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おはよう

 カーテンの隙間から漏れた暖かな陽光がシュシュのかおを照らす。

 重たい瞼をゆっくりと開けたシュシュは数秒の間を置き。毛布を蹴飛ばして飛び起きた。


「うわっ! きゅ、急に起きんなし!」


「……くぅ……ちゃん……? ……そうか、わたし帰ってきたんですね……」


 隙間風と古く痛んだ木の匂い。傍には身を抱え、眼を丸くするクララの姿。いつもと変わらぬ自室の風景にいつもと変わらぬ友人の姿。空は青々と広がり、天高く登った太陽は眩いばかりに輝いている。


 ここにあの恐ろしい怪物はいない。


 なんでもないはずの日常に戻ってきただけなのに何故だか酷く安心し、瞳から涙がこぼれ落ちる。


「はぁ? なんで泣いてんのあんた? まさか怖い夢でも見たとかそんなんじゃないわよね?」


 クララに呆れた顔で言われながらシュシュはまつ毛を濡らす涙を拭った。

 手がある。両方共だ。身体にも小さな外傷さえはない。なのに身体の震えが止まらない。恐怖と安堵、その両方が止めどなく押し寄せてくるのだ。


 果たして本当にアレは夢だったのだろうか。


 いや、傷一つないこの身体がそれを証明しているのだが、残った生々しい痛みの記憶があまりに鮮明過ぎる。どのようにこの身体が解体されていったのか、それがつい先ほどのことのように思い出せる。


「あ〜、それでさ。あんたたちにいったい何があったのさ?」


「……あんたたち?」


「何かなきゃ、2日も寝っぱなしになんてことしないっしょ?」


「ま、2日!? わたし、そんなに寝てたんですか!?」


 告げられた事実に驚愕し、声を上げたシュシュを唐突な眩暈が襲う。今思えば、起きた頃から身体が鉛のように重い、そんな気がする。

 激しい倦怠感と眩暈に見舞われながらもシュシュは全ての経緯を事細かにクララへと告げた。最初こそクララも与太話を聞くように半信半疑といった感じで適当に相槌を打ちつつも茶化したりしてきたが、シュシュが時折見せた何かに怯えたような表情を見て最終的には横槍を入れることもなく、黙ってその悪夢の話に耳を傾けてくれた。


「……なるほどね」


 シュシュの言葉が切れた頃合いを見てクララが一番に口にしたのは納得の言葉。


「いやさ、ユウが言ったんよ。『毎日毎日、鬱陶しいくらいに見舞いに来ていたシュシュたちが姿を見せん。何か良からぬことに巻き込まれている可能性があるかもしれないから一度様子を見てきてくれ』ってさ。ぶっちゃけ、めっちゃだりぃって思ったわ。だってさ、病院からの帰り道、あんたらの家とあたしん家ってま反対なわけじゃん?」


 戯けたような表情で両手を上げたのも束の間、一転してクララは真剣な眼差しでシュシュを見つめた。


「正直、来てよかったと思ったわ。だってさ、あんたら2人してまるで死人、まるで静かに寝息を立てているようだけど全身の血が抜けたみたいに真っ青で冷たかったから。ただでさえ、劣悪な環境に住んでるんだからこのまま寝てたら凍え死んでたか、日頃の節制が祟って栄養不足で本当に死んでたと思う」


「そうだ! ナルキスくんは! ナルキスくんは眼を覚ましたんですか? それにブレンダさんも! 彼女が帰ってきてないなら意味がーー」


「あ〜……見に行ってみる? たぶん死んではいないと思うけど……」


 あまり気乗りしなさそうにクララは言葉を濁し、腰を上げた。

 ナルキスの部屋へ向かう途中、クララは手を後ろに組みつつ告げる。


「ブレンダとか言う人の事なら安心しな〜。まだ、完全に眼を覚ましたわけじゃないけどさ、つい今朝方にヴェルなんとかって金持ちっぽいおっさんが泣きながらここに駆け込んで来たよ。娘を救ってくれてありがとうってさ。なんでも少しだけ眼を開けて話をしたらしい」


