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前世、私はどこにでもいるような普通の女子高生、つまりJKだった。
普通のJKというのとは少し違うかもしれないな。田舎生まれの田舎育ち。スカート丈はひざ下。手入れもされずぼさぼさの頭もそのままに毎日だらだらと学校に通っていた。JKと呼べるほどのキラキラしさは私にはなかったので、学校でも人とは馴染めずにいた。
田舎者のくせに調子こいてスカートをちょん切り足丸出しにして、毎朝早起きして髪の毛をぐるぐる巻きにし化粧までしてくるような女どもと私が仲良くできるはずがなかった。かといってハブられているわけでもいじめられているわけでもなかったのはひとえに私が他人の興味を引くような人間ではなかったおかげだろう。地味を極めた空気女だったのだ。私の存在を目にとめたとしても、さえない女子だなぁと特に注目することもなかったはずだ。
そんな私の内実を知っているのは数少ない友人のタマキちゃんとユウくんと両親だけだっただろう。タマキちゃんとユウくんは幼馴染だ。タマキちゃんはすごく臆病でおとなしい女の子。ユウくんは少しはんかくさい所があるけど基本的には良い奴だった。
私の内実、と言うのはそのあまりにも面倒くさがりな性質のことだ。外見で言えばただもっさりしているだけで女子としての意識が低めの、大人しい優等生のようだったろう。そんな見た目に反して、私はまったく大人しくも優等生でもなかった。面倒くさいことがとにかく嫌でクラスメイトとかかわらないようにしていたし、先生ともできるだけ関わらなくて済むよう振舞っていたら、大人しいとか優等生とかいうふうに周囲が勝手に認識してくれていた。
無気力、だらしない、怠け者、様々に言われてきたけれどこれは生まれつきの性質なのでどうにもならないことだった。でも友人たちも両親もそんな私を認めて、義務さえ果たせばのびのびと生活させてくれた。実に良い友達、優しい両親だったと思う。
そんな幸せな家庭に何不自由なく育った私はある日、熱中症で死んだ。
それも私の面倒くさがりな性質のせいだ。面倒くさがりな性質が災いして私をしに至らしめたのだ。あの日はその年でも類を見ない猛暑日だった。夏休みの真っ最中だったので私は家で一人スマホでマンガを読みながらゴロゴロしていた。両親は働きに出ていて家には一人。なんだか暑いなぁエアコンつけようかなぁ、だなんて思いはするもののなんだかだるくて体が動かない。のどが渇いている気もするけれど飲み物を取りに行くのも億劫で、私は暑さとのどの渇きを我慢……というか無視しながらベッドの上に転がって過ごした。
そして気づくと死んでいた。おそらく熱中症だったのだろう。
今思えばバカなことだ。そんなことで死ぬなんて、両親や友人たちはどう思っただろうか。
死ぬと人はどうなるのかというと神様と面会させられるらしい。例にもれず、私も部屋で意識を失った数秒後には真っ白でふわふわした空間にいた。目の前には謎の男。
「お前でちょうど1000人目だよ。」
謎の男はけだるそうにあごを持ち上げ私を見据えるとそう言った。白くて長い髪の毛に神々しい美貌。多分こいつは神様なんだろなぁと直感で分かった。
声が出るようなので返事をする。
「何のことです?」
「今年お前の国で熱中症で死んだ人間の数だよ。」
「へぇそうなんスか……。」
そんなに熱中症で死んだ人っているんだ。私みたいな面倒くさがりも意外といるのかもしれないな。
神様は不愉快そうに目を細めて私を見下ろした。
「なんだお前その態度は。見てわからないか?俺は神だ。もっと敬いをもって接しろ。」
「ぷふっ……すいません神様。」
自分で神様だぞ!敬え!なんていう人いるんだな。人っていうか神様らしいけれども。痛い系の神様なのかな。見たところ成人男性のような姿をしておられるしイケメンなんだけど……なおのこと残念な神様だな。痛い系残念イケメン神様だ。
「わらってんじゃねーよ!だいたいお前なぁ!死んだことへの悲しみとかないのかよ!?もっと泣きわめけよ!仮にも女子高生だったんだから若くして死んだことが悔しくないのか!?」
「えぇ、そんなに。あの、もういいですか。うるさい人の話聞くの面倒なんで早く終わらせてください。」
大きな声で捲し立てられるなんて誰でも不快だろう。静かに話してくれるなら会話も苦じゃない。もともと会話だけは面倒に思わないのだ。ただし、話の通じる相手に限るが。
sれにたぶん死んだことへの手続きとかあるんじゃないかな。生前の行動を神様が見て天国行か地獄行か決めてくれる、って言うのが私の知ってるオーソドックスなやつ。閻魔様方式だね。
神様はなんだか不満そうな顔で私を睨んでいた。
「ちっ、わかったよ。お前、名前は?」
「市川李衣菜です。」
「李衣菜、こっちに来い。」
言われた通り神様が座す台座に近寄った。
すると神様は私の頭に手をのせる。なんだかよくわからないけれど、神様の手からパァっと光が出てきた。神様の不思議能力ってやつなのかな。私の人生を見てくれているのかも。
神様の顔はみるみるうちに歪んでいった。眉間のしわを深くした神様が言う。
「……お前、バカなのか?」
はぁ?失礼な神様だな。
これでも私は学年トップクラスの成績を誇る優等生(?)なんだぞ?テストでいい点さえとれば居眠りしようと誰も文句いわないから、居眠りするためにテストだけは頑張っていたのだ。これも私を優等生だと周囲が勘違いしていた理由の一つだろう。私が居眠りしていることになんてクラスメイトは目も止めなかったしな。まぁ、教科担任は苦い顔をしていたが、テストの点だけはよかったために許してくれていた。このようにサボるためにはなんでもする。それが私の怠け魂……なんつって。
「エアコンはちゃんとつけろよ!面倒くさがらずに水分補給をしろ!こんなしょうもない理由で熱中症になったやつは他にはいないぞ!甲子園を目指して部活に励んでいて熱中症になったり、独り身の老人が独り身であるがゆえに環境を管理できず熱中症になったり……とにかく無念の死を遂げた人はたくさんいるんだ!お前は何て女だ!」
神様は不思議能力で私がどうやって死んだのか知ったらしい。
しかしそんなこと言われても困るよ。
確かにもっと立派な理由で熱中症になる人はいるのかも。でも死んでしまったものを私にどうしろと?野球なんてできないし、老人にもなれない。この面倒くさがりな性格も治るもんじゃないだろう。
「まさか自殺志願者か?」
「いいえ。確かに最近生きることに多少の面倒くささを感じてはいましたが、自殺しようとは思ってませんでした。痛いのも苦しいのもやだし。」
自殺なんかと勘違いされちゃ困る。
そんな親不孝は私はしないぞ。
「こんな奴をどう処理すりゃあいいんだ。救済措置をとるにはなんだかなぁ。」
「救済措置?」
「そうだ。若年であること、望んで死んだわけではないこと、などの要因が揃うと何らかの救済措置が取られることがある。例えばもう一度地球に生まれなおして約束された幸せな人生を送る、とかな。」
約束された幸せな人生?へぇ、そんなのがあるんだ。約束されたってことは、確実に幸せになるとわかっている人生、ということか。
私はその救済措置いらないな。もういちど赤ちゃんからやり直すなんて御免だ。赤ちゃん幼稚園小学校中学校高校……そんな面倒な過程をもう一度繰り返すことになんかなったら面倒くさすぎて死んでしまうかもしれない。それとも、この人格や記憶とはおさらばしてまったく新しい人間になるのだろうか。それは同じ私と言えるのか?
