5
「おえぇえ゛ッ!」
気持ち悪いぃ……苦しぃ……!
荒い呼吸を繰り返す。
あぁ、のどが痛い……。
王様とのジェットコースターみたいな逃避行は成功して、もう人影もない森の中だった。
水場に降り立った王様の肩をびしびしと叩いておろしてもらい、私はまずゲロを吐いた……。
これはたぶん乗り物酔いの吐き気だけじゃない。
人の死を感じたストレスのせいでもあるはずだ。
だってゲロを吐いている最中、思い出したのは皇宮に勤める衛兵たちの無残な死体だもの。
自分で思っていたよりも参っていたみたい。そりゃあそうだ、安全で平和な国のJKだったんだからね。
私は沢の水をすくって口をゆすいだ。
何度かゆすいでうがいをして……うん、やっとすっきりした。まだ胃酸で痛められたのどは回復していないし、頭痛がするけれどね。
ゆっくり立ち上がる。
「何をやっている。ほら、行くぞ。」
「行くってどこへ?……こんな場所にその知り合いとやらがいらっしゃるんで?」
薄暗い夕方の森の中。
視界は悪いけど、どんなに深い森なのかはよくわかる。こんな場所に誰が住んでるって言うんだ。
ちなみに逃避行のルートは私は知らない。なんでかって?人外のスピードについていけず目をまわしていたからさ。
「まずは水浴びだ。」
「あ、はい」
沢を上に上にさかのぼってゆく王様の後について歩いた。
やっぱり王様は背が高く、足が長くていらっしゃるので、歩いていてもかなり速い。私は小走りじゃないと追い付けないのだ。
こうなると自分で歩くのが辛いもんで、もう一度抱っこしてくれないかな……なんて思ってしまう。
超スピードに揺られるのは嫌だけれど歩きならウェルカム。
でもこの歳で自分から抱っこしてくれなんて言えないじゃないか。つまり、どんなに辛くても自分の足で歩くほかない。
しばらく茂みをかき分けて出た先には泉があった。
薄暗くてもよくわかるくらいきれいな水だ。
ここで水浴びなさるのね。
王様は兵士の装備を取り外して地面に捨てると、パチンと指を鳴らした。すると装備に火がついて燃え上がり一瞬で灰になった……。うわぁ、魔術ってすご~い。いったいどんな火力だったら金属や革のものを一瞬で灰にできるの?そんなに盛大に燃え盛ったわけじゃなくて、火が付いた端っこから全体にかけて火が触れたところから灰になって崩れ落ちたのだ。装備だったものは粉末の山になり、煙すらも上がらない。何日間も放置したみたいな見た目になっている。
ヘルメットは私の知らないうちにすでにオサラバしていたみたいで燃えた中にはヘルメットはなかった。長い髪の毛が風になびいている。
白いシャツと黒いズボンだけをまとった王様は髪の毛を束ねていたリボンをほどくとそのまま泉の中に入った。
服を着たままかよ……いや、別にいいけどさ。
魔術でならすぐに服も乾かせるのだろうし。
王様が入った瞬間に水に王様の体や白銀の髪の毛にべっとりこべりついていた血が溶け出す。
長い年月蓄積された汚れなわけですよね。
苦労がうかがえます。もっとも、本人は苦労だなんて思ってないのかもしれないけどね。この方はどうやらあんな仕打ちを受けても人間をそんなに恨んでいるわけではないようなのだ。けろっとしている、というか元々あまり表情の動かない方なのだろうけど、私と話すときも普通だ。恨んでいる種族を前にしたら普通じゃいられないものだよね?それにもし人間を恨んでいるのなら私を連れて歩いたりしないよね?
だから、地下牢の最深部で痛めつけられた何百年間かを苦労とは思っていないのではないか、と思うのだ。
「来い。」
王様が呼ぶので、風呂敷の荷物をおろして水辺に駆け寄った。
「なんすか?」
泉に浸かる王様を見下ろしてそういうと、大きな手が伸びてきて私を引きずり落した。
ボチャッ!
突然全身が冷たい水に覆われる。
右も左も、上も下もわからなくて焦るが、すぐに王様の仕業と理解した。
もがいてもがいてなんとか水から顔を出す。
その瞬間、衝撃と驚きに止まっていた(気のせいかもしれないけど)心臓が激しく動き出す。
「げほっ、ごほっ!」
水を飲んでしまった。
髪をかき上げて顔に張り付いたのをはがす。
いや何、どういうこと!?私を引きずり込む意味!!どう考えても嫌がらせだよね?嫌がらせ以外のなにものでもないよね?
