復活
「殺した? ……おかしなことを仰る。神はそこにいるではありませんか」
「おいおい冗談はよしてくれ。あまりのショックに状況が呑み込めないとでも言うつもりかい? それともキミが言う神はこれではなかったのかな?」
不思議そうに首を傾げたマーシュにナルキスは見せつけるよう神の遺体を蹴飛ばして見せる。
「ははっ、今、表情が少しだけ変わったよ。やはりこの肉塊がキミの信じる神で間違いはなかったようだ」
「……そうですね」
マーシュの微笑を貼り付けたような顔がスッと無表情に戻った。
「神の抜け殻と言えどもそうして無碍に、ぞんざいに扱われることはあまり気持ちの良いものではないことは認めましょう」
「……抜け殻? まだコイツが生きているとでも言いたげじゃないか」
「えぇ。考えてみてください。叡智を携え、国1つを軽く壊滅させる神聖なる存在である神が貴方みたいな人間如きに殺されるとでも思っていたのでしょうか?」
ナルキスは己が蹴飛ばした神の亡骸にふと目を落とす。
微動だにしない。この凶悪な肉塊は確かに死んだ。虚ろな巨大な眼が虚空を見つめ、力なく垂れた触手の切れ端と夥しい体液がそれを物語っている。
しかし、この胸騒ぎはなんだろうか。
マーシュの言葉が狂気に落ちた戯言だとは確信を持てない自分がいる。
「神は元より酷く衰弱していた。アラオザルの地下深く、この大空洞にあった遺跡を数年前に発見した時からずっとです。私たちはこの神の姿を目にしたその時にえも言えない神々しさに目を奪われ、その再生と再起に心血を注いだ」
聞くでもなく、滔々と語り始めた真相にナルキスは耳を奪われてしまう。
「初めは教会内で志願する者だけでした。しかし、それでは神の復活には及ばず、少なくなっていく聖職者たち。このままでは神の側に仕え、そのお世話をする者がいなくなってしまう。そう頭を悩ませた末に辿り着いたのです。この街、アラオザルの民達にその身を捧げ、贄となって頂こうと。飢餓と病の蔓延した時世もあり、その多くは快く贄となることを許諾してくれました」
「……こんな不気味な肉塊をキミ達は本当に神と信じているのかい? 神であったとしても良いところ邪神じゃないか」
「だから貴方たちは愚かな人間を脱することができないのですッ!!!」
人をたじろがせるような剣幕で怒鳴り声を上げたマーシュは気を落ち着かせるように目を閉じ、咳払いをする。
「ですが、大多数の民の命を犠牲にしても、時にはこの街を訪れた旅人を欺き、神の使いとは到底思えぬ卑怯な手段を使ったりもしました。……が、この通り神の復活までには至らなかった」
静かにナルキスの横を通り抜け、マーシュは神の亡骸を愛おしそうに手で撫でた。
「終いには神の放つ強力な魔素により、正気を失う人々が続出。その多くは神の贄となることを拒み、与えられた奇跡を忘れ、背いた者たちでした」
右手は神の亡骸に添えたまま、マーシュは残った左手で首からかけたロザリオのペンダントを握りしめる。
「私は敬虔な聖職者。別段、信仰の強制をしているわけではありません。むしろ、この現状を憂いていた。神の復活が叶わぬばかりか、不義理を務めた人々を襲う暴走とも思える神の怒りによる呪い。私は何かできないものだろうか……その時、私はある考えに至ったのです」
静まり返った空間でマーシュの声だけが確かに響いた。
「私がこの身を神に与え、復活の手助けをしようと」
素早く亡骸の肉を切り取ったマーシュはその塊ごと口に頬張り、飲み込んだ。
口の端から真っ黒な液体が溢れ、滴り落ちる。
それは狂気そのものとしか言いようがなかった。
「神の魂は朽ち果てることはない! 深き信仰心と聖火の種火を身に宿す強靭な私の身体ならば器として相応しいはずだ!!」
次々と切り取った肉片を口に運び、飲み込んで行くマーシュ。
「狂ってる」
咄嗟の判断でその首を切り落としに放たれたナルキスの一閃。だが、それがマーシュの身体に触れることはなく、むしろ容易く、そして素早く抜かれた剣により後ろ手で軽くいなされてしまった。
「狂ってる? ……ははっ、あなたも同じことを言いますか」
ブクブクとマーシュの端正な顔が皮膚の下から泡立つ。目からは涙のように真っ黒な液体が止めどなく溢れ続けていった。
「あぁ……あぁ……満たされる……満たされていく。神に抱擁され……私が神と混じっていく……なんと素晴らしい……これが神……あぁ……あぁ……素晴らしい……」
死神に鎌を突きつけられたような悪寒がナルキスの背を撫でた。
一気に仕留めるつもりで素早く急所を狙った連撃を繰り出すナルキスだが、やはりその全てがいとも簡単に受け流されてしまう。
強い、ただの聖職者ではない。
膨張と収縮を繰り返すマーシュの姿を睨みつけ、ナルキスは舌を打つ。
やはり早く殺しておくべきだった、と今更ながら悔やんでいた。
無効化され続け、攻めあぐねている最中、マーシュの頭半分が吹き飛んだ。そこから覗く脳みそには無数の眼、そして地面に到達するほどの長い触手が垂れ下がっているが、それ以外に目立った変化はない。壊死したように黒ずんだ各所の皮膚が気になる程度で意外なほどに人間の形を保ったままだ。