「でもお前、望んで死んだわけじゃないけど、死んだことを悔やんでるわけでもないんだろ?」
「えぇ、まぁ。死んじゃったけどまぁいいか、みたいな気分です。」
「そんな奴に救済措置をとりたくはないんだよなぁ……。」
そんな私情で決めていいもんなの?まぁいいけどさ。
私は生きている間とくに悪いこともしていないので問題なく極楽か天国に行けるはずだ。その死後の世界でぐうたら過ごしたい。もう眠たさを我慢して朝起きて学校に行く必要なんてない。やっと俗世から解放されたのだな、私は。
「よくわかった。お前に必要なのはその根性を叩き直すことだな。……ここにちょうどいい案件がある。」
「ちょうどいい案件?」
神様はいやらしい笑みを浮かべた。
ドブみたいに汚れきった腐った性根を垣間見た気がした。神は聖人ではないのだろうな。そもそも人ではないけども。
「地球ではない別の世界でのことなんだがな、あまりにも非業な死を遂げた者がいる。本当なら介入すべきことではないのだが、どうやら俺の…………て、手違いで……加減を誤ったことが原因らしく……」
「つまり神様のミスであまりにもかわいそうな死に方をした人がいる、と。」
「そうだ。お前のその者に転生させる。」
は?ちょっと待て!そのかわいそうな人に生まれ変わるの?私が?
「本来なら救済措置での転生は前世の記憶や人格を消去してのものだが、お前はその性根を叩き直すための修行を兼ねて今のまま転生させてやろう。その者の運命を変えるために一生懸命生きるのだ!わかったな!」
神様はびしっと指をさしてそう言い放った。
性根なんて叩き直さなくていいです。修行とかいらんです。転生もいらんです。
犯罪とかなんも悪いことしてないのにそのまま天国へ行かせてくれず、その上転生?有難迷惑を通り越して、それなんて罰ゲームですか。私にはなんのうまみもないじゃないですか。
「どうした?やり直しの機会を与えてやるのだぞ?うれしくないのか。」
「断固拒否!うれしいはずねぇわ。」
どうしてうれしがると思ったし。頭おかしいんじゃないかあんた。
「なぜだ?そんな無気力なままでいいのかお前は!もっと精一杯人生というものを生きてみたいと思わないのか!?」
「いや、いいです。面倒くさそうなんで……」
精一杯?いやいや、そういう熱い感じのはいりません。
これでも私なりに精一杯いきてきたつもりだ。面倒を回避するために面倒を踏み、最後には面倒くさがったことで死んだ。うん、私らしい良い死に方だ。我が一生に一片の悔いなし。
「だいたい、それって神様のミスを私にぬぐわせようとしてるだけですよね。」
「うぐっ……!ええい黙れ!その態度が気に入らないんだよ!もうよい!強制転送してやる!」
神様は私の方に両手を向けて光を放った。
神様の手から出た光が私を包むと、私の体が発光する。なんだか体が分解していくような感じがする。自分の手をにぎにぎしてみると、光の粒子になって手が蒸発している。指先から手が溶けていっているのだ!
待って!?これなんてホラー!?
強制転送ってなんだよ!人権無視も甚だしい!
「ふっ、これまでのようにのらりくらり生きていけるもんじゃないぞ。言っておくがお前には過酷な運命が待ち受けている。来世でその性根を矯正し、天寿を全うしたらまたここに戻ってくるがよいぞ!」
「ちっ……クソ野郎が。」
ドブクソ神様よ、どうぞ爆発しあそばせ。
もういいわ。面倒くさいが極まって一周まわり、もうどうでもよくなってきた。どんな過酷な人生だろうと私の性根は治らんよ。見てなさい神様。これは私とあんたの根気勝負よ。私は絶対矯正なんてされてあげないんだから。
「どうとでもいうがいいさ。せいぜい足掻けよ、李衣菜。」
神様はにたぁ~っと笑った。
本当に性格が悪うござるな。絶対許さん。
なんて思いながら憎たらしいイケメン顔を見ていると、私の視界も意識も光の中へ消えて行った。
××××
目が覚めた。
あれ、私生きているの?そうだよね、熱中症で死んだこともクソみたいな神様に尻拭い押し付けられたことも全部夢だったんだ。
あたりを見回す。私の部屋とは内装が違うようだけれども……。
私が寝ている間に母が模様替えでもしたのかな?母は急にロココ調に目覚めてしまったのかな?すごく豪奢な内装になっているけれども……?
