最悪の現状
ロイドの悲哀と焦燥、そんな印象を受ける呟き。顔を歪め、恩人の命を奪おうとする救世主に向けられて放たれた言葉だ。しかし、その言葉など耳に届いていないかの如くナルキスの凍てつくように冷たい瞳はレイラをじっと見下ろしていた。
「……おにいちゃん?」
突飛でいて狂気、いつ命を落とすかわからぬこの状況に狂ってしまったのかとアメリは不安げにナルキスの顔を見上げた。それはこれまで共に行動してきたナルキスの顔ではなく、その面影もない。姿形が変わったわけではないのは言うまでもなく、アメリが違うと感じたのは纏う雰囲気だ。
人形よりも人形らしく機械的のような光のない瞳。真っ青に澄んでいた美しいそれは氷のように冷ややかで恐ろしく、表情はこれ以上にない程の無だ。
紛うことなき殺戮者。
そう感じ、アメリは言葉を失うと同時に数歩、後ずさる。
「……服を脱げ」
感情のない面から吐き捨てるように放たれたのは抑揚のない冷たげなもの。
「……アルケスト家の紋章……」
「ほう、知っているのか。ならば、キミもわかっているだろう。僕がどんな人間か、ね」
突きつけられた銀色の輝く剣。その柄に彫られた白薔薇の紋章を見てレイラは静かに瞼を閉じ、修道服をゆっくりと脱ぎ去った。
露になった褐色の肌、布地の多い修道服に包まれたそれはある意味禁忌的にも感じ、服に隠れて気付かなかったレイラのグラマラスな体躯は普段ならば見るものを魅了し、欲情させたであろう。が、その身体にはらしからぬ数多くの古傷が痛々しく刻まれており、
「……ブサイクくん、なぜ黙っていたんだ?」
膝下からは凡そ人の肌でない、無機質な物質。そう、外を徘徊する人形たちの姿に酷似していた。
ロイドはそれに応えることはなく、深く首を垂れて口を結ぶ。するとナルキスは無表情のまま突きつけた切っ先を褐色の肌に食い込ませた。
「やめてっ!」
ロイドの叫びも虚しく、レイラの細い首元から真っ赤な鮮血が滴り落ちた。
「どうやらこういった状況には慣れているみたいだな」
顔色1つ変えないのは恐怖のあまり自我を失ったかもしくはいつ命が奪われてもおかしくない状況に長らく身を置いていたかのどちらか。このレイラに至っては明らかに後者。ほんの切っ先程度だが、首を刺されてその痛みに眉ひとつ動かさず微動だともしないのは異常であり、一般人の起こす反応ではない。
どうやら上級ギルドの一角、ヴェルジニタ修道院に属しているのは嘘ではないらしい。
「それとも人形のキミには痛覚というものがないのか?」
「……お名前を」
「……なんだ?」
「お名前をお聞かせ願えますか?」
震えた声などではなく、落ち着き払ったしっかりとした言葉だ。
「ナルキス。僕の名はナルキス・アルケスト」
「ナルキス様。私の話に耳を傾けて頂けないでしょうか? きっとあなたのお力になることです」
手を合わせ、祈るような姿でレイラは言う。
人形の足ではまともに動くことさえままならないのであろう。膝立ちをすることは叶わず、その足はあらぬ方向にひん曲がっている。
「…………おにいちゃん。お話聞いてあげようよ」
真意を探る眼差しで膠着していた2人の間の沈黙を破り、アメリはナルキスの手を握った。
「この女が人形ではない。いや、まだ人形ではないと証明できるなら話なんていくらでも、むしろ無理矢理にでも聞いてやりたいさ」
「おねえちゃんは……おねえちゃんは悪い人形なんかじゃない。だって、だってだってぼくを! ぼくを助けてくれたんだもん!」
「私があなた達に危害を加えないと証明できればいいわけですね。……わかりました」
レイラはおもむろに脱ぎ置いた修道服から鉄の杭を取り出すと己の足、木偶となったそこに深々と杭を打ち付けた。
少女とも修道女とも思えない力で打たれたその杭は木偶の足を突き刺すばかりか貫き、自身を床に縫い付ける形となった。
「……心配なさらないでください。この足、ナルキス様の言う通りとうに痛覚など残ってはいません」
杭に貫かれた自身の足を寂しげに撫でてレイラは力なく微笑んだ。
「これで私はここから動くことはできません。もし、私がこの杭に触れ、抜くような素振りを見せたなら遠慮なくこの首を刎ねてくださって結構です」
「なるほど、その杭。下の人形たちを磔たのもキミだったというわけか」
「はい、彼らは皆、私の仲間。行方不明者を探すために調査へ来た自警団の仲間です」
「やはりそう言うことか」
奥底にあった不安要素がナルキスの中で繋がる。
彼女が言うことから導き出されるのはこの箱庭に蔓延り、彷徨うあの人形たちは皆、元は『人間』だったと言うことと何らかの原因で『人形化』してしまうことのこの2つだ。
どうやら現状はなかなか最悪らしい。