこんなに気持ち悪いんだろ?肉がなかったらこんなにも酷い姿なんだなぁ。いや、肉があったらなおのことグロいか。生きた人間だって皮一枚をへだててグロテスクな中身があるわけだよね。その皮一枚にどれほど私は救われているんだろう。
……こんなこと考えちゃだめだ。もう人ごみに行けなくなる。
人ごみって考えてみたらすごくシュールで気持ち悪い光景だよね。あのたくさんの人間、全員皮一枚の裏側にグロテスクなもんを隠して歩いてるわけよ。薄っぺらい皮一枚がなけりゃ地獄のお祭りだってのに。
そうだ、そう考えれば骨だけになっちまったこの死体はまだマシじゃないか。
完全に風化してしまっているし、死、という印象すら残っていないじゃないか。
骨のがマシ、骨のがマシ……。
だんだん心も落ち着いてきた。
私は深くため息をついて、自分の手首を見た。
あれ?なんか、ちょっと太くなってない?この赤い線。気のせいかな?まぁ、今はそれは置いておくとして。
どっちにしろ奴の命令にしたがわなきゃ私は死ぬんだ……。死にたくないならやるっきゃない。
やるっきゃないなら前向きになれ!
がんばれ私!
「まずは、素手を使わずに済むよう何か道具を……」
絶対素手で触りたくない。
骸骨はボロボロで汚らしい服をまとっているもの。
だって骸骨に誰かが服を着せるなんてことありえる?死ぬ前からあの服を着ていたってことだよね?ってことは死んで白骨化するまでのあいだにあの布はその人の腐った肉の汁とかを吸いこんでいるわけで……。いや、考えちゃだめだ。
大きな布をかぶせてまとめて外に捨ててくるってのはどうかな。
布があればなんとか触らずに済む。素手で片付けるよりよっぽどマシだ。
布を探しに行こう。
そういうのがありそうなのは、屋敷の裏方だろうか。
私は布を探すため、屋敷の中へと進んだ。
………
…………
結局見つけたのは大きめの麻袋だけだった。
台所で見つけたその麻袋を裂いて一枚の布にしてきた。
玄関に戻ると、その布を骸骨にかけた。
骨が見えなくなって一気に気分が楽になった。見えないだけでこんなに変わるんだ。視覚的印象って影響絶大だなぁ。
そりゃあ布越しにだって触りたくなんかないけど、死にたくないしやるしかなかった。
いい加減ウジウジしてないで腹を決めろ私。ウジウジしててもかわいくねぇぞ。ウジウジしてる女を何より嫌っていたのは私自身じゃないか。
そう、私はウジウジ女が大嫌い。特に学校で謎に生理痛アピール、頭痛アピール、腹痛アピールしてくるウジウジ女が嫌いだ。痛いから、何?そりゃあ誰でも不調なことはあるでしょうよ。でもそれわざわざアピるんじゃねぇよ。痛いから、辛いから、他人にいたわってもらえるって発想がまずおかしいんだ。病人だから優しくしてもらえるのが当然だと思って甘えてんじゃねぇ。黙ってさっさと保健室でも行きゃあいいのにいつまでも教室でウジウジやってるってことは、本当は大した痛みじゃないんでしょうね。
……なぁ~んてね?ウソウソ、具合の悪そうなかわいそうなクラスの子に対してそんなこと思ったりしないよ!痛覚は人それぞれ!本人が辛いって言ってるんだからいたわってあげなきゃ!
ま、私は具合が悪いからって学校を休ませてもらえたことはないけどね?熱が無いならずっても這っても行け、って教育されたわ。おかげで神経が図太く鈍感な人間に成長できた。
と、まぁそれはいいとして。
ちょっと元気出てきた。ウジウジしてないでさっさと片付けるぞ!
そっと手を伸ばし、布の中に骨をまとめた。テーブルの上のパンかすを布巾で拭い絡めとる時の要領だ。
カラコロ、っと音が鳴る。
その音にずぞぞぞっと背中に寒気が走った。
白骨死体の姿を思い出すな!これは骨じゃない。パンかすよ、パンかす!
こぼれそうな涙をこらえて、骸骨を両腕に抱えられるだけの大きさにまとめた。
そりゃあね?バカなことやってるってわかるよ?
