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 前回までのあらすじ。

 私、市川李衣菜は現代日本を代表する温室育ちのJKでした。ある日ろくでもない理由で熱中症になり死んでしまい、そのことで神様の怒りを買って無理やり転生されられたのでした。

 転生した世界は、神様のミスで人間以外の種族へのヘイトが異様に高い世界だったのです。この他種族蔑視が当然の考えとなってしまった世界で、非業の死を遂げるリナリーフェリペ16歳に転生した私。リナリーは助けてくれる友達もいないぼっち女で、妹の工作によりあらぬ罪を数々に着せられているのだけれど、ついに妹に下克上され人生の坂道を転落してゆくのでした。と、いうのも妹ルーシーの策略で悪魔との姦通が疑われた私は婚約破棄をされて地下牢に閉じ込められてしまったのです!

 そして今に至る……。


神様、これなんて無理ゲーですか。

せめてなにかチートスキルをください。




血の匂い。

ねばつく床。

光の入らない地下牢の濃い闇。


あのね神様、あの闇の中からね、息遣いが聞こえるの……。

もしかして同居人がいるのかな……?

だって最深部なんだもんね。最深部には不死の種族の王がいるはずなんだよね?もしかして同居人は例のその人だったりして……って人じゃないのか。


不死の種族通称「悪魔」だけれども、彼らは人間をはるかにこえる身体能力、魔術を持ちその力でこれまで人間を狩っていたのだそうだ。狩る、というのも実は彼らのエサは人間なのである。

もはや何百年も昔の存在なので、実物に会ったことはもちろんないのだけれど、本で読んだことがある。その種族は、まぁ簡単に言えば吸血鬼のようなものだ。吸血鬼との違いはというと、ニンニクや十字架や日光を嫌う性質はない、ということかな。銀の弾丸で死んだりもしない。しかしその生物的特性についての詳細な記述はなにも残っていないので、実際どんな種族なのかは一般市民の知るところではない。

ただ人の血をすすって生きる文字通り不死の種族であることだけは、彼らが姿を消してから何百年もたつ今でもよく知られている。

……で、その王様がこの牢屋のなかにいるわけなんだけども、私の人生詰んでねぇか?


とりあえず、何も見えないので明かりをつけましょうか。

私を閉じ込めた鉄の扉には小さな窓がある。扉の向こうは明かりがついているはずなので、この窓のフタを外せば明かりを取り入れられるだろう。

私は背伸びして扉の上の方につけられた窓を塞いでいる鉄板を外した。

するとうめき声がした。



「う゛……う゛ぅ……」



やべ、起きちゃった?王様ごめん!ごめんだから殺さないで!

牢屋にはうすく明かりが入った。

おかげでだんだん目が慣れてくると、牢の中の様子が見えてきた。


呼吸が詰まる。

ガチでドン引きだった。

見たくもないのに目はその姿にくぎ付け。嫌悪する気持ちが大きくなるほどにその姿は鮮明に鮮明に脳に焼き付いた。

部屋の奥には鎖でつながれた不死の王。横たわっていてどんな顔なのか男か女かもわからないが、血みどろの体で、足や腕は無残にも切り落とされていた。


グロい!無理!

やっと目をそらした。

いったい誰がこんなひどいことをするの?……ってそりゃあ人間ですよね。それにしたって鎖でつないでいるのにそこまでする必要ってあるの?

足や腕がないだけじゃなかった。

ボロ布一枚の恰好なので、あちこち肌が見えているけれども全身に肉をえぐられたような傷を負っている。これは人間に暴行された傷跡なのだろうか。人間が他種族を支配下に置くようになり何百年という時の間、ずっとここでこの王様は暴行され続けたのだろうか。

このせいでこの牢も、ここへ続く廊下もひどい血の匂いがしていたんだな……。何百年という年月、蓄積された汚れが牢屋中にこべりついているのだ。


あれ、不死なんじゃなかったっけ。

どうして傷が再生しないのだろう。

もちろん不死だからこそあんな状態でもまだ生きているのだと思う。でも、どんな傷も再生するのではなかったっけ。もしかして、エサを食べていないから傷も再生できずあんなに弱りはててしまっているのかな。傷を再生することもできないし、不死と言う種族の特性のせいで死ぬこともできないのだ。もし痛覚があるのだったら地獄だろう。



すごく嫌な気分になった。

人間ってひどいことをするよね。

神様のミスのせいだぞ。おいきいてるか神様!人間の残虐性を舐めるんじゃない!一度憎悪すればこんなことまでするのが人間だ。以後、人間の味方なんてしないように!

