脱出開始
「ねぇ、やっぱり心配?」
軋む歪な家屋から人形たちの彷徨う外に出て物陰に身を潜めながら慎重に歩を進めるナルキスたち。
その折に頻りに後方を振り返り、心配そうに目を潤ませるロイドにアメリは優しく問いかけた。
ナルキスの誘いにレイラは意外にも首を横に振ったのだ。
『まともに歩くことのできない自分がいては足手まといになる。例え、誰かに肩を借りたとしてもいつ人形化するかわからない自分は危害を加えないという保証がない』
そう困ったような微笑を浮かべながら3人を何一つ恨みの言葉を吐かずに見送ってくれた。
「……うん。ぼくなんか助けなければおねえちゃんは……」
幼く弱いロイドには自分を責めることしか出来ず、弱々しい声で心情を吐露するばかり。その士気を削ぐような発言が数歩進む度に聞こえるのだからあっさりレイラを切り捨てたナルキスはどうにも居心地が悪い気がして短い舌打ちをする、その繰り返し。
元よりレイラを完全に信用したわけではないが、こうも簡単に誘いを断られるとは思いもしなかった。
腐っても上級ギルド、足が動かなくても子供2人よりは幾分か戦力になるだろうし名ばかりの役立たずであれば囮にでもすれば良いと思っていた。
「おにいちゃん……本当によかったのかな?」
「そんなこと僕が知るか。キミたちは彼女を見捨てたと僕を責めるだろうが、誘いを断ったのは彼女なんだぞ」
「そんなこと思ったりなんかしてないもん」
苛立ちを隠しきれない様子でそう冷たく吐き捨てるナルキスの態度にアメリも負けじと頬を大きく膨らませて対抗する。
「それに彼女は『やるべきことが残っている』と言っていた。固い決意があったようだし、あれ以上僕が何か言うってのは野暮だろ」
「おねえちゃんはあそこに残って何がしたいのかな? やるべきことってなにかな?」
「ブサイクくん、キミは聞く相手を間違ってるとわからないのかい? 何度も言うが僕が知るはずないだろう」
「おにいちゃんさぁ、そろそろロイドくんの名前ちゃんと呼んであげたら?」
肩を丸めてあからさまに気を落としたロイドを慰めるためかアメリは小さな手でその頭を優しく撫でる。
「いいかい? 僕らはここを出なくちゃならないんだ。後ろ髪を引かれるようならすぐにでも踵を返してあの家屋に戻っても構わない。結果的にキミは彼女を殺すことになるだろうがね」
冷たく棘のある言葉だが、ナルキスにだって時間はない。レイラが徐々に人形化しようと身体を蝕まれているようにナルキスもまた左肩から少しずつ感覚が消えていく気がしていた。
「……あった。あの修道女の言う通りだ」
奇跡的にもナルキスたちが人形たちに見つかることはなく、辿り着くことができたのは一軒の納屋。どうやらレイラから聞いた通り、人形たちは人間だった記憶がうっすらと残っている。または長年にわたって染み付いた習慣から家屋などの大工仕事の真似事をする者もいるらしかった。
目的は乱雑に転がるハンマーやノコギリなどの子供でも扱えそうな武器の調達ではない。その真っ白な高い壁に隣接しているという立地と立てかけられた長いハシゴだ。
幸いにも今から大工仕事に勤しもうとする人形の姿もなく、まるで神に導かれているのかと錯覚してしまいそうな程あっさりと見つけることができた。
「あれで壁をのぼるの?」
怪訝そうに眉を下げるアメリ。
それもそのはず。長いハシゴと言えども所詮、箱庭の中で人形たちが使う物。せいぜいナルキス2人半分ぐらいの高さしかない。これでは到底、あの壁を越えて外に抜け出すなど不可能と思える。
「あぁ、そうだ」
「本当に?」
「だから、そうだと言っているだろう」
「う〜ん、わたしはむりだと思うな。だって天井はあんなに高いんだよ?」
「……はぁ」
小馬鹿にしたようなため息だ。
「アメリ、僕はキミに言ったはずだよ。この箱庭、上に行くほど物質も比例して大きくなる、と。その証拠に周りに建ち並ぶ家屋はどれも頭でっかちの歪な形をしている」
「うん、でもね。いくら大きくなるからってたったあれだけじゃーー」
「ーーはっ、まさか。僕は馬鹿じゃない。あのハシゴ一本でこの壁を登れるなんて思ってもないよ。ちゃんと以降の方法は考えてある。が、極力温存しておきたいんだ。何があるかわからないしね」
言い方が憎たらしく、何だかあまりいい気もしない。安堵の気持ちもあるが、素直にナルキスを褒める気も起きず、アメリは下唇を無言で突き出した。
「さぁ、人形たちがいない内に登ろう。出口は近いぞ」
「……おにいちゃん」
そう言ってナルキスが壁にハシゴを立てかけたところで今の今まで納屋の中で何かを見つめ、立ち尽くしていたロイドが口を開いた。
真っ直ぐに真剣な目。子供らしからぬ、決意の表れが見られる漢の表情。小さなその姿を見下ろし、ナルキスは次の言葉を黙って待った。
「おにいちゃん……ぼくはおねえちゃんのところに戻るよ」