花屋になるために
「まっ、テメェが訳ありなんてことは誰だって知ってる。俺ともなればそれ以上ってわけだ」
あれほど悪どく欺いたと言うのにもう旧知の中、まるで腐れ縁の友人とでも言うようにしたり顔でウィスリーは鼻をさすった。
その横でまたもビルが大きな身体をもぞもぞと動かし、足元から取り出したソレを机の上に滑らせた。
「なんじゃお前、いつからこいつの小間使いになった?」
「うるせぇな……俺だって恥ずかしいんだ」
「んん〜……なんじゃこれ?」
鮮やかな装飾の施された小箱を手に、ユウは首を傾げる。すると、ウィスリーはさも小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、
「化粧箱だよ。ビルに準備させた」
「俺はこんな風貌だ。こいつを手に入れるのにどれだけの恥を忍んだことか……今でも思い出すぜ、露天の婆さんの嘲笑う顔、周囲で騒ぐ若い女たちの声を……」
「……嫁さんのプレゼントとでも言えばいいじゃろうが」
「そ、そんな見え透いたウソ言えるわけないだろ。言わなくてもいいことを自分からペラペラ喋るなんてそれこそいかにもってやつじゃねぇか」
「しかしユウ、お前ってやつは化粧箱もわからね〜とは……マジで女かどうか怪しくなってくんな」
「別に化粧に興味もない女がいても珍しくはないじゃろうが」
「はっ、だからお前は色気ってやつがねぇんだよ」
「……まぁいい。お前にヤキ入れるのは後回しにしたる」
握りしめた拳をそっと納め、ユウは化粧箱の蓋を開ける。中には色鮮やかな化粧道具がいくつか。前世、量販店で見慣れた物とは違えども、そのいくつかはそう遠くかけ離れているわけでもない。だが、やはり魔法が発展した世界。魔法具らしき形をした小瓶もあった。
いったいどのようにして使うのか、化粧さえ始めてだと言うのに得体の知れない魔法の小瓶。眉間に皺を寄せて、ユウの手が迷う。
「お? 気になるか、その小瓶。恥ずかしい思いもしたが、店の婆さんがサービスってつけてくれたんだ、その小瓶は。綺麗だろ?」
「……ワシが化粧をする。化粧をすれば完全にとは言わずともそれなりに印象を変えることもできるじゃろう。加えて髪色、髪型まで違えば、馴染みの間柄でもなければシラを切り、正体を偽ることも可能じゃとワシも思う。そう……思うが……うむぅ……」
「化粧の仕方がわからねぇってか?」
静かにユウは頷く。
「おいおい、ただの一度だって化粧したことがねぇのか? あるだろ? 1回ぐらいは普通よぉ」
「おいおい、マジかよ。ウィスリー、お前の知り合いで化粧の手ほどきしてくれそうな女はいねぇのか?」
「いるわけねぇだろ。お前こそ、テメェのカミさんに頼むことはできねぇのかよ?」
「バ、バカ言うな! 風俗に女売るから化粧教えてくれなんて誰が言えるか!」
「いや、そこは濁せよ。別に正直に話すことねぇだろ」
「俺が隠し事できないって知ってるよな?」
想像の中で激怒する妻の顔に身を震わせてビルが言うとウィスリーは禿頭を叩き、低く唸った。
「ユウ、お前にはそういった知り合いが1人めいないわけねぇよな? お前の周り全員がテメェみたいに野暮ったい芋女ってことはねぇだろ?」
「化粧か……うむぅ〜〜」
腕を組み、ユウは瞳を閉じる。
シュシュに聞いてみようか。いや、シュシュもどちらかと言えば薄化粧。そこまで化粧に精通しているとは思えない。マリーは論外だ。子供の彼女がそんなこと知るわけもない。
「あ〜おったわ。うってつけのやつが」
「へぇ〜〜〜アンタが化粧を? 珍しいことがあるものね」
ナルキスの回診にとユウたちの住居に訪れていたクララは妙に小憎たらしい笑みを浮かべてユウを見遣った。
「いったいどういう風の吹き回し? アンタってこういうのまったく興味なかったじゃん?」
「そうですよ。ユウちゃんはお化粧なんかしなくても素材が良いんですから! せめて薄化粧程度にしましょうよ。こんな派手派手なクララちゃんに化粧なんて教わったら台無しになっちゃいますよ? ひでででで!」
無言で睨みつけながらシュシュの頬をつねるクララ。
シュシュの言葉はたしかにただ色を覚えただけならば嬉しいことこの上ない言葉なのだが、今回はシュシュの言う薄化粧では正体を偽ることは難しいだろう。
「いや〜その、ちょっと『花屋』で働くことになっての」
「花屋? 花屋になんでお化粧が必要なんよ?」
「ほら、あれじゃ、色鮮やかな花々に見劣りせんよう売り子も煌びやかで華やかな容姿を求められてると言うか……」
「いや、花売るのになんであんたも目立とうとすんだし」
「ま、まぁ、細かいことは気にするな。どうじゃ、ワシに化粧の手解きをしてくれんかの?」
「いや、いんだけどさーなんか引っかかる」
訝しむ目を逃げるようにしてユウは抱えていた化粧箱を開き、中身を取り出していく。
「ぷっ、なにそれ!?」
その最中、明らかにユウが手にした小瓶を目にした途端、クララが口を抑えて吹き出した。
「いやいやいや、あんたなんつーもん買わされてるわけ?」
「な、なんじゃ? この小瓶がなんなんじゃ?」
「わかんないのに買ったわけ? ぷぷっ、いいからいいからそれ飲んでみ」
「の、飲む? 化粧品をか? 正気かお前!」
「いいからほら、グイッと」
どこか揶揄われながら囃し立てられるユウはその鮮やかな液体の入った小瓶を恐る恐る口に入れる。それは張り付くようなベトベトとした喉越しとなんとも言えない味がした。