あぁ~くそ!意外と深いんだよ!足がギリギリつくくらいの深さだ。首のギリギリにせまる水面。空を見上げなきゃ、呼吸をできないっていうのが悲しい。
そうしてやっと水の冷たさを体が認識し始めた。どんどん冷たさが身に染みて行く。
急激に上がった心拍数をどうにか抑え込み、呼吸を整える。
岸まで行こうとするけれど、結構遠い!
「はぁ、ぜはぁ、……まじ、何すんだよ王様。」
「お前の王になったつもりはないぞ。これからはロジェと名で呼べ。」
「ロジェエ~?」
へぇ、そんな名前だったんだ。
確かに王様王様ってこいつのあとくっついて歩くのにはもう飽き飽きだ。こいつの言う通り、私の王様じゃないしね。
「様をつけろバカが。」
「ば、バカ!?」
なんか初めて罵倒されたんですけど……?
「お前の名はなんだ?」
前に名乗らなかったっけ?
忘れてしまったのね。ほほほ、老人のような記憶力ですこと。あらやだ、老人のようなではなくてまさしく老人なのよ。なんたって何百年という時を生きているんだもの。
こちとらピチピチJKですが、何か?生まれてまだ十数年しかたってないのであなたからしたら生まれたてのようなものに感じるかもしれないわね。
「リナリーです。リーナと呼んでください。」
リーナと愛称で呼んでくれれば元の名前、李衣菜と同じ音なので馴染みやすい。
どうしてもリナリーと呼ばれると違和感なのだ。
「駄犬、髪を洗え。」
「はぁ!?駄犬!?」
咄嗟にそう訊き返すと王様……もといロジェ様は睨んできた。怖っ!
なんだって私がこいつに駄犬呼ばわりされにゃいけんの?ついさっき私の名前聞いたよね?聞いたのに名前で呼ばないわけ?名前聞いた意味!!しかも駄犬て……駄犬て……!
人を駄犬呼ばわりしたうえろくでもない命令しやがって!髪くらい自分で洗えっつーの!
ロジェ様は手首を指し示す。
くっそ〜!そうすりゃなんでも言うこと聞いてもらえると思ってる?
そうですよ、その通り!わたしゃあ逆らえないんです。よくご存じで。
私はとりあえず水から上がった。水の浮力を借りても力が足りなくて、岸に縋り付いてもがいてやっと地上に上がることができた。なんで私はこんなに身長が低いのかな。前世でもそうだし、リナリーの体でも……。
いや、ごめんリナリー、君の体が悪いんじゃないよ。悪いのはコイツ。コイツが私を泉に落としさえしなけりゃ良かったのだ。じゃなきゃ改めて身長の低さを実感することなんてなかったはずだ。許すまじ鬼畜ロジェ……!
ロジェのすぐそばの泉のへりに腰かけた。全身が濡れているので、普段なら心地良いはずのそよ風が地獄を味わわせてくれる。
ありがとう、そよ風さん。
「こっち来てください。ここ深すぎて私は立ってられないんですよ。」
ロジェは大人しく私のそばに寄った。
変なところで素直ですよね。
水面に広がる髪の毛を集めて、水をかけて洗った。
ところどころ血が固まってバリバリになっている。
汚れてはいるけど、白銀の髪だとわかるレベルの汚れだ。牢屋の中で初めてこの髪を見た時は、きれいな髪だなぁと思ったっけ。汚れに気づかないほどきれいに見えたのだ。というか汚れていてさえきれいな髪の毛だった。
でもこうして洗ってみると、本当はもっときれいなんだってよくわかるね。さすが人外。人間では到達できない美しさなんだよねきっと。
じいさんやばあさんの白髪とは違うのよ。白じゃなくて白銀で、それに健康そうなサラスト。
前世、クラスには異様に髪の毛に力を入れている女子がたくさんいたけれど、彼女たちじゃ足元にも及ばんね。懐かしいなぁ、元気かなあの人たち。今でも目をパンッパンにむくませて早起きして前髪巻いてるんだろうか。雨や風から前髪を死守する日々を続けているのかな。
いい加減、その前髪へのこだわりは周りの人には理解してもらえないものだと悟るべきだよ。体育の時にまでポケットから折り畳みの櫛を取り出して前髪をとかすのはバカっぽいからやめなさいね。
いや、彼女たちについてはもう何も言うまい。
いつか大人になるだろうと信じている。
私は黙々と髪の毛を濡らした。
それにしても、よくこんなに美しい髪の毛を血で汚したな?本当に罪深い所業だと思うよ。
「ロジェ様、人間に復讐しようとか思わないんですか?」
ロジェはちらっと私の顔を見た。
ちょっと気になっただけなんで答えてくれなくてもいいけどよ。
「エサはエサだ。復讐もなにもない。」
「なるほど。確かに復讐なんてするまでの価値もないか。」