不死族の王を再生できないほどに痛めつけて万が一にも脱走しないよう安全を確保したいという人類の思惑はあったのかもしれないけれど、これは必要以上の仕打ちだよね……。さすがにドン引き。


そうだよね。人間ってのは残酷なもんだ。

リナリーが知っている帝国の歴史もそのことを証明している。

考えてみればエサを食べて生きながらえるために人間を狩る不死族と、ただの仕返しのために虐殺を行った人間とでは同じ殺しでも意味が違う。

かつて人間が他種族に勝利したとき、不死族は殺せないのでともかくとして、他の種族の多くは無意味にただただ処刑されていった。不死族以外の獣人のような種族にいたっては完全にとばっちりで、別に人間を食い物にしていたわけでもなんでもないのに虐殺された。生き残った子孫は、存在そのものが罪だとでも言わんばかりに、今では奴隷として痛めつけられながらしか生きられない。


かつて人類が虐げられていたことは理解できるけれど、どうしてこうなるんだろうか。

身体能力でも魔力でも他の種族に勝るところが何一つなかった人類。

神によって力をプレゼントされ生態系の上位に割り込むことができたからって、それを使って他種族を虐げたら悪魔と同族になってしまうとは思わないのだろうか。よそ者の観点から言うと正直、過去の鬱憤を弱い種族をいじめることで晴らしているようにしか見えない。報復、という大義名分すらもう失われているんじゃないだろうか。しかも、過去の鬱憤というのは何百年も前の誰も身に記憶していないような鬱憤である。


この国もストレス社会なのかな?みんなこうまでしないと解消できないストレスを抱えて生きているんだろうか。



リナリーはそんなことには疑問を持っていなかったみたいだ。

他種族はさげすまれて当然、という考えの持ち主だった。他のみんなと同じ、ということだね。

でも今の私と同じ、この状況に陥って考え直すことはなかったのかな?

この王様と同じように人間たちにひどい仕打ちを受ける立場となって、この王様と出会って、心境に変化はなかったのだろうか。

例えば……敵を同じくするこの王様を助けて一緒に戦おう!とかね。

今となってはリナリーの敵はもはや力のない無害な他種族ではなく、自分をこんな目に遭わせた人間たちだ。特にルーシーと殿下。


さて、私はどうしようか。



「だれだ……?」



がらがらの声が静かに響いた。

反射的に体がびくっと震えた。

さすがに私も怖いわ。



「ええと……リナリー……?」


「家畜どもめ、にんげんの女をさしだすなど、どういうつもりだ……?」



きっと王様は男性だろう。

ぞろ長い髪の毛で顔が隠れていて見えない。

鎖でつながれているから私が襲われるということはないのだろうけど、うん、怖い。



「差し出したつもりはないと思う……。私のことは気にしないでください。」



ビジネスライクな関係で行こうか、うん。不運にも同じ牢屋で過ごすことになってしまったわけだけども、それだけだ。お互いのことは尊重しつつも干渉せずにいよう。

そんな私の気持ちが通じたのか、王様は黙った。

ありがたいです。

鎖がある以上、私には危害が及ぶことはないはず。うん、大丈夫だ。


この王様をかわいそうだと思いはするものの、私にはどうしてやることもできない。

どうせ私は無力な被疑者。牢獄の住人なのだ。


かといっていつまでもこの私と同じく無力な王様を恐怖し、扉の前に突っ立っているわけにはいかない。何もできることはないけど、何もせずにこのままいるわけにもいかないのだ。

幸い、私は環境に順応する能力が高い。

友人のタマキちゃん曰く、あれこれ思い悩むのを面倒くさがって状況をすんなり受け入れてしまう、のが私という女なのだそう。タマキちゃん、私の面倒くさがりが役に立ったね。

こんな血なまぐさい場所でも前向きに生きていけそうだよ。


まずは居場所を作ろう。

一日の疲労がどっときてもうかなりつらいので、座る場所がほしいな。

でも床は血でべたべた。座れる場所なんてどこにもないよ。


部屋を見渡すと、一応洗面所のようなところがあった。

洗面所というか床が四角く切り下げられていて、真ん中に排水溝があるのだ。その上に小さな蛇口がある、というだけのもの。水があるようで良かった。

そこで水を汲んで床を掃除しよう。その上に隠し持ってきた天幕で寝床を作るのだ。

天幕、というのは原始的なテントみたいなものだ。

国外追放されたときのためにドレスのスカートの中に隠し持っておいた。他にも携帯食料や武器、毛布とランタンを持っている。スカートの中にも限界があるので後は胸の谷間に隠している。地図と方位磁石だ。

備えあれば憂いなし、というやつよ。


そういえば牢を巡回に来たりするのかな?

