ありがとう
「……断罪の約錠のぅ」
そう呟き、ユウは鋭い眼光をマリーの手足に飛ばした。
少女の姿ながらその眼光は数多のギルド所属者を見てきたテレサでさえ身を固まらせる。その出で立ち、歴戦の極道はダテじゃない。
長い沈黙。
ユウとてマリーの気を汲み取れないわけではない。その小さく細い手足に刻まれた鎖を見て何も思わないわけではなかった。
怒り、困惑、呆れと様々な感情が入り混じりマリーにとって何が一番いいのかを考えるが、思考はまとまらず。
「あの……ユウちゃん? 私思うんですが……」
「阿呆。ワシとて人でなしじゃないんじゃ。マリーの覚悟はしかと受け止めたつもりじゃ」
シュシュが言わんとしたことを察しユウはそうぶっきらぼうに告げる。
「のぅ、その断罪の約錠とやらは何らかの約束を違えた場合に罰が下ると言ったが、マリーは何を誓ったんじゃ」
「協会が掲げる規約は勿論だけど彼女から誓われたのは『人を殺さない』こと」
聞いて、マリーの頭にゴチンとユウの拳が振り落とされる。
「馬鹿もんが。人を殺さないのは人として当然のことじゃ」
「うぅ……」
「そうかしら? ギルドを立ち上げる以上、この国では抗争は避けられない。生きるか死ぬかの中で不殺を貫くなんてそう簡単なことじゃないわ。あなたが思っているよりその誓約はマリーちゃんの首を締めることになるわよ」
人として当然のことを説教したはずが、この世界の普通を説かれ、ユウは短く唸った。
何にせよ、ここでは殺人が身近過ぎる。
「それにその約錠によって協会はいつでもマリーちゃんの居場所がわかるわけ。重い誓約だけでなくどんな時も監視をされている。あなたなら耐えられるかしら?」
「うぐぅ……」
暗い牢獄、厳しい看守。かつての若かりし時の記憶を思い出す。長い年月、それは相当なストレスになった。
「ワ、ワシにどうしろっちゅうんじゃ?」
「簡単よ! マリーちゃんのママであるあなたにマリーちゃんが道を踏み外さないように側にいてほしいの。協会としても何年も閉じ込める牢獄を持っているわけでもないし、ちっちゃい子を監視し続けているのも気が引ける。なら、信頼のおける人に預けてみるのはどうかってね。……それにあなた達って何かと目立つじゃない? 何か悪いことがあればすぐにわかるし」
まくし立てるような早口で言い負かされ、ユウは眉間に皺を寄せてうな垂れた。
そして、
「……シュシュ、あれを持ってきてくれ」
「あっ! あれですね! はい、今すぐに! というかもう手元にあったりしまして」
まるでこうなることがわかっていたかのようにシュシュは傍らから金属製の杯を取り出した。
赤錆のついた汚い杯。それはユウとシュシュが交わした姉妹の盃に使われたもの。お世辞にも綺麗とは言えないそれにユウは手近の果実を絞り、即席のジュースを作る。男らしく握力のみで絞られたオレンジっぽい果物の果肉が水面にプカプカと浮かんでいた。
「……何するの?」
突如、目の前で繰り広げられた大胆な調理の意図を理解できずテレサは卓上に置かれた杯を覗き込んだ。
「何って盃ですよ、盃!」
「ワシらの間では家族、兄弟が増える際にこうしてお互いで1つの酒を飲み交わすんじゃが……子供に酒はいかんからの。今回はジュースじゃ」
「う〜ん……あんまり聞いたことない習慣ね」
物珍しそうに眺めるテレサを置いて、まず最初にユウがその杯に口をつける。そして一口含むと横のシュシュにそれを渡し、同様の流れ。
「はい、マリーちゃん」
優しく微笑むシュシュから手渡された杯を受け取るマリー。子供の力でも十分に持てる重さのはずが、マリーにはそれがとても重く感じた。
はたして人殺しの自分がこれに口をつけてしまっていいのだろうか。
杯の中の水面に不安そうな自分の顔が映る。
無愛想、自分のものではないかのように冷たい瞳。
こんな自分をユウ達は心の底から受け入れてくれるのだろうか。そもそもマリーの口からユウ達の元へ行きたいなどと言ったつもりはない。テレサが勝手に情にほだされて強行しただけで……。
「どうした? 盃は飲めんか?」
「毒なんて入ってませんからね! ちょっと酸っぱいけど美味しいジュースですから!」
優しい。
2人の身守る中でマリーの口角がわずかに上がったのをテレサは見逃さなかった。
きっと大丈夫。彼女たちといればマリーは道を踏み外したりなんかしない、そんな確信染みた信頼を胸に。
「……ママ、シュシュ」
「あ? なんじゃ?」
「ど、どどどうしてわたしだけ呼び捨てなんですかぁ!?」
「ありがとう」
マリーは小さな唇を杯につけ、一息にそれを飲み干した。