ウソは嫌い、美しくないから
数秒、いや数十秒間の睨み合い。お互いの腹を探り合うような短くも長い無言のやり取りの末、ナルキスはロイドに背を向けた。
決意を固めたと見れる表情、気弱な普段からは想像もできない真剣な眼差しでロイドは小さく頷く。
「待って! 待ってよ、ロイドくん!」
当然、アメリに理解できるはずもない。今にも踵を返し、駆け出してしまいそうなロイドをなりふり構わず、大声を上げて呼び止めた。
その声が人形たちを呼び寄せてしまうかもしれない。が、そんなことどうだっていいとさえ感じた。なぜなら、助けに来た友人が死地に自分から戻ろうと馬鹿な考えを起こしているからだ。ナルキスの言葉を信じるならば脱出までは目と鼻の先。怖い思いをしてまで危険を冒す必要性があるわけない。もしも、レイラを救いたいのならば自分たちの安全が確保できてからでいいはずだ。外に出ればきっとレイラや他の人形になってしまった人たちを救い出す手立てや助けが、もしもアメリたちの話を信じてくれる人たちがいなくてもナルキスには仲間がいる。
どうしても今、戻る必要性が感じられない。
「……あそこに畑とかで使う手押し車があるでしょ。重いさくもつを運ぶあれなら足が動かないおねえちゃんもここまで運んであげることができると思うんだ」
「なんで戻るなんて言うの? わたしはロイドくんを助けに来たんだよ?」
「ぼくはおねえちゃんに助けてもらわなかったらきっと人形になってアメリちゃんたちにおそいかかってたと思う」
「……助けてもらったからロイドくんは戻るって言うの?」
「うん」
「おかしいよ! だってお外にもうすぐ出られるんだよ? もしかしたらおねえちゃんのとこまで行く前に人形さんたちに捕まっちゃうかもしれないんだよ?」
「……かもしれない。そうかもしれないけどぼくは行くんだ。弱虫のぼくのそばにおねえちゃんはずっと一緒にいてくれた。おねえちゃんだって怖いはずなのにずっとやさしい言葉をかけてくれた。ぼくたちがいなくなっておねえちゃんはきっと泣いてると思う。こわい人形たちがそこら中にいるだもんね」
「あの人は……あのおねえちゃんはギルドの人なんだよ。寂しくなんかーー」
「ーーそれでもぼくは行く。おねえちゃんが寂しくなんかなくてもおねえちゃんに会う前に人形に捕まっちゃうかもしれないけど戦うことだってできないけどぼくは行く」
「でも……」
ロイドがレイラの元に着く前に彼女がすでに人形となっていたら、その言葉が出かけてアメリは咄嗟に口を塞いだ。
だが、それを目にすればロイドが心に傷を負うのは確か。例え、人形になってしまい何らかの方法で元の姿に戻れたとしても幼いロイドには相当なトラウマを植え付けるだろう。
阻止しなければならない。
アメリは何としてでもロイドを止めなければならない、そう思った。
「……ふぅ。いつまでそのくだらない痴話喧嘩を続けるつもりだい? 僕としてはこんな醜い世界、一刻も早く出たいわけだが」
「だって! おにいちゃんっ! ロイドくんがぁ!!」
「大きな声を出すな、うるさい。言っておくが、僕には時間がない。そして周囲に人形の姿がなく、あの醜女に僕たちが脱出を図ろうとしていることを悟られていない今は絶好の機会なんだ。キミらの痴話喧嘩が原因で人形たちが寄ってきたらどうする? 脱出どころじゃなくなるぞ、まったく」
心底鬱陶しそうに地団駄を踏んで腕を振り回すアメリを突き放し、ナルキスは説き伏せるように言った。
「ブサイクくんも行くなら早く行きたまえ。僕は金さえ手に入ればいいんだからね」
「む〜〜〜〜〜〜っっ! はなして! はなしてってばぁ!」
そう言いつつ暴れるアメリを肩に担いでナルキスは壁に立てかけたハシゴに足をかけた。
他から見れば単に見捨てられたかまたは興味がないように聞こえる言葉だったが、ロイドにはそう聞こえなかった。
熱い激励、『友人は自分が外に出してやるから安心して行ってこい』そう言っているような気がした。
あくまでも気がしただけである。ナルキスが本当にそう思っているのかは本人のみぞ知る、と言ったところだろうか。
何にせよ、奇妙なことながらナルキスに背中を押される形となったロイドは手押し車を走らせて小走りで来た道を戻っていってしまった。
「……おにいちゃん、助けてくれるって言ったのに……ともだちを……ロイドくん助けてくれるって言ったのに」
小さくなるロイドの背中。手押し車の出す物音も遠くなるとあれだけ暴れていたアメリがぴたりと大人しくなり、無気力に身体を伸ばして嗚咽を漏らし始めた。その姿はまさに肩に担がれた人形とでも言えようか。
「あぁ、確かに僕はそう言ったな」
片手が塞がった尚且つ、暴れる子供を落とさぬようにハシゴを上るのは一苦労だ。一方が解消されることで幾分かは楽になったか、とナルキスは適当な短い言葉を返す。
「……ウソつき」
「はぁ?」
「おにいちゃんのウソつき」
「おいおい……まったくキミってやつは」
ちょうどハシゴを上り切ろうとした時にナルキスが剣を抜き壁を斬りつけた。途端、舞う氷結晶と斬りつけられた箇所から生える分厚い氷の足場。キラキラと光を反射し、降り散る様は幻想的で美しい。
美を追求するナルキスらしいといえばらしい能力。肌を刺すような冷たな空気がナルキスの涼しげな碧眼を降り注ぐ氷結晶が金色の髪を映えさせる。
その即席で作られた足場に飛び移り、ナルキスは涙ぐむアメリの目を見てハッキリと告げた。
「僕はウソが嫌いと言ったろ? 美しくないからね」
高飛車でいて高慢な物言いだが、アメリにはそれがこれ以上ない頼りになる言葉に聞こえた。