そいつらにさえ見つからなけりゃこれらの荷物もずっと持っていられるだろう。さすがに侯爵令嬢の服を剥いたりしないだろうし。……いや、どうかな。普通、侯爵令嬢にこんなことしないもんね?すでに私は令嬢として扱ってもらえなくなっているのかもしれない。


掃除を始めよう。

モップかブラシはあるかな?うん、ないよね知ってた。

仕方がないのでドレスの布を破いた。これを雑巾にするのだ。

さっそく蛇口をひねり水を出す。

ずもっ、ずもももっ、と変な音がしてやがてちょろちょろと水が出始めた。

ずっと使っていなかったのかな?だんだん水量が安定してきた。

ちゃんと水が出てよかったよ。

布を濡らして絞る。


牢番とかの目に触れたくないので、入り口から遠く、また王様からも遠い場所を選んで床を磨いた。

こべりついた血が頑固で最初のうちは汚れも落ちなかったが、水でうるかされるとだんだん落ちるようになっていった。

そうして何度も雑巾を洗いなおして床を磨いた。



「何をしている……?」



急にそんなお声がかかった。

床磨きに夢中になっていた私はびっくりして雑巾を取り落とした。

べちょっと雑巾が地面をたたいた。



「……掃除してるんです。血まみれにはなりたくないし……?」


「しずかにしろ。」



あ、ごめん。

遠慮なく作業していたせいでうるさかったのかな。

ぐったり横たわる王様の邪魔をするのも悪いので気を遣ってあげよう。



「了解です……。あの、いつも牢番って来るんですか?」


「それがどうした。」


「私はご飯を恵んでもらえるのかなぁと思って……。」


「数日に一度、体を切り刻みにやってくるな。」



まじで?

思わず顔をしかめたが、王様は気づかなかっただろう。

定期的に傷をつけにくるのかよ。私の前でそんなことしないでほしい。グロいのは無理なんだよ。



「お前の飯が運ばれてくるかは知らんが……明日か明後日には俺の体の様子を見にやってくるんじゃないか……?」


「そうなんだ。明日か明後日ね……」



この王様、意外と親切なんだな。

私と会話してくれるとは思わなかったよ。

仮にも侯爵令嬢が囚われているのだからエサをあげに来るだろって?違うんだな。

私が思うに、これはルーシーのたくらみだ。

きっと皇帝陛下やその部下の皆さんは私が今こんな場所にいるだなんて知らないだろう。もしかすると殿下も知らないのかもしれない。つまりは今の私の処遇は非公式なのだ。なのでこの場所では私のことは無きものとして扱われるのだろう。

いないはずの人間にエサを運ぶか?そんなことをするはずがない。

携帯食料を持っていて良かったな。そしてしばらく誰も来ないのなら天幕の中で悠々自適ごろごろ生活だ。多少空気の悪い空間ではあるけれど、慣れればどうってことないはずさ。


私はまたドレスの裾をちぎると、今度は床を乾拭きした。

これで天幕を張れる。

できるだけ音をたてないように気を遣いつつもささっと簡易的な天幕を張った。石造りの床なのでピンをさしたりはできない。本当に簡易なものなので、牢番がやってきてもすぐに片付けられるだろう。



「なんだ、それは……?」


「私のベッド……?みたいなもんですかね。」



王様はもうそれ以上は何も言わなかった。

私はドレスを脱いだ。ドレスなんて着てたら天幕には入れない。

ドレスの下にはしゃらしゃらした白いワンピースを着ていた。それが下着なわけなんだけれど、現代人の感覚からするとただのワンピースなのでこの姿を殿方に晒そうがなんの恥ずかしさも感じない。

私は天幕の中、裏返したドレスをクッション代わりにしてその上に横たわった。毛布を体にまとわせる。

あ~!疲れた!