人間は他種族を同列の生き物としてみようとはしないけれど、それは不死族も同じなのかもしれない。ロジェたちにとっても人間は同列の生き物ではないのだろう。まぁ実際人間よりも優れた身体能力を持っていて魔術まで使えるんだもんね。同列にはなるはずもない。
一回人間に散々な目に遭わされたからってそれに懲りて人間の実力を見直す、とか復讐心を燃やすとかいうことはないんだな。やっぱり同列にはなれないんだ。
ほんの少しの怨みもないってことだろうか。そんなことがあるのかな?あんな仕打ちをされたら、少しくらいは怨みを持っても良いと思うんだけど……それとも、人間とは考え方まで違うのか。
それにロジェの場合は自分だけではなくて、同族やその他の傘下の種族もやられたはず。自分のためではなくっても仲間のために復讐をしたりしないのかな。せめて救出とか……。
不死族はどうせ死なないのでともかくとして、問題は不死族と人間の中間にいるその他の種族だよな。
不死族と共生できていない種族なんて人間くらいのものでほとんどいなかったらしい。他の種族はどうやっていたのかは知らないが不死族の傘下として共生していたらしいのだ。
つまり、不死族の王ということは、人間以外のほとんどの生き物の頂点に立っている、ということだ。
例えば、獣人はいまだに奴隷として苦しめられている。彼らは魔術が使えないらしい。身体能力はすごく高いけれど、栄養失調のうえ過重労働させられ痛めつけられればその身体能力も発揮できるはずがない。
でも今人間に苦しめられているかわいそうな種族を助けることはたぶんロジェにもできないだろうな。
神様のミスで人間の割合が極端に増えてしまった現状ではどんな種族にも人間社会を打倒する力はない。数は力ってやつ?狼と鹿の話みたいだ。狼を駆除したら山のバランスが崩れ鹿が大繁殖。そのせいで食料に困った鹿は木の皮をむしって食べたり、人里に降りて来たり……。山も人間も迷惑をこうむった、という話。
この世界では人間も生態系の一部になっているのかもしれない。
不死族やその他の強い種族が姿を見せなくなれば、人間が大繁殖……ってね。
「ロジェ様はこれからどんな風に生きていくおつもりで?」
「さぁな?どうなるにしろお前は私のそばを離れられないんだ。気にする必要もないんじゃないか?」
「いや、気にするわ。」
積極的に働かされそうな生活になるのか、穏やかにゆっくりした生活ができるのかではかなり違ってきますしね。できればあまり働かなくて済む方向でお願いしたい。
というか、あんたのそばを離れられないってどういうこっちゃ?
一生従う、ということは一生こいつに付いて行くということなのだろうか。解雇とかないの?
「その言葉遣いどうにかならないか?従者なのに首一つ撥ねることもできないなんて不便なことだ。本当ならお前の首は幾度となく宙を舞っている。」
思わず口角が上がってしまう。
「首は一つだけなんで何回も飛ぶことはないと思いますけど……。んふっ、契約って、ぐふふ、いいもんですねぇ~?」
どんな無礼を働いても私を殺せないんだよねロジェは。
命の安全が保障されているってのはこんなにいいもんなんだ。人権って大事!
でもその代わり私もロジェに従うって契約しちゃってるから従わないわけにはいかんわけだけど。
するとぬっと伸びてきた手が私の顔を掴んだ。
「にゃにすんへすは!(何すんですか)」
両頬を挟まれて、まともにしゃべることもできない!
殺すことはできなくても……こういうことはできるわけね。はい、反省しました。
「醜い顔だ。」
「そひゃあほんにゃこふぉさへあはほうーいにゃふあ!」
「意味が分からん。」
何が醜い顔よ!あんたのせいでタコチューになっちゃってんだよ!もとは美少女だっつーの!
私はロジェの顔に手を伸ばすけれど、全然届かない。
なんなんだ、このリーチの差は……!?悔しい!
「仕事をしろ。すっかり夜だ。」
そうっすね。すっかり暗くなりましたよ。
でも星明りが明るく照らしてくれているので手元も見える。こうして自然にあるものだけを見ていると、この世界もなかなかに美しいし捨てたもんじゃないな、と思う。まぁそれは地球も同じか。汚点もあれば美しい物もある。特に、どんな世界にだって差別と闘争は絶えないもんなんだね。
ロジェは私の顔から手を離した。
今だ!
そのすきをついて私はロジェの顔を両手で挟み込んだ。冷たい頬。すっかりタコチューなお顔。
驚いて目をむくロジェ。私は思わずにや~っと笑った。
へっ!やってやったぜ!これでロジェもタコチューだね?おそろっち!いぇ~い!
