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「ふざけんじゃねぇッ!このゴミ野郎がッ!」



誰かがそんなことを言って小石を投げた。

子供に石を投げるなんて正気!?

その声にどんどん人々が続く。ゴミが!死ね!クズ!ケダモノが!

さっきまであんなに和やかだった広場には殺伐とした空気が流れる。人々の顔から笑顔は消え去り、憎悪に醜く歪んだ顔で中央にいる獣人の子を見下ろした。誰一人として、獣人の子に同情の目を向ける人はいなかった。


地面にうずくまる獣人の子。

次々に石が飛んできて、もう事態は収拾がつかなくなっている。


私は駆け寄って、うずくまっている子を引っ張り上げて逃げた。

当然、私にも石が当たった。

痛いけれど、そんなことにかまってる場合じゃない。

逃げると言っても私たちをかこっている観衆を突破することはできない。それでも、投石をやめさせることはできた。私たちを取り囲む人々は、まさか獣人をかばう奴がいるとは思っていなかったらしく目をむいて私を凝視した。

噴水側に獣人の子を抱き込んで、観衆を背にする。



「大丈夫!?」



獣人の子は私を睨み上げた。

そりゃあもうすごい恨みがこもっていそうな目でね。頭に石が当たってしまったのか、少し血も流しているしすっごい怖い。確かに私は悪かったかもしれんけど、そんな怖い顔で見ないでよ。

あと、さっき触ってびっくりしたのだが、折れてしまいそうなくらいに細い子だ。ろくな生活していないのだろうな、と想像させられる。

街にいる獣人はすべて奴隷のはずなので、例にもれずこの子もひどい環境で強制労働させられているのだろう。



「お前のせいで!」



獣人の子は暴れようとするけれど、こんなに小さくて細っこい子なら私でも押さえつけられる。



「ごめんって。でもここから逃げられないでしょ?」



どうしたものかな。

このままここにいたらそのうち憲兵……ではなく聖騎士団がやってくるだろう。

人間相手なら憲兵で、他種族がらみのことなら聖騎士が担当することになっていたはず。そういう人たちに引き渡せば、見せしめのごとくひどい処罰を食らって所有者のもとへ返されるだろう。所有者は脱走を図ったこの子を折檻するだろうから、二重に罰を受けることになる。

でもこの大勢の人の中、逃げ切ることはできない。

この子も私も貧弱の極みだからさ。

ロジェがいてくれれば良かったんだけど、そう都合よく助けに来てくれるはずもない。

この街にいる間は私は誰を頼ることもできない身なのだ。この状況も自分の力でどうにかしなくてはいけない。



「おいあんた、そいつを引き渡せ!そのゴミ野郎は人間様相手に泥棒働いたんだぞ?」



広場の一人のおじさんがそう言って私のもとへやってきた。

男の人たちはだんだん私たちに近づいてくる。憎き獣人のガキを成敗したいのだろう。

彼らにとって私は脅威にもならないので、遠慮なくずんずん距離がつめられる。いかにも腕っぷしが強そうな男たちで、すげー怖い。



「けがをしてるみたいなんですよ。さすがに他人様の奴隷に傷をつけちゃいかんでしょ?」


「そういう問題か!いいから渡せよ!」


「なぜこんな汚らわしいケダモノをかばう!?お前もそいつの仲間なのか!?」



おじさんの一人が私の頭を掴んでフードを脱がせた。

乱暴なことをするない!痛いじゃねーか!

さっそく実力行使に出るなんて、最低なタコ野郎だ。男の風上にも置けないわ。

フードが脱げて視界が開ける。

獣人の子も、周りの男たちも目を見開いた。



「僕は人間です。」



リナリーのあまりの美少年っぷりに一瞬言葉を失う周りの人々。

気持ちはわかるよ。

自分で言うのもなんだけど、かわいいもんね?

……というのは冗談だけれど、そこそこ良い身なりの少年だったことに驚いているのだろう。

ロジェ様のお宅は高級志向なので使用人の制服ですらそこそこな品だ。周りの人々の服装と比べても、まず布から違うね。そんな人間が獣人をかばったことが意外らしい。身分が高い人ほど獣人を嫌うものなのだ。



「でも子供相手に大人げないですよ。獣人のガキ一匹に大人が寄ってたかってなにやってるの?だいたい、ちゃんと警戒してりゃ盗まれないでしょ?獣人ごときに盗みをされるなんて……本当に情けないなぁ……。」


「坊主、理屈なんてどうでもいいんだよ!ゴミが調子こいた真似をしたってのが問題なんだよ!」


「そうだ!!ゴミが人間様を害するなんてことはあっちゃいけないんだ!」


「やっちまえ!」



一人が襲い掛かってくる。

暴力に訴えられると、もうなす術はない。もし、もっと口論が盛り上がって私にばかり注目してくれていれば、隙を見て獣人の子だけ逃がしてやれたかもしれないのにね。

あぁ、詰んだな……なんてあきらめかけていると、


ピピー!


笛の音がしてぞろぞろと揃いの装備をした人たちが広場に入ってきた。

みんな、同じ方向に注目した。

どんどん広場を埋め尽くすお揃い装備の軍団。

あの白い装備は聖騎士団かな?