『何を呆けているんだ。現実逃避するな李衣菜。お前には新たにリナリー嬢としての記憶を授けたはずだ。ここはその記憶の中でも、リナリー嬢の人生が転がり落ちる手前だな。ここまでしか時間を戻してやることはできなかったが、まぁがんばれ。』
「ちょっと待て神様。まじで言ってんですか?ここは日本ではないの?我が家ではないの?」
『日本ではないが間違いなく今世でのお前の自宅だよ。リナリーフェリペというのがお前の名だ。俺はいつでもお前を見ているが、そう問題が起こらない限りは出てこないからな。自分の力で生きていくんだぞ。さらばだ!』
「待て待て待て!」
シーン……。部屋は急に静かになった。
まじか。夢じゃなかったのか。
いわゆる異世界転生?でも生まれなおした、というか異世界の住人に憑りついたみたいな感じだから転生ではないのか?そんな小説みたいなこと、本当にあるんだな。
こんな受け入れがたい状況を現実と受け止めることができるのは、私の中に確かに私のものでない記憶があるからだろう。そりゃあ現実でなければどんなに良かったかと思うが。
私、リナリーフェリペはこのデルマ帝国の皇后になるべく育てられた少女で現在16歳。皇后の道は厳しいもので、私は自分の意志とは関係なく毎日お城にレッスンに通い鬼のような指導を受けていた。フェリペ家の両親は私には冷たく、義理の妹であるルーシーを猫かわいがりしているらしい。隣国の出身の正妻、私の実母はずっと昔に死去していて義妹ルーシーは平民だった妾の子だ。
元平民で可愛がられていてぶりっ子なルーシーが気に入らない私は、日々のレッスンのストレスもあってどうしてもルーシーと仲良くできずつらく当たってしまうことがあった。義母は私を疎ましく思っており、父の目がない時には意地悪をした。茶をかけたり、ドレスを裂いたり、ひっぱたいたり……。それでもリナリーが義母への抵抗をやめなかったのはプライドの高い子だったからだ。同じくルーシーは私のものを盗み出したり、私の部屋にカエルを放ったり、巷で聖女と呼ばれている人物とは思えない姑息な手でほそぼそ私を苦しめている。
リナリーはそんなに悪い女ではなかったけれど、ルーシーの工作によって周囲からの評価は地の底まで落とされていた。曰く、家族の情もなくルーシーや義母にひどい仕打ちを繰り返し、次期皇后という立場を笠に着て偉ぶった性悪女、とかなんとか。とにかくみんなの人気者ルーシーをいじめるわたしは学校でも家でもみんなに疎まれているみたいだ。巷で聖女と呼ばれている人物なだけに、みんなに人気のルーシー。彼女が潤んだ目を上目遣いに頼み事をすれば断る男はいないのだとか……。
そんな私の心の支えは皇太子殿下のルーク様だ。私は婚約者たる彼に恋をしていて、彼との未来を思えば厳しいレッスンもみんなからの仕打ちにも耐えられた。
問題はそのルーク様がルーシーと恋に落ちたことだった。運命が二人を引き寄せるように、偶然に偶然が重なり二人は出会ってどんどん惹かれあっていった。私の手前、不埒なことはしなかったもののルーク様が私よりもルーシーを愛していることは明白。目を盗んではラブラブしている二人なので、キスにいたるのもの秒読み状態だった。
そして本日。
つい先ほどだ。
私はついにルーク様とルーシーが庭でキスしているところを見てしまい失神した……。気を失った私は使用人たちに部屋まで運ばれベッドで休んでいたが、気も狂わんばかりの悲しみの渦にいたリナリーの体の中に放り込まれたのは私の魂。次の瞬間、李衣菜が目覚めて今に至る、といったところかな。
ホント、出だしから最悪だなぁ。
今日はどうやら殿下が遊びに来てくれた日だったようだ。
それで私と、ではなくルーシーとラブラブな殿下はついに私そっちのけでルーシーとお庭デートをした。私はうっかりねっとりキスシーンを目撃してしまい、失神した。それほどに彼のことが好きだったんだねリナリーは。そのキスシーンは脳に焼き付いているけれど、吐き気しかないね。汚らわしいビッチ女、ルーシーと皇太子が愛し合う姿なんてうすら寒く気持ち悪いばかりだった。
そうして目覚めたわけだけれども、まず私はどうしたらいいのかな。
すると、ノックする音が聞こえた。
「リナリーお嬢様、入ってもよろしいですか。」
男の声だった。
記憶によれば使用人のなかでも比較的まともな執事さんの声だろう。
他の使用人ほどあからさまに私をいじめないけれど、あくまで比較的まともなだけだ。決して私の味方ではない。
「どうぞ」
そう答えると、執事は入ってきた。
中年くらいだろうけれども、よく鍛えられたがっしりとした若々しい体つきでメガネが鋭く冷酷そうな印象の執事だった。年上趣味のタマキちゃんなら「イケおじ!」とか言って喜びそうだな。
入室してしっかりと扉を閉めると、執事は冷たい目で私を見据えた。
「殿下はお帰りになりました。せっかくの殿下のお出ましに婚約者たるあなたが迎えないでどうします。ルーシー様に接待を任せきりにして……このエルガーは失望いたしました。」
そうしてエルガーさんと言うらしい執事はベッドの上の私に近づいてきた。
記憶の中でのリナリーならば「聞きたくないわ!出て行って!」とか言いそうな場面だけれども、私はそんなふうにヒステリックにはなれないな。
もうダルすぎてベッドから動けない。
「こちら、殿下から預かった手紙です。」
「どうも。」
差し出されたのでとりあえず受け取っておいた。
「なんという受け答えですか。侯爵令嬢たるもの、そんな口の利き方をしてはいけません。」
どうも、がダメなの?カルチャーショック!
「あれまぁ、ごめんあそばせ。」
はいはい、分かったよ。わかったから出てってくんね?
