ぼくのせんせい
通夜のように静まり返った室内、フランクの優しく閉めた扉の音だけが余韻を残し、響いた。
「ユウ様、少し外へ出てきます」
いたたまれないフランクの姿を目にして幼いマリーでさえも口を開かない重苦しい空気が続いていた中、徐にナルキスが外へ駆け出していった。
「……ナルキスくん、どうしたんですかね?」
唖然とするシュシュはギシギシと悲鳴を上げる扉を見てそう漏らすとユウは微かに微笑みながら冷めたメンチカツに一口、噛り付いた。
「さぁのぅ。タバコでも吸いにいったんじゃないか?」
「ナルキスくんはタバコ吸いませんよね?」
「なら、小便でも我慢しとったんじゃろう」
「ユウちゃん下品っ! それにトイレなら家にあるじゃないですか……」
不思議に首を傾げるシュシュに気のない返事をしてユウは食べかけのメンチカツを一口で口に投げ入れるとソファにそのまま寝転んでしまった。
「男ってのはのぅ、時たま青空の下で無性に用を足したくなるもんじゃ」
「えぇ〜〜……よくわかんないですよそれぇ」
「じゃろうなぁ。まぁ、何にせよ男は女ほど複雑に出来ておらん。単純な生き物だってことじゃ」
「ますます意味わかんないです」
「ママ、まるで男の子みたい」
意図を理解しない女性陣にユウはくっくっと喉を鳴らしゆっくりと目を瞑った。
「肉屋!」
いつの日かのナルキスと奇しくも同じ形で水路の脇に膝を抱えて座っていたフランクの背中にそんな見高な声がかけられた。
声の主がナルキスであることは語るまでもない。
「……は、はい」
重そうに首を動かし、振り返った大男の顔は酷く情けなく、今にも泣き出してしまいそうだ。
「はぁ……なんて美しくない」
そうため息と共に漏らし、ナルキスは流麗にフランクの横に腰を下ろした。
「ここは僕の場所だ。キミみたいな優美さの欠片もない男が座っていい場所ではないよ」
「あ、あぁ……すみません」
わざわざ後を追って来てまで辛辣な言葉をかけられるとは思わなかった。
フランクは困ったように弱々しい笑顔を作って立ち上がろうとする。が、その手を掴みナルキスは無理やり立ち上がるのを阻んだ。
「肉屋、キミはどんな情報でも知っていると言ったな」
「え? い、いやその言い方には少々、いや多々の語弊があると思いますが……」
射殺すような冷たい視線がフランクに浴びせられる。思わず、大の男が身を縮めてしまうような気迫だ。
「ハッキリしたまえ。キミは情報において誰にも負けないのだろう」
「……は、はい。まぁ、ギルドのことに関しては趣味で知識を深めているみたいなものですし」
「ふむ、なるほど……そうか」
「えっと……何が……知りたいんです?」
「……いや、うむ……まぁ、その、なんだ。キミはどんなギルドのことにおいても詳しいんだよな?」
ハッキリしろ、と意気地があるならば逆に言ってやりたい。
「知っている範囲ならば、ですが」
「それはギルド志望者のことに関してもかね? た、例えばユウ様のこと……とか……」
「ま、まぁ、ユウさんやシュシュさんは有望株として注目されてますし、何でもとは言いませんがそれなりに…………え?」
もじもじと手遊びをするナルキスの姿、言動からフランクは察した。
「な、なんだその目は! 妙に生温くて気持ち悪い眼差しを僕に向けるな!」
「いえ、あの付かぬ事をお聞きしますが、ナルキスさん。もしかしてあなたは……ユウさんのことが……好き、なんですか?」
ボンっと湯気を立ててナルキスの顔が一気に赤く染まった。
「な、なななななんだキミィ! ぼぼぼぼぼぼくはけっちてよこちまにゃぁ!!」
図星だ。
動揺のあまり呂律が回っていない。
「もしかして私に聞きたいことと言うのはユウさんのことで?」
精悍な顔立ちは見る影もなく、女性経験の少なさを露呈するように目をキョロキョロと慌ただしく動かすナルキス。
なんだか急にあの高飛車で冷徹そうなナルキスが近くに感じた。
「ははっ、なんだそんなことですか。ならば、任せてください。このフランク、何でも力になりますぞ!」
「ぼ、僕は別にユウ様のことなんて……ただ、僕はあの方の真の美に仕える騎士なだけで……」
「いいですいいです、隠さなくて。私も若い頃はなかなか奥手な方でしたからねぇ」
異性に関しての質問をされた父親の如く、いや親戚のおじさんの方が近いか。フランクはほっほっと愉快そうに笑い、誰にも聞き取れない声で耳打ちをする。
「ユウさんはーーーーでーーーーなんです。見かけによらずーーーーでしてね」
「ほわっ、な、なに!?」
ニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべながらフランクの一語一句にナルキスは依然、顔を真っ赤にしながら頷く。
そして、フランクの持つ主に下世話なユウについての情報を聞き終えたナルキスはしばらく石のように硬直していた。
「ど、どこでそんな情報を……」
「この目で見たのもありますし、人伝に聞いた話もあります。まぁ、この街に長く住んでいると色々な筋ができますからね」
「……先生と……」
「は、はい?」
「先生と呼ばせてくれ。確かに、先生の情報は僕がどれだけ足掻いても手に入れられなかったであろう情報。あなたこそ、ユウ様の言う通り! あなたこそ、我がギルドにいや、僕にとって必要な人間だ!」
「そ、そんな大袈裟な……」
男は単純。
ユウがそう言うように下品な話をするぐらいのことで男同士の啀み合いなんてものは消え去ってしまう。
女性からしたら誠にくだらなく、軽蔑されるようなことがきっかけであるが、今ここに新たな友情が、師弟関係が築き上げられたのであった。