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やってまいりました成人式。
私の予想ではここが婚約破棄の舞台となるはずなのよね。会場は貴族連中でたいへんな賑わいを見せている。
この観衆の前で婚約破棄されるのね……。
今すぐ帰りたいよ。
昨日は殿下の呼び出しで皇宮に向かった。
ルーシーの話をしたいとのことだったけれど、まぁ簡単な話だった。
「私はルーシーと愛し合っている。そなたにはすまないが、彼女との関係を認めてもらえないだろうか。」
つまり浮気を認めろ、ということだった。
殿下はルーシーといかに愛し合っているか、どれほどルーシーを愛しているかを細かく丁寧に説明してくれた。聞きたくもない恋愛話に付き合わされてこっちはげっそりだ。
もちろん私は二つ返事でお二人の恋愛物語を称賛してあげた。お二人には前世からの宿縁があるのですね!お二人を祝福いたしますわ!とかなんとか。
問題は次だった。
私は殿下に「それならば私との婚約はなかったことにして妹と結ばれてください。」という意味のことを言ったのだけれど殿下は……
「いや、小さいころから皇妃教育を受けているそなたが皇后になるのだ。皇帝陛下は生まれや教育が施されていないことからルーシーを皇后にすることは認めてくださらなかったのだ……。」
と言った。
南極に放り出されたような気分になった。
凍える風がびゅお~っと吹き抜けていくような気分。
ルーシーとも結婚するけど、私とも結婚したいのだそうだ。それも、仕事だけこなすお飾りの事務皇后になってほしいらしい。
殿下のマヌケ面を殴ってやりたかったけれどもぐっとこらえて返事をした。
皇族の要求を断れる人なんてこの国にはいないのさ。私も嫌々引き受けて差し上げる他なかった。
殿下はルーシーにはそのことをこれから話すと言っていた。
ルーシーがこんなことを認めるわけがないじゃないか。
あれだけ蔑んでいた姉が国一番の女になり、殿下と愛し合っているはずの自分は側妃だなんて……ね?ルーシーは皇后の地位すら欲しているようなので殿下の説得もうまく行くはずがない。
さて、そのルーシーがどんな手を使って私を次期皇后の位から追い落とすのか……それが今日の成人式でわかるはずだ。
殿下に正妃になれ、と命令を受けたのでもしかして婚約破棄イベントは起きないのでは、なんて一瞬思ったがきっとルーシーの工作によって婚約破棄は実現するだろうね。
なぜわかるのかというと、昨日の夜ルーシーとバトったからだ。
「お姉さま!殿下に正妃にと望まれたそうじゃないですか!どういうつもりなんですか!?私と殿下が愛し合っていることは知っているはずですよね!好きでもないのにお姉さまと結婚するなんて殿下がかわいそう!」
ルーシーはそう言って私にケンカを売ってきた。
出たよ面倒くせぇ、と思いつつも応戦してあげた。
「殿下に皇后になれと命令されたのよ。断れるわけないじゃん。私も殿下の説得は試みたのよ?いくら血統が卑しくて教育も行き届いていない娘でも愛しているのなら正妃にして差し上げて、と言ったわ。けれど、殿下はやはり血統卑しいバカな娘を皇后にするのはマズイと思われたのね。」
こんなこと言っちゃまずいって?