上から布をかぶせて布の中にまとめるなんて無謀なことかもしれない。でも、見たくないし触りたくない。その二つをクリアするにはこの方法しかなかったんだ。
最終的には布を風呂敷のようにして縛り上げて持ち運べる状態にしたい。
そのためには今の一所に全身の骨があつまりその上に布がかぶさっている状態から、布の上に骨が乗っているという状態にしたい。
麻袋の布を端からぎゅっとしぼっていって骨を抑え込んだまま、くるっとひっくり返した。
カランっ!
「ひぃッ……!」
手で押さえきれなかった布の隙間から骨が一個落ちてしまった。
ビビった私は骸骨のかたまりから全速力で逃げた。
離れたところから布の上にまとめられた骸骨を見た。
体の足も腕もすべてぐちゃぐちゃにまとめられた骨……。
こらえていた涙がぼろっと落っこちた。心の中でバキッと音がした気がした。
私は玄関から逃げるように屋敷の中を走った。
とにかくあのおぞましいものから離れたかった。契約を守るためにと覚悟を決めたつもりだったけれど、すっかり心が折れてしまっているみたいだった。
もうどう頑張ってもやり遂げられない。
もう頑張ることもできない。
向かったのは玄関から一番近くの扉だった。
ロジェはそこに入って行ったのだ。
その扉を開けると、高級そうなソファにくつろぐロジェの姿を見つけた。
どうやらここはリビングらしい。
憎き鬼畜人外ではあるけれど、その姿を見てなぜだか少し心が落ち着いた。生者がいるということへの安心感だろう。
こいつは不死なので永遠の生者である。そういう意味ではこいつのことは大好きだ。こいつは死ぬこともないので、死んだ姿というものを私に晒すことは永遠にない。
私はロジェの前まで行く。
「どうした駄犬?」
ロジェは私の顔をじっと見ていた。
どうせ不細工な泣き顔だとでも言いたいんでしょう。
私はソファにくつろぐロジェの足元に正座した。
「助けてくだざい……、も、無理でず……。」
「そんなに人間の残骸が嫌か?」
いやな笑みを浮かべるロジェ。
やっぱり嫌がらせだったんだよね?わかってたけど、わかってたけど……!
「嫌です……。やりたくない!」
「仕方のない駄犬だな?」
「魔力が足りないなら血を差し出します……。」
本当は嫌だけどね。
吸われている時はあまり痛くないのだけれど、その後は結構痛い。それに血が抜ける感覚がすごく怖いのだ。昨日経験してもう二度と血をとられたくないと思った。
しかし私が自分の手でアレを片付けないですむ方法はもうそれしかないじゃないか。ロジェはいくら頼んでも骨を運び出すなんて肉体労働はしてくれないだろうし、かといってアレを放置することを許してくれるはずがない。私もロジェもみずからの手で片付けなくて済む方法はもう魔術しか残されていない。
そうなれば私が魔力を供給することになるのは当然の流れだろう。
ロジェはやはり楽しそうに笑っていた。
そして何も言わずに私の首に噛みついた。
「う゛……」
ぶちっと牙が刺さる感覚。
ぎゅるるっと血が抜かれる感覚。
少しの痛みと喪失感、あとそれを上回る快感。心臓の鼓動が一気に跳ね上がって、噛みつかれた場所から熱が広がる。もしかしたら痛みを感じさせないために麻薬成分的なものがロジェから出ているのかもしれない。そのおかげで昨日も吸われている時は痛くなかったのかな。
快感だろうなんだろうと怖いものは怖い。早く終わってくれ!
視界がかすんで頭がぐらっとバランスを失った。
咄嗟にロジェの腕をつかむと、
ロジェは首の傷を舐めとってからそっと顔を離した。
立ち上がるロジェをぼうっと見つめた。
なんだか力が入らなくて立てないのだ。
とりあえず、涙を服で拭った。
あぁ首痛い……。麻薬成分が切れたのかな。本当はのところ、どういう仕組みなのかそのうち教えてもらおう。
「どうした?」
「立てないんです……。」
手が差し伸べられる。
そういう気遣いはできるのね。なら、最初から嫌がることをさすなよ。
ロジェの手を掴むと、ぐいっと引き上げられた。ロジェの手はやっぱり冷たい。
「お前の貧弱さには呆れるな。」
「しゃーないですよ。お嬢様だったんですよ、もとは。」
私って言うかリナリーがね。
まぁ運動量の少なさや生活の質でいえば日本での私もだってお嬢みたいなもんだけどね。
「立ってられない……。」
ロジェはため息をつくと、ひょいっと私を抱き上げた。
片腕に子供みたいに抱っこされた私……。
昨日みたいな緊急性のある状況じゃないとなかなか受け入れがたい恥ずかしさだ。
しかも私ことリナリー16歳は小柄なのでうまいことこいつの腕の中に納まってしまうのだ。こいつはこいつで身長が無駄に高いので、見た感じからすると完全に大人と子供なんだよな。16歳なんだからまだまだこれからだよね?成長できるよね?
