刹那の空白
拳を胸の前で握り、啖呵を切って見せたユウ。
顔面を撃ち抜かれ、口の端から大量の血を滴らせる男の咆哮を皮切りに手斧を携えた2人の処刑人も一目散にユウへと飛びかかってくる。
「……待て」
悠長にも部下に手をあげられ、今にも死闘が繰り広げられんその中で髭の生えた顎を丁寧に撫でていたベラムは静かながら力強くそう言い放った。
さすが上級ギルド、純粋な力の強さにおいては全ギルドトップの男だけある。極めて短いたったその一声で殺気立つ男たちを止めて見せた。
「なんじゃ、ケンカはやめようってか?」
じっとりとした眼差し、不気味なほど力強い威圧感に負けないようにとユウは精一杯の虚勢を張り、挑発するように口の端を上げた。
「そうじゃない。『俺の女』になる、と言う問いの返答を聞いていない。お前が俺の女になる気があるのならば、部下に殺されるのを黙って見過ごすわけにはいかないだろう」
「はっ、なんじゃそんなことか」
傍らに女を侍らせ、やけに真剣な表情で言うベラムの足元にユウはベッと唾を吐いて笑う。
「断るに決まっとるじゃろうが。ワシが愛すのは生涯ただ1人。それでもワシを欲するんじゃったら無理矢理にでも惚れさせてみぃ」
ベラムの顔があからさまに曇った。
「なんじゃ? 女にフラれて落ち込むとは図体の割には存外、肝っ玉の小さいやつじゃのぅ」
「……そうではない」
そう前置きをしてベラムは腕に縋り付く裸の女の頭に手を置いた。
依存するような眼差し、意志の全てを掌握されてしまったかのようなその女はさながら子犬のように、または発情期を迎えた獣のようにベラムの腕に抱きつき、媚びるように腰を振っている。
ベラムは軽くその女な頭を撫でて宥めると、哀しげな瞳でユウに向き直った。
「この女、お前は売春婦か何かの成り下がりだと思っているだろう」
「あぁ?」
「違う、この女もかつて俺の命を狙った勇敢な他ギルドの戦士であった。意志の強そうな瞳、漆黒の艶やかな長い髪、研鑽された戦術、磨き上げられた剣技。どれをとっても一流の戦士に違いなかった。お前と同じように口説いた俺を口汚く罵り、罵詈雑言を浴びせられたあの時は今でも深く頭に刻んである。……実に興奮した」
「ベラムしゃま! ベラムしゃまぁ!」
「それがいつしかこうなってしまったのだろうか」
蕩けた瞳で名を呼ぶ女を撫でるベラムの手に力がこもっていく。
「あの鋭い眼差しは何処に! 俺の皮膚を切り裂いた剣技は! 口汚くも力強いあの辛辣な言葉は! 何処に!!」
「あ、あああいい、いいぃぃ……ッ!? ベ、ベラ、ベララム、ムムムしゃーーッ!」
ミシミシと音を立てる女の頭骨。
今にも泣き出しそうな顔でじっとベラムは女の頭を握る手の力を強めていく。踠き苦しみ、涙や涎、小便を撒き散らせながら暴れる女をまるで最愛の恋人を送り出すように愛しそうに眺めーー
ーーピシャッ、と林檎が砕けるような音ともに赤黒い液体が周囲に飛び散った。
壊れた人形のように首から先を失くしてしまった女の身体は血溜まりの中へ力なく落ち、1度だけビクッと身体を跳ねさせると静寂に沈んでいった。
真っ赤な水たまり、そこに一粒の雫が波紋を広げる。
ベラムは泣いていた。
手に残った彼女の脳漿を愛おしそうに舐めとりながら、泣いていた。
「……狂っとる」
ユウの口から自ずと出た言葉。まさにその言葉に相応しい、異様な光景と異常な男。
ユウだけではない。ベラムの部下にあたる男たちもまた、ベラムの人道から逸脱したその異常さに恐慌し、全身を強張らせて唾を飲み込む。
「あぁ……俺はただ虐めて欲しかっただけなんだ。口汚く、汚物を見るような目で罵って欲しかっただけなんだ。誰も敵わなかった俺の暴力、その暴力さえも蹂躙し、隷属させるような真実の強き女性に……」
目を閉じ、天を仰ぎ、深く息を吸ってベラムは虚ろげな瞳をユウに向けた。
「……お前はあんな風にはなるまいな?」
プツッと糸が切れたようにユウの意識が途切れた。
気付けば視界にあるのは夕焼けの空を浮かぶオレンジ色の雲。
(……外? いつ外に出たんじゃろうか。ワシは今、まさに今、あのベラムとかいう狂った奴をぶっ倒そうとしとったところじゃないか。いかんいかん、こんな所で昼寝なんか悠長にしとる場合じゃないじゃろうが……)
やけに重く感じる身体を起こすと、忘却の彼方に消えていたものが一気に押し寄せてくるかの如く、全身を激痛が貫いた。
込み上げてくる『ナニカ』を吐き出すと止め処なく、次々に溢れてくる真っ赤な液体。口いっぱいに鉄臭い不快な味が広がっていく。
「な、なんじゃ……何が……いったい何が起こった……ッ!?」
騒めく周囲の人々、視線の先に先ほどまで自分がいたはずのゴブリン商会のアジト。シュシュとくぐったあの重厚な扉はなく、その残骸らしき木片が地面に転がっている。扉があったはずのそこには強い衝撃を受け、吹き飛ばされたかのようにぽっかりと穴が空いていた。
痛む身体を無理やり起こしてフラフラと立ち上がったユウは巻き上がる砂埃の先に人影を見て、目を瞬かせた。
「ワシは……殴られたんか……?」