屈辱の夜は永く
「まぁ、なんにせよベラムさんが出てきたとしてもしばらく協会員からの監視が付くからあっちも下手に手出しはできないと思うの」
「えっと……すぐって言うのはどのぐらいなんですか?」
不安げに眉を下げたシュシュの問いにしばし、テレサは深く考え込みいつになく厳しい顔つきで口を開いた。
「3日、長くて1週間……ってところね」
「そ、そんなに早く!? だってベラムって人はーー」
「案ずるなシュシュ。協会から監視が付くというとるじゃろう。ならば、安心安心。ワシらはのんびり、いつものように平和な日常を謳歌できるっちゅうわけじゃ」
からからと愉快そうに笑うユウ。
その横顔にシュシュはいくつかの疑問と違和感を感じたが、ついにテレサの前でそれを追究することはなかった。
友を殺され、あれだけ一方的に殴られ、鬼気迫る怒気を発していたユウの心がそんな簡単に落ち着くわけはない、と。
「あぁ、テレサ。ちぃと頼みたいことがあるんじゃが……」
「ふふ、あなた達にはすっごい怖い思いをさせちゃったんだもの。金銭的お願い以外ならなんでも聞いちゃうわ! ……あっ、なんでもって言っても痛いのとかエッチなのはダメよ?」
テレサと別れた後の帰り道。
帰り道と言えども2人には特に帰る家はない。せいぜい、今日も近場の安宿があれば泊まろうか、そんなやり取りをして人もまばらな夜道を静かに歩いていた。
ユウのいた世界とは違ってこの迷い込んでしまった異世界には蛍光灯やLEDなどといった蛍光器具の類はない。暗い闇世を照らすのは等間隔に建てられたガス灯ぐらいなものでそれもそこら中に建っているわけではない。
ぼんやりとした微かな灯を頼りに舗装の甘い石畳の上を傷だらけの身体でこけないように歩く。下層に降りて来てからは道端で大いびきをかく酔っ払いを蹴らないようにも注意しなくてはならなくなった。
「ユ、ユウちゃん……」
傷だらけの身体を重そうに引きずってる歩くユウ。その横に並ぶように歩いていたシュシュは顔を曇らせた。
先程からこの呼びかけは何度目になるだろうか。テレサと別れてから今まで2人の間に一切の会話はない。
無言を貫き、まるでどこか別の世界に行ってしまったかのように真っ直ぐに前を見据え、黙々と歩を進めるのみのユウ。いつしか、シュシュの足は重くなりゆっくりゆっくりと歩くのをやめてその場に立ち止まってしまった。
目的もなく、会話もなくただただ歩き続けるのみ。気づかぬうちに入り組んだ路地裏に入り込んでしまったらしく、周囲には人気のない廃墟が立ち並んでいる。
「ユウちゃん……」
シュシュの足元にポツリと一粒の雫が落ち、石畳にシミを作った。
俯き、鼻をすすり、堰を切ったように次々とシュシュの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。
その声を聞いて数歩先を歩いていたユウの足がようやく止まり、ゆっくりとこちらに振り返ると小さな声だが、はっきりと言った。
「悔しいのぅ」
覇気のない穏やかな目、牙を抜かれた獣のように見えるかもしれない。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を覆い、シュシュは嗚咽を漏らしながら何度何度も頷いてそれに応えた。
「友を救えなかった自分。その友の仇さえ討てない非力。権力故に蛮行が許される腐った世を正せない自分の無力さ。こんなに悔しいことがあるかのぅ」
だが、実際は違う。
これ以上、テレサを含めた他人に迷惑をかけまいと必死に堪え、内なる闘志がその目には宿っていた。
ケンカの勝敗、自分が受けた屈辱、そんなものはどうだっていい。
ただ悔しかった。
「わた……ぐすっ……わたじも……ぐすっ……悔しい……です……ッ! わたしに……ぐすっ……戦う力が……あ、あればッ!」
「何を言っとる。力なくともお前は助けを呼んできてくれたじゃろうが」
「ぢがいまず! わたしがッ! わたじが戦えればッ! ユウちゃんがケガをッ! セルシオさんが死んだりッーーうぇぇぇえん!!」
「阿呆、自分の力を過信し、相手との力の差を見極めることもできずにケンカを売ったワシがバカだったんじゃ。お前みたいに的確に状況判断をし、助けを呼んできてくれる奴がいて良かったとワシは思っとる。じゃなければ、ワシも……」
「ユウぢゃんがじんじゃいますぅ〜!!」
戻って見てみれば、ボロボロになり虫の息状態のユウの姿。友を助けられなかった、その点はシュシュとて同じ悔しさがあるのだろう。
涙と鼻水で顔を濡らし、わんわんと夜更けにも関わらず大声で泣き喚くシュシュに困り果ててユウは視線を外して頭をかいた。
「……シュシュ、ちぃといいか?」
そう言い残すとユウは視線の先で潰れていた酔っ払いからその手に抱えていた酒瓶を盗み取り、一軒の廃墟の中へと入っていった。
シュシュもまた瞼を真っ赤に腫らし、嗚咽を漏らしながらその後をふらふらと追っていく。
そこは古びた教会らしき建物だった。
壁は朽ち、床板には所々に大きな穴が空いている。祭壇らしきものは物取りに荒らされた後なのか見る影もなく、ぐちゃぐちゃに荒らされていた。かろうじて原型を留めているものと言えば教団奥に備えられた大きなステンドグラスぐらいのものか。文字通り埃と塵で曇ってしまっているがそこが教会だったと判別できるものはそのぐらい。
いったいそこは何を祀り、信仰していた場所なのか。このギルティアに深く馴染んでいるグリフォンを祀っていたかのような痕跡はない。