ロジェは私を抱いたままリビングを出て、玄関に向かった。
私は黙ってることにした。ありがとうって言うのもなんだかふさわしくない気がするんだよね。ちょっと親切っぽくしてもらったけど、でも、なんか、ねぇ?
「なんであんな風にしたんだ?」
玄関に戻ると、私がぐちゃぐちゃに丸めた骨が鎮座していた。
強烈な存在感を放っているけれど、ロジェにくっつきながら見るとなんてことなかった。不気味さの増したあの姿も全然怖くない。一人そばに味方がいるだけで平気になるんだから、私ってば単純の極みね。こいつが味方かどうかはともかく。
「触りたくなくて……」
「もとは同じ人間だったのに?」
「もう同じ人間じゃないよ。死んだら別物。」
だって人間になんて見えない。
白くて硬そうでとげとげしく穴だらけ……そんなものが人間に見える?そうでなくても、日本にいたころ通夜で見た遺体も同じ人間には見えたことなんてないけどね。だから、たぶん死んで体温が無くなったならそれはもう人間じゃないんだ。生前どんなに大好きだった親族でも遺体を見たくないし遺骨も見たくない。遺体の姿になってしまった時点でもう大好きだったあの人、ではなくなっているわけ。こういう考え方っておかしいだろうか。ひそかに心配していたのは、自分の親だとしても遺体に嫌悪感を感じるだろうか、ということ。どうなのだろう……。
「死のうが何だろうが同胞を惜しむのが人間だと思っていた。」
同胞を惜しみまくって怨みに支配された人間たちにやられちゃったのがあんただもんな。
いったいどんな魔道具でどんなふうに人間に捕まったのかは知らないけど、それによってこいつは不死族の誰よりも人間の同胞への執着を理解したのだろう。
「そういう人もいるけど……私は無理なの。」
ロジェは骨のかたまりに空いている方の手を向ける。
すると一瞬で麻布ごと骨が消え去った。
本当に一瞬。ヒューンともパァーンともならずにいとも簡単に消え去った。
思わず苦笑いしてしまう。
こんなに簡単に片づけられるんだね。それじゃあ私の苦労っていったい……?
布を探したり、骨のカラコロする音や感触で苦しんだのがすべて無駄なことだったなんて……。無駄な苦しみを味わったことについては腹立たしい限りだけれども、でも自分の仕事を肩代わりしてくれたことはありがたかった。私じゃ絶対片付けられなかったもんね。
「ありがとう。」
今度はそう言った。
自然と言えたんだ。事の元凶であるこいつに対し、本当に感謝すべきなのかはともかくね。
ばちっと目が合うとロジェは微笑んだ。
私は時間が止まったみたいに言葉に詰まった。鬼畜ロジェにあるまじき純粋な微笑みなのに……似合っていた。こいつは邪悪な顔しかできないし、邪悪な顔しか似合わないと思っていたけどそんなことはなかったみたい。結局イケメンはイケメンっていうか……つまり私はイケメンの微笑みに言葉を奪われた。
くそ、見るんじゃなかった。
腐ってもイケメンだもんな。
あぁ、こんなに間近にこいつの輝くイケメンフェイスなんぞ見たくなかった。なんか悔しいばかり。
天は二物を与えずっていうけどそんなわけがないんだよね。二物も三物も与えるわ。不死の能力、魔力、美貌。こいつの今までの人生が幸せなもんだったかはともかく、恵まれたやつだ。
ロジェはそのままリビングに戻った。
リビングの扉を開けて中に入る。
さっきはあまり見ていなくてわからなかったけれど、広くてきれいで素敵なリビングだな。
天井の装飾、絵画、カーテン、大理石のツルツルの床、重厚な絨毯。
どれもこれも見ればわかる上質さ。
私は床にすとっと降ろされた。
ロジェがソファにかけたので、私も間隔をあけてその隣に座った。背もたれにもたれかかって、一呼吸。
あぁ~これはすごい。さすが王様のソファというべきか、沈みも程よく背もたれの高さ、座る部分の深さも完璧。王様の前でだらしない?ふっ、こいつにだらしない姿を見られようと恥ずかしくもなんともないね。
すっかり気がゆるんでしまって、体が重たくなり動けそうもない。
王様のお邪魔にならないように向かいのソファを使うんでも良かったんだけど遠いのだ。
家が広いってのは必ずしも良い事じゃない。特に私みたいな人間にとってはな。
金持ちのお宅公開!みたいなテレビってたまに見るけど、バカみたいに金かけたでかい家を建てる人ってバカだと思うんだよね。金の使い方間違ってない?