ロジェは私の手首を両手とも掴んで顔から離した。
こいつの力に勝てるわけもなく、私は拘束されてしまった。でもいいのさ、良い物を見れたしね。
「なにをふざけている?」
「んふふ、してやったりですわ!」
ロジェが深い深いため息をつく。
「本当にバカだな。駄犬、この仕打ち、忘れないからな?」
「だって、仕返しですよ……?いいじゃないですか~。やられたらやり返せという言葉を知らないんですか?」
「相手は選べ」
「二度としてはいけませんか?頬っぺたをむちっと」
ロジェは絶対零度の視線で私を見据えた。
ごめんって!そんなに怒るなよ!
「反省しました!大海原のごとく心の広いロジェ様なら許してくださると信じていますけども!」
「もちろんだ。駄犬の至らなさは主人のしつけに原因があるのだからな。」
おお怖っ。
私はとりあえずへらへら笑っておいた。
ここでビビって見せたら負けだよね。
ロジェ様は殺意高い系のバケモノだけど、意外と心広いよね……。あとで報復されるのかもしれないけどさ。さっきだって本当は握るだけで私の顔も手首もつぶしてしまえたんじゃないかな。なんたって踏んで人を殺すもんこいつは。考えるだけでもゾッとするね。
こうしてロジェと接触するとなんだ変な気持ちになる。
手を伸ばすまでもない距離に簡単に人を殺すバケモノといるってことだもんな。
契約があろうとも私の生命は安定したもんなんかじゃない。ロジェも死ぬことにはなるけど、私を殺すことは可能だもんね。なのにこいつは私に簡単に触れてくるし……私もこいつに簡単に触れている。
本当は恐ろしくてためらうはずのことをためらわずにできる自分が不思議。なんだかのどに何かがつっかえているみたいな気持ち悪さだ。
「ええと……、もうだいたいきれいになりました。」
「完璧にこなせ。」
私はロジェの無駄に美しい顔の、横の髪の毛を濡れた手で何度かすく。うん、これでいいんじゃない?
大丈夫。多少髪の毛が汚れていようとイケメンはイケメンだよ。
「これでいいんじゃないですか。おっけーです。もう上がったらどうですか?風邪ひきますよ。」
「不死族に病なんてあると思うのか?」
「ないですよね~。うらやましいことですわ。私なんてもう寒いっつーかトイレ行きたいっていうか……。」
誰のせいで私は風邪ひきそうになってるんだ?誰が私を泉に落としたんだ?
あんただよ!あんたのせいで寒い思いさせられてんだよ!切ないよ!
あんたのことは風邪をひこうが肺炎になろうがどうでもいいけど、私のことはどうでもよくない。最初からあんたの心配なんてしてないしな!
あぁ~寒い!一刻も早く水から出たい!
濡れた布が体に張り付いてるのも寒いけれど、足が水に浸っているのがつらい。
足が濡れるとおトイレしたくならない?
そういえば私はいつからおトイレ我慢してるんだっけ?
「それはつまり尿意を催したということか?」
そんな訊き方あります?
まぁ、尿を飲ませろとか言っちゃうような奴なのでデリカシーには期待できないよね。
「そうです。尿意が我慢ならないということですね。」
「出せ。」
ん?この人いまなんて?
「はい?もう一度お願いします。」
「出せと言ったんだ。我慢ならないのだろう?漏らせ。」
女に真顔でそんな要求をする男がこの世界に何人いるだろうか。
たぶんあんただけだよ。
しかも二回目だしな。
言いたいことはわかるよ?体液だよね?
でもそんなことが私にできると思うの?つーかどうやって飲むつもり?
「断固拒否!」
私は急いで水から足を上げた。一刻も早くこの危険な男から距離を取らなくてはならない、と思った。
でも瞬発力でこいつにかなうわけがないんだよね。
ロジェは私の腕をつかんで引っ張った。
待って待って!またしても……!?
ボチャっ!
「もがっ、げほ、ごほっ!」
私は全身全霊をかけてロジェを睨みつけた。
寒くて切ない気持ち、変態最低野郎への怒りのパワーをすべて目に集中させて光線を出すつもりで睨んだ。
「なぁあにすんですかッ!いくら王様でもやっていいことと悪いことがある!」
そう言いた瞬間体が震えた。
大きな声を出したせいでお腹に力が入ってしまった……!
ぞわわっと寒気が全身を駆け巡って……尿意を刺激する……!
思わずビクッと体が震える。足をぎゅっと閉じて前かがみになる。
やばい!限界が来てる!
「私にやってはいけないことなどない。わかるだろ?」
私の腕をぎりりりっとつかんだロジェは楽しそうに私を見下ろしていた。
どんな王様発言だよ、と思うけれどその自信は根拠のないものではないとよく知っている。
手首には契約の赤い印。
こいつに尿を飲ませろと命令されたら……私は逆らえない……!
