リュゼ・アストゥート
「言った通りだ、姉御。切り裂き魔は私がしっかり『始末』した。形も残らないぐらいにね」
王城に最も近いギルティア上層に聳える巨大な砦。石造りの堅牢な壁や高い見張り台、さながら城を守る軍隊の駐屯地のようにも見える。中庭では手練れの戦士たちが厳しい訓練に励み、その勇ましい声が建物中に響き渡っていた。
ここは結社フェーシエルの根城だ。
「……ほう」
重厚な書斎机を挟み、凍てつくような冷たい瞳で睨みつける女、ヨーコに姉御と呼ばれたその女こそフェーシエルの総統、リュゼ・アストゥートである。
長くウェーブのかかった極めて女性的な金色の髪、黒い眼帯で片目を覆った隻眼の女。その残った金色の瞳は氷のように冷たくヨーコを見据えていた。
「なぁ、ヨーコ。私らはいつからの付き合いだ?」
やがてつまらなさそうに咥えた葉巻へ火をつけると視線を窓の外へ移し、リュゼは言った。
立ち上った白煙がヨーコの鼻を撫でる。嫌いな匂いだ。
「セックスも知らぬ純真無垢な少女の時からの付き合いだ」
「……姉御。煙草やめたほうがいい。身体にも悪いし何よりその匂い、お世辞にも美味そうとはーー」
「ーー人間を焼いた匂いに比べたらマシだろう」
1人がけのソファに背を預けながらも威圧的なリュゼの態度に思わずヨーコは口を結んだ。
「話をはぐらかすなヨーコ。私にはわかるんだよ、失望させるな」
「なんの話だい……?」
リュゼは静かに目を閉じて長く息を吐いた。肺にたまっていた白煙がスーッと音もなくその口から噴き出していく。
「ガキの頃からの付き合いだと言っただろう。お前の作る表情が逐一私に情報をくれる」
葉巻を口に咥えたまま、不機嫌そうにリュゼは机を指先で叩く。
「……ウソをつくな。切り裂き魔を何処へやった?」
蛇に睨まれた気分だ。
リュゼの金色の瞳は静かだが不気味に輝き、じっとヨーコを獲物でも見るような目で見つめてくる。
「ウソ? 冗談だろ? 私は殺した。しっかりこの手で。疑うならビスチェにも話をーー」
「ーーそれが問題なんだよヨーコ。当事者のお前に協力者のビスチェ。お前ら2人しか切り裂き魔を見たものはいない」
リュゼは手元にあった報告書をペラペラと肩肘をついて捲り、葉巻の灰を落とした。
「報告書によると『切り裂き魔は中年の男。若い女性の遺体に性的興奮を覚える異常性癖者。対峙した際は抵抗したが、ヨーコの剣技に圧倒され刺殺。ヨーコの怒りのまま遺体は焼却処分』そう記してあるな」
「記してあるも何も嘘偽りなくその通りだよ」
「笑わせるな」
声を張り上げたわけでもなく、呟くように吐かれたリュゼの言葉にヨーコは身を凍らせた。
剣技に自信のあるヨーコ、腰には肌身離さず軍刀が下がっている。にも関わらず、唾を飲み込み緊張に身を固めることしか出来ない。
「お前らの他に誰も目撃者がいない。あれだけの人員を傘下ギルドのみならず方々から集めて警邏隊を編成したにもだ。何故、警邏隊の隊長であるお前が我を忘れ怒りのままに独断行動を、何故、命令を下した私に証拠の1つも残さなかった」
言葉が出ず、ヨーコはただその場に黙って立つ。
「バカでもわかる。お前は切り裂き魔を殺していない。または殺せなかった、か?」
「姉御……ここは私に任せてくれないか」
「任せる? 何を? 何度私を笑わせれば気が済む。お前はそんな冗談が上手いやつではないだろう」
舞い上がる葉巻の煙を纏い、リュゼは長い髪をかきあげた。
「いったい誰を庇っている? 男……いや違うな。男っ気のないお前だ。それはない」
「姉御、ここは何も言わず副団長であるあたしを……」
「副団長だからだ、ヨーコ。ギルド団長、結社フェーシエルの総統である私に隠れて何を企てる? 私の信用を無下にするな」
「姉御……」
「切り裂き魔に情でも移ったか? お前は時折、感情だけで人を気にいるところがあるからな」
「違う! あたしにはあたしのやり方があるんだ!」
そう叫び声を上げた矢先、ヨーコの頬を高速で何かが掠めた。
切れた傷口から落ちる血液がヨーコの脳を活性化させる。
「私を失望させるなヨーコ」
白煙を上げる銃口。リュゼの咥える葉巻のものではない。それこそリュゼが世界に名を馳せるグレタから買い取った特注の魔法具。散弾銃のような見た目であり、内部に希少鉱石『獄炎石』の組み込まれた極めて殺傷能力の高い武器だ。地獄の業火に習ってその名が付けられた石は名前の通り、刺激を与えられると瞬時に灼熱の爆炎を上げる。その爆発を破壊力に利用して作られたのがこの魔法具だった。
熱を帯びた頬から流れ続ける血液。狙いが少しでも逸れればヨーコの頭は粉々に打ち砕かれていただろう。考えてヨーコは冷汗を浮かべた。