成人式の一日を耐え抜いた足の疲労はハンパなものではなかった。足は寝転がったその瞬間から鉛のように重たくなってもう動かない。

おかげでこんな牢屋の中だけれど、十分寝れそうだ。

おやすみなさい。




××××





あ~あ、よく寝た!

すっかり背中がバキバキだ。

こんなに背中が痛くなるほど寝たのだから、きっとそれなりの時間はたったのだろう。とんでもなく疲れていたせいかこんな場所でもよく眠れた。

うん、夢じゃなかったんだね。

私は間違いなく婚約破棄をされ、あらぬ罪に問われ地下牢の最深部に閉じ込められてしまったのだ。

こんなことってあるんだね。こんな目に遭ったのが私で良かったね。普通の令嬢なら泣いて喚いて大変なことだっただろう。

こんな状況でも耐えられるのは、いまだに命の危機が身近なものではないからだ。


私はあくびをしながら天幕から出た。

おはよう王様。

今は朝ではないって?そんなことわからないじゃないか。だって窓もない地下牢じゃ時刻なんて知りようもないんだしね。


王様は変わらず、床に横たわっていらっしゃった。

布を一枚差し上げようかな……。いや、余計な世話だよね。

そう、私たちはただの同居人。同居人としてお互いを尊重し干渉せずにいようって決めたじゃないか。私は彼に慈悲を与える資格なんてもってないのだ。



「よく寝れるな人間。」


「えへへ、まぁ……。」



苦笑いしつつ、私は洗面所のほうに向かった。

この部屋トイレってありますか?

うんあった。部屋の隅に四角い箱。一瞬、静止してしまった。

思わず王様の方に目を向けたけれど、王様の表情はわからなかった。

ここに用を足せって?この王様が見てる前で?むりむり!勘弁して!



「人間には排泄があるのか……。面倒なこと極まりないな。」


「まったく同感ですね……。あの、向こうむいててもらえません?」


「どうせ尿を排泄するなら私にくれないか?」


「は……?」



はい?

何かの聞き間違い?

まるで時が止まってしまったかのように数秒沈黙がおりた。

私の耳が確かなら彼はわたしの尿をよこせと要求したらしい。



「尿?おしっこ?」


「そうだ。体液をくれ。」


「あ、そういう?体液ならなんでもご飯になるの……?」


「人間のものを摂取できさえすれば回復できるんだ。もちろん、血に勝るものはないが。」



なるほど。

体液ならなんでもいいんだ。やはり血だと効果が大きいらしいが。

とにかくエサさえ摂取すれば回復できる、と。



「でもさすがに尿を飲ませたりはできない……かな。」



ちょっとそこまで人間としてのアレを捨てきることはできない。

いくら女として終わっていようとそんなことはできないよ。できないよね?



「あ、ちなみに、血を飲んだらどれくらい回復するの?」


「量にもよるが手足が元通りになり鎖を破壊することもできるだろう。」



わーお、それは素晴らしい。

それってつまり私の生命が脅かされる可能性があるってことですよね。私の体液で回復して鎖を取り払うことができたとして……鎖がなくなった王様は私を食い殺すんじゃない?

話してみた感じ良い人(吸血鬼)っぽいからって信用するのはどうかと思う。仮にも彼をこんな目にあわせた憎き人類の一員を恩があるからって見逃すか?真っ先に食い殺して糧にするのが正解でしょ。ここから逃げ切る体力をつけるためにね。


女としての矜持のためばかりではなく、生命の安全のためにも体液を提供してはいけないね。

どんなに王様がかわいそうだとしても私が殺されたら元も子もない。



「絶対嫌です。断固拒否!とりあえずあっち向いててくれません?」


「そんなの私の勝手だろう?」



この牢屋はもともと一人用なんだろうな。

そりゃあ一人ならトイレに仕切りなんていらないんだろう。カーテンをつける?