かくなる上は我慢だ!
絶対に漏らしてなるものか!
漏らしさえしなければ屈辱を受けなくて済むはずだ。
ロジェにつかまれた腕が痛い……。おしっこしたい……。
なんで私こんな目に遭ってるの?
タマキちゃん、ユウ君、二人は今何をしていますか?あったかい風呂に入って体を清め、今夜もベッドで眠るんですか?
私は今冷たい泉の水で尿意を催して、それだけでもつらいのに、目の前のバケモノに漏らせと迫られています……。二人は私の現状を知ったらどう思うだろうか……。
「うっ、ひっ、うぅ~!」
なんだか切なくて、涙が出てきた。
なんで私ばっかりこんな目に……?だって理不尽じゃない?そりゃあさ、熱中症になったのは私の自己管理能力不足のせいなので自業自得だよ?でもさ、もっと、なんか……ね?
目の前のロジェはなおも楽しそうに目を細めている。なんなんだコイツ!?
「泣いているのか?体液をわけてくれと言っているんだ。どうして言うことがきけないんだ?」
ロジェは俯いた私の顔をすくいあげると、頬に伝う涙をなめとった。
カチーンと体が凍り付いた気分になった。
まじか、こいつ……。無理なんだけど……!
そのままロジェは私を抱き寄せた。
やめろぉおおおおッ!
腰を引き寄せ、きつくきつく抱いた。
この人でなし!人でなし!
圧迫が私の膀胱を追いつめる。私の膀胱はたぶんギャン泣きしてる……。
自分とロジェは体の間に手を滑り込ませ、ロジェの胸を押し返して逃れようとする。でも力で勝てるわけがなかった。
腰を一層つよく押し付けられて……
「ひッ…………!!ぐすっ……いやぁあ…………!」
サァっと血の気が引いた。
自制心もなにも利きやしなかった。ロジェはすごく楽しそうにいやらしく顔を歪めた。
ロジェは水の中に潜った。
幸運だったのは、冷たい水のおかげであまり下半身に感覚がなかったことだ。
どんどん私の中から抜け出て行く、その切なさと解放感……ある種の快感がごちゃ混ぜになって私に襲い掛かった。そしていくら感覚が鈍くなっているとはいえ確かにワンピースの下、私の体を「どうこう」している感触がある。何かが吸いつくような……感触。
この歳でおもらししたこと、どんなバケモノだろうと分類学上の男にこんなことをされたこと、それらの羞恥心がだんだん湧き上がってくる。
おかしいな?さっきまであんなに寒かったはずなのに、むしろ暑いくらいだ。
ロジェは顔を離さないまま、私を岸に押し上げた。
開かれた足の間に顔を埋めるロジェ。
スカートでよかった、と心底思った。じゃなきゃ、自分の痴態を目撃してしまうところだった。
「ひぐっ……!な、なんで……!」
なんでこんな目に?
しゃくりあげるのが止まらなくて、呼吸もままならない。
もういっそのこと意識を失ってしまいたかった。
さよなら神様。
こうしてリナリーの命運は尽きたのでしたとさ。めでたくなし。
××××
次に目が覚めた時、あたりはすっかり明るくなっていた。
なんてすがすがしい朝なの。
私はゆっくりと体を起こして伸びをした。伸びをしてから、また転がって目を閉じる。一度起きて伸びをするのが二度寝の作法というものだ。
「目が覚めたのか?」
ママ、私のことは一時間後に起こしてね。これから二度寝なので。
眠たいし寝たいはずなのに、なぜだか全身から冷や汗が噴き出す。なにかとんでもないプレッシャーを感じるのだ。すっごく嫌な声が聞こえた気がするし……ママはあんな声じゃなかったはずだ。
今日は何月何日?昨日は何をしていたっけ……?なんて一瞬考えて後悔した。
嫌な記憶がフラッシュバックする。
切ない気持ちまで戻ってきて、急に涙が出てきた。自分の腕に顔を擦り付けて涙をぬぐった。
だめだ……涙が止まらない……。
あぁ~もう知らない!おやすみ!
