拘束者は割れた空を見上げ
ナルキスは左手にアメリを庇いつつ、剣を真っ直ぐに人形たちに突きつけてじりじりと後退する。
「あそ……ぼ……あ……そ……」
呪詛のように様々な声色を用いて近づく人形たちに恐れはないようだ。カクンカクンと首や膝などを定間隔で落としつつ、奇怪でいて不気味な所作ながら着実にナルキスたちを絵画世界の際へと追いやっていく。
彼らの手には薪割り斧や先の鋭く尖った鍬。日常的に使われるものだが、大凡子供が遊ぶような人形たちが持っていいものではない。
「ーーっ! お、おにいちゃん、もうさがれないよぉ!!」
アメリの背中がドンと硬い白壁にぶつかる。そこにはナルキス達が通ってきた額縁もあった。
「額縁……入口がここなら出口も……アメリ、僕らはその額縁からこの世界に来たんだ。もしかしたら、そこから出られるかもしれない」
「う、うん…………おにいちゃん、ダメみたい。通り抜けることも穴もない」
やはり浅はかだったか、とナルキスは小さく舌打ちをする。
あれほど周到に人々を拉致する算段を立てて来ながら通り抜けが自由なんてそんな話あるわけない。それでは人々を攫う意味がない。
「……意味? しかし、なぜこの授能力者は人を攫う。わざわざ、人形たちが暮らす世界に飛ばす意味は……」
「おにいちゃん、前っーーーー」
俯き思考を巡らせていたナルキスの眼前、先頭にいた人形が戯れを誘う言葉を吐きながらその頭に鈍重な斧を振り下ろした。
「……止む得ないな」
と、ほぼ同時にその腕を裂くように銀光が一閃。
閃光の如き速さを持って払われたそれがナルキスの剣戟であったと気付くのはそう難くなかった。
「アメリ、走るぞ」
鈍い光を放つ抜き身の剣を鞘に戻しながらナルキスはアメリの手を取る。その後方で宙を舞っていた人形の腕と斧が音を立てて落ちた。
「あ……え……お、おにいちゃんってほんとにつよかったんだ……」
「この僕を疑っていたのか? キミもなかなか失礼なやつだな」
「ごめんなさい……でも、わたしおにいちゃんがいるならすっごい安心!」
手を引かれながら小さな足を必死に動かすアメリはあどけなく笑った。
「安心か……」
呟き、ナルキスは後ろをちらりと見遣る。
片腕のない人形に他の人形たちが押し寄せているようだ。
襲われてる。
いや、そういう風には見えない。もっと友好的なもの。例えばそう、負傷兵を治療するそれだ。
まるで人間のような行動をする人形たち。しかしながら、切った感触は木偶。水気を帯びた柔らかく、筋張った肉塊を切るあの悍ましく、一生をかけたとしても好きになれそうにない感覚には程遠かった。
「あらあら、お人形さんにそんなことしたら可哀想じゃない」
前後左右でもなく、その声は間違いなく上。天空より降り注いできていた。
不気味な感覚に駆ける足を止めて2人は呼吸を荒げながら天を仰ぐ。そこにあったのは先ほど見た何もないまっさらな白い天井ではなく、中央を分かち両開き窓のように開け放たれた天。そして慈眉善目そうだが、奥底に醜悪さが垣間見える白髪混じりの中年女性の顔がまるでこの世の創生神のように彼らを覗き、見下ろしていた。
「おおおおおおおおおにいちゃんっ!?」
たじろぎ怯え、ナルキスにひしっと抱きついたアメリが言葉にもならない悲鳴をあげる。
「あらあら、可愛いわぁ〜」
その姿をまるで街中で見かけた子供愛でるように天から覗く女は両頬に手を当てる。
ナルキス、そしてアメリにもその顔に見覚えがあった。いや、エミージュ美術館に訪れた者ならば誰しもが一度は目にしたことがあるはずだ。
それは美術館館長『エミージュ・リゥボーフィ』に間違いない。
何故、彼女がナルキスたちを見下ろしているのか。その答えは単純にして明快なもの。
彼女がロイドを拉致した犯人、そしてこの絵画世界を作り出した授能力者の張本人だからだ。
「なるほど……美術館、絵画に模した自分の能力を隠すにはうってつけの場ではあるな」
後方からぎこちなく異様な足取りだが、確かに距離を詰めてくる人形たち。天空から自分を術中に嵌めた能力者の姿。にも関わらず、ナルキスは意外にも冷静を失ってはいなかった。数々の窮地を潜り抜けたきた経験、そして怯えるアメリの存在がそうさせたのであろう。
「わざわざ素性を晒しに来るとは……自身の能力を過信し、勝ち誇りたくなったか? だが、感謝はしておこう。キミの高慢さと驕りのおかげで思ったよりも早くこの気味の悪い世界を出れそうだからね」
小さく息を吐くように笑い、ナルキスは人形の腕を切り落とした時にくすねてきた斧をエミージュの顔面に向かって投げつけた。
斧頭を軸に回転しながら猛スピードで飛んでいったそれは姿形、大きさ何一つ変えず。だが、儚くもエミージュの顔に傷をつけることもなく力を失うと重力を受けるがまま落下。鈍い音を立てて地面に深々と斧刃を突き刺した。