「何をやっている!」



リーダーらしき騎士がやってきて私たちの間に入った。

束ねた金髪をなびかせた、イケメン騎士だった。

面倒くさいことになったな。誰かが憲兵か聖騎士団に騒ぎを知らせてくれたおかげでおじさんたちに殴られることはなかったけれど、これはこれで面倒なことだ。

こいつらは私を殴ることはないだろうけれど、獣人の子にはどんな仕打ちをするかわからない。さらにこいつらを相手にするなら逃亡成功率は0%だろう。


さすがに騎士団相手に歯向かうことのできないおじさんたちはひとまず大人しく下がっていった。



「そいつが泥棒のガキか。おい、連れていけ。」



そう命令を受けた部下らしき人が獣人の子をつまみ上げた。

腕から離れていくその子を見ているしかできなかった。

すべてを諦めたような真っ暗な目をしたその子は騎士に連れられるまま抵抗もしない。もう私を睨むこともなく、まるで私など目にも映っていないかのようだった。


私はハンバーガーやら荷物をすべてまとめて持って、その子をつまみ上げている騎士のあとを追った。

私が一緒に付いて行ったってこの事態はどうにもならないのだろうけれど、それでも一緒についていってやるのが私の責任だと思った。



「おい待て、お前は何者だ?」



私の肩を掴む金髪のリーダー騎士。



「通行人です。奴を捕まえたのは私なので同行しますね。」



リーダーさんの手を振りほどいて、獣人の子のあとを追った。

悪いけどリーダーさんにかまってやってる暇はない。今はあの子のことで頭がいっぱいだもの。


どうやらあの子は聖騎士団の待機所かどこかに連れて行かれるらしい。

そりゃあ道端で処罰もできないだろうし、もしかすると少しくらいは事情聴取もされたりするのかも。そうだったらいいな。事情聴取があるのだとしたら私にも入り込む余地がある。

騎士たちの間を通り抜けて、獣人の子のあとを歩いていると、またしても私の手が掴まれる。



「おい待て!」



さっき振りほどいたはずの金髪のリーダーさんだった。

しつこいやっちゃ。

一々引き留めて、どういうつもりなの?邪魔ってかうざい。

どうせ目的地は同じなんだろうし、一緒に行こうや。頼むから一々引き留めないで。

私が見ていない間にあのガキンチョが殴られでもしたらと思うと胸が痛い。何としても、置いて行かれるわけにはいかないのだ。



「早く行きましょう。」



リーダーさんの手をしっかりにぎり返して、そのまま歩いた。



「なっ!俺は男と手をつなぐ趣味はない!」



そう言って私の手を振りほどこうとするリーダーさん。

じゃあ最初から触ってんじゃねぇよ。

あんたがしつこいから一緒に行ってやろうと思ったのによ。



「お前は待機所まで来る必要はないのだ!この場で聴取して解放してやるから、止まれ!」


「いやいや、僕もあのガキンチョと一緒に聴取を受けますよ。大人としての義務ですよね。」



一度手を出したら最後までが社会の基本でしょ?

あのガキンチョを見捨てることはできないので、せっかくだし最後まで世話を焼いてやろうと思うのだ。そもそもあいつを単なる泥棒と勘違いして足止めをしたのは私だもの。せめてもの贖罪に、ね。


この気持ちは、どんなにまずい食べ物でも粗末にしないっていう精神と同じだ。

昔、弁当に入っていた小さなピーマンの欠片を残してしまい、家に帰ってからゴミ箱にポイしたことがある。大っ嫌いなピーマンの小っさい欠片なんぞポイしても何とも思うことはないはずだった。なのにそのピーマンの欠片を捨てるという行為がしばらく私を悩ませた。ピーマンを捨てた瞬間に、生産者や作ってくれた母のことを思い出して、すごく悪いことをしたような気分になったのだ。

食べ物を捨てると魂が穢れるような気がする。クラスで弁当を残している人を見るだけでも気分が悪くなるくらいだったので、あれ以降、弁当には絶対にピーマンを入れないでほしいと母に言い聞かせた。

それなら食べろよって話だけど、違うんだな。

ピーマンを愛してる人に食べてもらった方がピーマンも幸せでしょ?残したくもないし、捨てたくもないのなら、最初から弁当にいれなきゃいいって話。


そういうわけで(どういうこっちゃ)ここであいつを見捨てたら、私の魂が穢れる。

あいつはピーマンなのだ。

どんなに厄介で関わりたくない面倒ごとの塊のような存在だとしても、見捨てることはできない。これは、マトモな人間としての外聞を保つために見捨てたくない、とか言うことじゃなくて意思にかかわらず体が見捨てることを拒むのだ。奴を見捨てて逃げたい、と思ったとしても体がそうは動いてくれないだろうね。


それにこの状況ではピーマンはゴミ箱に捨てられるだけでは済まされない。地面に叩きつけられ踏みつぶされるかもしれないのだ。食べ物を粗末にするどころか、痛めつけるなんて許されることじゃない。

聖騎士団も、街の民衆も、みんな頭がおかしいんじゃないのか?