エルガーさん、もといエルガーはなんだかいやらしい視線を私の体に向けた。
記憶の中でもそうだけれど、エルガーは私に意地悪なことを言う割に私のことがお気に入りみたいで、よくねっとりした視線をくれていた。ずばりロリコンで変態だよね。
「それと、お食事の時間ですよ。食堂へまいりましょう。」
「わかりましてござりまする……?」
「ござ……?」
ごめんあそばせ。令嬢みたいな話し方なんて心得ていないもんですからね。変なこと言っても許して……まぁ、いまのはわざとだけどね?やっぱり日本人だからね。
さて、起きるか。
飯とはいえ起きるのめんどくさいな。起きる動作って結構筋力使うよね。この動作がつらいもんだから私はいつもわざとベッドから転がり落ちて着地することで体を起こしていた。今そんなことしたら絶対怒られるよね。
「エルガー、力が入らないんで、起こしてください。」
「なんと貧弱なことですか。私にそのようなことをさせようとは……」
そう言いながらもエルガーは私の抱き起した。
本当は私だって君のような変態を頼りたくはないよ。でも、ダルすぎてさ。
リナリーの健康状態って大丈夫なのかな。若干頭痛もするし、すっごくだるい。日々の肉体的、精神的疲労のせいかすごい体の重さだ。もとの私の体が恋しいよ。食べても太らない体質だったもんでぼっこみたいな体つきだったけれど、身軽で楽だったんだよな。
体が重いと思って自分の体を見下ろしてみると、リナリーは局所的にデブのようだ。もちろん、原因は局所的デブばかりのせいではないけども。
つまりセクシーな体つきなわけなのだが、たぶんエルガーはこのセクシーな体が好みなんだな。こっち見んな、きしょいぞ。
「ありがとう。靴を履かせて。」
ベッドの下に、低いヒールのついたかわいらしい靴があった。
このベッド高くね?床に足が届かないし、靴もろくにはけねぇよ。
靴を履かせてもらうと差し伸べられたエルガーの手をとってベッドからするっと滑り降りる。
あぁ~、疲れた。立つだけのことがとんでもなく疲れるなぁ。
「行きますよ。」
エルガーは私の手をさっと離して、くるっと背を向け扉の方に行ってしまった。
記憶の中のリナリーはこうしたこまごましたことにも一々傷つくような子だったみたいだ。まぁ普通に考えて使用人のくせにお嬢様の手を投げやって置いてけぼりにするのは無礼だよね。正妻の娘で次期皇后なのにこの家ではそれほどの立場しかない自分自身の境遇を自分で哀れんでいたみたいだ。
でも私はこんなことで傷つく玉じゃないのだ。
今までのリナリーとはグッバイだ。神様が言っていたかわいそうな運命をたどる令嬢にはなりたくないし、リナリーはこのままじゃいけないんだ。
というか神様よ、そこまで言うならこれからリナリーがたどる運命を教えてくれてもいいんじゃない?じゃないと回避のしようもないじゃないか。普通、異世界転生ものではあらかじめどんな運命が待っているのかわかっていて、それを回避するために頑張るもんじゃないの?何も知らないままじゃどうにもできねぇよ。使えない神様だこと。
まぁ、私は私らしく私のやりたいようにやって行こう。
もうこれはリナリーの人生じゃなくて、私の人生だからね。
「エルガー、それはないんじゃないの?私は体調が悪いのでもう立っていられません。私を食堂まで連れて行きなさい。」
「り、リナリーお嬢様……?」
今までのリナリーを知っているエルガーは戸惑い気味だ。
「何をやっているの。主人に背を向けて部屋を出て行くなんて無礼が過ぎるわ。戻ってきなさい。」
「私の主人は旦那様です……。」
「主人の娘よ。早くなさい。」
記憶の中のリナリーではこんなローテンションな言い方はしない。
タマキちゃんやユウくんが言うには私の省エネなしゃべり方は他の人からすると冷たく感じるらしいからなぁ。私が冷たい人だなんて勘違いしないでね、エルガー。私はこれからはみんなと仲良くやっていきたいの。これでも好意的に接しているつもりなのよ。
みんなと仲良くしたいけれど、そうなる前にこの屋敷を追い出されたりしたらどうしよう。いったいいつ悪役転生もの恒例の断罪イベントがやってくるのだろう。それによっては使用人を懐柔する必要もなくなるわけだよね。
「どうぞ、お嬢様……」
エルガーはびっくり戸惑いながらも私の手を取った。
そのマヌケ面、最高に面白いね。結局私の言うことをきいちゃうあたり、悪い奴ではないのだろう。
私の手に触れるんだぞ?本当はご褒美だと思ってるくせに意地張るなよな……っていうのは冗談だけれども。自分で歩くの面倒なんで本当はおんぶしてくれてもいいのよ。
そんなわけで、私はエルガーに手を引かれてよろよろと食堂まで歩いて行ったのだった。
エルガーに支えられながら食堂に入ると、すでに他の家族は食卓に着いていた。
高級そうなテーブルとイス。食卓の上の飾りも豪奢なもんで、サーブされている食事も高級そう。
みんなは父と義母、ルーシーは談笑しながら食事をしていて、私がやってきたことも特に気にしている様子はなかった。前世でも私は地味子だったので、無視されるのは慣れっこ。令嬢らしからぬ所作をしてしまいそうで不安なので、そのままこっち見ないどいてくださいね。
エルガーが椅子を引いたのでそこにかける。
リナリーの記憶と体に染みついた習慣があるので、食事の作法もわかってはいるのだけど自信がない。ふとした瞬間に素の私が出てしまわないとも限らないしね。
なんだかこの高級そうな食事も気に入らないな。どんなにきれいな盛り付けで高級でおいしかろうと、日本のカップ麺には勝てないんじゃないかな。前世から好みで言えば断然ジャンクフード派だった。こういう格式高いのは性に合わないのだ。
というわけで、すでにサーブされていた料理を食べる。
スープ、パン、野菜の小皿、メインの皿には肉料理と付け合わせが少々。量が少なくて満足はできなさそうだし、すぐに完食できるだろう。
味は……うまい。でも普通の範疇だな。感激する味じゃない。
「あら、リナリーお姉さまいらしてたのね?」
ルーシーが食事の手を止めて私の方を見た。
「なんだリナリー、来ていたならちゃんと挨拶をしろ。まったく困った子だ。成人式も控えているというのに、そんなことでは思いやられるぞ。」
父上は義母ほどではないが、私には冷たかった。
ルーシーと同じようには接してくれないらしい。にこやかさもないし穏やかさもない。
「そうよリナリー。ルーシーを見習ってしっかりしなさい。しかもその服装は何?侯爵の娘として恥ずかしいと思わないの?」
「いくらお姉さまが美人だからってその服装はないわ。古臭い上にほつれたり破れたり……。」
「ドレスならばたくさん持っていただろう?どうしたんだ?」
「お父さま、秘密にしようと思っていたのだけれど嘘はつけないのでいいますね。リナリーお姉さまはお父さまがプレゼントなさったドレスをご自分でボロボロに引き裂いてしまったの。」
「なんてこと!?あなた、旦那様がせっかくプレゼントしてくれたものを……!世の中には着るに満足の人ばかりではないのよ!?自分の豊かな暮らしを当然のものと思わないで!」
「そうだわ!あぁ、街での暮らしを思い出す……。小さくなった服をなんども自分で縫い直して着ていたのよ。安物をずっと大切に使っていたわ。……なのにお姉さまはお父さまにいただいた最高級の品を大切にもしない!」
「ルーシー……なんて良い子なの!あなたにはずっと辛い思いをさせたわね……。だというのにリナリーは!」
あ~、始まったか。
いつもはここから私を落としてはルーシーを上げる、というルーシーわっしょい合戦が始まるのだ。父も義母もルーシーが大好きだから、私の悪い所を見てはルーシーのすばらしさを再確認するんだよね。
義母は父の前なので控えているみたいだけれど、もし父のいない日だったなら見てられないくらいに口汚く罵られたことだろうな。
ま、今日も受け流すに限る。
「挨拶しなかったのは邪魔するのもわるいと思ったからです。今ご挨拶申し上げます。父上、ごきげんよう。おばさん、ルーシーこんばんわ。」
挨拶したぞ?これで満足か?
