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我輩は童貞である




 ナルキス・アルケストは『童貞』である。




 これは揺るぎない真実であり、事実。

 元より、至上の美こそ己だと信じて疑わなかった彼にとってはそれもまた当然のことだ。生まれてこの方、異性に恋をしたことがない。また、性欲のはけ口に求めたこともない。物心がついた頃には自身の美貌の虜になっていたからだ。

 このギルティア、いやそれだけにあらず世界規模においても所謂、成年向けメディアと言った類のものはそう多くは存在していない。あるとすれば、美術を極めんとする者の裸婦画かもしくは絵描きが己の性癖を満たすために書いた春画のような物。はたまた、多感な少年達が悶々とした日々に書いたラクガキぐらいなもので映像媒体に寄る成年向けコンテンツは皆無に等しい。

 そこで男達が夜な夜な密かに通うのが売春婦が並ぶ歓楽街だ。ギルドが統治する国ギルティア、国王によってそれは激しく色を変えるが、今や国王不在の空白期間。他国では罰せられる可能性がある危険な店々が立ち並ぶ世界有数の歓楽街になっていた。

 かと言ってナルキスがそこに通うはずもない。彼にとって自分より醜き者を抱くなど考えられないからだ。

 自分は何者より優れた美を持ち、それ以上の者などいない。が、言い寄ってくる異性は数えきれず。他者からにおいても自分は優れ、モテることは知っていた。


 そう、彼は容姿が優れていた故に童貞を拗らせていた。


 そんな彼の前に現れた1人の少女。

 さらさらと滑らかな栗色の髪に容姿は申し分なく整っている。意志の強そうな瞳、少女にしては変な喋り方をすることを除けば完璧。ナルキスの好む容姿そのものだ。

 そして極め付けは『全裸』であるということ。

 陶器のように細やかでいて真っ白な肌と露出部分に出来た日焼けのコントラスト。大き過ぎず、小さ過ぎない美しい胸の膨らみ。二の腕やウエストは引き締まってはいるが、決して女性らしさを忘れさせない丸みのあるフォルム。時折、羽織ったクロスから覗く胸の先や健康的な臀部がより一層、ナルキスを攻め立ててくる。


「はっ、がっ……うぐっ……ッ!」


 女性の裸体に耐性が皆無のナルキスの思考は崩壊。奇妙な呻き声を漏らし、身体を拭くユウの姿から目が離せない。

 ゴミ虫を見るような目で自分を見つめるシュシュの姿など目にも入らず、ナルキスの脳みそはある結論に達した。




 一目惚れ。




 初めて自分が認める容姿を持った女性が全裸で現れた。初めての好きな人に初めての女性の裸、それが合わさったのでは童貞であるナルキスに太刀打ちはできっこない。脳がこれ以上の刺激は危険だと警笛を鳴らし、身体は燃えるように熱くなる。


 これが……恋……?


 少々のスケベ心があるにしてもそれはナルキスにとっての初恋に他ならなかった。


「な、なんじゃぁ?」


 しかし、初めての恋にナルキスはどうしていいかわからず。鼻息を荒げ、膨らんだ下腹部のソレを見られまいと前のめり気味に躙り寄る姿はまさに変態。

 見ず知らずの青年がそのような姿で近寄って来られれば、数多の死線をくぐり抜けてきたユウとて後退せざる得ない。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


「ユウちゃん、離れてください!」


「ぬおぉ〜っ!?」


 危機を察知したシュシュが手元にあったグラスを後方からぶん投げる。それはユウの頬を掠めて飛んでいくが、ナルキスは首だけを傾けてそれを容易く回避。


「マ、マリーちゃん! 早くアイツを! あの変態を殺してください!」


「ダメ。人殺しはママに怒られる」


「なっ……こ、こんな時にそんなこと! じゃなければユウちゃんが!」


 物騒な会話が飛び交う中、ナルキスはユウの眼前まで近寄ると過呼吸気味に大きく息を荒げーーーー膝をついた。


「…………死にましたか?」


「ううん、息はしてる」


「なら、今のうちに息の根をっ!」


「な、なんなんじゃいったい……」


 未来から来たアンドロイドの如き体勢でナルキスは片膝をつき長い間の沈黙を取る。

 燃え尽きたか興奮のあまり目眩を起こしたか、不気味な青年に騒つく3人だったが、不意にナルキスは顔を上げユウの顔を見上げた。


「ひ、ひぃ! 動きました!」


「……死んでないから動くのは当たり前」


 理解不能の動きにシュシュがマリーを抱き寄せ悲鳴をあげた。




「……女神よ……」




 真っ直ぐにユウを見上げ、ナルキスは頭を垂れる。


「お、おう?」


 ユウは間抜けな声を漏らし、片眉を下げた。


「僕は何のためにこの地に生を受けたのか、今やっと理解できた。……それは女神よ。あなたに仕えるため、あなたにこの命を捧げるため」


 さながら国王に忠誠を誓う騎士のようにナルキスは顔を伏せたままつらつらと語る。

 恋は行き過ぎると暴走する。

 殺人衝動や監禁、付き纏いと形は様々だ。このナルキスにおいては忠誠、それが恋の行き着く果てのようだった。


「僕を貴方の元に置いて欲しい。あなたのためならばたとえこの命も顧みません。僕は貴方に仕えることが最上の喜び、最大の至福でございます。だから、どうか……」


「断りましょう! ユウちゃん、相手は変態ナルシストですよ!」


 両手を振って騒ぐシュシュをちらりと横目で見て、ユウは頬をかいて苦笑いを浮かべる。

 水浴びをして何かと思って出てきてみれば、女神と崇拝され頭を下げられる。これ以上に理解が追い付かないものはない、ないのだが……。


「うぅむ……ワシは昔から来るものは拒まず。去る者は追わずでのぅ」


「ユウちゃん!?」


 言いながら、ユウはシュシュの投げたグラスを手に取った。


「眼を見ればそいつの生き方がわかる。何を思い、何を望むのか。……シュシュ、存外こやつはお前の思うような悪いやつじゃなさそうじゃ」


 床に落ちた水差しから僅かな水をグラスに注ぎ、ユウはそれを一口含むとナルキスの元へ差し出す。


「……これは?」


「誓いの証みたいなもんじゃ。お前が言った言葉に偽りがないのからそれを飲め。ただし、それを飲んだからにはワシらは皆、家族。一切の争いもウソも許されん。それでも飲めるか?」


 ユウの問いにナルキスは薄い笑みを浮かべると一切の戸惑いもなく、両手でそれを受け取り喉を鳴らす。そして恭しい所作で空になったグラスを床に置き、また深く頭を下げた。


「このナルキス、貴方様に仕えるためならば造作もありません」


 碧く輝く瞳は濁りなく、澄んだ色に輝きユウの姿を映し出す。ユウは微笑を浮かべ、傅くナルキスの顔を満足げに眺めた。

 この日、名もないギルド。ギルドにも満たないユウたちの元に新たな仲間が加わった。


 名をナルキス・アルケスト。


 アルケスト家の末裔であることも彼が美貌だけでなく剣に愛された男であることも何もかもユウたちはまだ知らない。

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