いいのいいの、所詮妹だもの。姉妹なんだから遠慮は無用。
ルーシーはプルプル震えて怒っていた。ほっぺたを膨らませた怒り顔にイラつく。かわいくねぇからその顔やめれや。
「あら、鼻毛が出てるわよ?」
そう言ってやると、ルーシーはギョッと目をむいていそいで部屋に戻って行った。
追っ払うことができてやれやれだった。
でもあの時のルーシーの目はあきらめてなんかいなかった。
きっとどんな手を使ってでも私を正妃の座から引きずり下ろすつもりなのだろう。正直いってウェルカムだ。皇后になんてなりたくないし、どうにかならなくて済む方法があるのなら試したい。
問題はどんな手段を使ってくるのか、ということ。
もし私のありもしない不貞や素行不良、犯罪をでっちあげられたらかなり困る。確かに犯罪者は皇后にはなれないけれど、婚約破棄とか以前に牢屋行きになってしまうじゃないか。なのでできるだけ穏便な手段で私を引きずりおろしてくれ。
とは思うものの、もちろん穏便にすむ確証なんてないわけだ。
それなら最初からこの屋敷を脱走して国から出ればいいんじゃないか、と思うじゃない?そんなことはできないわけよ。屋敷の警備は侯爵家の名にふさわしいくらいに厳重。仮に屋敷から脱走できたとしても、この王都から出ることはできない。
この国はどの街も城塞都市のようにぐるっと城壁に囲まれていて、そこを聖騎士団や憲兵が守っている。この屋敷を脱走したことが発覚すればすぐに憲兵に連絡が行き、城壁の守りが固くなる。
私が逃げる隙なんてどこにもないのだ
もしかしたら手段はあるのかもしれないけど、とにかく時間が足りなかった。
だって私がリナリーになってから3日目には成人式なんだよ?もし成人式で婚約破棄イベントが発生するのだとして、この日数だけでどれだけの準備ができるというんだ。
とにかく、すべては神様のせいだ。
アイツが悪い。
リナリーを救えとかいう割に慈悲ってものがないんだよね。普通は一か月くらい猶予をもらえるもんじゃないかなぁ?それとも神様の限界、というものなのかな。神様にもできないことはあるのかもしれないが、これが俗に言う「詰んでる」という状況なのだろうね。
一応ドレスのスカートのなかには野宿できるような装備をしてきたけれど、これが役に立つかどうかはわからない。
今朝、このスカートの中の装備を整えた時点で私は力尽きてしまった。人の目をかいくぐって何かをするっていうのは面倒くさいし、疲れるのだ。どんどん考えが投げやりになってきて、もう流れに身を任せちゃだめかな、なんて最後は思ったね。
もちろん、生きることを諦めたわけではないのだけれども……。
大人しく周りのなすがままにされていると、成人式の儀式的部分が終了していた。
ここまではすべて順調。
何も問題なく行事だけが淡々と進んでいっている。
ただ少し気になるのは殿下やその取り巻きたちの様子だ。私を見てはひそひそ小声で話しているし、殿下にいたっては挨拶に向かうと素っ気なくされて逃げられてしまった。昨日の皇后になってほしいと頼み込んできたあの態度とは打って変わって素っ気ないから心配になる。
おそらくルーシーがなにかやったんだろうけど……。
さて、残すはパーティーのみだ。
貴族連中でにぎわう大広間。優雅な音楽と、ダンスフロアで踊る男女。
あんな重たいドレスを着てよく踊れるもんだ。服の中に装備を隠し持っている私はその重量で立っているだけでもう疲労が限界に達しそう。踊るなんてとんでもないっていうような状況。
私は壁際で一人休んでいた。
人ごみは苦手だし、友達のいないリナリーはぼっちでいるしかないのだ。
人気者のルーシーが色々な悪い噂を流してくれたことで、私のそばには誰も近づかなくなってしまったのだ。当然友達もいないのである。
殿下はと言えば会場の一角で学生同士で談笑している。学生が集まっているとなれば、どれだけルーシーとくっ付いていようと言い訳できるもんね。皇太子が元平民の女と恋人関係だなんて外聞が悪い。でも学生間交流の場、という体裁をもつことでルーシーのそばにいれるんだね。
殿下に寄り添うルーシー。
はいはい、ラブラブでよろしいこと。爆発なすってどうぞ。
パーティーは盛り上がりを見せている。
さぁ絶好のチャンスだぞ?来るのか婚約破棄!
すると、殿下がルーシーを連れて会場を移動し始めた。
まもなく音楽がやんで、ダンスフロアの男女は踊るのをやめ下がって行った。登場したのはルーシーと手をつないだ皇太子殿下。
「みな、聴いてくれ!今日ここに発表したいことがある!」
会場はざわつき始めた。
何事か何事か、とみんな殿下に注目した。
「私はこちらのルーシーフェリペ嬢と新たに婚約を結びたいと思う!そして、婚約者であったリナリーフェリペ嬢との婚約破棄を発表する!」
ついに来た婚約破棄!
