美の虜人
ギルティア下層。
最寄りの小川より引いたさらさらと穏やかに流れる水路の横に水面を覗き込むような形で座り込む青年がいた。
絹糸のように細く滑らかな金色の髪にブルーサファイアが埋め込まれたかにも錯覚する涼やかな碧眼。細く高い鼻は作り物のように美しい。すらっと伸びた長い手足とその高貴さが滲み出る様はさながら一国の王子とも見紛えてしまうほど。
それもそのはず。
名をナルキス・アルケストというその青年はかつて名家とも言われたアルケスト一族の出。度重なる戦争の敗北とあらぬ罪を着せられ没落してしまった貴族である。今でこそ彼に地位や権力はないが、高度教育を受けてきた彼からそのただならぬ高貴さが溢れ出てしまうのは仕方がないことだった。
「お兄ちゃん何してるの?」
かと言って彼がこのギルティアに名家として復活を果たすために来たわけではない。
時折悩ましく、時折恍惚の表情を浮かべる不審なナルキスに道端で遊んでいた子供達が不思議そうにそう尋ねた。
「何をしているのか、さぁね。僕にもそれはわからない。強いていうならば『恋』をしているとでも言おうか」
「恋? お兄ちゃんは好きな子がいるの?」
その問いにナルキスは顔を上げ、恭しく視線を少年に移すと一瞬にして眉をしかめた。
「君は……ブサイクだね」
「え……」
「人のお顔をわるく言っちゃダメなんだよ!」
「ひどいよ!」
「ブサイクをブサイクと言って何が悪いんだい? ブサイクな君には一生をかけたとして分かり得ないことだろうが水の中にこの世で一番美しい者がいるんだよ。僕はそれに恋をしている。いや、恋という言葉では足らないのかもしれない」
今にも泣き出しそうに目に涙を溜めた少年とナルキスの言動を咎める子供達。それを微塵も気にした様子もなくナルキスは前髪をかきあげてつらつらと語り出した。
「……嘘つき! 水の中に人なんていないじゃんか!」
必死に涙を堪え、ブサイクと呼ばれた少年が水路を覗き込む。見えるとすればそれは水面に映る自分の顔。赤い頬に濡れたまつ毛。今にも泣いてしまいそうな情けない顔がそこにあった。
確かにナルキスと比べると醜くも思えるが、そう辛辣にはっきりと告げられる程の顔ではないはず。
「ふむ、やはりブサイクな君には見えないか」
囲まれワーワーと騒ぐ子供達などやはり意にも介さず、それどころか乱暴に押しやって引き離したナルキスは納得したように顎を撫でた。
「……やはりいるじゃないか。世にも美しい男がそこに」
そして水面を覗き込むとまたも悩ましいため息。
彼が言う美しい者とは水面に映る自分のことだった。
「ねぇ、このお兄ちゃん……気持ち悪いよ」
「うん、おかあさんが変な人には話しかけちゃダメって言ってた」
「行こう」
逃げるように去っていく子供達。そればかりか心なしに道行く人々も下を向いて微笑を浮かべる彼を避けているように感じる。
「はぁ……なんて僕は美しいんだろう」
街が活気付く前の午前中のこと。ナルキスの自分との睨めっこは1時間ほどにまで及んだのであった。
「……さて」
一頻り自身の美貌を堪能した後、ナルキスはようやく重い腰を上げた。
先ほども述べた通り、彼は別にアルケスト家の復興の為、このギルティアに来たわけではない。彼の目的はただ一つ。
自分の美が『真の美』であることを確かめる為。
それだけである。
人によっては眉をしかめるようなくだらなくも思える理由だが、ナルキスにとってはこれ以上に大事なことはない。
母国ブルトンは近隣国ということもあり、このギルティアで商売をする行商人達が立ち寄ることが多々ある。
そこでも同じように川辺に座って自身に見惚れるナルキスであったが、その奇妙さと滑稽さにからかい半分に声をかけられることもしばしば。自己愛のナルキスと言えばその界隈では有名だったからだ。
当然、その場合も同じようにあの子供達よろしく幾ばくかの人心を傷つけながらいかに自分が美しいかを説くのだが、返ってくるのは同意ではなく乾いた笑い。
その多くはこう言っていたのだ。
ギルティアにはお前より身も心も美しい奴らがごまんといるよ、と。
にわかには信じ難いことだが、自身の美貌に人並み以上に自信を持つナルキスにはそれを確かめずにはいられず。その為だけについ先日、ギルティアに訪れたばかりであった。
まずは街の人々に話を聞いてみようとナルキスはその場に立ち尽くしたまましばらく辺りを眺め、
「そこのブ男君達。少しばかり聞きたいことがあるんだが……」
失礼極まりない言い草でその足を止めさせる。
「ん? もしや、拙者たちのことですかな?」