「お、おばっ……!」
「リナリー!ブリトニーはお前の母親だぞ!?」
でも継母だし年齢的にも呼び名としてはおばさんでもいいと思うんだけど。だめなの?
いつもリナリーはそもそもおばさんのことを自分から呼びかけたりしないようにしていたみたいなので、他に呼び名が浮かばなかった。これは失態かな。ケンカを売ったみたいな構図になってしまった。
ブリトニーは憎悪の目を私に向けていた。
うわ、後で折檻されちゃうのかしら。やだ、リナリーこわくて泣いちゃいそう……だって、女の子だもん。
ここまできたらもう何言っても変わらないか。うん、遠慮はいらないよね。
「え、私の母親はずっと昔に死にましたけど……。おばさんはルーシーだけの母親ですよね、父上。」
「エレーヌの話はするな!ブリトニーはお前の母親でもあるんだぞ!」
「ひどいわリナリー!やっぱりわたくしを母親とは認めてくれないのね!悲しい、胸が張り裂けそうよ!」
私はブリトニーに目を向けながら食事を続けた。
ブリトニーは私の視線にたじろいだ。
スープを飲み干し、メインの皿も片付ける。パンをかじると……うわ、硬っ!食べれねぇわ。
ほらどうしたブリトニー?さっさと悲しくて胸が張り裂けちゃうとこ見せてちょうだいよ。
食べ終わっちゃうわよ?
「お姉さまひどいわ……。お母さまに謝って!」
三人とも私の方を非難がましい目で見ている。
何がダメなの?謝るようなことじゃないじゃん。
おばさんはおばさんだわ。それともババアって呼ばれたい?臭い演技してんじゃねーよ性悪女どもめ。
壁際の使用人たちなんて、私の言動に驚愕だ。だれもこんな反抗的なリナリーを見たことがないのだ。
「食事の手を止めろ!話の途中だぞ!」
「だっておばさんが胸が張り裂けるって言うから、食べながら見てやろうと思ったんだけど……。全然張り裂けないじゃん。あはは」
「なっ!」
皆さん絶句。
ブリトニーの顔はみるみる真っ赤に。怒りを隠しきれてませんよ。父の前ではいい子ぶりっこのブリトニーだったはずなのに、化けの皮はがれるよ?大丈夫?
「気でも狂ったかリナリー!?エルガー医者を呼べ!」
「まぁまぁ父上、私の気は確かだから落ち着いて。ちょっと疲れてるのかなぁ。なんだか口が素直になっちゃって……。」
「落ち着けだと!?エルガー!!」
後ろに控えていたエルガーは急いで部屋を出て行こうとした。
本当に医者なんか呼ばれたらかなわん。
「待ちなさいエルガー。こっちへ来て。」
エルガーは戸惑って、扉の前で立ち止まった。それでいい。余計なことはするなよロリコンエルガー。
私はルーシーに目を向けた。
ルーシーはチワワみたいにプルプル震えながら悲しそうな顔をしている。かわいくねぇからその顔やめろ。
「ルーシー、ルーク殿下とのキスの味はどうだった?キスの前には歯磨きをした方がよろしくてよ。」
「なんだって!?」
「お、お姉さま……!?」
「今度殿下にきいてみようかしら。ルーシーとのキスのお味は?とね。口が臭かったって言われたらどうするルーシー?実はあなたのドブみたいな口臭がずっと気になってたのよねぇ?ふふ」
みんな押し黙ってしまった。
本当に王子がそんな発言をするようなことがあれば愉快なんだけれども、ルーク殿下とルーシーはラブラブなのでそんなことはありえないだろうな。
さて、私は部屋に戻るとするか。
スープとメインのお皿は完食した。野菜は苦手なんだよね、ごめん。全体的においしかったけれどもなんだか満足できなかったな。パンにいたっては硬くて食べれなかった。顎がつかれるので硬いパンは嫌い。
「シェフ、パンが硬かったわよ。小さく切ってミルクで煮てはちみつをかけたのを部屋に運んで。」
壁際で固まっていたシェフは返事もしない。戸惑って硬直してしまったみたいだ。
「シェフ、分かったの?返事はどうしたのかな?」
「……は、はい。」
「ごちそうさまでした。さてエルガー、部屋に戻るわ。」
そういってもエルガーは私のもとまでやってこない。ぼーっとしていてあまり状況がつかめていないみたいだ。エルガーだけじゃなく、みんなぼーっとしちゃってる。
おばさん、そんなに目を見開いたら目ん玉落っこちるよ?