昨日は私に皇后になるように頼んだくせに、いったいどうして掌を返したのかな。ルーシーがどんな手を使ったのか、早く知りたいね。
みんなリナリー嬢はどこだ?ときょろきょろあたりを見回す。やがて壁際でぼっちの私が人々の目に留まる。
うわ~、何百という人の注目を一気に浴びてしまっている。
それにしたってどうしてこんな形で婚約破棄を発表するのかな。内々に処理しようよ。
「こっちへ来い!リナリー嬢!」
殿下がそういうので私も会場のど真ん中、殿下のもとへ行く。
人々は私のために通路を開けてくれた。何百人という人の視線が私の全身に突き刺さるけれど、いつもどおりの態度でゆっくり歩いた。
リナリーはプライドの高い子だったんだよね。いつもどんなに陰口を言われても堂々としていた。
まぁ私は単純に足が痛くてゆっくりしか歩けないだけなんだけどね。
「ルーク!どういうつもりだ!」
そう声をあげたのは皇帝陛下だった。
殿下のお父さんだ。
まさか殿下ってば陛下と打ち合わせしないで急に発表しちゃったの?マズイでしょ。それでも皇帝陛下の前で発表した、ということは皇帝陛下を丸め込めるだけの材料があるってことだ。
はやく婚約破棄にいたった理由を教えてくれたまえ。ルーシーはいったいどんな手を使ったんだ。
「リナリー嬢は悪魔と密通しているのです!その証拠がこれだ!」
殿下は私を引き寄せた。
腕を掴まれた瞬間に鳥肌が立った。殿下はトイレのあとちゃんと石鹸を使って手を洗う派かな?そうだったらいいんだけど。
眼前に迫った殿下の顔。世に言うイケメンってやつなんだろうけど、クズだもんね。顔が良かろうが急に接近されて嫌悪感しかない。
殿下は私が背中におろしていた髪の毛を持ち上げると観衆に私の背中をさらした。
まったく意味不明である。
それ私の背中なんですけど。勝手にさらさないでくれますか?
すると観衆がざわめく。
陛下も息をのんだ。
「それは悪魔の印……!」
悪魔の印……?
確かにそんな言葉を聞いたことがある。
「悪魔」と呼ばれている不死の異種族が持っている独特なタトゥーみたいなもので、悪魔と姦通した者にも同じ印が浮かび上がるのだそうだ。
待って待って!私は悪魔と姦通なんてしてませんが!?処女のはずですが!?
いったい誰が私の背中にそんなものをつけたの?
まさか、今日私の着替えを手伝った侍女たちが……?
「リナリー嬢は私とルーシーの仲を嫉妬して、悪魔に魂を売りルーシーを呪い殺そうとしたのだ!皇宮の魔術師がルーシーを呪いから守ったものの、もし呪いが成功していれば悪魔による殺人が起こるところだったのだ!」
悪魔による殺人、というのがキーワードらしい。
つまり劣等な他種族が人を殺す、ということなのだけれどこの世の中では人が劣等種に殺されるなんていうのは絶対にあってはならない悲劇なのだ。
かつて他種族はなんの力も持たない弱い人族をエサにしていた。それに神の助力で対抗し打ち勝って人間の楽園が築かれてからというもの他種族は生き物ですらなくゴミだという考えが常識になっている。そのゴミが人間様を殺すというのは絶対のタブーなのだ。
よく考えたもんだなルーシーよ。
他種族と手を結んだことが知れれば私の地位は確かに危うい。というか人間としての地位が危うい。犯罪人として牢屋行きだ。ちょっと待って!私、ピンチなのでは?
でも、いつの間にか私の背中につけられていたらしいその悪魔の印をとってしまえばウソがバレるよね?
私は背中に手を伸ばそうとするが……
「何をするつもりだ!?」
殿下は私の腕をひねり上げた。
痛い痛い痛い!!
「私は悪魔と姦通なんてしていません。こんなことなさらなくても婚約破棄を認めますのに。二人が結婚できるよう私からも陛下を説得しますわよ?」
「この期に及んでそのような態度をとるとは不遜な女!衛兵!彼女を縛り上げろ!」
会場の入り口を警備していた衛兵が私を殿下から引き受けた。
鎧を着た騎士は殿下よりも力が強い。
痛いよ~!痛いんだっつーの!