あんなくつろげもしないデカいだけの家の何がいいんだろう。
私がもし家を建てるのなら、程よい解放感はあった方がいいけど、手を伸ばせばなんでも取れるような無駄に動かなくて済む家にするね。
視線を感じるのでロジェの方を見た。
「ロジェ様、何か?」
「お前は床だ。」
「え、床?」
どういうこと?
私は床……私=床?床ではなくてユカ?そんな名前ではありませんけれど?
それとも、私を建物の中のもので例えるのならば床である、と?常に人々に踏まれ汚され、時には屋内に侵入してきたカメムシにさえ踏まれる、私はそんな存在である……って、失礼な!
このロジェの不愉快そうな顔よ。
あぁ!わかった。
私がソファに座ってるのが気に食わないのね?従者と主人が同じソファに座るなんて確かに聞いたことないか。リナリーもそんなことを使用人にされたらブチ切れるよな。リナリーもプライド高い系女子だしね。
あんたの気持ちはわかるよ?でも私、あんたの命令には従うけど本物の従者に成り下がる気はないんだよね。せめてもの抵抗だもんね。
つーか、床ってのはなによ?
こんなに大きなソファでスペース余ってるのに床?
それっていったいどんな理論だよ。二人きりの同居人なんだし分け合おうよ?
「何の権限があって私と同じ位置に座っているんだ。まったく躾のなっていない犬だ。」
ロジェは私の腕を引っ張って床に引きずりおろした。
ドサッ!
「あぶなっ!」
痛くはなかったけど、危ないよね?危ないよね?
乱暴なことはやめようよ。
「お前には床で十分だろ?」
確かにこの重厚な絨毯はなかなかの座り心地……じゃなくて!だれが好き好んで床になんて座りますか!?
ここは日本の住宅ではないから当然土足だしね。逆に言えば、もし土禁だったなら好き好んでこの絨毯の上に座ってたかもしれない。さすが高級品、結構気に入った。
……ロジェの言う通り私には床で十分なのかもしれない、と少し納得してしまった。
いやいや、そんな負け犬根性でどうする!
鬼畜ロジェめ!
私の恨みがましい視線をものともせず、ロジェはソファに足を乗せひじ掛けを枕に寝っ転がった。私は寝っ転がるロジェを見ているだけだ。
私だって寝たい!そのソファで寝たいよ!
「この腕、離してくれません?」
ちらっと視線がこちらを向く。
なんだ?そのもの言いたげな目は?
「離してください。」
私は腕をつかんでいるロジェの手をほどこうと試みる。
指を一本ずつはがしていく。
指を一本ずつ攻略しないと手をほどくことすらできないのだ。力の差が悲しいね。
「そこにいろ。」
腕は離してくれたけれど、今度は首の後ろに腕をまわされる。首はがっちり固定されてソファに寝転がるロジェの胸に顔が密着してしまう。逃げることもできない私は、ロジェを枕に寝るしかないのかな。ロジェ様が寝ていらっしゃる間、当然私もここを動けないってことだもんね。それなら寝るくらいしかすることはない。
つーか、なんでこんな状況になってんだ?