仕方がないので私は席を立って、扉の前のエルガーの腕を引いて食堂を出た。
エルガーは茫然とされるがまま一緒に廊下へ出た。
ばたん、と扉が閉まって食堂のみんなとはおさらばだ。
一発かましてやったぜ。
今日はリナリーに生まれ変わった記念の日だ。今日からリナリーの運命は変わる。その第一歩となった……のかどうかは知らないけれど、少し気分はすっきりした。記憶の中で知っている限り、義母もルーシーも使用人たちも胸糞悪い奴らだったしね。私の中のリナリーがスタンディングオベーション、拍手喝采している気がする。
「何をぼーっとしているの?おかげで殿方の腕を引くなんてはしたないことをしてしまったわ。」
「は……す、すみません。」
「疲れた。部屋まで連れて行って。」
エルガーはおずおずと私の手を取り、私を部屋まで導いた。
疲れたなぁ。
わざわざ飯を食いに食堂まで出て行ってやったのに、満足のいく食事ではなかったし……。というか三人ともよくあの量の食事をちまちまゆっくり食べられるよな。私のなんて一瞬でポーンと消えたわ。
ちょっと作法が汚かったかな?ゆるしてリナリー。
部屋に着くと、私はベッドに倒れこんだ。
ぼすっとベッドに体が沈む。
これ、高級なベッドだよね。そんな感じしてるもん。
「リナリーお嬢様、いったいどうなさったのですか。やはり、医者を……」
「いらない。私、元気。」
一度ベッドに戻ってくるとしゃべるのさえ億劫になってくるよ。眠気が……やばい。
エルガー、乙女の部屋に長居するもんじゃないよ。さっさと出て行きなさい。
「ではなぜあのようなことを旦那様やルーシーお嬢様に……」
「いいじゃん別に。おばさんはおばさんだし、ルーシーはビッチじゃん。」
ルーシーは男にモテモテだからね。
それでいて全員に思わせぶりな態度をとるから質が悪いよ。殿下がすきなら殿下だけにしなさいよ。
「び、ビッチ……?」
エルガーにはその言葉の意味は分からなかったみたい。
そういう言葉はこちらの世界にはないのかもしれないな。
「ねぇエルガー、ルーク殿下には手紙の返事をした方がいい?」
「も、もちろんです。」
私はベッドの上をもぞもぞと移動して手紙を手に取った。
封を切って中身を取り出し、読む。
うん、文字は読めるみたいだ。
『リナリー嬢へ。こんにちは。ご機嫌いかがお過ごしですか。今日はお会いできなかったのでこの手紙を残します。ついに明後日に迫った成人式ですが、どうか妹のルーシー嬢も会場に連れてきてあげてください。聞けばそのような華やかな席は初めてだというではありませんか。皆で一緒に成人を祝いましょう。また、ルーシー嬢について話があります。明日皇宮に来た時には私を訪ねてください。』
なるほどね。
成人式は明後日なのか。面倒くさいなぁ。そこで婚約破棄とかされてしまうわけ?
「返事を書きましょう。代筆して。」
起き上がって手紙を書くなんて面倒くさいこと極まりない。
「ご自分でお書きになるがよろしいと思います。……それに執事とはいえ、男性の前でそのようなだらしない恰好で寝そべらないでください。」
エルガーに足を向けて仰向けになっているのだけれど、足を曲げて体育座りみたいにしているからダメなのかな。スカートの中身が気になっちゃうって?ぞろ長いドレスなので見えるはずもないのだけどね。
「めんど。書いてよ。」
「なんという言葉遣いですか!」
「いくわよ?……ルーク殿下。こんばんは。成人式の件、承知いたしました。ルーシーを連れて行きます。仰せの通り明日は殿下の部屋に伺いますが、ルーシーの話とはいったいなんでしょうか。今日、我が家の庭でキスをしていたこと?婚前交渉は殿下のお立場としてもマズイのではありませんか。正しい順序で参りましょう。まずは内々に婚約を破棄し、その後、新たにルーシーとご婚約ください。無事に結婚がなされてから肉体関係を結ぶがよろしいかと存じます。ともかく、明日殿下とお話できることを楽しみにしております。リナリーフェリペ。」
エルガーの小言など聞きたくないので、そう捲し立ててやった。
口動かしすぎて疲れた。
「なんてことを……!そのような不敬な手紙はなりません!」
「では承知いたしました、とだけ伝えて。よろしく。」
「リナリーお嬢様、本当に、いったいどうなされたのですか!おかしくなってしまったとしか思えません!」
エルガーは私に詰め寄ってそう言った。
「おかしいだなんてあなたこそ不敬だわ。」
「失礼は承知の上です!お医者様を呼びます!」
「あなたこそおかしいわ。次期皇后たる私にとる態度なの?それにいままであのおばさんとルーシーのことを見過ごして来たじゃない。私の扱いをおかしいと思わないの?」
「そ、それは……。」
普通なら平民出身の娼婦とその娘に仕えるなんて使用人にとっては屈辱じゃないのかな?
確かに良い子ぶりっこのルーシーはみんなに人気だけれど、家を管理している執事のエルガーはブリトニーやルーシーが父の目のない所で私にどんなことをしているのか知っているはずだった。
他の使用人は知らなかったとしても、エルガーは私がいじめられていることを知っていると思っていた。
「こっちへ来なさいエルガー。」
エルガーはおずおずと私のそばへ寄った。
私はどっこいしょ、と体を起こしてベッドのふちに座った。
「ここに跪いて。」
私の目の前の床を指さす。
できる限りの冷たい目でエルガーを見つめた。
どうしようもなくなったエルガーは大人しく私の前に跪いた。どうせロリコンで変態のエルガーは私の命令には敵わないんだね。よくわかった。
これからもエルガーのことは味方にできるだろう。
私はエルガーの両頬を両手で包み込むように触れた。
はっとして目を見開くエルガー。きっと脳内は混乱の渦でぐるぐるだろうな。
「私が今までに一度でも悪いことなんてした?ルーシーに嫌味を言ったことはあってもあの子をいじめたことなんてない。知ってるよね?ブリトニーはいつも人の目のない所で私に何をしていたの?言ってごらん。」
「……私はそんなことは知りません!」
「嘘を言わないの。」
俯いて目をそらそうとするエルガーの顔をグイっと引き寄せ、見つめる。
目をそらすなんて許さないぞ。
「……お茶を……浴びせました。」
「それから?」
「ど、ドレスを破いて……、エレーヌ様の形見を……破壊しました。」
「他には?」
「リナリーお嬢様の背中を……鞭で打ちました。」
なんだ、やっぱり見てたんじゃん。
見ていて知っていたのに、自分も他の使用人たちと同じようにリナリーを迫害していたのね。最低な男。もしかすると寄る辺ないリナリーに最後に手を差し伸べていやらしいことをするつもりだったのかも。
あくまで想像に過ぎないけれども。
「どっちがひどいと思う?私?それともブリトニーとルーシー?」
「そ、それは……!」
「言いなさい。」
「奥様と……ルーシーお嬢様……です。」
言質はとりましたよ。
ね、神様きいてました?エルガーの言質はとりましたからね。
「じゃあなんで見て見ぬふりをして、一緒になって私をいじめていたの?」
「……いじめてなど、」
エルガーはまた目をそらした。
「どうして?怒らないから言ってちょうだい?」
「それは……」
エルガーは顔に焦りを浮かべて生唾を飲み込んだ。
そしてそらした視線を私の豊満なおっぱいに向けた。
この状況でおっぱいみてんじゃねぇよ。バカなの?エルガー。
「まぁいいわ。あなたが、ちゃんとどちらが悪いのかわかっているということには安心しました。下がってよろしい。手紙の件間違いなく頼んだわよ。」
私は手で頬を撫でるようにゆっくり放した。
すこし呼吸の荒くなったエルガーは苦しそうな顔で私を見上げている。変態め、私の魅力にメロメロになっちゃったのか?