絶対にこの街の連中とは仲良くなれないね。そんな連中と仲良くしたいとも思わんし。





そうして聖騎士団の待機所に到着。

結構立派な建物だ。

現代日本でいうところの警察署って感じだろうか。交番とは違うガチの方のやつだ。

ピーマンくんをつまみ上げている騎士さんのそばへ寄って、肩をたたいた。



「僕も一緒に連れて行けってリーダーさんが言ってましたよ。」


「リーダーが?」



騎士さんは私を見下ろして首を傾げた。

もしかして、あの金髪はリーダーじゃなかったのかな?偉そうに指揮を執っていたからリーダーだろうと勝手に想像していたんだが。



「言ってない!」



後ろから追いついた金髪騎士がそう言った。

まぁ、金髪騎士のことは無視しようか。

私は騎士さんの手を掴んで、引っ張って歩いた。



「さ、行きましょう。」


「あ、あぁ……」



私のにっこり笑顔に圧倒された騎士さんは特に突っ込むこともなく、そのまま歩いた。

そうして行きついたのは、待機所の中の一室。いわゆる取調室だった。

シンプルなつくりの部屋はこじんまりしていて机をはさんで椅子が二脚。

うわぁ、イメージ通り。


騎士さんはピーマンくんをおろした。



「座れ。」



ピーマンはぐったりうなだれて、座った。

そんな絶望的な顔するな、元気出せよ。


私も部屋の隅にあった椅子を引っ張ってきてピーマンのとなりに座った。

私たちを連れてきた騎士さんはそのまま取調室から出て行った。

監視の目がなくなったことに、一息つく。

まだ何も解決してはいないのだけれど、やっと落ち着いた気分になった。なんてことない一人の休日を楽しんでいただけなのに、突然のトラブルで緊張の連続だったもんなぁ。

そういえば忘れていたけれど、私は食事の途中だったね。

騎士さんとリーダーはなにやら取調室の前で話をしているので、私はハンバーガーを取り出して包みを開き食べた。腐ったらやだし早く片付けてしまいたい。

あぁ、冷めても美味い!


すると、隣から視線が。



「お前、どういうつもりだよ?」


「ちょっとお腹すいちゃってさ。」


もぐもぐ。


「そっちじゃねぇよ。どうして付いてきたりするんだ。」


「君が殴られたりしたらかわいそうじゃん。」


もぐもぐ。



ピーマンはため息をついてうつむいた。

子供に似つかわしくない表情だった。



「人間に哀れまれる筋合いねぇわ。」



おっしゃる通りで。

ピーマンたち獣人を捕まえて奴隷にし、こんなぼっこみたいな体になるくらい貧しい生活を強いているのは人間だもんね。私がかわいそうとか言っちゃいけないのかも。

でも思ったことを言っただけよ。ピーマンを助けたいという気持ちは本物だし、この私が他人のために労力を割くなんてめったにあることじゃないよ?好意はありがたく受け取ってくれたまえ。


すると、扉からリーダーが入ってきた。

金髪がキラキラしている。

人間のイケメンを見ても感動しなくなっちゃったなぁ。リーダーは日本に居たなら間違いなくアイドルになれる顔立ちなので、もし日本で彼に出会ったらちょっと感動しただろう。

ただ、この世界には化け物じみた美しさを持つ生き物がいるからなぁ。不愉快なことだが、たぶんロジェは世界で一番美しい。



「おい!何やってんだ!」



もぐもぐ。



「お前、聴取を受けたいんじゃなかったのか!?なんだその態度は!」


「ごめんなさい。でも食べ物を与えて、口を割らせるっていうのは取り調べの手法の一つでは?」


「はぁ……?とりあえず置け!」



警察でかつ丼食べさせてもらえるっていうのはフィクションなんだっけ?

かつ丼もでない取調室は取調室とは言えないよね?

リーダーの言うことをきくのは嫌なので、残りすべて口に放り込んだ。口をパンパンにして食べるなんて下品だけど許して。これ以上食べるのを後回しにしたくない。衛生的にも良くないしね。

もぐもぐ。



「はぁあ……。」



ため息つくと幸せ逃げますよ?



「それで?お前は奴隷であるにも関わらず、所有者に無断で街を出歩き、女性から荷物を奪った。そうだな?」



ピーマンはむすっとして顔を背けた。

おぉ、なかなか度胸あるなこいつ。

心臓に悪いからもっと従順な態度をとってよ。その方が早く帰れるんじゃね?



「お前、誰に向かってそのような態度をとっている?奴隷風情が!」



リーダーはピーマンの頭をがしっとつかんだ。

おい何やってんだよ?

ほらね、やっぱり暴力だよ。私がいなきゃピーマンタコ殴りだったかもね。あぁ怖い。

こんな女々しい見た目の金髪野郎ですら相手を獣人と見れば簡単に暴力をふるおうとするんだもんな。ホント、世の中腐ってるわ。



「まぁまぁ、リーダーさん落ち着いて。僕が話しますよ。」



リーダーの手をピーマンから剥がし取る。

私の手を忌々しそうに睨むと、乱暴に振りほどいた。

乱暴なやっちゃなぁ。それでも聖騎士か?

顔がイケメンでもクズだなあんた。肩書が増えちゃったね。金髪うざい系暴れクズリーダーの称号をあげるよ。今度からそう名乗ったらいいよ。



「その子は女性の荷物をひったくって逃げたんです。僕がうっかり前に出していた足に引っかかって転んでしまって……あんな騒ぎになったわけですね。」



本当はうっかりじゃないけどね。

泥棒の逃走の邪魔をしてやろう、と考えていた。今思えば最悪の判断だったわけだけど、ガラにもなくそんな面倒ごとに手を出したのは街を歩いて開放的な気分になっていたからだろう。

普段の私だったなら、面倒ごとに自分からかかわりに行くなんてことは絶対にしないはずだもんな。

気分に流されるなんて愚かの極みだよね。反省して二度と同じ罪は犯しません……。



「ほぉ、ではなぜおまえはこいつをかばっていたんだ?」



不機嫌そうな顔で私を見下ろすリーダー。

怖い顔してるとモテないぞ?