本人は見たがっているけれど(見たがっているわけではなく、嫌がらせだろうが)、どうやら男性のようだし、男性の前でそんな姿はさらせない。リナリーだったら羞恥で気絶するだろうな。そもそもこの牢屋で悪魔と一緒にいるって言う時点でリナリーの心は崩壊するだろうか……。

とことん憐れな子だな、リナリー。



「鎖が解けようとお前を食い殺したりしない。命の恩人を殺す奴がいるか?」



倒れたまま髪の毛の奥から赤く輝く目が私を見上げていた。

綺麗な眼だなぁ。

ふん、そんな目で見たってわかってるんだからね。ここで情を見せちゃいけない。憐れさに惑わされてこいつをうっかり信用なんてしたら痛い目みるぞ。すこしでも殺される可能性があるなら助けないのが正解だ。



「どうせ食い殺すくせによく言うよ。排泄はあきらめて、次に牢番が来たら連れて行ってもらえるようお願いする。」


「ふっ……。」



王様は恨みがましい目で私を睨んで、小さくわらった。

ひえっ!

王様の睨みは驚きの威力だった。背筋が凍るような恐ろしさ。不死の王っていうだけあるわ。

きっとこんなことにさえなっていなければ人類を滅ぼすくらい余裕な強さなんだろうね。あぁ怖い!

でも今のでわかった。

やはりこいつは信じちゃいけないわ。こんな目で人を睨む奴が恩人だからって人間を見逃したりするわけない。私は間違ってなかったな。


私は天幕に戻った。

トイレに行きたくなるから食事も水分補給も控えよう。

天幕の中にごろんと転がるけれど、もう眠気はなかった。

こんな牢屋の中で寝る以外に何をしたらいいんだよ?

暇つぶしにもならないけれど、私は地図を広げてみた。もうだいぶ闇に目が慣れて地図だって読めるわ。


もし、皇宮を脱走できたならまずは国外に逃亡しよう。

どの関所も私の力では越えられないな。

山を越えてゆくのが良いだろう。

まず街で山越えの支度をして……。もういっそ山奥でひっそり暮らすのはどうかな?山で狩りをして食料をとり、木材で家を建てる。それもいいね。面倒くさがりで怠け者、アクティブさの欠片のない私でも追い詰められれば自給自足のために働ける……かも……しれないもんね。

それならこの山がいいだろう。

ドラゴンの棲み処として有名で、封鎖されている。封鎖されているので、その警備をかいくぐるのは至難の業だろうけど、うまく逃げ込むことができれば誰にも見つからない隠れ家となってくれそうだ。まぁ、肝心なその警戒網をかいくぐる手段は私にはわからないけれど。


私は足も強くないし、力も強くない。

追っ手や刺客を倒すことは不可能だ。

結局、隠れながら少しずつ逃げて生きるしかないんだよな……。


まぁこれももしもの話。

まずこの牢屋から逃げ出すことさえできないのに、考えてもしょうがない。

こんなふうに空想するくらいしかやることがないのだ。

せっかく暇になったのだから小説でも書いてみようかな。題名は「ポンコツ神様の世界創造日記」。もちろん主人公はポンコツ神様ことアーシュ君だ。

紙も鉛筆もないのに小説なんて書けないか。空想は紙に起こさないとすぐに忘れてしまうからね。


私はふぅっとため息をついた。

耳をすませば自分の心臓の音も聞こえそうなくらいに静かだ。

天幕の外で転がっている王様の苦しそうな息遣いが聞こえている。

聴いているだけでこっちが苦しくなりそうだ。まさか私の憐れをさそう作戦か?ってそんなわけないか。あんな体になって苦しくないはずがないのだ。演技の余裕なんてあるはずもない。


不死の王は本当に不死なんだろうか。

なんだか死んでしまいそうなくらい弱っていて心配になるよ。

本当は余計なコンタクトはとらないつもりだったけれど、こんなに暇なんだから会話くらいしてもいいよね?

私は天幕の壁と天井を取り払った。

敷物さえあればくつろげるしね。

布が取り払われて、王様の視線から逃れることもかなわなくなってしまった。まぁいいけど。



「王様?あの、王様は本当に不死なんですか?」


「……さぁ?死んだことなどないので知らん。」


「どれくらいの年月をここで過ごしているの?」


「さぁ?もう忘れた。」



私、というかリナリーの知っている歴史では王様が捕らえられた戦争はもう何百年も前のことだ。

何百年という月日をこうして痛めつけられながら暮らしていたのだとすると大変なことだ。グロくてあまり見たくないんだけど、王様の傷は昨日からまったく変化していないように見えた。もうほとんど再生しなくてきているんじゃないか。

それって不死の力が失われつつあるってことなんじゃないのかな?



