天使
空気を震わす轟音の中でシュシュは窓際に駆け出す。
時計が壊れて尚、鐘の音がまだ正確に時を刻んでいるならば今はちょうど0時。
「……来た……流星群だ……」
鐘の音に包まれながら、夜空に流星が瞬いた。呼吸を忘れてしまうほどに美しく、足が動かなくなるほどに神秘的でまるで夢の世界ようだと圧倒され、あまりの迫力に消し飛んだ記憶を取り戻してここが夢の中だと思い出す。
「綺麗……でも……」
同じく夜空の輝きを瞳に映し、立ち尽くしていたブレンダが不安げに声を漏らす。
その言葉が最後まで紡がれたのかはわからない。この鐘の音の中で吐息にも似た独り言など耳を澄ませようともかき消されてしまうだろう。しかし、シュシュにはその言葉、『でも』という言葉の後に何が続くのかは大方予想はできた。
天に広がる暗い空、そのさらにさらに奥、シュシュには想像もつかないはるか彼方未知の空間より降り注ぐ無数の流星群。光が途中で消失することはなく、それらは決まってこの街に、まるで何か指し示したかのように真っ直ぐとこちらに向かってきているのだ。そして強い光を放つ流星群に紛れてはいるが、確かにその中央に何かがいる。暗く湿った空気を漂わせながら人々が神と呼ぶような畏怖の存在感を纏う何かがそこに。
窓枠に置いたシュシュの手のひらにじんわりと汗が滲む。
ーー何かが起こる。
そう察し、窓際から身をひいたシュシュの視線に1つの流星がこの時計塔目掛けて落ちてくるのを捉えた。
息を吸い込み、鐘の音に負けないぐらいの声量で叫ばんとしたその時、時計塔に大きな衝撃と共に瓦礫の暴風が吹き荒れた。
「ーーーーう……うぅ……」
明滅する視界、冷たい血液が額から垂れ落ちたのを感じ、シュシュは自分が衝突した星の衝撃で吹き飛ばされたことを理解する。
高速で降り落ちる流星、その落下地点がここだと認識してからでは遅すぎた。
救いと言えば、ブレンダやエドヴァルドが吹き飛ばされた場所もそう遠くはないということ。
舞う砂埃は濃く、この時計塔が甚大なダメージを受けたのは明らかだ。だが、まだ崩れてはいない。今にも崩壊してしまいそうではあるが、その前に2人を起こし、この時計塔を脱出することは十分可能だ。ただそれは星の落下が再びこの時計塔に命中しないことを前提条件としてのこと。加えて時計塔を出るということはあの怪物達が蔓延る中に飛び込むということである。歩けなくなるほどではないが、軽い脳震盪に軽い擦過傷と傷を負ったのは確かだ。果たして怪物たち猛追を振り切りながら空から落ちる星にも注意して逃げのびることことができるのだろうか。いや、現実的じゃない。
「ブレンダさん、エドヴァルドさん、大丈夫ですか?」
「う、うん……なんとか」
「ぼ、僕も大丈夫だよ」
よろめくブレンダを抱き起こし、シュシュは空を睨む。
窓の外に描かれた地獄絵図、風化して不気味ではあったが、歴史を感じる建造物や住居、アラオザルの街並みが次々と流星の餌食となり、辺りを瓦礫の山と火の海に変貌していく。
(本当にエドヴァルドさんはこんな惨状の中でこの場に留まり、絵を描こうと思っていたのでしょうか……)
小さな擦り傷を身体中に負ったブレンダを心配そうに見守るエドヴァルドの横顔は死人のように真っ青だ。
現状の反応を見たところ、命を投げ出してまで創作活動に打ち込むようには見えない。優先順位的にブレンダの存在の方が自身の作品よりも上か、もしくは長い時の中、一人きりでこの場所に籠り、気が狂っていたのか。
「……エドヴァルドさん、あなたはここでずっと絵を描いていたのですよね?」
「う、うん。そうだよ」
「流星群が来る時間、いつもこんな惨状なんですか?」
「…………」
シュシュの問いかけにエドヴァルドの顔が曇る。
「ごめん、覚えてないんだ」
そんなはずがない。こんなことが起こればどうしたって忘れようがない。数十年、数百年に一回ならばまだわかるが、毎晩この惨劇が繰り返されているというではないか。
糾弾の言葉がシュシュの口から出かけた時、エドヴァルドはもごもごと小さく唇を動かした。
「いや、厳密に言えば断片的に覚えてる。あの流星群を目にし、僕は絵にこの光景を残そうと考え、パレットに向かった。でも、それだけなんだ。記憶があるようなないような……さっきもそうだ。僕は君たちにこの流星群のことを話した。そこまでは覚えている。けれど内容やその時の君たち、どんな顔してどんな返答が返ってきたのかは覚えていない。いつもそうだったのかもしれない。あの流星群のことを思うと僕は……まさかこんな酷いことになってるなんて思いもしなかった。ねぇ、教えてくれないかい? 僕はどんな顔でどんなことを口走った? これじゃあ、自分が自分でないみたいにすごく……怖いんだ……」
エドヴァルドがこの場に留まり、絵を描いていた。
もしも、それが真実であったならば流星による被害は先ほどきり、もしくは相応の時間があるということだ。
が、エドヴァルドの口振りからしてそうとは確証を持って言い切れない。
「エドヴァルドさん……あなたはーー」
「ーーひぃッ!!!?」
突如、木霊するブレンダの悲鳴。
視線が伸びるその先にあったのは眩い光。いや、女性の裸体に赤子の顔を貼り付けたような生物が微笑みながら窓の外でこちらを眺めている様だった。