「いつまで寝ているつもりだ。」
「や~だ~!寝かして!」
はぎとられそうな毛布に必死に縋り付いた。
必死の抵抗むなしく、ずるっと毛布を奪われる。
毛布がなくなったことで冷気に晒される。毛布を失った心細さよ。
仕方がないのでもう一度涙をぬぐってうっすら目を開ける。
そこには二度と見たくもないと思っていた憎き憎き不死の王様のご尊顔が。
くそ、なんて嫌な世界だ。
イケメンが太陽いっぱい浴びて輝いてる姿なんて見たくもなかったね。
というかここはどこ?どうやら野宿をしたみたいだけど、草とか木とかが見当たらない褐色の岩場だ。
「なんだその顔は。」
「どんな顔でもいいでしょうが。寝起きの女はブスって相場は決まってるんだから。」
朝は眠気とむくみで目が開かないものなのだ。
腫れた目を薄くしか開けられないんだ。ブスじゃないはずがない。
「お前、女だったのか?」
「女に見えませんでした?おっかしいな?」
お前の目がな。お前の目がおかしい。
昨日の晩、女の証を間違いなく見たくせに……って、いや、違う。そんなこと考えちゃダメだ。
はぁ、どうしてこんなことになってるんだ。
私は昨日女子として死亡した。そして目覚めたら鬼畜ロジェが目の前に……ってどんな地獄?寝起きのブス顔で助かったよ。これで顔面がマトモに機能していたら今頃どんな顔をしたらいいかわからなくて爆発していただろう。
鬼畜ロジェはと言えばなんでもない普段と変わりない顔をしていた。
まぁこいつの普段、というものを知っているほど長くを一緒に過ごしていないけど、たぶんこいつは普段からこんな顔なのだろう。
女子としての私を殺しておきながら、そんなことはお構いなしなのだ。正気を疑うね。実際正気じゃないよね。いや、そもそもモラルとか礼節とか慎みとかいう概念がないのかこいつには。正気とかそれ以前の問題だったみたいだ。
「ここはどこですか?」
「例の知り合いの家だ。」
「知り合い?家?」
私はやっとまぶしさに慣れた目であたりを見回した。
岩場、というか洞窟の入り口みたいな場所らしい。太陽とは逆方向、つまり洞窟側には大きな山が鎮座していた。山?岩?なんだか洞窟の中にぼこっと大きなものがあるのだ。なんかきらきら光る石がいっぱいくっついているからここは鉱山とかそういうたぐいのものかもしれない。
こんな場所を家にするなんて趣味のいい知り合いだな。家らしきものは見当たらないけどね。
「挨拶をしろ駄犬。私の頼みで仕方なくお前を家に留め置いてくれたんだぞ。」
「え、誰に?」
すると、洞窟の山か岩のようなものがずずずっと動いた。
私はぴしっと固まってしまい、茫然と見ているしかできなかった。
……そこにいたのはドラゴンだった。
『無礼なネズミめ。我を前にいつまで這いつくばっているつもりだ。』
しゃ、しゃべったー!!
いやいや、そこじゃないだろ。
冷や汗が止まらない。すごい威圧感。眼力で殺されそう。
私は起き上がって、正座した。
「一晩泊めてくださってありがとうございます……。」
『ロジェ、なぜこんなネズミを連れてきた。』
ドラゴンさんの口は動いていないので、たぶん念話的ななにかなんだろう。
さすが世界の王ドラゴンさんだ。そんなこと余裕でできるんですね。
他種族のなかでも別枠的な存在で、不死族以上の強さを持っているらしい。
それがどんな強さなのか、人間ごときじゃ想像のしようもないね。
どうしてドラゴンさんはこの世界で生き残っているのかというと、あまりにも強すぎて倒せないからだ。存在が強大すぎるので神のように畏れられ崇め奉られている。人間をわざわざ襲ったりしないので駆除する必要もなかったんだろうな。
こんな超生物と知り合いだなんてさすが王様ですね。ここがドラゴンさんのお宅、ということは私たちがいるのは人間たちの言う聖域という名の立ち入り禁止区域だろう。確かに王様にとっても世界で一番安全な場所だ。
「これだ。どうしても生きていたいと言うから契約で生かしてやっている。」
『面白いことをするじゃないか。しばらくは退屈しのぎに遊べそうだな。』
「あぁ、人間というのは本当に面白い。魔力がないだけで圧倒的弱者なのにな。」
ドラゴンさんとロジェはおもしろそうに笑った。
ごめん、話についていけないや。
私にわからない話をするなよな。
でも君らが仲良しだってことはよくわかるよ。やっぱり超生物は超生物と親和性が高いんだね。
「私はオーヴェと話すことがある。お前は家を建てる場所でも探していろ。」
「家を建てる場所?」
「そうだ。しばらくこの山から動くつもりはないが、いつまでも家を借りてはいられないからな。」
家っつーかここはただの洞窟ですけどね。
もちろん、思ってもそう言ったりはしないよ?ロジェもこれが家だと思ってるみたいだし、たぶん、ドラゴンさんもこれを家だと思っているのだろう。
家、の定義は人それぞれ。その価値観を否定しちゃいけません。
「わかりました。」
面倒だしよくわからない話は聞きたくもないので私は立ち上がってさっさと歩いて出て行った。
洞窟が高い所になくて良かったなぁ。
ちゃんとすぐそこに地面があるので、安全に行き来できる。これがバカみたいに標高の高い場所だったら困っただろうね。
緑の草木が風にそよぐ音、鳥の泣き声に川の流れる音。
豊かな森ですこと。
私もこの山を棲み処にするのには大賛成だ。虫さえいないならね。自然に昆虫類はつきものなので逃れることはたぶんできないだろう。現代のJKは室内にカメムシ一匹入ってくるだけで大騒ぎするもんだ。私も例外ではない。
もっと大きな問題がある。
簡単に返事しちゃったけど、家を建てるってどうするのつもりなんだろう?ロジェが建てるの?あいつがそんな泥臭い仕事をやりたがるはずがない。魔法で家を建てれるっていうんならいいけれど、そうじゃなかったらたぶん……私の仕事になるだろう。
そう考えると家を建てる場所を探すなんてやる気も起きなかった。
とりあえずざっとあたりを見て回りつつ、沢でも探して顔を洗おう。
そういえばだけど、昨晩は私気を失ったんだよね?