生理的に涙が出た。
「痛いわ……乱暴なことはやめて……!」
うるうるした目で衛兵を見つめる。
衛兵は一瞬たじろいで手を緩めた。そうよ、それでいい。そんなに力をこめなくったって私は逃げられないんだからね。
リナリーは控えめに言っても美少女なのだ。衛兵もリナリーほどの美少女の涙には勝てなくてもしょうがないさ。
「他にもルーシーをひどい目に遭わせたという報告が数多く挙がっている!おまえはもはや犯罪者だ!お前との婚約を破棄し、お前を悪魔との密通、殺人未遂の罪に問う!」
会場は騒然となった。
いい子ぶりっこのルーシーは貴族連中にも数多く味方を作っている。味方、というのは主に学園で籠絡した男どものことだけれどね。
そいつらはいつもルーシーの手足となり私に都合の悪いウソの噂を流す。今日も観衆の中で反リナリー派として暗躍してくれているに違いない。このチャンスにどんどんあることないこと流布させ、私の評判をさらに落とそう、というわけだ。
もし悪魔と密通というのが真実だったならば、そんな工作活動なんかしなくても私の評判は地殻を突き破る勢いで落ちると思うけどね。
「罪人を牢屋に閉じ込めろ!」
殿下の声で衛兵は私を引っ張った。
わかっていたことだけれど、誰も私の味方はしなかった。父も驚いた顔で私を見ているだけ。父はリナリーのことを自分の権力を高めるために大切だと思っていたみたいだけど悪魔うんぬん、という人間社会の根幹的問題を提示されては何も反論できなかったのだろう。義母とルーシーにいたってはしたり顔で笑っている。皇帝陛下もだんまりだ。
陛下も悪魔と密通の疑惑がある以上、へたにかばうこともできないのだろう。いずれ取り調べをされるにしてもひとまず牢屋行きにされるのは免れないのだな。でもまぁ貴族用の牢、といえば単なる客室に警備兵がつくというだけのものだしそんなにつらいことはないはずだ。いわゆる座敷牢ってやつ?
それに姦通したことで現れる紋章なのだから私の股間を調べればすぐに嘘かホントかわかるはず。疑いが晴れてさっさと解放してもらえることを願うばかりだ。
きらびやかな大広間を引きずられるように歩く。
私の通り道を人々は避けた。モーゼの十戒だ。
ねぇ、神様これでいいんですかね?私正しかったです?
大人しく流れに身を任せる以外にできることはなかったと思うのですが。
『正しくはねぇな。つか、なんで婚約破棄を回避しないんだよ!?妹がなにか企んでるのにも気づいてたんだろ?どうして阻止しねぇんだ!』
だって手っ取り早く婚約破棄できると思ったから……。
『犯罪人に仕立て上げられちゃったじゃないか!バカだなお前は!』
神様、これマズイですかね。
今のところリナリーの運命変わってますか?
『さぁな。お前の運命のことは知らん。前のリナリーとまったく同じ道をたどってはいるが……だからと言って全く同じ運命をたどっているとも言い難い。なにせ中身が別人だからな。』
神様の言うことは難しくてわかりづらいけれども、なるほど、前のリナリーも牢屋にいれられたんだね。
どうやって牢屋からでたんだろ?出れないまま死んだのかな?
『あまり妹を舐めないことだ。あいつはとことん悪い女だからな。……じゃあな。俺しばらく忙しいから出てこれんぞ。』
なんだかんだ言って呼んだら出てきてくれるから暇人なのかと思ってた。
『なわけねぇだろ!監視はしているが、出ては来れんからな!俺だって上司の相手から下々の相手まで忙しい立場なんだよ!じゃあな!』
そう言って神様は消えてしまった。
あのアーシュとかいう神様、中間管理職だった説。
神様にも上下関係とかあるんだね。上司がいるってことに驚きだよ。
それとも私にかまいすぎたせいで仕事が溜まっちゃったのかな。だめだよ、仕事は計画的にこなしていかないと。
牢で話し相手がいないのは心細いだろうか。
まぁ、休暇だとでも思って牢屋を満喫しよう。
「その罪人を渡せ。殿下からそいつの連行を仰せつかっている。」
そう言って出てきたのは性格の悪そうな衛兵だった。
「殿下から?よければ同行するぞ。」
「殿下は愛しのルーシー様を傷つけたそいつに特別待遇をご所望なのさ。お前は会場の警備に戻れ。」
私の腕をつかんでいた会場警備の衛兵はそいつに私を引き渡した。
特別待遇ですって!?
まさか私、乱暴されるの!?
私を引き受けた衛兵は私の腕を乱暴に締め上げた。
痛い痛い!