「大人たちが転んだコイツに石を投げたからですよ。ほら、ケガしちゃってる。子供をいじめるなんて最低ですよね?」


「それが普通の子供ならな。」



奴隷だから良いんだって言いたいの?



「普通の子供ですよ?ほら、こんなに小さくて弱っちいんです。それとも君じつは大人なの?」



見た目は子供じつは若作り!とか?

絶対ただの子供だよね?

なんて、ごまかしてもダメか。差別が当たり前の世界なわけだし、他種族への憎悪マシマシだもんね。

過去に色々あったとしてもそこまで獣人を憎めるのは不思議だなぁ。歴史的背景や人間優位の世の中をつくるためとかいう理由は理解できるけれども。でも獣人なんて人間に毛が生えたようなもんじゃない?実際耳と尻尾がはえてるだけのもんで、もし耳やしっぽが無かったんなら見た目は人間と全く同じだもんな。



「冗談だよ、睨まないでよ。とにかく、僕にはこいつのことが貧しくかわいそうな男の子に見えたんです。だって耳としっぽがなけりゃ人間と同じ姿でしょ?人間の子供のように見えてしまってかばわずにはいられなかったんですよ。」


「確かに人間の子供がそんな目にあっていれば、私だって我慢ならないだろうな。しかし、こいつは人間ではない。」


「そういうこと言ってると、くそガキみたいですよ?過去にひどい目に遭わされたからっていつまでもネチネチ、こいつは獣人、こいつは不死族、私は人間だから偉い、とか言っちゃって恥ずかしくないんですか?もう少し大人になりましょう?どうして表面だけでも仲良くできないんですかね?まるで拗ねちゃったお子さまですよ。」


「お前……ッ!どうしてそんな思想ができるんだ!私たちの祖先がどんな思いでこの国を守ってきたか……!」



リーダーは立ち上がった。

心底理解できないというような顔で私を見下ろした。

どうしてそんな思想ができる、か。なんだか妙に心に響く言葉だな。

たぶんこの世界の人間たちはみんな無意識に他種族を恐れているんじゃないだろうか。散々に見下して罵倒してはいるし、魔道具や聖騎士団によってもたらされた人間優位を信じてはいるけれど、やはり他種族への恐怖がぬぐい切れないのではないか。


実際にリナリーの心の中にもそういう感情があった覚えがある。

他種族というものを知れば知るほど、この世界の底知れなさを思い知らされるようだ、とリナリーは思っていたのだ。実に素直な感想だと思う。人間たちはこの世界についてあまりよくわかっていない。もちろん、異世界人である私なんてもっと理解できていないけれどね。獣人、不死族など以外にもたくさんいる他種族だけれど人間はその全てを把握しているわけではない。全部で何種類の種族があるのかもわかっていないのだ。不死とかいうトンデモ能力がありえる世界なのだから、他にどんなトンデモ能力があっても不思議ではない。本当に底が知れなよね。わからないからこそ、怖いのだと思う。


そんなわけで、身近な他種族である獣人を虐げて人間の立場を明らかにして心の安寧を得ようとしているのでは……なんて深読みしすぎだろうか。



「まぁ、話を元に戻すと、以上が経緯になります。問題はこの処理になります。普通ひったくりはどんなふうに処理されるんです?」



リーダーさんは怒った顔で私を見下ろしている。

また暴力?勘弁してよ。


思った通り、リーダーさんは剣を抜いて私に突き付けた。



「調子に乗るのもいい加減にしろ。一市民だと思って容赦されると思ったか?今の発言は人間社会に対する反逆だ!」



面倒くさいこと言わないでよ。

人間社会に対する反逆?そんなもの知りません。

人間社会も何も、私は人間社会に生きていないもんね。どちらかというと高等生物たちの社会の最底辺に首輪でつながれているって感じかな。

しかし剣を向けられたのには困った。これ、どうすりゃいいの?



「だからなんですか?まさか僕が反逆できそうな人間に見えますか?無力な一市民に向かって剣を向けるだなんて、それでも騎士ですか……?」


「黙れ、その首切り落とすぞ。」



うわ怖い顔!

助けてロジェ~!

本当にやりそうな顔してるもんね。本当にどうしたらいいの?

嫌な汗が背中を流れていく。



「はぁ、殺せば?何の罪もない人間を殺すだなんて、罪人はどっちですか?僕を殺せばあなたは殺人者だ。僕は被害者。そんでもってこいつはひったくり犯。いったい誰が一番悪いのかな?」



なんとか平静を装ってそう言った。

リーダーは剣先をぶるぶると震わせると、やがてあきらめたように剣を収めた。

よ~しよしそれでいい。

一々物騒なんだよね。人に刃物を向けるってどういうことよ?

それでも、名誉を重んじる騎士らしく説得に応じてくれたのは助かった。さすがのリーダーでも殺人犯呼ばわりは嫌らしい。



「通常ひったくりは罰金か強制労働だ……。奴隷の場合は打ち首となる。」


「子供の場合は?」


「子供の場合は罪には問われない。が、人間の場合だ。獣人ならば……鞭打ちだ。」



なるほど。

大人の場合、奴隷には財産を所有する権利もないしもともと強制労働をさせられているから人間の罰則を適応できないわけね。だからって打ち首は過激だと思うが。

それならばもし、罰金を払った場合は?奴隷が罰金を払えたとしたら人間への刑を適応できるんじゃないか?しかも、ピーマンは子供だもんな?



