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醜く自己中心的な悪意

 右手には博物館業務の何かに使うのであろうか木槌を握り、エミージュは不気味に思えるほどの爽やかな笑顔でゆっくりと近付いてくる。アメリを逃すまいと部屋の隅に追いやるように。


「いや……いや……」


 掠れた声、悲鳴にも届かないアメリが出した恐怖の声は館長室を抜け賑わう博物館内には響かない。

 せっかくナルキスが命を賭して外へ出してくれたにも関わらず、待っていたのは無情無慈悲な絶望だ。もし、この場にアメリでなくナルキスがいれば口先ばかりではない鮮やかな剣技で彼女を斬り伏せていただろう。

 尻餅をつき、後ろ手で這うように後退するアメリは儚くもそんなだったとしたら、を思いながら目に涙を浮かべた。


「あらら、逃げちゃダメだってば」


 凶悪な風切り音と共に振るわれた木槌、それをアメリは転がるようにして何とか避けることに成功した。が、次はないだろう。床に打ちつけた際の身体の痛み、疲労、そして恐怖が身体の自由を奪っていくそんな感覚がした。


 それはまさしく人形のように身体が重くなり、言うことを聞かない。


 それでもアメリは最後の気力を振り絞って、エミージュの悪意から逃れんと身体を動かす。

 この際、自分の命はどうなってもいい。ナルキスやロイドたちを救うべく外部に助けさえ求めることができれば。


「ーーうぅっ!」


 ついにエミージュの木槌がアメリを捉える。

 瞬間的に頭を庇ったことにより、なんとか致命傷は避けることができたが、木槌を防いだ腕の骨が耳障りな嫌な音をさせた。


「大丈夫よぉ。壊れてもお人形さんたちが元通り直してくれるわ。あなたは何も心配することはないの。箱庭にいれば優しくて可愛いお人形さんたちがずっと遊んでくれるわ」


 どす黒く腫れ上がった腕を引きずり、尚も逃げようと這いずるアメリの横腹をエミージュは蹴りつける。


「ーーうぐぅっ!!」


「大好きなおにいちゃんもお友達もあなたのことをお人形さんになってあっちで待っているのよ? 好きな人と好きなことをして幸せに暮らせる、これ以上な幸福ってあるかしら?」


「……そ、そんなの……し、しあわせ……なんかじゃ……ない……もん……!」


 満身創痍、いつ殺されてもおかしくはない状況下の中でもアメリは屈することなく、弱々しくもはっきりとエミージュの言葉を否定する。すると強力に貼り付けられていた笑顔の仮面が一転、嵐の前のように無表情に変わった。


「い、いたっ……」


 そして、そのまま行く手を阻むようにしゃがみ込むとアメリの髪を鷲掴みにし、侮蔑めいた冷たな視線を浴びせにくる。


「じゃあ、いいわ」


 一切の感情が感じられない抑揚のない声。


「理解を得ないなら仕方ないものね。どれだけ傷つけても生きてさえいれば、お人形さんが元通りにしてくれる」


 エミージュの皺が寄った痩せ細い手がアメリの顔を撫でる。


「あなたの可愛いお目目、小さなお鼻、蕾のような唇も全部ね」


「ーーッッ!?」


 乾いた音と同時にアメリの上半身が吹き飛ぶ。明滅する視界、口から生温く粘つく液体が滴り落ちるのを感じ、自分がエミージュに殴られたことを理解した。


「私はね、欲しいものは何としても手に入れたい主義なの。だから、そのためにあなたにどんな酷いことをしたって少しも心は痛まないわ」


 フラフラと頭を揺らすアメリを追い討つようにエミージュの蹴りが腹部に突き刺さる。胃からこみ上げた物が逆流し、吐瀉物となって床に撒き散らされた。


「けほっ……けほっ……」


「思い通りにならない『お人形さん』には無理強いするしかないわ。逆らうことをやめ、箱庭に戻ってもらわないと」


 瞼が重くなってきた。これ以上は意識が保てなくなる。アメリはぼんやりと霞む視界の中、身体を引きずり逃げ惑う。


 トンっと背中に硬いものがあたった。


 アメリの命を絶たんとする冷たい壁。それを背に感じた時、ようやく全てを諦められた、そんな気がした。

 幼い自分が真っ向から挑み、エミージュに勝つことは不可能に近い。神はアメリに人間としての死を受け入れろと言いたいのであろう。いや、ナルキスが人形の波に飲まれたあの時にこの結末はすでに決まっていたのだ。


「おにいちゃん……ロイド……くん……ごめんなさい……」


 死を悟り、アメリはゆっくりと目を閉じる。

 死に際に目にするのは醜悪な顔の女ではなくいつもの変わらぬ幸せな日常であれば、と悔やみながらゆっくりと闇に溶けるように静かに。








 エミージュの木槌に頭を砕かれるのを待っていたその時にゴトッと重い何かが倒れる音がした。








「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」


 部屋中に木霊するエミージュの悲痛な悲鳴。恐る恐る目を開けたアメリの前には片腕を落とされ、床をのたうち回るエミージュの姿があった。





「なかなかキミも囮としては優秀じゃないか」





 そして銀色に輝く剣を染め上げた真っ赤な血を振り落とすナルキスの姿もそこに。

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