不穏、一縷の望み
「おにいちゃん……まさか、これを開けるなんてことは……」
竦んだ足とナルキスを掴む手に力を入れ、なんとか立っている状態のアメリは両眉を大きく下げて弱々しい声を出した。
「開けるさ。もしかしたら、中には恐怖に情けなく怯え震えるブサイクくんがいるかもしれないしね」
「ぜったいないよ!」
思わず声を荒げたアメリの声に反応してさらにその音は激しさを増していく。
「ひぃっ!」
小動物のようにアメリは飛び上がり、素早くナルキスの背中に隠れ、顔を隠した。
「まぁね。たぶん、いや十中八九この中にいるのはブサイクくんじゃない。だが、敵らしき何かが中に潜んでいる以上、確認しないわけにはいかないさ。いざ脱出なんて時に背後から襲われたらたまったもんじゃない。後の禍根は断っておくべきだ」
怖いもの知らず、向こう見ずの間抜け、単なる自信家なのかもしれない。ナルキスは顔色一つ変えずにクローゼットのノブに手を伸ばした。
堪らず、アメリは固く目を瞑りナルキスの服をこれでもかと握りしめて身体を強張らせる。
数秒、微動だにしないナルキスと止むことのない怪音が気になり、アメリは恐る恐る背中越しに顔を出してみた。
「ふむ、吸血鬼退治の専門家でもいたのだろうか。だが、動きを封じるには効果的と言えなくもないな」
壁際に備えられたクローゼットの中、そこには四肢を杭で打ち付けられて尚、踠き暴れる人形たちの姿があった。
「あそ……ぼ……あそ……ぼ……いっしょに……あそぼ……」
木製人形に深々と打ち付けられた鉄の杭は四肢を貫き、壁に深々と縫い付けられている。
いくら人形と言えども人間を模したその姿はあまりに凄惨で酷たらしく、ナルキスにしがみつきながらアメリの顔から一気に血の気が引いていくのがわかる。よろけたアメリをさっと流れるような所作で抱き上げてナルキスは床に落ちていたボロボロの腕章を掬い取った。
「上級ギルドが主体となって作られた自警団の腕章か。どうやら、この世界に隔離されたのは僕らだけじゃないらしいな」
「自警団の人たちが?」
「あぁ、この腕章を見る限り無事とはとても言い切れないがね」
「うそだよ……自警団の人たちって上級ギルドの人たちもいるんだよ? すっごいつよいんだよ?」
「どうだろうね。こんなノロマな人形にやられる自警団が強いなんて信じられないし、何よりこの世界が変わらず狂気的な人形が蔓延っている現状、全滅もしくはそれに近しい状態であることは明らかだ」
アメリの不安を解消する努力なぞするわけもなく、ナルキスは極めて冷淡にそう吐き捨てるように言うとボロボロの腕章を床に放り投げた。
「だが、こんな芸当を子供のブサイクくんが1人でできるわけもない。杭打ちもなかなか見事なものだ。それなりに腕に覚えのある護衛がいることは間違いないよ」
「それってつまり……」
「あぁ、ブサイクくんが生きている可能性がぐんと跳ね上がった。さぁ、疑惑の2階へと行こうか。鬼が出るか蛇が出るか、行ってみなくては何もわからないがね」
覇気のない無機質なつぶらな瞳で同じ言葉を何度も吐き、暴れる人形たちを一瞥してナルキスは静かにクローゼットの戸を閉めた。
◇◇◇
「うふ、うふふふふふ」
抑えきれない笑みを漏らし、エミージュは箱庭の蓋はゆっくりと閉じた。
ここはエミージュだけが入ることを許される館長室に併設された開かずの間。館員の手前、名目上は重要な美術品を補完する金庫室とされている。
実際はエミージュの私物の数々と中央に広げられた大きな蓋つきの箱庭が置かれる薄暗い部屋だ。美術品もほんの僅か、片隅の方に数点見受けられるが、それはどれも曰く付きの品ばかり。とても世に出せるような品物ではない。
「やっとよ、やっとお目当ての可愛いお人形さん、それに願っても無い王子様のお人形さんまで……今日はなんて幸せな日なのかしら」
善良そうな女の口元が暗闇の中で三日月型を作り、醜悪に歪む。
「長い間、強請った甲斐があったわぁ」
箱庭に入れたあの2人は何やら画策しているようだが、それも無駄な話。この箱庭に脱出の余地は一切ないのだ。全ての足掻きも無駄な徒労に終わるのが目に見えている。
そう、2人が直に我が物となるのは抗いようのないこと。
「いらないものもたくさん増えちゃったけど、きっとたくさんいた方があの2人も寂しい思いをしなくて済むものね」
どれだけ平静を装おうとも内から込み上げるものを堪えきれず、再びエミージュは静かに笑い声をこぼす。必死に抑えようと頬に手を当ててもダメだ。
「館長、少しよろしいでしょうか?」
隣室、館長室の戸を叩く音がする。
エミージュは静かに金庫室の戸を閉めて、来客を迎え入れた。
なんてことない、単なる館員のどうでもよい報告だ。
「ーーしかし、館長。今日はいつにも増してご機嫌なご様子で」
資料を元に説明を終えた館員が不意にそう尋ねるとエミージュはにこり、と微笑んでそれに応えた。
「あら、そうかしら?」
「もしや、件の彼と良いことがありましたかな?」
「やだわ、そんなのじゃないわ」
内に深い狂気を秘めていようが、このエミージュ従業員達には実に人当たりの良い妙齢の女性として通っている。
照れたように館員の男を小突くとエミージュはふふっと小さく笑った。
「そうね、年甲斐なくはしゃいでるだけよ。今日は良い日だなぁ……って」
「いやはや、怪しいですなぁ」
その笑みが如何に恐ろしいものかも知らず、館員の男は釣られて愉快そうに声を出して笑い、その場を後にしていった。
◇◇◇