「行きなさい。」
エルガーはぼんやりした顔のままふらふらと部屋を出て行った。
大丈夫かな?
変態に誘惑するようなことをして悪かったとは思うのだけれど、これがいい方向に向けばいいな。例えばエルガーが私の味方になる、とかだ。ほっぺにタッチして見つめる程度のサービスで籠絡できる相手とも思っていないけれどね。でも少しでも私側に傾けばいいだろう。
さて、とりあえず記憶の中のリナリーのしなさそうな行動をとってみたけれどどうだろうか。
少し反抗的になった程度ではあの人たちは私をいじめるのをやめないだろうな。むしろ明日ひどい目に遭いそうで怖い。明日は皇宮にいる時以外はエルガーか父上とべったりしていよう。義母やルーシーと一緒にならないようにね。
神様曰く、リナリーは非業の死を遂げた人物らしい。
きっとこうしてテンプレな悪役令嬢をやっているうちに断罪イベントが起きて殺されてしまうのだろうな。本当ならリナリーを助けるなんて面倒なことしたくはないけれど、今となってはリナリーとは自分自身のことだ。私は痛くて苦しい死に方はしたくない。面倒を踏んだとしても死ぬのだけは回避していこう。
あ~あ、なんでこんなことになったんだろ……。
あのバカな神様のせいだ。うん、世の中の悪いことは全部あいつのせいだ。善良なJKをこんなめに遭わせておいて、あいつはきっと今頃台座に寝っ転がって鼻くそでもほじっているんだろうな。
あのイケメン顔がぼこぼこになるまでひっぱたいてやりたい。いや、そんな力は私にはないかも。すぐにバテて私が倒れるだろうな。
あぁ、めんど。
こんな最悪な状況を自然と受け入れてしまえるのは、ひとえに面倒くさいからなのだろう。
クソ神からの理不尽な仕打ちにああだのこうだの文句を言って騒ぐのも、こうした状況を嘆くのも、焦るのも愚かなことだ。そんなことに労力を使うより、こうして寝っ転がりながら神様にハゲる呪いをかけようじゃないか。
ハゲろ~……ハゲろ~……。
天井に向かって念を送った。届くかな?
『おいリナリー。』
うわ、神様の声。
『今、俺に穢れた念を送っただろ?』
穢れた念?
穢れているのはあんたの心の方では?
清らかな乙女の神への祈りを穢れた念呼ばわりだなんて、まさしくそうとしか思えないよ。
『残念だが、老化のない俺はハゲたりしないのだ!はははは!』
楽しそうで何より。
じゃあ食あたりして腹下せ。
『おい!なんてこと言うんだよ!』
あれ、私の考えてることがわかるの?あいつ。
や~い、残念イケメン神様!略して残念イカ野郎!
『誰が残念イカ野郎だよ!つーか略してないだろそれ!?』
本当に聞こえてしまっているらしい。
ちなみにイケメン神様を略してイカだ。悪意は……ない。
『お前はどうしてそういう女なんだ……。見た目だけなら一級品なのに、中身があの残念ずぼら女のせいで価値も半減だ!』
一級品?価値が半減?
まるで私を物かなにかのように言うよね。本当に失礼な神様だこと。
だれが残念ずぼら女だよ。たしかにだらしない恰好はしていたけれど、素地はいいねってみんなに言われてたんだぞ?
『みんなって誰のことだよ?』
タマキちゃんとユウ君、それから両親と祖父母たちもそう言ってたわ。
決してブスではなかったわ。
磨けば光る原石だったわ。
『自分で言ってやんの。ざまぁねぇな。』
あんたに言えたことか。
たとえイケメンだろうと口の周りにケチャップがついてる人じゃカッコつかないわ。鏡見て出直せ。
『は!?ケチャップ!?ウソだろ!?』
焦ってやんの。
うっそぴょーん。あんたの姿なんてみえてないよーん。
声が聞こえているだけだもの。
『神をおちょくるだなんていい度胸だなぁ!?』
あ~はいはい、そういうのもういいんで本題をどうぞ。
めったなことでは出てこないって言ってなかったっけ?いったいどうしてお出ましになったのかな?
『本題っていうか……お前さぁ、考えもなくいきなり家族にケンカ売るなよ!バカなのか!?』
考えもなくっていうか、リナリーらしさをなくすことを意識してはみたんだけどダメだった?
やっぱり不運から逃げるには心持ちから入れ替えなきゃ。これからは新生リナリーとして思うままに生きて行こうかと思ってさ。
『ダメに決まってんだろ!家族の好感度は上げておけ!いざというとき見放されるぞ!?それに明日どんな報復をされるか考えてもみろよ!』
好感度?無理だね。
あのおばさんとルーシーと仲良くできるはずないじゃんね。やつらの好感度上げるとか無理だわ。まぁ明日報復されるかもしれないけど、その時はその時よ。
てかいざという時ってなによ?
神様さ、いい加減リナリーの運命について教えてくれない?
『それはできない。これから起こることを神が教えるのは規約違反だからな。』
なにそれ。
こうして私にミスのしりぬぐいさせるのは規約違反じゃないの?
『いいんだよ、不憫な女子高生に救済措置をとったっていう大義名分もあることだしな。これから起こることは教えられないが、なんとか頑張ってくれよ?』
少しも助言してくれないんですか?
『当然だ。』
だってリナリーは婚約破棄されちゃうんでしょ?
『まぁな、でも問題は…………あっ!!』
は~いおつかれさまです。あざすあざす。
なるほどね、婚約破棄イベントはあるんだ。まさしくテンプレ。
『お前~ッ!!!』
神様のお名前にポンコツっていうのが増えちゃったね。
残念ポンコツイカ野郎だ。残念とポンコツの意味が若干かぶってる?
『許さん!もうどんなことになっても助けてやらんからな!そして俺の名前はアーシュだ!』
ふーん、そうなんだ。
まぁそれで問題はどうやって婚約破棄を乗り切るかってことだ。
『俺の名前のことはどうでもいいのかよっ!』
えぇ、どうでもいいです。
ステキな名前ですね、とでもいえばよかったのかな?ステキなお名前ですね、神様。
『もういいわ!』
この神様だんだん親しみやすいキャラになっていってるな。威厳とかもうこれっぽっちもないじゃないか。
それで問題の婚約破棄だ。
もちろん快く破棄してさっさと面倒ごとからはおさらばしてしまいたい。皇太子とかどうでもいいしね。でも、そんなにすんなり破棄してさよならできるとは思えない。
あらぬ罪を着せられてとんでもないペナルティを受けることになったりしてね。
『ちっ、なかなか鋭いじゃないか。』
当たりですか。あれ、助言しないんじゃなかったの?
