アウレア・サピエンティア
その外装は凡そ、らしからぬ風体だ。
所謂、おとぎ話の魔女が住むような不気味で陰気な古い家屋ではなく、むしろ小綺麗なログハウス。広いウッドデッキに備えられた木製のロッキングチェアや小さなテーブル、赤い煉瓦の煙突からは煙が登っており、築年数はそれほど経っていないことから魔女と呼ばれるその人物がこの場に越してきて日が浅いことが推測できる。
魔女と聞いた故に人知れず気構えていたシュシュは安堵の息を小さく吐いた。
「なんだか、案外かわいいお家ですね!」
「まぁ、見た目はね」
草を押しつぶして開いたような獣道を抜け、ようやく家の前に辿り着くとそこは一変、綺麗に草木を刈り取った広場となる。
周囲を高い木々に囲まれながらもぽかりと吹き抜けになったその場所はこの暗い森に作られた安息地にも思えた。
「煙が上がってるってことは出かけてるってわけじゃなさそうか」
「ってことはマリーちゃんに毒を付与してくれる魔具師さんが中にいるってことですね! 急ぎましょう! さぁ、急ぎましょう!」
言うよりも早く、シュシュはロッジの階段を駆け足で登り、扉に手をかける。
「あ、ちょっ待って!」
その瞬間、2人の前からシュシュの姿が消えた。
「ひ、ひぃぃぃッッ!!??」
そしてどこからともなく聞こえてくる悲痛な彼女の悲鳴。
「あ〜……やっぱり……」
「シュシュが消えた。どうしようクララ」
頭を抱えるクララの服をマリーが小さな手で引っ張る。
玄関前に突如、現れた深い落とし穴から涙ぐんだ声は聞こえる。
大丈夫だ。声が聞こえるってことはまだ死んでいない、はず。
「はっはっ! かかったね、害虫めが! 今日という今日はいい加減諦めてもらうよ!」
この時を待ってました、と言わんばかりに老婆が快活な笑顔で扉を蹴り開けて姿を現した。その手にはこの世のものとは思えないほど毒毒しく濁った液体がなみなみと入れられたバケツが。いったい、その液体で落とし穴に落ちた獲物をどうしようと言うのか。
「な、なな、何をする気ですか? なんですかその液体? なんか泡立ってる! 紫色の煙を上げながらなんかグツグツしてる!」
「毎日毎日、フェーシエルだかグェンだか知らないけどね! 鬱陶しいんだよ! 部下の1人でも跡形もなくなるほど溶かされればあんたらも大人しくなるだろうってね!」
「待って、待ってください! わたし、フェーシエルでもグェンでもないですから! 揚げたてメンチカツですから!」
悪運の強さが幸いしたか落とし穴の途中、地を伸びた木の根に服が引っかかり宙ぶらりんの状態になっていたシュシュは涙ながらに説得を試みる。
今でこそなんとか無事でいるものの服は少し動くたびに嫌な音をさせて破けてしまいそうだ。そうなれば、悪どくも底に敷き詰められた針の山で串刺しにされてしまうのは時間の問題である。
「揚げたて……? 何を素っ頓狂なことを……」
死の淵でシュシュの口から出た聞き覚えのない言葉に老婆は首を傾げる。
「クララちゃん! マリーちゃん! なんとかしてくださいよぉ〜! もうバカにしたりしないからぁ! マリーちゃんにも嫌いなもの無理やり食べさせたりしないからぁ!!」
「……シュシュ、約束した」
地面に溶けるようにマリーが影に沈んでいく。間も無くして、顔中を涙で濡らしたシュシュと共にマリーがクララの影から這い出てきた。
「……クララ? あらま、ホーキンスのとこのガキンチョじゃないかい」
「うっす、魔女のばあちゃん。久しぶり」
シュシュの嗚咽が響く中、目を丸くしてこちらを眺める老婆にクララは苦笑い気味に片手を上げた。
「なんだい、来るなら来ると前もって連絡するもんだよ、あんた」
「あ〜、ごめんごめん。ちょいと友達の頼みで、急用だったもんでさ」
「あ、このクッキーすっごく美味しいです!」
白く湯気の立つ透き通った琥珀色の紅茶に焼きたてのクッキーでもてなされ、くつろぐ3人と破れた衣服を暖炉の前で器用に裁縫する老婆。その老婆こそ、クララの言う魔女。魔具師、アウレア・サピエンティアである。
「けれども、魔女だなんてクララちゃんも失礼ですね。すっごく優しそうなおばあちゃんじゃないですか」
「いやいや、あんた得体の知れない毒物でドロドロに溶かされそうになったんだからね? 落とし穴に落とされて針山で串刺しにされそうになってたんだからね?」
アウレアに破れた衣服を縫ってもらっているため、下着姿でクッキーを貪るシュシュに向かってクララは咎めるように言うが、シュシュは落ち着き払った態度で紅茶を口に含む。
「いやいや、悪かったね。最近、何かと変な奴が訪ねてくることが多くてさ、私も神経質になってたみたいだよ」
「大丈夫ですよ。あったかい紅茶と美味しいクッキーでそんなのチャラですよ」
「マジ? 殺されかけたのに? あんた……頭大丈夫?」