切り裂きマリー
総合して考えればバカでもわかる。
しかし、気がかりなのは警戒していたにも、関わらず背後を取られたこと。四方壁だらけのこの路地でだ。
おそらく、その情報を知った上でする行動は2つ。
逃げるか戦うか。
ヨーコの話では彼女らと関わり合いがあった被害者もいるらしい。相当な手練れらしき彼女らが仇を討つとまで言う人物だ。中には返り討ちにしてやろうとした者も、逃げ疲れたばかりに戦う以外の選択肢を与えられなかった人もいたはずだ。
戦うという選択肢を選んだ場合、自ずと取る行動は1つ。
壁を背にするということ。
そうすれば不意打ちを受けることはない。そしてその形を取るに路地裏という立地を活かせばあまりに容易。
だが、背中を刺された。
何の意味を成さないと言わんばかりに。
不可解極まりないが、なれば考えられることもいくつか出てくる。
1つ、壁抜けもしくはそれに準ずる何かの授能
2つ、壁から何かを刃物状のものを作り出す授能
3つ、巧妙に仕組まれた罠による攻撃
以上を考えれば、壁を背にするという行為が得策ではない。もしくは何の打開策にもならないことがわかる。
一番可能性が高いのは1つ目。次いで2つ目。
しかし、疑問も生じる。これほどまで至近距離に壁があるにも関わらず未だにユウが串刺しにされていない理由の説明がつかないからだ。
罠はない。断言してもいいほどの予感めいた確信がある。この足音さえ隠そうとしない幼稚な殺人鬼にその頭があるとは思えないし、否が応でも痕跡が残ってしまう。ごく僅かな物だとしてもあのヨーコ達が見逃すとは思えないからだ。
考察しながらも暗い路地を歩くユウの足元で小石が鳴る。付かず離れず、後方の足音はそのままだ。
「授能の線が当たりじゃろうが……なぜ襲って来ん? 何か条件があるっちゅうわけか?」
いくら考えても最初から思いついた方法を取るしかない結論に至る。
結局は侠気一本を貫いてきたユウにはこれしかないのだ。
「……へっ、行き止まりじゃの。頃合いじゃ」
パンっと腰あたりを叩いて気合いを入れる。
作戦は単純一本。刺された瞬間、ふん捕まえて殴る。これだけ。
刃物で刺されることに慣れているわけじゃない。いくらケンカ慣れしているとはいえ痛いものは痛い。だが、これしか方法がないのだから仕方がない。
「そろそろ鬼ごっこもだるまさんがころんだもやめにせんか? ほれ、ワシを殺したいんじゃろう? 見ての通り無防備、なんも持っとらん。やるならはよやらんか」
行き止まりを前に振り向いて発したユウの声が暗闇に吸い込まれていく。
クスクスと小さな笑い声だけが返ってきた。
しばらく待つ。いつ襲われてもいいように警戒だけは怠らない。
「攻めてこんか……やはり何か条件があるんじゃな」
静かな夜にその緊張は長い間続いた。何も起こらない待っても無駄だと痺れを切らしたユウが一歩前に足を踏み出した時、足の力が抜け膝が崩れる。
「ーーちぃっ!」
身体に沈み込む異物感。音もなく背後に忍び寄り、背中を突き刺した犯人に向けてユウは裏拳気味に拳を振り回した。
「うぐっ……」
空振り。
傷を負った身体でその勢いは殺しきれず、地面に膝をつきユウは眉を寄せた。ぼたぼたと滴る血と共に体温が低下していくのがわかる。粘っこく、生暖かい液体が腰を伝い、地面に血だまりを作っていくのは不快以外にならない。
いったい、いつの間に背後へ回り込んだのか。
道は一本。暗がりとは言え、狭い路地で馬鹿みたいに横をすり抜けられるような痴態を晒したつもりはない。
決まっている。さっきから予想していたじゃないか。授能に決まっている。
フラつく身体に鞭打って、ユウはゆっくりと立ち上がり前を向いた後に目を丸くする。
「……ガキ……じゃと……」
10歳過ぎ程の小さな少女がそこに立っていた。
手にはピンク色の柄の小さなナイフ。それは子供用包丁のように可愛らしいが、反面血に濡れた刀身が異色さを際立たせる。
真っ白な雪のように輝く銀髪の少女の肌は病的とも思えるほど白く、均一の取れた人形のような顔は無表情のままその青と緑のオッドアイを冷たく光らせてユウを見つめていた。
ゴシックドレス。外国の子供が着る余所行き服に身を包み、無感情に人々を殺戮する姿はまさに呪われた人形か。
月明かりに照らされ、露わになった姿は神々しくもありながら不気味で。
「ねぇ、返して」
「あぁ? 返して? なんのことじゃーーッ!」
小鳥のさえずりのように可愛らしいが抑揚のない声、心当たりのない少女の言葉にユウは首を捻り、返答する。言い終わるや否や、子供とは思えないスピードでユウの顔面を突き刺しに来た。
なんとかそれを後方へ転がるように回避。刺された背中が酷く痛むのを堪えながら顔を上げると、
「また消えおった……」
少女はまたクスクスと悪戯をする子供のような笑い声だけを残して闇へと紛れてしまった。