その後どうやってあの場所まで運ばれたんだろう。
体がべちゃべちゃなままだったとしたらいまごろ風邪をひいただろうし、乾かしてくれたのかな?魔術とかで?
まぁ当然それくらいはしてくれるよね。この上、風邪までひいてたらさすがの私でも無謀にも殴りかかっていたかもしれない。勝ち目はゼロだしヘタすると返り討ちにあうだろうしロジェにはなんのダメージも与えられないだろうけど、でも、一発は殴らないと気はすまなかっただろうな。
散々な醜態をさらしたわけで、今でも思い出したら悶えるけれど、あれだけの経験をすれば逆にもう怖いことなどないと思える。
これ以上ウジウジしているわけにもいかないし、ウジウジして時間を無駄にしたらバカでしょ?あんな奴のために悩んだりはしない。あいつは人間じゃないんだ。恥ずかしい事なんて何も……ない……はず。
水の音のする方へと歩いていくと昨日の沢にたどり着いた。
手で水をすくって顔を濡らした。
冷たい~!
でもおかげですっきりした。
「はぁ~あ……」
神様、そこにいます?今日は出てこないの?
忙しいからしばらく出てこないって言ってたけど、そろそろ出てきてもいいんじゃないかな。
おしゃべりしましょ。
『久しぶりだな。』
ひらりと神様が舞い降りてきた。
ちゃんと姿も見えている。
相変わらずの残念イケメン神様だけど、私の呼びかけに素直に応じるなんて、素直な子になったもんだ。
そしてあんたねぇ、久しぶりだなじゃないよ!あんたがしばらく静かにしてる間にこっちゃあ大変な目に遭ったんだからね!
『見てたから知ってるよ。』
「見るなよ!乙女の醜態を覗き見すな!さっと目を背けてあげるのが紳士ってもんだろうが!」
それともなんだ?見たかったのか?
そういう欲望を抱くことがあるんだね、神様も。
私の身の回りには変態しかいないのかよ。勘弁してくれよもう。
『お前の醜態になんて興味はねーよ!でも見届けるのが俺の義務だろ!?』
見届けるだけじゃなくて手助けしてよ。
『お前ごときのどんな姿を見ようとどうとも思わねぇよ。』
私はどうとも思うんです。
仮にも男の姿をしてるやつに見られていたと思うだけで、脳みそ沸騰しそうです!
『神に性別はない。』
知らんそんなこと。
あんたの股間にイチモツあるって事実は変わらん。
『お前、仮にも女なら慎みを持て!そんな言い方ないだろ?』
「私はあの醜態を自分とロジェの奴との間だけにとどめたかったんです。ロジェも男だけど、人間じゃねぇし、私の醜態を言いふらしたりもしなさそうだしいいかって諦められたさ。……でも、まさか第三者にも見られていたなんて……。しかも、日本での私を知っているような、私のバックグラウンドを知っているようなやつに……。」
『やつって……。そんなにしょげるなよ、お前らしくもない。』
そりゃあしょげるわ。
ロジェは私のことなんて全然知らないし、エサとかペットくらいにしか興味を持っていないからなんとか我慢してあきらめられた。
でも、これまでの私を知っているこいつは許せない!今までまともな人間らしい生活をしていた私を知っている神様に、お漏らしさせられてそれをすすり取られるだなんてまさに奴のペットに成り下がった姿を見られなくはなかった。マトモな人間として生きていた私が落ちぶれた姿を……誰にも知られたくはなかった。
人間としてのなけなしのプライドがズタボロだ……。
ロジェの従者になるってこういうことなんだな。
生きるために仕方なかったとはいえ、自分の選択を後悔する。
「神様、私はいまやはり非業の死へ向かって行ってるんですか?」
『さぁな?俺にはわからん。』
あんたにわからなきゃ誰にも分らんだろうよ。
こんな目に遭ったんだからせめて報われたいわ。
報いろよ。ちゃんと報いろよ?神様。
『……まぁなんとか生き延びることができるよう頑張れ。』
「頑張れるのにも限界がありますよ。神様、なにか施しをしてください。」
『それは無理だ。』
ふざけんなよ!こっちも慈善事業じゃないんだよ!