「じゃあ私が罰金を払ってあげましょう。そうすればこいつは鞭打ちにされないで済む?」


「そんな話は前例がない!奴隷が金で釈放だなんて……。」



私はポケットから金貨を一枚出した。



「駄目なんですか?子供は罪に問われないはずなのに、なのに金を払ってあげようって言ってるんですよ?さぁ……」



もう一枚机に出す。

リーダーの顔には汗が浮かぶ。



「許されるわけがない!」


「だって本来罪には問われない子供なんですよ?それどころか獣人ならば鞭打ちという手間もかかる。その手間を無くせるばかりか、金が入るんですよ?」



さらにもう一枚置く。



「大人の場合の罰金とはいったいおいくらでしょうか?」



リーダーは金貨を凝視して生唾を飲み込んだ。

あと一押しかな?あまり散財したくないのだけど……。

机の上に乗った3枚の金貨を指でもてあそび、リーダーの目の前に差し出した。面白いくらいに金貨を目で追う。そんなに金が欲しいのか?少し呆れる。

そんなに横暴な取引だとは思わないんだけどなぁ。本来大した罪でもなく、金にもならない案件を金貨で解決しようとしているのだ。むしろありがたいくらいの話だと思うが騎士のプライドゆえか買収されることに葛藤があるようだ。リーダーの目はぐるぐると回りだしそうなくらい泳いでいるもんね。



「これじゃあ足りませんか?そうだなぁ……じゃあこれでどうです?」



もう一枚、チャリっと音を立てて机の上に出す。

リーダの表情は苦し気に歪んだ。



「くそ!わかった。むち打ちは勘弁してやる……。」


「えぇ、そう言ってくれると信じていました!こんな子供を鞭で打ちたいという人はいませんよねぇ。ろくな食事もとっていない貧弱なこの子じゃ一回の打たれれば皮膚がさけ、肉が薄いから骨まで到達するかもしれないし……そんな残酷なことをしたがる人はいるはずがない!もしそんなことをしたがる人がいるというのなら……それは人間とは呼べませんよね?そんなことができるだなんて本当に残忍で冷酷で……不死族なんかよりよっぽど醜悪なバケモノでしょう。」


「わかったわかった!もういい!」



リーダーは金貨をとってポケットに突っ込んだ。

買収成功!

チョロいな。チョロッチョロじゃないか。



「では釈放とする。」


「お世話になりました~。それでは。」



ピーマンを引っ張って立たせ、連れて取調室を出た。

リーダーは複雑そうな顔で私たちを見送った。ざまぁみろ、私の勝ちだ。

どうよ?これが私の実力さ。

まぁ金はロジェの物だったからロジェの実力だけれども……いや、私の話術の功績も少なくはない!はず!

ピーマンは呆然と私を見上げただけで、あとはされるがままに大人しくついてきた。私の驚くべき手腕に言葉もないらしいな。


一方私は、他人のための面倒くさい労働の後なのになぜだか心が晴れやかだった。

ピーマンへの罪悪感はもう完全になくなっていた。これで足を引っかけて足止めしたことはチャラになったはずだ。やっとお天道様の下を堂々と歩けるよ。


早歩きで待機所を歩いてゆく。

待機中らしい騎士たちや、窓口で働く騎士、事務職の人なんかもいてそんななか視線を浴びて歩いた。

取調室を出た時にマントをかぶせれば良かったんだけども、ピーマンは耳を晒しながら歩いている。誰の目にも獣人であることは明らかで、しかも人間が獣人の腕を引いて歩いているという光景は騎士たちにとっても珍しい物だったらしい。

そんな居心地悪い待機所から外に出る。


おぉ、シャバの空気はうまいな!……なんつって。


外は相変わらずの喧騒だった。さすが都市。騒ぎが起こったとしてもひと段落付けば解散してそれぞれの生活に戻るのだから、みんな都会人だよね。

私も適当な場所でこいつともおさらばして、この問題を終わらせよう。


隣に立つピーマンは私を見ていた。

私がマントのフードをかぶるとピーマンも私にならった。

フードをかぶったピーマンを連れて、人通りのすくない路地を目指した。

黒いマントに身を包む二人の子供。これだと怪しさ満点兄弟だね。おそろっちイェーイ!


人のいない細い路地に入るとピーマンの手を離してやった。



「じゃあな少年。もう危ないことはするなよ?」



ピーマンはキッと私をにらみあげた。



「どの口で言うんだ?なにが危ないことだよ?毎日生きるか死ぬかの生活をさせてるのはお前らだろ?」



えぇ?そんなことを言われても……。

ピーマンが言ってることは事実だし、可哀そうにも思うけれどこう面と向かって言われると複雑な気分だ。

さっき私が助けてあげたこと忘れてしまったのかな。感謝しろとは言わないけどせめてそんなことは言わないでほしいな。それに、私は獣人を虐げたことなんてない。彼らを虐げている人間とは同族だけれど、もう人間の仲間ではないしな。まぁそんなことをこいつに言ってもしゃあないんだけども。



「違うよ。あんた自分のせいでこんな状況になってるんでしょ?」


「俺のせい?バカ言うな!親が獣人だったから俺も獣人になってしまった。奴隷にされて、毎日虐げられている。俺の何が悪かったって言うんだよ!?」



いや、その通り。

ピーマンさんのおっしゃること、一々ごもっともにござる。

もっともではあるけれど私にも思うところはある。



「そういうとこだよ。文句言ってないで、逃げれば?雇い主のことだってそんなに不満なら殺しなよ。体を鍛えて強くなれば?なんでそうしないの?人間に復讐すりゃあいいのに。」