「そうですか……よかった……」


 手を胸の前で握りしめ、シュシュは心の底から安堵した。ブレンダの生存は勿論のこと、自分が取った選択肢が本当に間違っていなかった、そう実感できたような気がしたからだ。

 そう安堵したのも束の間、ナルキスの部屋の扉を開け、その光景を見た途端、シュシュの胸が再び騒つく。


 息はある。死んではいない。だがしかし、ナルキスが目覚めるような様子は皆無だ。


 自分がどんな様子で悪夢の中を彷徨っていたかはわからないが、シュシュの脳裏にある1つの不安が過ぎる。




 ナルキスはまだ悪夢の中にいる。




 鼓動が一気に速くなっていく。脈打つ血の音が耳の奥で激しく鳴り響いていく。


「シュシュ、落ち着きなって」


「落ち着いてなんかいられませんよ! わたしはナルキスくんを犠牲にして悪夢から生還したんですよ!?」


 肩に置かれた手を振り払ってシュシュは叫んだ。


「見てください、この顔。とてもただ眠っているだけとは思えないぐらい衰弱してるみたいなのに左頬だけは赤く腫れて……きっと悪夢での負傷が現実にもーー」


「ーーいや、それはあたしが殴った」


「…………へ?」


「いやいや、あたしだって医者の卵なわけだし? 最初は真面目に、それはそれはどこに出しても恥ずかしくないぐらい真面目に看病をしてたんだけどさ。不意に思い出しちゃってさ、この前バカにされたこと。んで、目を覚ましたらまた嫌味をネチネチ言ってくんのかなって考え始めたらさ、寝てるうちにやっちゃえって」


「叩いたんですか?」


「うん、グーで」


「がっつり殴っちゃってるじゃないですかぁ! いくら相手がナルキスくんだからって! 最低最悪なナルキスくんだからってグーで殴るなんて……殴るなんて…………いえ、普段の行いを考えれば殴られて当然なのかもしれません」


「でしょ?」


 うんうん、と2人で頷き合い、共感したところでシュシュが話を戻す。


「ですが、なんでナルキスくんだけ意識が戻らないんですかね?」


「症状から察するに授能の使い過ぎ」


「それでこんな寝たきりに? わたしでさえ1日寝れば回復するのに?」


「あんたの授能は血液を媒体にして能力を展開するタイプでしょ? 自分がには色んな型があって強力な授能ほどその代償は大きいわけよ。たぶん、こいつの授能は生命力とか生命を維持するのに使う物を代償としてる」


「くぅちゃんすごい! 物知り!」


 煽てられ、クララが照れ臭そうに鼻頭をかく。


「まぁ? ギルティアで医者をやってるんだからこんぐらい知ってて当然っしょ」


「それで具体的にはどうしたらいいんです? ナルキスくんはどうしたら目を覚ますんでしょうか?」


「……あんたさ、なんかこいつとあった? さっきからナルキスくんナルキスくん言い過ぎじゃね? もしかして、あんた! アハっ!」


「本当にやめてください。向こうでもそのノリをされたのに帰ってきてまでそうだといよいよ手が出そうです」


 目の光が消え、静かに拳を握り締めたシュシュ。そのえも言えない迫力に戦慄を覚え、クララは冷や汗を流した。


「い、いや〜あたしも授能に精通してるわけじゃないし、そもそも授能ってまだ解明されてない部分が多分にあるんだよね。だから、安静にして回復を待つぐらいしかないかなぁ」


「そうですか……」


 ぼろぼろのベッドに横たわるナルキスの静かな寝顔。その口から憎まれ口が飛び出してこないと何故だか寂しいような気持ちがしてくる。そこに恋愛感情があるわけではない。ある種の仲間意識、そんなものがこの悪夢の旅を終えてより一層強まったような気がした。

 今の彼に何を告げようとその耳に届くことはないだろうが、シュシュは小さく口を動かして感謝の意を告げる。


 ありがとう、と。


 シュシュだけならば決して叶わなかった悪夢の脱出。ナルキスがいたからこそ、それを成し得たのは揺るぎない事実である。だからこそ、シュシュは思いのままに告げた。面と向かって言うことはないだろうが、ナルキスが目を覚まさぬ内に、素直に感謝の言葉を。





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