いつもの騒ぎ
「ハッピーちゃん、事情は聞いたよ。でもね、危ないことをするのが近道とは限らないっていうのは心に留めておいて」
ふとユウの頭を撫でていた手が止まったかと思うとセイラはクッと顔を引き締めてそう告げてくる。
まるで過保護な母親を相手にしているようだが、その経験がないユウにとっては少しだけ行動の仕方を考えなくてはと思わせる。
「それが守れるならお姉ちゃんも力になるよ! だって私はここのみんなのお姉ちゃんだから!」
「…………リリアン、ちょっといいか?」
「あん?」
「あのセイラとかいう娘、お前より歳下じゃろう? 何をあんな風に最年長者らしい振る舞いをしとるんじゃ?」
「あー……心の持ち方は誰だって自由だろ? あ、あたしはセイラさんのこと尊敬してるぜ、マジで。いや、この娼館の娼婦たちのほとんどはセイラさんのことを同じように思ってるんじゃねぇかな。色々と世話を焼いてくれる先輩だし、あたしだって不意に自分があの人の本当の妹なんじゃないかと錯覚しちまうぐらいだ」
「まぁ、いい。それとだな、リリアン」
「次はなんだよ?」
「話が広がりすぎていやしないか? ワシは隠密に動いてるはずだったんじゃが」
「信頼できる相手なら仲間に引き入れた方がいいに決まってる。中でもセイラさんは別格だ。この人が娼婦を消すようなことをするわけないし、No.1だけあって何かと上にも融通が効く。それに何かと勘がいい人だからな、この人は。欺きながら行動するよりはずっと楽だ」
「……なんじゃかのぅ」
2人がこそこそと耳打ちし合ってるうちもセイラは笑顔の貼り付けたままこちらをじっと眺めている。
その姿が何処か恐ろしくもあり、不気味にも思えてきた。
「とにかくさ、ウチらも帰らね? 帰りにさ、朝までやってる美味しいお店知ってるから寄ってこうよ!」
「なっ、お前は元気じゃのぅ……。ワシはもうヘトヘトじゃぞ」
「なに、じじくさいこと言ってんだしー! ほら、まだまだ朝まで長いよ!」
リッカに手を引かれ、否応もなく連れ出されるユウの後ろ姿をリリアンは仕方なしにゆっくりと追いかける。
かくしてユウの娼館デビュー初日、辛く長い夜が明けに向かっていくのであった。
それから1週間の月日が流れた。
あれほど嫌で仕方がなかった接客もセイラやリッカに教えて貰った『すご〜い』『大変ですね』『絶対モテますよね?』の常套句を駆使して何とか乗り切っている。
女の体に生まれ変わり、こうして男という生き物を客観的に見ていると馬鹿で単純、そして少し悲しくさえなってくる。
接客は酒の味がわかる程度には慣れてきたし、これも調査の為とは言え、不休で働き続けた甲斐というものだろう。貞操の方はというとまだなんとか守り切れてはいるが、そろそろ断り方のレパートリーも減ってきた。さすがに娼館で働いておきながら誰にも体を許さず、飲食の接待だけというのは周囲も怪しんでくる頃合いだ。実は一度だけ強引に肉体関係を迫る客もいたが、つい咄嗟にその客を殴り倒してしまったのはまだ記憶に新しい。しかし、店長であるマリアンヌがそれを言及することはなかった。これも娼婦たちが慕う理由の一つでもあるのかもしれない。
「……今日もか」
そして1週間という時をこの店で過ごしたことにより、少しだけわかったことがある。調査は難航を極め、何の手がかりと成果も得られないまま苛立ち、悶々と過ごしていたユウの耳に飛び込んできた外の喧騒に混じって聞こえてくる従業員たちの声。それは毎日、ほぼ決まった時間に聞こえてくる。それがこの休憩時間だ。
「今日はまだ客も少なく、疲労も幾分かマシじゃ。どれ、すこし様子を見にいってみるとするかのぅ。どうせ、ここにいても何の手がかりも掴めんのじゃし」
半ば、諦め半分と冷やかしぐらいの気持ちでユウは重そうに腰を上げて声のする外へと足を伸ばす。
休憩室で無駄話に華を咲かせるよりかは外の空気でも吸いながら揉め事を遠巻きに見ていた方が考えが少しはまとまるかもしれない。
いつもよりは少ないとは言え、十分に騒がしい接客ホールを抜けてユウは派手な扉を押し開けた。
「あだッ!?」
外の風が顔を撫でるより早く、ユウの頭に小さな衝撃が襲った。遅れてきた鈍痛に頭を押さえながら足元に転がる小石を蹴り飛ばし、眉を吊り上げて睨んだその目が見た物は小さな子供、ほんの6、7歳ぐらいの子供がボーイたちに取り押さえられている光景であった。
「おいクソガキ、てめぇ! よくも石なんて投げやがったな!」
「うるせぇ! 離せ! お前らとなんて話しても無駄だ! せきにんしゃを出しやがれ!」
「おい、とっとと追い出せ! これじゃあ、客も寄り付かなくなっちまうだろ!」
「わかってる! なら、お前も手を貸しやがれ!」
もみくちゃになりながら暴れる少年とそれを囲む大の男たち。
「いい加減にしろ!!」
男の1人が少年の頭を強く殴りつけた。派手に暴れていた少年の動きが収まり、じんわりとその両目に涙が浮かび上がっていく。
「おい、なんじゃこの騒ぎは? 子供相手にそれはあまりに過剰じゃろうが」
黙って見ていてもあまり気持ちが良い物ではない。
ユウは取り囲むボーイたちの肩を押し退けて少年を引き寄せた。
「ハッピーさん……いや、これには理由があって」
「このクソガキが悪いんすよ」
ボーイたちは基本的に娼婦への扱いを無碍にすることはない。それはマリアンヌの言いつけなのかそれとも唯々、娼婦としての商品価値を下げないためなのかは定かではないが。
「理由があろうとガキを殴るのはワシは好かん。この場はワシが預かるからお前らは仕事に戻っとれ」
言葉を遮ってユウがそう言い放つとボーイたちは口元をもごもごと何か言いたげに動かして、すごすごと背中を向けて店の中へと戻っていった。