煙は立たない
「なんでじゃ! 何故、中層に上がることを許されんのじゃ! おのれ忌々しい。なんじゃ、あの門番は! ワシらを幼子を相手にするようかなあしらいおって!」
「そりゃそうだろ。中層に上がれるのは中級ギルド以上の者、またはその傘下などに属するものだけだからなぁ」
「しゃんか? しゃんかってなんれすか! 用があって訪ねた人をああもりゃんぼうに追いきゃえすなんれ信じられましぇんよ〜!」
「門番も仕事だからなぁ。腕が立たなきゃその仕事も務まらんだろうよ」
意気揚々とセルシオに金を返すため、中層に本拠地を構える『ゴブリン商会』へ向かったユウとシュシュの2人であったが、結果は言わずもがな。こうして馴染みの酒場で愚痴を吐露している様を見れば誰でも察しがつく。
蟒蛇のように酒を飲み続けるユウと少量の酒を舐めただけで顔を真っ赤にしてしまったシュシュは呂律の回らない舌、虚ろな目を怒らせてグラスをテーブルに叩きつけた。
「なんなんれすか! ユウちゃんは病み上がりなんれすよ! それなのにあんにゃ!」
無愛想でいて、あまりに横暴な態度に激昂したユウ。ベルセルククレフターを退治し、少しばかり気が大きくなっていたのだろうが、ユウとて少々、力が強いだけの可憐な少女。振るった拳などいとも簡単に受け止められ、襟首を掴まれて階段下まで投げ飛ばされてしまったのだ。
それをまた思い出してユウは鬼のような形相で酒を煽る。その繰り返しだ。そのシュシュの愚痴だっていったい何度聞いただろうか。数えるのを諦めるぐらいには達している。
気に入り、最上級の酒をご馳走した少女とその友達。いくらかの金を返しに来てくれたのは有難いが、このヤケ酒だ。借金返済どころか、この代金もツケになりそうだと、酒場のマスターは小さなため息を吐いて、グラスを磨き続ける。
「のぅ、あの門番はどこのどいつじゃ。こんな勝負にもならないケンカ始めたじゃからのぅ。借りを返さなくては気が済まん!」
「あ〜、それもさっきから何度も言ったけどよ。門番だってギルド管理協会の一員さ。武力がモノを言う世の中だ。噂じゃ、中級ギルドかそれ以上の実力者も協会職員の中にはいるっつー話だぜ、とな」
「なんじゃ、ギルド管理協会にカチコメばええんか」
「ぶちころしましょ〜! ユウちゃん、わらしたちならいけまふ!」
客がいない昼過ぎで良かったとマスターは心から安堵した。でなければ、小遣い稼ぎにタレコムような輩の餌食になっていただろうから、と。
ユウとシュシュが食べ飲み散らかした物を黙々と片付けながらマスターは前置きをして、切り出す。
「余計なお世話かもしれねーが……門が通れなくて良かったんじゃねーかと思うぜ? 俺がギルド嫌いってだけじゃねー。お前さんたちが訪ねようとしていた『ゴブリン商会』それだよ」
「なんじゃ、どういうことじゃ」
「元々、いい噂を聞くようなギルドじゃなかったが、最近は特に悪い。悪いを飛び越して最悪のギルドだ、なんつー噂が立つぐらいだぜ。俺も実態を深く知るわけじゃないが、火のないとこになんとやらって言うだろう?」
「そんなとこにセルシオがのぅ……」
いつの間にかくぅくぅと寝息を立てるシュシュを眺めてユウは呟く。
「何でも強盗、強姦、恐喝は当たり前。殺人だって何とも思わねー無法者の集まりだって話だぜ。嬢ちゃんたちの顔立ちだ、間抜けに警戒もせずに近づいてたらただじゃ済まねーかいや、強姦や殺人よりも酷いことが起きてたかもしれないぜ」
「なぜ、そんな奴らがのうのうと街を歩いとるんじゃ。そんなのお国が許さんじゃろーが」
「はっ、国なんて機能してねーよ。なんせ、国王が不在の国だぜ? あの立派なお城さんも今じゃただのシンボル、ハリボテになったって誰も気付きゃしねーさ」
「なんや通り魔事件を追っとるギルド連中がいたじゃろ。そいつらがーー」
「そこだよ。タチが悪いのがそのゴブリン商会が上級ギルド『グェン同盟』の傘下組織っつーことだ。後ろにこれがついてちゃ、協会も他ギルドも簡単に手出しはできねーんだよ」
「聞いた名前じゃの、どこでだったか……」
「上級ギルド自体、数えるくらいしかいないからな。耳にしててもおかしくはないさ」
恩人セルシオが入ったギルドにそんな裏があったとは、馬鹿みたいに喜び、祝いの言葉を捧げた自分が馬鹿らしく思えてくる。
だが、だからこそ。あのときの無知な自分が何も助言してやれなかったからこそ今、手を差し伸べに行くのが正しいことではないか。
ゴブリン商会のやっている、いや正確には疑いがある所業の数々は決して褒められるものではないが、ユウの属していた東部会はどうだったか。完全にシロとは言い切れない。もしかしたら自分の組、鮫島組でも隠れて同じようなことをやっていた構成員もいるかもしれない。そんな自分が怒り、手を差し伸べるのは間違っているのではないだろうか。
でもーー。
「……あ〜あ、ったくよ。それでも行くっつー顔してやがる。人が親切心で言ってやってるのによ。改めて言うが、俺は嬢ちゃんを気に入ってる。つまらねーことで死んで欲しくないんだよ」
「死なん。恩人……いや、友の為に行動出来ずに何が漢じゃ」
「漢じゃねーけどな。……はぁ〜」
困った顔でユウに視線を固めていたマスターはやがて諦めたように深く重いため息を吐いて、首を振った。
「ギルド管理協会に頼んでみな。昔、金のなかった頃、協会のおつかいで中層に上がったことがある。そんな名目なら中層への通行手形を貰えるかもしれん」
「おぅ、感謝する」
マスターの助言を聞くとユウは力強く頷き、両掌で自身の頬を強く打つ。そして安らかな顔で睡眠を貪るシュシュを抱き、多量の酒はどこへやら、酔いを見せぬ確かな足取りで酒場を出て行った。