『婚約破棄のことがわかってしまったんだ。付け足したところで大差ない。』
神様はいったいどんなミスをなさったので?
神様のミスのせいでリナリーは死んだのですよね?
『歴史作りに……失敗したんだよ。今、世の中を統べるのは人間だが、歴史作りに失敗したせいで人間とその他の種族の均衡がとれなくなってしまった。』
人間ばっかりが増えて他の種族が極端に減ってしまったとか?
人外が差別されているとか?
『まぁそんなとこだな。昔は当然のように他の種族が強かったんだ。憐れに思って一回人間を勝たせてやった。するとどこまでも付け上がりすっかり他の種族が絶滅寸前よ。困ったもんだ。』
人間を勝たせてしまったのが神様のミスですか。
憐れなんて抱くから……。今回もこのリナリーに憐れを抱いてこんなことをしたわけだし、神様ってば情に厚いのね。でも今回も失敗だったかもよ?リナリーにやり直しさせない方が正解かも。今からでもやめない?私はやめたいな。今からでも天に召されたい。
『いや、間違ってなんかいない!俺のミスで死んだんだ。これは当然与えられるべきチャンスだ。』
いやいやいや、そのチャンスもらったのリナリーじゃなくて私だし。有難迷惑だし。
というか他種族が絶滅寸前なこととリナリーの死がどう結合するんだ?
『それは教えられない。リナリーの未来について教えるようなもんだしな。あとは自分で考えろ。』
あら、もうお帰りですか?
『何を言っている。俺はいつでもお前を見ているんだぞ。』
え、お風呂やトイレの時も?
エルガーよりもひどい変態じゃないか。
『神に性別という概念はない。恥じらうことじゃないだろ。』
でも気分が悪いわ。
あと、姿の見えない奴と話すのはなんだかつらいから今度からは姿を見せてくれるとありがたい。いきなり神さまの声が聞こえてくるっているのもやだし、やっぱり互いに姿を認識して挨拶をしてやっと会話は始まるものなのよ。人間としての礼儀です。
『俺は人間じゃない。』
じゃあいざという時誰を盾にすれば……?
いざという時には悪口でも言って神様をおちょくって呼び出し、盾にでもしてやろうと思ったのに。神様ならちょっとした悪口にでも一々反応して私のそばに出てきそうだよね。簡単に召喚できる都合のいい相手ってやつだ。
あれ、もしかして神様には実体はないのか?
『そうだよ。姿を見れるのはお前だけだし、実体もないからうすく透けて見えるだろうな。つーかお前ほんとうに不敬!あぁクソ!』
そうイライラしないで、落ち着いてくだされ。
更年期かな?それともカルシウム不足?骨粗鬆症には気を付けて。
『誰のせいだよ……!もういい!俺はもう口は出さないからな!』
あ、は~い。さよなら神様、また明日。
シーン……。
本当に神様は黙ってしまった。
まぁ長話されても困る。口を動かす必要はないのがむしろ神経を使うから会話するのに疲れてしまう。頭の中で話すって疲れない?私だけ声に出してもいいけど、使用人に聴かれたらいやだもの。
それにしても絶滅寸前の他種族ね。
リナリーの記憶の中にもそういう人たちの覚えがある。
リナリーが見たことのある他種族、というと耳やしっぽがはえた獣人のような種族。彼らは奴隷として売買され、常にさげすまれながら生きている。
当然のことだけれど、この国にも差別というものはある。人は最上の種というのが人間界での基本的な考えで、人間が奴隷になることはないがその代わり獣人のような種族は売買され人間に仕えている。人権なんて考えはないし、そもそも獣人は人ではない。獣だ。
他種族というのは獣人以外にもいるけれど、でもリナリーは見たことがない。有名なのは不死族だろうか。死ぬこともなければ人間よりもはるかに強い力をもつ種族。かつて人間を物理的に食い物にしたとされ、人類は彼らに深い恨みを持っている。獣人よりも汚らわしくゴミのような種族、と蔑んではいるものの獣人のように支配下に置きいじめることはできない。彼らは人間の手に負えないほどに強大なので今も世界のどこかで生き残っているのだろう。もっとも不死族の王やその近臣は皇宮に囚われているが。
リナリーの種族観は他の人々と似たような感じだ。平民は下賤の徒。獣人はそれ以下。生粋の貴族だもんね。貴族として教育されていればそういう考えになるのも当然だ。
でも他種族が過剰にさげすまれていることで私は死ぬのだから、それをどうにかしなくてはならないのだろうか。いったいどんな風に他種族と私の死が結びついているのだろうか。直接の死因が他種族にある、というのではなくても「かわいそうな死に方」の部分に他種族がかかわるのかもしれない。
そしてすぐ明後日に迫った成人式。
おそらくそこが婚約破棄イベントの舞台になるのだろうな。
成人式は盛大なもので、貴族子女の通う国立学院の大広間で大々的に執り行われる。国中のすべての貴族子女が通っているので国中からその父兄もあつまる。皇帝陛下やその他の重鎮も参加されるのでお披露目をする、という点では最高の舞台なのだ。
うん、成人式に違いないな。
神様のいうことには私には婚約破棄におまけでペナルティがついてくるらしい。
それがどんなものなのかは知らないけれど、歓迎できるものでもなさそうだ。国外追放でも身分剥奪でもいいがそれくらいならいいけど、痛くてつらいのは嫌だな。最低限身の安全が保障されたペナルティがいい。神様の口ぶりからしてもここで処刑されたり、ということは無いようなのでそこだけは安心だ。
どうしよう。
いっそのこと先手をうつのはどうかな。明日私から婚約破棄を申し出るのだ。そんなことをしたら皇族侮辱罪とかで処罰されたりしてね……。はは、笑えない。
まぁ、なるようになるだろう。
とりあえずできるだけの備えをしておこう。
ドレスのスカートの中に常に携帯食料や武器や天幕を持ち歩くのだ。牢屋にぶち込まれても国から追放されてもしばらくはやって行けるようにね。
私は大きなあくびをひとつした。
あ~あ、疲れて眠たくなってきてしまった。戦いは明日からだ。
ひとまず、おやすみ。