そういえばこいつは無駄に密着接触したがるよな。
さっきだってわざわざ抱っこしてまで私を連れて行かなくたっていいのに、わざわざ抱っこして玄関に一緒に行った。
昨日からわかっている通りロジェ様は人間にそこまで怨みがないので私に怨みをぶつけたりすることもないのだけど、下等生物と触れることも嫌がらないんだな。平気で私に触れるもんね。
人間の、中でも貴族は獣人を汚れのように扱い遠ざけたがる。市民でも性奴隷ならともかく、密着接触なんてありえない話だ。
う~ん、もしかすると、こうして無駄に接触したがるのも不死族の性質なのかもしれないな。
どんな性質だよって話だけど、人間の体液なら何でも要求するこいつらならそんな変な性質の一つや二つありそうなもんだ。体臭を好むとか?うわぁ、いかにも変態臭い。
実はこいつらの習性や生態をよく知らないのだ。人間社会に堂々と現れることもなく、ましてや完璧に警備された王都に住んでいたリナリーなんて遠い昔の存在としか思っていなかったので、こいつらがどんな生き物なのか知る必要も大してなかったのだ。
でも、これからはそうはいかない。
どうにかして知識を仕入れなくてはならないな。
こいつに聞くのが手っ取り早いんだろうけど、なんか気まずいじゃない?
もし変な習性とかがあったりしたとき、どんな顔をすればいいんだ?種族の中でも一番偉い王様ご本人を目の前にしてさ。
ロジェは目をつぶって落ち着いた呼吸をしている。
私は下になっている頬っぺたが押しつぶされてすごく不細工な顔をしているだろう。
耳をすませば、こいつの鼓動が聞こえた。
こんな奴にも心臓があるんだな。ということは血も流れているわけだ。不死族同士でたがいの血を飲むってのはどうなんだろう。お互いにお互いの体について理解があるわけだし、血の提供を嫌がる奴はいないんじゃないか?それともやっぱり人間の血じゃないとダメなのかな。
これからの生活はどうなっていくんだろう……なんて漠然と考える。
私のご飯は?この山の中でどうにかやっていけるもんだろうか。
こいつのエサ、血は?すでに貧血だし、どうにか我慢してほしいもんだけど。
そんなちんまい問題ばかりじゃない。
「王の帰還」という不死族にとっても人間にとっても非常に大きな事件は今後どんな展開を見せるのか。そのうち不死族の同胞たちが王様のもとに集まるのだろうか。そして人間打倒のための戦争を始めたり……無いか。戦争はないにしても何かはあるだろう。
よくよく考えればすっごい大事件なんだよね。
人類にとって恐怖の象徴、というか恐怖そのもの。生態系の頂点に立つ捕食者が野に放たれてしまったわけだ。そして、不死族やそのほかの種族にとってはこの嫌な時代を終わらせる可能性が帰ってきた、ということ。かつてロジェをどうやってお縄にしたのかは知らないけど、二度も同じ手にかかるロジェじゃないでしょうしね。
きっと時代に何か動きがあるはずなのだ。
まさか、その世界を動かす王様の命の恩人になっちゃうなんてね。つまり私は時代が動くのを間近に目撃することになるわけよね。王様の従者だもの。そりゃあリナリーは壮絶な運命をたどるわけだよ。
これからいったどうするのか、そのうちそんな話を訊いてみよう。
ぼんやりと目をつぶっているロジェのイケメンフェイスを眺めた。
なんで私は人類の敵、不死の王の胸に顔をのせているんだろうか。一噛みで、一蹴りで、人間を一瞬で葬れるとんでも生物兵器と同じ建物の中、密着して……。
う~ん、またこの気持ちだ。
すごく複雑で気持ち悪い。
とにかく、過ぎたイケメンフェイスも二日あれば見慣れるし、イケメンフェイスにもムカつくようになるのだ、ということがよくわかったね。あんたのその無駄な麗しさ、ムカつくなぁ。見慣れたけれど、やっぱり麗しく神々しい、それでいて慈悲の欠片もなさそうな冷たい顔立ちなんだよなぁ。ずばり言うとイケメンってことなんだけど、イケメンだなんて言葉で表現しちゃ可哀そうかもな。
あ、褒めてないよ?
褒める気は微塵もないから。
ただ、見慣れることはできても飽きることはない顔だ、とは思った。美人も三日で飽きるっていうけど、嘘だね。とんでもない美人なら見飽きることなんてないのかもしれない。
もちろん褒めてないよ?美人ってのは誉め言葉じゃないからね。
ロジェの顔を見てしばらく過ごしたが、そうしているうちにいつの間にか瞼が落ち、私も意識を失うのだった。