ま、できないでしょうけどね。

街の警備は厳重で、こんなピーマンを逃がすほど大人もマヌケじゃない。雇い主を殺す隙なんてないだろうし、食事も満足にできなくて力も出ないだろうし体を鍛える暇もなさそうだ。こんなひょろひょろ一人で人間に復讐なんて無理な話だ。

できないだろうことはわかっているけれど、そう言ってみた。

たぶんピーマンはまだ諦めていないんじゃないだろうかと思ったのだ。もし、自分の状況を諦めているだけなら奉公先から脱走してひったくりをしたりしないだろうし。



「できるわけないだろ!?」


「ふ~ん……」



本当はピーマンとはここでお別れのつもりだったんだけど、なんだかなぁ。

こんな奴は街にはゴロゴロいるわけで、一人を気まぐれに助けるのは無責任なことだってわかるんだけど、でもなんかかわいそうなんだよね。



「でもさ、目の前にすごいチャンスが転がってることに気づかない?」



私がいるじゃない。

私の協力さえあれば不可能なはずの街からの脱出もかなうと思わない?

例えば、金でこいつを奉公先から引き取り、私が所有物として街から連れ出すわけ。そうすれば街から簡単に脱出できる。外にさえ出てしまえばいくらでも逃げる方法はある。私は逃げて行ったピーマンを追いかけたり捕まえたりできないだろうし、そうすれば晴れて自由の身。

私には何の利益もないし、そこまで世話を焼いてやるほどの義理もない。

でも、こいつにとってはかなりビッグなチャンスなのではなかろうか。



「はっ、そんな言葉信じるかよ。ゴミを助ける人間なんているわけがない。」



いや、さっき助けてあげたけども?

身を挺して投げつけられた石から守ってあげたのは誰?誰のおかげで釈放されたの?本当にすっかり忘れてしまっているらしい。どんな環境で育ち、やさぐれていたとしても礼儀を忘れちゃいけないよ。かわいそうな奴だからって無礼が許されると思ったら大間違い。

感謝されたくて助けてやったわけじゃないけども、なんだかなぁ。

拗ねたガキの相手は疲れる。



「あっそ。じゃあ僕はもういくから。」



やる気のない奴に協力してやるほどお人好しじゃありませんことよ。

助かりたくないならずっと奴隷やってろって話だ。

仏心を出して損したね。

もちろん心の広い私はそんなことに腹を立てたりしないさ。助け甲斐がないような奴だとしても助けてやるのが人の道……とまでは思わないけれど今回助けてやったことについては私自身のためでもあったし後悔はない。ただ、次にこいつに出会っても絶対助けてやらん。


私はピーマンを置いて大通りに向かって歩いた。

そろそろ本を買いに行こう。広場とは逆方向、雑貨屋のあった大通りを探せばきっと本屋もあるだろう。



「待ってくれ!」



背後からピーマンの声。

なんだ?

振り返ると、ピーマンが近くにいた。



「俺を助けろ。俺を街から逃がしてくれ。頼む!」



さっきまで私を信用できないみたいなこと言ってたけど、どういう心境の変化だろう。

今度はこっちが疑う番か。

いったいどういうつもりだ?じろじろとピーマンの顔を眺める。

ともかくやる気は十分らしく、ピーマンの目には炎が燃えていた。

どういう魂胆であれ焚きつけたのは私だし、断ることはできなかった。

ここで一々こいつの変わり身の早さについて議論するのも面倒なので、仕方がないから協力してやろう。結局私を頼るのなら最初っからあんな風に話の長引かせるんじゃねぇよ、とは思うけどね。拗ねたガキンチョの相手ほど面倒なことはないもの。



「いいよ。じゃあ、行こう。あんたの所有者に会わせて。」



思わずため息が出そうだったけれど我慢した。

私は大人だもんね。自分でこいつをその気にさせた分の責任はとらなくては。


まずはピーマンの奉公先に案内してもらい、雇い主からピーマンを買い取るのだ。買い取って所有物になった証明がないと街の門から出してはもらえないだろうし、権利書を譲ってもらうことが目的だ。今すぐ勝手に街から連れ出す、というわけにはいかないんだよね。

勝手にたくさんお金を使ってごめん、許してロジェ。

でも、そんなことでロジェは怒らないよね?金持ちだもんね?心広いもんね?



「こっちだ。」



ピーマンは裏路地の方へ向いた。

奉公先は大通りのような表ではなく裏通りにあるのね。たぶんまっとうなところじゃないだろう。いったいどんなところに奉公しているのやら。

ピーマンについて私は歩いた。



「君ってなんて名前なの?」


「セストだ。」


「僕はリナリー。リーナって呼んでね。」



僕っていうのやめたほうが良かったかな?

名前は明らかに女だし、女だと気づきそうなもんだが、まぁ、いいか。

ピーマン、もといセストは黙って案内を続けた。












しばらく歩いた先には店があった。



「ここだ。」


「へぇ、ここなの。」



たぶん風俗店とかいうたぐいのやつだよね。

そんなに高級そうではない店なので、余裕で買収できそうだ。金貨数枚チラつかせたら簡単にセストを譲ってくれるだろう。

風俗店か……。

女を売ってる店であってほしいとひそかに思った。



「店主に会わせて。」


「こっちだ。」



裏口らしき場所に案内される。

昼間なので営業はしていないようなのだけれど、奥から怒鳴り声と悲鳴が聞こえた。鞭のような音も聞こえるし、最悪だね。まさか事の真っ最中?