「貴族のお嬢さん、殿下の思い人を殺そうとは良い度胸じゃねぇか。こんな別嬪なのに残念なことだ。」
衛兵は私に舐めるような視線を向けた。
エルガーと同類の変態だ……。
「本当ならこんないい女は俺たちで仕置きをしてやりたかったんだがなぁ。」
ということはこいつらに暴行されることはないのだろうね。
そりゃあいい女でしょうとも。この美少女を手籠めにしたい気持ちはよくわかりますよ。
おそらくこいつはルーシーの息のかかった衛兵なのだろう。殿下の命と言ってはいるが、ルーシーが後ろにいるだろうことは予想がつく。
さて、私はいったいどんな特別待遇を受けるのか……?
衛兵は私を引きずるように皇宮を下に下に進んだ。
××××
皇宮には地下牢がある。
そうやら私は貴族向けの客室ではなく、ガチの犯罪者のためのその地下牢に入れられてしまうらしい。それがこの衛兵の言う特別待遇というものなのかな。
数階層に分かれた牢屋の最深部には不死の種族の王が閉じ込められている……というのは国中の常識。囚われの不死族の王こそが人間が他種族を完全に支配したことの象徴なのだ。
そんな場所に閉じ込められるとなればしとやかな令嬢など泣いて喚いて許しを請うものだ。
劣等な他種族なんか同じ空間に閉じ込められるということはそれほどに屈辱、というかひどいことなのだ。でもまぁ、それはあくまで一般的なこの世界の人間なら、の話。
私は別に他種族を憎悪して蔑視しているわけでもないので同じ空間だろうとどうってことないね。
衛兵は地下牢をすすんだ。
牢番は各階層の入り口に一人ずつおかれているみたいだ。
この衛兵、私をどこまで連れて行くつもりだろう。
「ビビりすぎて声もでねぇのか?言っただろ、お前には特別待遇が待っているとな。」
最深部まで連れていかれたりしてね……。
あり得るかも。
「いくら殿下の命だからって俺もこんな汚らわしい場所になんてきたくなかったんだぞ。それをお前のせいで……。」
「いったい私をどこまでつれていくつもりですか。」
「決まってるだろ。この世で最も汚らわしい重罪人の巣だよ。ぎゃははは!」
なんて下品な笑い声。
予想的中、最深部まで連れていかれるらしい。
地下牢は奥に進めば進むほど、通路は汚くなってゆく。すでに私のパーティー用の華やかな装いはこの空間にまるで馴染んでいない。最深部はまだだろうか。
通路の脇には空いている牢屋が並んでいる。そこじゃだめなん?
重罪人の巣、と言うけど人々から悪魔と呼ばれるまさにその種族の王と同じ牢に入れられたりしないよね?
進めば進むほど汚くなっていき……気のせいかな?血の匂いがする。
錆びた鉄のようなにおいが、どんどん強くなっていく。
うわ、汚れた床がねっぱる。……まさか、血?
そしてたどり着いたのは一等重厚な鉄の扉だった。汚れていて、ところどころ赤黒い扉は重々しい威圧感を放っている。
この先が最深部?
「さ、しばらくここで反省するんだ。泣いて喚いても誰の耳にも届かないぞ。ぎゃはははは!」
そう言って衛兵はその禍々しい扉をぎぎぎぎっと開けた。
扉の向こうからむわっとおぞましい空気が漂い出る。
濃い血の匂いだ。
本当にここに入るの?私はさすがにビビって衛兵を見上げる。
「じゃあな、絶望しながら死ね!」
衛兵は私を扉の中に突き飛ばした。
地下牢の通路の松明が遠のいていく。下種な衛兵の顔が逆光で陰になり遠のく。そうして真っ黒な扉が閉じる光景が嫌になるくらいスローモーションになって見えた。
実際は私を突き飛ばし、すぐさま扉を閉め鍵をかけたのだろうけどね。
私は血と瘴気で満ちた濃い闇のなかに落ちて行ったのだった。
神様、私は少しだけ反省しました。
熱中症なんかで死にさえしなけりゃ、あんたにこんな目に遭わされないで済んだのにね。日本で死んだ善良な一市民をこんな目に遭わせているのは間違いなく、神様その人だ。何が神だよ。悪徳商人か詐欺師と同じようなもんじゃないか。しかし、言ってももう遅い。私はリナリーの人生の転落のまさにその時に巻き込まれてしまったのだ。
これから私はどうなってしまうのだろうか。