「その傷、治らないの?」


「お前が体液を分けてくれれば治るさ。」


「それは嫌!ねぇ、王様は魔術とか使えないの?」


「魔術を使えぬ不死族はいない。」



へぇ、そうなんだ。

ちなみにこの世界には魔術というものが存在している。

人間にもごくまれに魔術を使えるものがいて、そういう人は医者や研究者など社会的地位の高い職に就けるものなのだ。ごくまれに存在する魔術師を頼りにしては生きていけないので、人間は日常的に魔道具を使う。これも高級品なので庶民の手に渡るものではないけれど、国防などは魔道具に任せきりだった。この魔道具こそが、神様が人間に与えた力なのだ。


貴族であるリナリーの記憶の中にはいくつかの魔術があった。その中には術者にも相手にも破れない絶対の魔術というものがある。



「魔術で契約とかってできない?例えばあなたに血を与える代わりに、私を殺さないっていう契約。」



人間の魔術師でもそのような契約の術が使えるものがいた。

こればかりは魔術というよりも呪いのようなもので、契約違反をすれば死ぬことになるのだ。



「初歩中の初歩だな。できない不死族はいない。」


「へぇ、まぁだからって乗り気なわけじゃないけど。」


「なら希望を持たせるようなことを言うな。」


「ごめん……。でもうまく脱出するには一番いい方法だなぁと思ったんですよ。」



王様は向こうを向いてしまった。

機嫌を損ねてしまったかな?

もしかするとこの「契約の魔術」を使えば私はすぐにここから出してもらえるようになるのかもしれないけれど、もしこの最深部から抜け出して潔白を証明したとしてもろくな未来は待っていないだろう。なにせ悪魔との姦通を疑われた曰く付きの令嬢だもんね。嫁ぎ先もないだろうし、父にも疎まれるだろう。貴族社会に戻ったとしても、そのあと皇太子妃になったルーシーにどんな目にあわされるだろう?まぁ貴族社会になんて戻れないかもしれないけどね。


だからって牢から出してもらえるのを大人しく待つなんてできる?……食事とトイレの問題さえ解決できれば牢屋生活も悪くないか……?ってそうじゃなく!

命を他人に握られた状況でいるのが何よりマズイのだ。

そりゃあ死ぬ前には出してもらえるのかもしれないけれど……。

なんなら、ここから出される時は処刑台にのぼる時だったりしてね。

まだ疑惑の段階だし、しかもそこまでしなくてはならない罪ではないが、そういう理屈は通らない。なんたってルーシーの感情で物事は運んでいるのだ。私の味方をするマトモな人はたぶん一人としていない。

つくづくすごい女だ。

平民だったことを逆手にとって、殿下やその取り巻きなど有力者に取り入ったが、それだけでなく学園でも街の中でも人気の令嬢になったのだ。ルーシー嬢は慈悲深い、心優しい、おちゃめでかわいい、とにかく高評価ばかり。

いや、もうあんなメスガキのことなぞどうでもいい。



もし脱獄が成功するならその方法は、この王様と協力してここを出る方法だろう。王様も私もここから出たいという気持ちは同じのようだし、契約でお互いを害しないことを約束すれば私も安全に王様の協力を得られるのだ。まず、魔術で契約をしてから血を与え、回復してもらい、王様の強大な力でここから脱出!完璧じゃないか?

長い間こうして閉じ込められていた彼にとって、私という存在は二度と訪れないかもしれないチャンスだ。彼はエサさえ得られればここから出ていけるんだもんな。王様にとっては鎖に阻まれてはいるものの、同じ牢の中にエサが閉じ込められているって状況なのだ。まさに何百年か待ち続けた希望なのだろう。


取り返しのつかないことになる前に決断しなくてはならない時が来るのかもしれない。

うわ~考えるのも面倒くさいな。

やばい……早々にあきらめモードにシフトしてしまいそうだ。


神様よ!何とかしてくれこの状況!

リナリーを救いたいんだよね?それなら何とかしてくれよ。

リナリーを救うのはいいだろうが、なんも関係ない私にとっては不幸以外の何物でもないよ。最初っから全部神様のせいなんだよな。

そのくせなんの助けもよこさないアイツまじなんなん?


あぁ~めんどくせ!

もういい!寝る!

ゆっくり寝てられるのも今のうちだけかもしれないしね。おやすみ。





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