こんな場所に来たくなかったよ。これがこの世界の闇か……。


裏口から建物の中に足を踏み入れると、よどんだ空気に包まれた。

薄暗い廊下の空気は重々しくて、嫌な感じしかしない。こんな場所で奉公をするなんて、大変だろう。少しセストを尊敬する。

本当にこの世界の人間とは分かり合えないなぁ。

奴隷を使った商売をしていることも、こんな店を訪れる客がいることも理解不能。


廊下を進むと、明かりのついた部屋があった。

怒鳴り声、悲鳴、その他の音はこの部屋から聞こえていたらしい。

セストはチラッと私を見た。

私は思わず顔をしかめてしまうけれど、セストは無表情だった。

奴隷が折檻されているのだろうか……。その現場に足を踏み入れるなんて、正直嫌なんだけど。


まぁいいや。嫌なことは早く済ませるに限る。

私はセストに頷いた。


ギイィ……


セストが私の前に立って扉を開ける。



セストの頭越しに見た扉の向こうの光景に一瞬で心が凪いだ。

想像はついていたけれど、生で見るとかなりきつい。

いきなり扉を開けたので、当然ながら事の真っ最中をそのまま直視することになってしまった。

ロウソク灯りに照らされた太ったおっさんが一人、裸の女の獣人が一人いた。

おっさんが鞭をふるって女の人を痛めつけているらしかった。

生々しい鞭の傷がロウソクに赤く照る。悲愴な表情の女の涙に濡れた顔も、脂ぎったおっさんのおでこも、行為の接合部もはっきりと見えた。

勘弁してくれよ。



「おい!ノックもせずにどういう……」




二人は扉を開けて入ってきたセストに注目した。

おっさんの驚きに見開かれた目は、やがてキツく細められた。



「お前か、ゴミくずめ!いったいどこに行っていた!?脱走は一週間食事抜きだと言ったはずだ!」



最低なおっさんの耳障りな怒声が廊下にまで響き渡った。

汚らしく唾をまき散らすその姿には嫌悪感しかない。

こういうクソみたいな相手にはなめられちゃいけない。圧倒的で高圧的じゃなきゃ。

すぅっと息を吸った。



「この獣人を譲ってもらいたい。」



セストの前に出てそう言った。

平静を装って、堂々とおっさんを睨みつけながら言った。

おっさんは顔を歪めた。



「誰だアンタ?」


「お前には関係ない。街でこいつと出会い、お師匠様がこいつをいたく気に入り、購入するように私に命令した。」



全くのウソです。

お師匠様って誰よ?私もわからん。


設定はこうだ。

私は魔術師の弟子で、魔術の師匠の命令でこいつを買いに来ました。魔術師は社会的身分が高いから、まぁ気休め程度の効果はあるかな?と思ったのだ。魔術師に屈するようなマトモなおっさんじゃないかもしれないけど、でもいざとなったら魔術使うぞ?という脅しにもなる。

だって私たち、何も武装していないんだもの。今気づいたけれど、せめて何か武力的手段も持ってから来るべきだったよね。冷静じゃなかったなぁ。



「そんなことを言われても困る。下僕は売りには出してないんだからな!」



商品の女の方は売りに出してるってわけね?

セストは商品ではなかったらしい。ここは女を売る風俗店だったわけか。

さっきひそかに願った通り女を売ってる店だったわけだけど、心は晴れやかになるわけでもなくすごい複雑な気分。セストが商品にされていなくて良かった、とも思えない。商品にされようとされまいとここが地獄であることには変わりないだろうからね。


あぁ、なんで私見たくもない世の中の闇に触れているんだろう?はやく帰りたいよ。



「代金だ。」



金貨を二枚投げてやった。

おっさんの目は見ひらかれ、ギラリと光った。



「ほぉ、これは……。しかしこの程度と思われては困りますな。そいつは有能な働き手ですから。」



おっさんは下劣な笑みを浮かべた。

急に敬語になるあたり白々しいな。金で簡単に買収できそうな下劣な人で良かった。

これで武力に訴えられることもおそらくないだろう。



「権利書をよこせ。」


「いやいや、この程度ではお渡しできませんな。」


「話の分からん奴だな。命令しているんだぞ?権利書をよこせ!」


「ですから、もっと」


「それ以上はない。お前、立場を理解しているか?私は客だぞ?」



おっさんは私を睨みつけた。



「お前に選ぶ権利は無いんだよ。いいからさっさと権利書を出せよ!」



私は平静を装って怒鳴った。

内心、虚勢を張っていることがバレないかドキドキしながらおっさんを睨みつける。



「それともなんだ?魔術師に逆らうか?お師匠様にどう報告したらいいだろうか?魔術師を客とも思わない仕打ち、非常に無礼な下劣漢だったとでも報告しようか。それで良いと言うのならこの店がぺしゃんこに潰れても何も文句は言えないなぁ?」



おっさんは言葉に詰まった。

わなわな震えながら金貨を睨みつける。

だってこんなボロ宿じゃ金貨2枚だって大金だ。本当は2枚だとしても受け取りたいと思っているだろうね。私から搾れるだけ搾り取ろうというつもりらしいけれど、どうしようかな。金貨で解決できるのならば、それもまた良し。ロジェの金は有り余ってるしな。さっさとこの話にケリをつけてこんな場所とはおさらばしたい、というのも本音なのだが……。



