目的は……
夜の冷たい空気が気管を通り抜けていく。
霧は朝が近づくにつれて深くなり、視界は最悪といってもいい。
時折、見かける警邏隊の連中が血眼になって切り裂き魔を探し、すれ違えば早く帰れと咎められた。
「なかなか現れんもんじゃのぅ」
仕方なしにたまたま見かけた広場のベンチに腰を下ろし、ユウは小さく息を吐いて空に浮かぶ満月を見上げた。
かれこれ捜索を開始してから1時間が過ぎたが、進展は何もなし。
それもそうだ。あれだけの人員を従えて街をしらみつぶしに探す警邏隊でさえその足取りは掴めていない。この世界にはユウの知る警察と違って最先端科学技術を持っていなければ、監視カメラだってない。犯罪をするにはうってつけなのだ。それをこの街のことも、何か重要な情報を持っているわけでないユウが1人で躍起になって探したとて見つからないのは至極当然のことだった。
「切り裂きマリー……何か引っかかる……それに聞いたこともあるような……」
それはこの世界にくるより前のこと。
暇つぶしにとテレビを見ていた時に興味がないながらも見ていたような、と。
ユウは1800年代に英国を騒がせた『切り裂きジャック』のことをよく知らない。
知らないが、そのあまりにも有名な事件は時折、ドラマや映画でもモデルにされていたため少なからず耳には入っていた。
記憶の隅を探り、どうにかそれを引きずり出そうと画策するが歳のせいもあってかどうにもうまくいかない。
「せめて目的の1つぐらいは分かればいいが……しかし、なんじゃ。どうも体が重い。ここに来てからの無理が祟ったか、もしくはフランクの言うように……」
それにどうも嫌な胸騒ぎがする。
無意識に自身の胸のあたりを触わる。柔らかい感触を指先に感じた。
ピンとくる。
女になった自身の身体を触り、昼間に見た死体を思い出す。
「腹を捌かれとった。ありゃ、確か……」
記憶を辿るように己の腹部に指を這わす。
「下腹……子宮じゃ。何故、ここを切る。もし、確実に息の根を止めたいのなら喉、もしくは心臓のはずじゃ。にも関わらず、切り裂き魔は背後から奇襲をかけ、わざわざ身体をひっくり返し腹を捌いとった」
もう少しで何かがわかりそう、そんなところまで来た。
「臓物を抜き取られたような後はない。まるでなにかを確認するような……子宮……子供……そうか、子供か」
全貌は掴めない。
何のためを持ってして切り裂き魔が子宮を開き、確認したかったのかはわからないが、これで女だけを狙う理由がわかった。
だからどうした。捜査には何の役にも立たない情報と言われるかもしれないが、何かを得ることができた。それだけでも心持ちは大分変わってくる。
「狙われるのは子供が産める身体を持った女。ならば、ワシは尚更うってつけじゃないか。なんせ、こんな夜更けに1人、殺してくださいと言わんばかりに徘徊しておるんじゃからな」
原因不明の胸騒ぎは収まらないが、元気は出た。
飛び上がるようにベンチから腰を上げ、ユウはまた街の探索、切り裂き魔の捜索にと暗い路地裏へ向かう。
1時間の間に何となく警邏隊が見回っているルートは把握できた。
獲物に、囮になるならば誰かがすぐに駆けつけるような場所、状況を作ってはダメだ。
ならばとユウは日頃の労働で得た知識を存分に発揮し、この街でも知る人ぞ知る暗く狭い路地を進んで通り抜けていく。
ひた……ひた……ひた……ひた……。
するとものの数分で耳に微かな音を捉えた。
まぎれもない足音。まだ遠いが確実にユウの後をつけるように追ってくる。
「なんじゃ、簡単なやつじゃ」
軽い。
極道の親分として名を馳せたユウにとってヒットマンに命を狙われることはそう少なくはなかった。
その経験が持ってくるのは足音から察することのできる相手の情報。
「大柄な男じゃない。……いや」
正直に言えばフランクを疑っていた。
情報通のフランクならば、ヨーコ達の言う極秘情報を一般人でありながら知っていた彼ならばあるいは、と。
だが、この足音は明らかに違う。
隠密に行動するため慎重かつ丁寧に足を運んでいるのかを仮定してもあの巨体が地面を踏みしめる音には程遠い。
「ベラムのような大男が相手だったらと危惧したが、これならワシの力でも張り合えそうじゃな」
安堵した、と同時に警戒する。
真っ向から力技で襲ってくるのではないのだとしたら考えるのは何らかの特殊能力を持っている場合。
『授能』だ。
神から授かった能力と言われる授能。
身近で言えばシュシュの鉄球を出す能力のようにユウの世界では考えられない魔法のような能力。いや、この世界には魔法さえも存在しているのだから厄介なことだ。
なんにせよ、切り裂き魔がそれらを使ってくるのはほぼ確定的。なぜならば、相手の追跡はお世辞にも一流とは言えないのだ。死体には背後から刺された傷があった。一般市民が一目で切り裂き魔の仕業だと判断していたのを考えれば、それが相手のやり方なのだろう。
ならば、なぜ被害者はこんなにも下手な、素人と遜色ない尾行をされながら背後を取られたのか。耳が悪い人間でもこんな静まり返った夜の街で忍び寄る足音を聞き逃すはずがない。