くび
汚れた石畳から数歩だけ敷地内に入り、石製の玄関ポーチを3段上った先、縦にも横にも長いいったい何の材木を使ったものなのか、見たことのない不思議な魅力を含む重厚な木製扉の前に2人は並んで立った。
さすが中級ギルドの根城と言うべきか、間近に立ってみてわかるのは低層に立ち並ぶ下級ギルドのそれとは一線を画している。
具体的に言えば、まず建物の大きさが段違いである。下級ギルドの物といえばそのこじんまりとした見た目は一般邸宅か酷いものとなれば山小屋、もっと酷いものでは納屋ぐらいのものまである。そう考えると目の前に佇む3階建ての立派な屋敷はさすが中級ギルドと言うべきか。治安の悪い街道裏の道に建っているが、中級ギルドの中でも悪評とは言え、名の知れたギルドだけあってその力を誇示するかのように存在感を存分に示している。
そして例えようのない不思議な魅力を含んだこの木材。玄関ポーチの階段に備えられた手すりにもその素材が使われているが、下層の方では見たことのないものだ。きっとこちらでいうチークやマホガニーといった高級木材の一種なのだろう。
「……なんだか緊張しますね」
「そうじゃのう、なんだか落ち着かない。ソワソワしてしまうわ」
ヤクザの親分とは言え、所詮下部の極小組織。映画やドラマのように大屋敷には縁遠い生活をしてきたユウも思わず、身体を硬くするがここに来て緊張などしていられない。
どんな大男でも通れそうな高く広い扉に付けられたドアノッカーを握り、数回叩きつける。ゴッゴッ、と低音が響く。
が、一向に家人からの返答はなし。扉が開く気配すらない。窓から漏れる灯りからするに留守というわけではなさそうだが。業を煮やして再び、ユウはノッカーを今度は強めに打ち付ける。
重い音が扉の向こう側に響き、余韻を残して消え去りそうな頃、ようやく分厚い扉のドアノブが音を立てて動いた。
「…………なんだお前ら」
外を警戒するように僅かに開かれた扉の隙間から顔を覗かせた男は目の前に立つ2人の少女を心底怪しむように訝しげな瞳を光らせてジッと睨みつけた。
瞬間、ユウの袖口がギュッと力強く握りしめられる。言わずもがな、シュシュに決まっている。強張った顔に硬く鉄のように緊張した身体。それは決してその男の鋭い視線に臆したわけではない。
「何があったんじゃ」
男の頬を伝う真っ赤な液体。見ればすぐにわかる。
血液だ。
それも自分のものじゃない。男の顔には一切の傷さえ見えない。よく見れば、ドアに隠れるようにある靴も血で真っ赤に染まっている。ただ事ではない何があるのは明らかだ。
「質問してるのはこっちだぜ? 答えろ、何の用だ」
自らを染める血の存在に気付いていないのか、はたまたユウ達を一目見て返答する必要がないと察したのか、動揺する素振りなど微塵も見せず、男は高圧的な態度を崩さない。
「……友人に会いに来た」
「そうか、それはご苦労だったな。だが、今は無理だ。少し立て込んでる。なに、取るに足らないことさ」
「とても取るに足らないことのようには思えないが……」
「それを判断するのはこっちだぜ、お嬢ちゃん。いいから帰りな。そして、今日のことは他言せずシーツにくるまって大人しく寝ろ。例え、お前の友人のくだりがウソで上玉の売春婦が身売りに来たんだとしても今日はダメだ。女を抱くよりも大事なことはある」
扉の隙間から漏れ出る鉄臭い血液の香りが鼻をつく。いくら嗅いでもこの臭いだけは好きになれない。
「頼む、今日しかないんじゃ。セルシオを呼んでくれ」
「セルシオ? ははっ、それはできない。その大事なことってのにお前の友人セルシオ君が絡んでるんだからな。そうだな、熱烈な教育中ってやつだ」
鼻を抜ける血の臭い。ゴブリン商会の悪評、セルシオの噂。男についた夥しい量の返り血、騒めく心中と理性のバランスが揺れ動いていたその時に、
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーぁあ?」
泣き叫ぶような絶叫がそれを吹き飛ばす。
扉の向こうで真っ赤な液体が花火のように散らばり、隙間から僅かに見える壁一面を真っ赤に染め上げた。
ギュッと逃避するように肩袖に顔を押し付けたシュシュ、一切の瞬きをせず呆然とそれを眺めていたユウ。男の足元に何かボーリング玉程の物体がごろりと転がってきた。
首だ。
幸いにもその首はセルシオではない。
しかし、それユウの理性の箍を外すのには十分すぎた。
問題事を起こすな、そのテレサの忠告がなんだと言うのだ。今、まさに友人の命が危機に瀕しているではないか。
渾身の力で男の顔面を殴りつけ、吹き飛ばすと扉を蹴飛ばして強引に中へ足を踏み入れる。
「ク、クソアマが……ッ!」
鼻血をぼたぼたと垂れ流し、フラフラと立ち上がる男。やはり、一撃では仕留めきれなかったがそんなことはどうでもいい。
「……何しとるんじゃお前ら……」
椅子に座らされた2人の男。一方は首が無く、一方には麻袋を被せられている。首がない方は恐らく、あの玄関口まで転がってきたあの男のもの。そして、もう一方は着ている衣服や靴から察するにセルシオであることは間違いないだろう。
その2人の横に立つのは上半身裸、血塗れになりながらも恍惚な表情を浮かべる斧持ちの男が2人。最後に少し離れた先、壁を背に大きな革製ソファに腰を据えて片手に裸の女、片手に酒を持つ2メートル半はあろう大男が金色の瞳を光らせて静かに微笑んでいた。
それはまるで大男のために催された残虐ショーかの如く、異様な光景。