「なるほど、よくわかったよ。そういうことなら、さっさと金貨を拾って私に返せ。」



やはり動かないか。

下僕のセスト一人失ってこの大金が手に入るならかなりな儲け話だ。奴隷は安いしセストの代わりを買えばいいのだ。奴隷のしかも子供なら値段は金貨一枚に満たないだろう。新しい奴隷を買っても大きすぎるお釣りがくるのだから、この金貨2枚を手放すことはできないはずだった。



「早ぁくしろよぉ~!?私に拾わせるつもりじゃあないだろうなぁ!?」



おっさんは怒鳴り声に肩をビクッと震わせた。


おっさんの気持ちはよくわかりましてよ。わたくしもそんなお下品な言葉遣いは聞いただけで恐怖に体が震えてしまいます!だってわたくし、侯爵令嬢(元)ですもの!……というのは冗談にしても。

それにしたって嫌になっちゃうよ。私だって本当はこんなふうに怒鳴ったり、下品な言葉遣いしたりしたくないんだよ?



「おいおいどうしたぁ?なにも難しい話はしてねぇだろうよ?この金額で売るつもりはないんだもんな?それならお前はお客様に金を返せばいいだけの話だ。なぜ返してくれないんだ?」



おっさんは葛藤しながら女と鞭を地面に投げ捨てるようにして放し、こちらを向いた。

おえ!きったねぇもの見せんな!

自分の股間を気にする余裕も無いらしい。本当に汚らわしい奴だな。

女の獣人を放したのはいいけれど、金を拾うわけではなかった。あと一押しか?



「……だがまぁ、お前の商売人としてのプライドには感心するよ。店がどうなったとしてもこの金額じゃ売らないって言うんだもんな?たいしたもんだ。」



私はこっそり金貨をもう1枚取り出した。



「そうだなぁ、ぜひ、お前の商売人魂に称えたい。」



ニコッと笑いながら一枚の金貨をつまんでおっさんの目線の高さに掲げる。

おっさんの息を飲む音が聞こえた。

私はゆっくりと金貨を前に差し出した。

金貨を目で追うおっさん。私の手の中で金貨はきらめいた。

おっさんはゴクッと唾を飲み込むと、さっきまでの表情が嘘のように破顔した。脂汗を浮かべながら内心の焦りを隠してこう言う。



「なんという立派なお方なんでしょう!貴方様のような方にこんなガキをお売りするというのも申し訳なく思いますが、お望みとあらば喜んでお売りいたしますとも!」



おっさんは折れた。

最初とは打って変わって腰の低い話し方には吐き気を覚えるけれど、うまく行って良かった。

本当は金貨を何枚出してやっても良かったんだ。金で解決できるのなら、そんなにうれしいことはないもんね。


デスクをごそごそあさるおっさん。そのうち一枚の紙を取り出し、こちらにやってきた。

こっち来んなよ、気持ち悪ぃな。

セストに目配せして、セストに受け取ってもらった。

だっておっさんに近づきたくなかったんだ。顎で使ってごめんセスト。


セストから手渡された権利書を確認をする。

サインも朱印もある。紙を光に透かせば聖騎士団の模様が入っている。ちゃんと本物の権利書だ。

リナリーは奴隷の売買なんてしたことはなかったけれど、皇宮で受けていた教育の一環として実物の奴隷権利書を見たことがあった。なんたって皇后になるという人間だもの。それくらいの勉強はしている。

ちなみに奴隷売買も聖騎士団の管轄で、街の中に出入りする奴隷、つまり他種族の数を聖騎士団が掌握している。なので権利書は聖騎士団から発行されて認められたもののみ有効となっているのだ。

これさえあれば問題なくセストとともに城門をパスできる。



「行こう、セスト。」



権利書を胸ポケットにしまって、セストと一緒に部屋を出た。

おっさんは笑って頭を下げて私たちを見送った。

セストが扉を閉める。セストを見て見れば少し晴れやかな表情になっていた。

あのおっさんとおさらばできて良かったね。


私たちはそのまま廊下を突っ切って裏口から出る。



あぁ、シャバの空気!

やっと深く呼吸ができるようになった。

風通しの悪い禿ネズミの巣は空気が悪かったので、あまり呼吸したくなかったんだよね。おっさんと同じ空気を吸うってのも不愉快だし。本当、あんな場所で暮らしていたセストが憐れだ。

それにしてもあの部屋にいた獣人の女性……いや、思い出さないでおこう。

私ができることには限りがある。

全員を助けられるわけじゃないし、今回も偶然出会ったセストを偶然助けることができた、というだけ。

その行動の無責任さについてはすべて承知していた。



「セスト、他の同胞はあんたがどうにかしてね。私にはこれ以上はもう何もできないから。」


「わかってる。」



セストが他の獣人も解放してくれれば私の無責任な行動にも大義ができるよね。そしていつか獣人がすべて解放されて他種族が踏みにじられることのない世の中がやってくれば、私の無残な死も遠ざかるはずだ。

すっかり忘れかけていたけれど、神様曰くリナリーは他種族が虐げられている不公平な世の中だから死ぬらしい。生活が安定してきたから、すっかり安心しきっていたけれどまだ私の運命が無残な死から遠のいたのかどうかはわからない。

かといって私が直接できることはほぼ無いので、ロジェが天下を取りセストが獣人を解放することを応援しようと思う。

てことで、セストがんばれ。




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