なんの利益もないうえに安全装置もない仕事、誰がまともにこなせるんだよ!?私じゃなかったら心が壊れていたかもよ?危ないし、辛い、地獄のような職場だよ!
しかも頑張ったけど失敗しちゃった☆なんてことは許されないのよ!リナリーではなく、私の命がかかってるんですからね!?ガチのガチで慈善事業じゃないの!わかるかなぁ!?
全身全霊で恨みをこめた目を神様に向ける。
神様は私に圧倒され、たじろいだ。
『じゃあ、もし元々のリナリーの運命から逃れられた時にはお前の望みをかなえてやる……。』
「今すぐ何かがほしいんです!」
『そんなことを言われても……』
神様は面倒くさそうに顔をしかめながら、自分の服の中を探った。
胸元をゴソゴソ探って取り出したのはなにやら刻印がされた石ころだった。
『これしかないが……まぁ無いよりはいいだろう。』
その石ころに神様はふっと息を吹きかけた。
するとただの石ころだったはずなのに、石ころの刻印がオレンジ色の光を放った。
『人の運命、つまり死という結末を曲げてしまう可能性のあるものは授けられないが、それに直結しない便利道具くらいなら恵んでやれる。でもかなり特別な対応だからな。感謝しろよ?』
神様が放り投げてきた石ころをキャッチする。
実体のない神様でもこうして物のやり取りができるんだな。
「これはいったいなんですか?」
『説明が難しいな……。これを持っていれば昨夜のようなことはもう起こらないだろう。そういうアイテムだ。』
「は?どういうことですか?お漏らししないってことですか?」
役に立つんだか立たないんだかわからないような代物だな?
正常な状況ならトイレの我慢くらい自力でできるわ。さすがにそこまで衰えてないしな。
『漏らさないって言うか、尿意を催さなくなる。排泄を無くす効果があるんだ。』
「えぇ~!?そんなことができるんですか!?」
神様ってなんでもありなんだな?
まぁ排泄をなくすってなんでそこをピンポイントで選んだのか謎だけどな。ありがたいことには変わりない。正直こんな山奥でトイレすることに不安を覚えていたのだ。
「いくら飲み食いしてもですか?」
『そうだ。体内のその……物質や液体は異空間に転送される。容量は無限だ。』
「異空間?よくわかりませんけど、異空間に私のあれやそれが転送されて蓄積されるってことですか?」
『そうだ。この世界に干渉しない別空間に排出することで、排泄の必要をなくすことができる。もちろんお前の意志でしようと思えばできるはずだが……。』
何もない空間に私のあれやそれがたまっていく様を想像してみると、複雑な気分になった。
そりゃあ便利だけれども……神様に排泄の世話をしてもらったのかと思うと微妙だ。
『いらないなら返せよ!』
「いえ、ありがたいです!でも本当に神様が施しをくれるとは思わなかったな。」
『……さすがに憐れだしな。昨晩のお前の姿は涙を誘うものがあった。』
何をぉ~!?
心の傷をえぐるな!!
高みの見物をしているだけのくせに……。あの時に私の気持ちもわからないくせに……。
不本意だけど仕方がないから、このマジックなアイテムでチャラにしてあげるけどさ。二度目はねぇぞ!?
私は大人だからね。心が広いんだ。二度目はないけど。
『ちっ、施しなんかするんじゃなかったな。』
「なんでそういうこと言うんですか。……まぁ、とにかく、ありがとうございます。」
心からの礼を言ってやったのに神様は変に言葉に詰まって顔を背けた。
照れてんのか?
『照れてない!もういい!帰る!』
そう言って神様はヒュンっと消えた。
なんだか神様ってお子様ですよね。精神年齢と言うか……ね?
わかってるよ~残念ポンコツだもんね。無駄なツンデレ要素はよしてくれ、とも思うけどかわいげがあっていいじゃないか。極限までに濃縮したドブより腐っててもイケメンだし需要はあるかもよ?
「さ~て、私も行こ。」
家を建てるところはまぁ適当に木のない平らなところがどこにあるのか報告するだけで良いだろう。一応ここら辺を見て回ることにするかな。適当に見つけてさえ置けば、道草食ってたこともバレなかろう。
面倒くさいけど、仕事はちゃんとしなきゃね。