当たり前
「おにいちゃん、それじゃあわたしたちも……」
「アメリちゃん、と仰いましたか?」
「え? あ、はい」
下半身が魚ならば人魚、ならば人形ならばどう表現するのか。
アメリは少しだけ怯えの色を見せて頷いた。
「あなたはきっと大丈夫。確約はできないけど人形になったりはしないから安心して」
「そ、そうなの? よかったぁ~。ね、おにいちゃん」
安堵を分かち合おうと横を向いたアメリだったが、その視線の先、横に佇むナルキスは神妙な顔つきで剣を納めると自身の肩に手を置いてため息を一つ。
「なるほどね。嫌な予感はしていたんだ」
「進行は早くないようですがあなたも……何れは……」
「ねぇ、どういうこと? なんでそんな暗い顔してるの?」
「アメリ、どうやら僕は……」
「……なんで? ねぇ、なんで!?」
駄々をこねるようにアメリは仕切りにナルキスの袖を握り、引っ張る。頭ではわかっている。子供のアメリだって嫌でも理解させられる。頼りにしていた。心の底からナルキスがいれば、少しの意地悪を我慢すればロイドと一緒にここを抜け出し、普段と変わらず勉強したり遊んだり時にはケンカをすることもあるだろう。そんな当たり前の日常が待っていると思っていた。
「アメリちゃん……」
命の恩人が人形に姿を変えていくのを見るのは耐え難い。いつ、自我を失い他の人形たちと同じように襲い掛かってくるのか。
ロイドは悲しげな眼で二人のやり取りを眺めるレイラの顔を見遣り、俯く。
慰めの言葉の一つでも友人としてかけることができればどんなに良かったことか。ただ、ロイドにはそんな気の利いた台詞なぞ頭に浮かびもしない。あるのは恐怖、不安、絶望のみ。アメリの顔を見たときはひと時でもその絶望が消えたように思えたが、冷静に考えればここを脱出する方法なんて考えても見つかりっこない。唯一の出口は天高く、手を伸ばしたところで届くはずもない。
「うるさいな、キミは本当に」
完全に諦めムード。お通夜のような空気だったはずが、ナルキスの不機嫌そうな声と子供に接する態度とは思えないほど乱暴にアメリの手を振り払ったのがそれを一瞬にして払拭してしまった。
「なんださっきから。服を引っ張るな。伸びるだろうが……まったくキミはいったい親にどんな教育を受けてきたんだ」
「ナルキスさん……あなたは人形に――」
「――言われなくてもわかっている。人形に傷をつけられた個所から浸食されていくのだろう。通りでさっきからイマイチ左肩に力が入らないと思っていたんだ」
さも当然のようにナルキスは依然、仏頂面のまま小生意気に肩を竦める。
「怖くはないのですか?」
「怖い? 冗談を言うな。僕に怖いものなんてない。あるとすればこの美しい顔が傷つけられることぐらいなものだよ」
その目に一切の曇りはない。自信と自負、濁りを知らない光がその真っ青な瞳の奥で輝いている。
「人間に模した人形の姿、そのテリトリーに迂闊ながら踏み込んでしまった僕。未知の敵と相対する場合、なんらかの形で毒や呪いを受けるなんてのは馬鹿でも予期できることだ。それもそれが得体の知れない相手なら尚更のこと」
「分かっていて尚、ですか。それほどまでにあなたはアメリちゃんのことを……」
「誤解を生んだようだから言わせてもらうが、アメリを身を挺して庇ったのは死なれたら困るからだ。決してそれ以外の感情があったわけではない。そうだろ? 依頼人がいなければ僕はただ働きなんだ。こんな酷い思いをして得るものが何もないんじゃ骨折り損もいいとこだ。連日に継ぐ無収入での帰宅。どんな顔をしてユウ様に会えばいいんだ、まったく」
「……おにいちゃんヒドイ」
膨れ面のアメリを鼻で笑い、ナルキスはレイラ、そしてロイドへと視線を流す。
「それにキミだって似たようなものだろ? その古傷、どう見ても最近つけられたものじゃない。肌を切られて怯えの色も見せない。木偶を杭で貫くほどの怪力。キミ、ただの修道女というわけではないだろ? そんなブサイクな子供なんか放っておいて脱出することもできたはずだ。それともそのブサイクくんに何か別の用事でもあるのかい?」
「いえ、他意はありません。先ほど申しました通りこのギルティアの自警団として当然のことをしたまでです」
レイラの口から出る言葉すべてを信用したわけではない。修道女らしからぬ戦闘力。修道院とは名ばかりの高い地位を持つギルド。掘れば何も出てこないというわけではなさそうだ。単なる直観に過ぎないが脱出において支障の出ることではないだろうとナルキスはその話題から身を引いた。
「僕には時間がない。キミが知っているこの世界の情報、ダメ元で聞くが空以外の出口があれば教えてくれ。役に立ちそうならば連れて行ってやらないこともない」




